2017年5月29日 (月)

ミヤマキリシマを見に

ミヤマキリシマを見に阿蘇まで出かけた。ちょっと遠いが車も新しくなったことだし新車で遠乗りの感触もいいかなということもある。

行くのはいいが熊本地震で阿蘇大橋周辺の道路が通行不能になっており阿蘇山に向かう道はどうなっているのだろうか、ネットで事前にあれこれ調べる。ミルクロードと称される県道339号線を使うのが熊本から阿蘇へ向かう現在のルートになっている ようだ。復旧の器材等がこのルートを使って運ばれているようで、国交省のページでは途中には臨時トイレが何か所も設置してあるという。そう大変な道でもなさそうだ。
阿蘇でミヤマキリシマが見られるところはロープウエー駅付近のいわゆる阿蘇山上と仙酔峡がポイントだが仙酔峡のほうは通行止めだらけで現在は全くアクセス不能だ、見られるのは阿蘇山上しかない。
阿蘇カルデラ内の道路で阿蘇山ロープウエー駅に向かう道は1本のみが昼間に限って通行可で枝道は通れないようだ。しかしルートは開いてはいる。


とにかく出かける。福岡から九州道を熊本インターで降り、阿蘇に向かう57号線を途Asosannjyoua 中の大津でミルクロードに折れて不通個所を迂回して阿蘇までたどり着く。天気は予想通りの低い雲で時折弱い雨がぱらつく。
一先ず草千里はやり過ごしてロープウエー駅に向かう。勿論ロープウエーは動いていない、架線も外されているが駅の売店や食堂・トイレは開いていて観光客を受け
入れている。いずれにせよ火口に向かう遊歩道も閉鎖されている、ここまでだ
歩ける場所はないものかと探すと山上有料駐車場から火口と反対側にに向かって出ている遊歩道が見つかりこれを少し歩く。ミヤマキリシマ群落の中を歩く遊歩道だ。
花はないわけではないが白く枯れた枝が目立つ。火山
Asomapの噴煙でやられたようだ。
地中からわずかに伸びた小さな枝にも花をつけている。生き残った枝は必死の思いで花をつけている。遠くの方を見ると枯れた白い枝と僅かな緑と花の赤が微妙にまじりあってむしろ上品な花の景観が見渡す限り広がっている。めいっぱいの満開もいいがこの光景も別の顔を見るようで味わい
深いものを感じる。訴えかけるものが多い。
事前に阿
蘇市の観光課に開花状況を問い合わせると阿蘇山上は一分咲きとあり、草千里のレストハウスに問い合わせると草千里は3分咲きといういずれも申し訳なさそうな答えが返ってきMiyamakirsim2ていた。満開を毎年見慣れた目には不甲斐ない情けない花の状況と映ってしまうのだろう。しかしこの景色もいい、花は盛りのみをや、の徒然草の一節が浮かぶ、むしろこの景観のほうがやまと心の趣があるといってもいいような感じさえする。
山上の有料駐車場には僅か2台のクルマしか止まっていなかった、ロープエー沿いの散策路は閉鎖されていてこちらの遊歩道に気が付かないで引き返すだけなのだろう。遊歩道の存在を示す案内板もない、勿体ない。

Miyamakirsim草千里のレストハウスでゆっくり昼食をとってくじゅうに向かう。ほとんど止んでいた雨が降り出した。レストハウスには観光バスが何台も来ており草千里の遊歩道を雨具を付けて歩く姿も散見できる。小雨にけぶる眺めも落ち着いていい感じだ。
阿蘇一宮町から県道11号「やまなみハイウェイ」でくじゅうへと走る。この道も途中片側通行などがあって被災からまだ完全には戻っていない。クルマも少ない。
1時間半くらいで長者原に着く。まだ雨だ。ビジターセンターの下の階から傘をさして歩きだす。風はなくて雨も大したことはない。湿原ではサワオグルマの黄色い花が見ごろでサクラソウもまだ咲いたりする。雨はほぼ上がってきて セッカが飛び回ったりホオジロ、ホオアカ、カッコウ、モズなどが姿を見せたり声を聞かせてくれたりする、何時来てもいい湿原だ。

帰りは片側通行だらけだがとにかく通行できるようになった九酔渓を経由して九重ICから大分道に乗って戻る。新しい車の自動追従モードをできるだけ使って走ると散策した後の長いドライブも足がつるようなこともなくて安全に楽に走れる。

いい時代になった、体がしだいに衰えていくのを技術の進歩がカバーしてくれる。どちらが早いか、いいとこ勝負かな、まだまだ遊べるかな、そんなこと思いながらもう夏のように明るい夕べの博多の街へと車を走らせた。

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2017年5月26日 (金)

笹栗九大の森


近頃水面から不思議な木が立ち上がっている写真を時々ネットで見かけることがあり、笹栗の森というから福岡の近郊の様だと検索してみると笹栗九大の森という場所Rakuusyouca に行き当たった。

どうやら九大の演習林らしい。一般に公開されているようなのでとにかく出かけることにする。
少し調べると九大は演習林を北海道と宮崎と福岡に持っていてその福岡演習林の一部が笹栗九大の森ということのようだ。
この笹栗の演習林は九大が1922年に当時の農商務省から国有林の移管を受けたことに始まっている。糟屋演習林と称し366haの広さがあった。暖帯林として林学・森林学の研究に用いられてきたようだ。
戦後、交換や拡大で面積は2007年時点で482haにまでに広がっている。1993年からは福岡演習林の名称となり2010年より篠栗町との共同管理のもとその一部17haが笹栗九大の森として一般市民向けに解放された。
笹栗九大の森には スダジイ、アラカシ、タブノキ、クスノキ、ヤマモモなど約50種の常緑広葉樹とコナラ、ネジキハゼノキなど約40種の落葉広葉樹が生育しているという。


北駐車場から左へ進むとすぐに写真で見た不思議な木の風景にたどり着く。落羽松という木と説明にある。ラクウショウの名は栃木の井頭公園で見たのを思い出す、地中から突き出す気根が印象的だった。こちらの落羽松も水際に気根を見せているが全体に大きくて水中にそびえているためか随分と受ける感じが異なる。岸辺からやたら写真を撮る人で局所的に混雑している。帰りがけに駐車場近くで4人の女性グループに絶景というのはどっちへ行けば見れますかと聞かれた。絶景ポイントということで知る人ぞ知る景観になっているようだ。確かに日本離れしている。

とにかく池をめぐる遊歩道を散策してみる。やはり常緑広葉樹が目に付くがコナラの大きな木も多い。概ね平坦で駐車場間の連絡歩道を含めて一周はおよそ3km弱くらいある。いい森だ。同じ糟屋郡でもその前の週に少し歩いてみた昭和の森(一本松公園)から三郡山縦走路に至る道より遥かに歩きやすくて安心できる。ただ、野鳥の声が森の雰囲気の割に少ない気がする。何故だかわからない、たまたまこの時間この季節というだけかもしれない。

自宅からは直線で13km位、道なりでは20km近くある。いい森だが気楽に散歩に訪れるにしては少々遠い、でもそれは贅沢というべきか。いくつかの行き方が考えられいい道がありそうではある。大宰府と宗像を結ぶルート上にある場所という見方をすれば歴史的にも面白い場所のようにも思えてくる。時々訪れてみよう。

福岡に戻ってもう4年になるがまだまだ行くべきところがたくさんある。やりたいこと行くべきところと残り時間、そんなことが気になる年頃に次第になってきたようだ。帰路を走りながらつらつらとそんなことを考えていた。

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2017年5月19日 (金)

東西合同同窓会

高校の東西合同同窓会があるというので神戸まで出かけた。今振り返ると何かが詰まった旅だった気がする、昔暮らした街だが旅全体がそれらしい小さな驚きに満ちていた。忘れないうちに書き留めておこうと思う。

神戸を訪れるのは半世紀ぶりのような気がしている。宇都宮にいたころは宇都宮と福岡を何度もクルマで往復したが神戸は通り過ぎるだけだった。クルマで神戸まで行く、もうそんな元気はない。
同窓会翌日はゴルフをやろうというプランも用意されていたがゴルフはついに人に付き合えるほどにもならなかったなあと、やらずに帰ることにして、夜行バスで帰りを予約しておく。セパレート3列の座席のバスというから眠れそうな気がする。泊まるのは何か大げさで夜行バスで帰るくらいが安くてどこか感じがあっている。
行きは新幹線だがこれも安い買い方を調べてJR西日本のe5489という予約システムでお得とされる切符を事前購入した、10270円(普通に買うと14990円)で随分安い。ちなみに5489とは「ごよやく」の語呂合わせの電話番号でこの番号で予約を受けていたものをネット予約にしたのがe5489ということらしい。初めて見るとやや不気味な暗号のように見えてしまう、こんな言い方を使い続けていることへの疑問が湧いてこないところが旧国鉄らしいともいえる。でも旅らしい始まりだ。
切符の引き取りは 乗車当日JR西日本の券売機で「予約切符受け取り」を押して予約の時に登録していたクレジットカードを差し込み予約時登録電話番号下4桁を入力すればすぐに発券される。1度やってみると難しくなくて便利だ。とにかくみどりの窓口で並んで買うことからは解放されていていい。

新神戸の駅に着く、本来の神戸・三ノ宮駅からは結構離れていて歩いてはいけない。神戸市内の最終目的地までJRを使うなら途中下車となる計らいがあって、それ用の改札機が出口の左の方にある。切符を通すとハンコを押されて出てきて先でまた使えるという仕掛けだ、こういうところでケチりたくなる、それが出来るというのがいかにもJRの旅という感じがする。

新神戸駅のにぎやかなのには少々驚かされるがそのまま地下鉄で三ノ宮に向かう、一駅だ。高校にいたころはまだ新神戸などという駅はできておらず当然こんな地下鉄もなかった、新しい世界に来たような感じがする、半世紀という時の流れは偉大だ。

三ノ宮の地下鉄駅から阪急、JRと地下を抜けてサンチカに入る、やたら人が多いしDscn3171 なんだか店も多い。半世紀前はサンチカが出来たばかりでここまでの賑わいではなかった、歩いているとどこにいるかわからなくなって地上に出る、ほっとする、弱い雨が時折降りかかる。

センター街はどうなったのだろうと覗いてみる。勿論店は入れ替わっているようだが商店街としての姿は昔とあまり変わらない感じがする。震災でもアーケードは壊滅しなかったようだ。元町の途中まで行ったところでそろそろ今日の行事の一番目の母校見学の時間かな、と切り上げてせめてもの神戸土産にと たまたま目についたにしむら珈琲店で粗挽きの珈琲缶を買っていく。土産として手頃感と神戸らしさがある。

JRまで戻ってくだんの切符を改札機に入れると問題なく受け付けてくれる、これで幾ばくかは助かった。
住吉で降りて国道2号沿いを歩く。昔は国道電車と称する路面電車が走っていたがむろん今はその姿はない、昔の通学路だが風景はまるで変っている。住吉川まで来るとポートライナーの線が頭上を走り川底の昔ダンプの走っていた道は立派な遊歩道となってランニングしている人の姿が見える。六甲山はここから見た風景は変わらないがポートアイランドのために削られた小山が裏の方にあるのだろう、僅かに山を動かして街を広げる、そんなことを神戸市は半世紀も前からやってきた。
歩いていると 震災があったからだろう、新しい建物ばかりのように見える。

母校の正門のところに来る、見た感じ昔と同じようだ。きれいにはなっている。案内に従って集合場所に至り見学が始まる。集まった顔を見渡すとかろうじてそうかなと思う名前が2人くらい浮かんであとは誰が誰やらわからない。半世紀ぶりではこんなものだろう。
建物は震災でも持ちこたえてそのまま残ったが老朽化とやや人数が増えたことで改修増築されて中身は昔とだいぶ変わっている。プールからは高飛び込みの飛び込み台も消えて、代わりにというべきか校舎の屋上には天体観測ドームが設置されている。剛からスマートへのシフトがそこここにある。普通のことだろうし思ったほどには変わっていない気もする。

Dscn3225 母校見学会の後は同窓会となる、会場はトアロードの突き当りの洋館の一つという触れ込みだったが、行ってみると新しい建物のように見える。しかし格式がある、雰囲気がある、神戸らしい。
知らない顔が少しずつ解けてくる、様々な人生が交錯する。まだ働いている人もいる。

それぞれの顔からはどこかもう脂ぎったところが消えて全体がセピア色に変わりつつある、平和な眺めだ。
穏やかな談笑の続く2次会を適当に切り上げて夜行バスの集合所へ向かう、PMPTビルという三ノ宮の飲み屋街のただなかにある建物だ。入口の飲食店の客寄せかと見まごうばかりの係員にバスの出発予定時間を告げて待合室に入る。年代層が随分若い。若者の世界に足を踏み入れた感がある。出発10分前にバスのところまで誘導されて列をなして飲み屋街を歩く。
眠れるだろうかと悩む間もなく眠りに落ちる。歩きまわって疲れたのと酒が回ったのとある。丁度いい。山口県まで走ったところで休憩があり目を覚ましてバスの外に出てみる。夜行バスが何台も止まっている。どよーんとした感じが旅らしい。
やっぱり少々窮屈なところがある。ゆっくり眠れたとの感触はない。

でもコンパクトな旅だった、目的と交通手段がマッチした旅のように思えた。時を旅する。時が流れる。人が流れる。世代が流れる。

自分の座標がまた一つ確認できたような気がする。
今年は同窓会が続く、次は小学校の同窓会だ、振り返るばかりではもう先がないことへのあきらめと認めているようで、同窓会も変わるべきなのだろうけれども。

五月の緑がまぶしい。

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2017年5月10日 (水)

オオヨシキリ

夏鳥が次々に飛来して面白くなってきた。連休の始めは久しぶりのコルリの声を南公園と油山の二か所で聴けた。コルリが日本に多く飛来するようになったのだろうか、喜ばしいことだ。鳴いているコルリは殆ど見えるところに出てきてくれない。写真110507koruri1a はあきらめて録音に集中する。録音は後で聞きなおすと写真よりはるかに臨場感があって記録としても優れているように思う。(添付は以前軽井沢で撮った静かなコルリ)。
南公園の録音は丁度動物園入り口部の改装工事が急ピッチで進められている時でガランガランと大きな音がかぶってしまったが、後で聞きなおすと録音処理で少しは軽減できそうだし、何しろコルリが力強く鳴いてくれているのがいい。

連休の終わりころ今津にオオヨシキリが入っていると人づてにあり早速聞きに行く。ギョギョシギョギョシという鳴き声は宇都宮にいたころはこの季節に宇都宮市内や近 郊の葦の茂みからうるさいばかりに聞こえていて、いかにも北関東の河原に似つかわしい気がしていたが、しばらく聞かないとここ福岡に現れているときけばやはりそれっと出かけて行きたくなる。

新しいクルマにもだいぶ慣れて自動追従で走れば市街地もずいぶん楽なのもあって気楽に出かけられる。30分くらいで今津についてどこのヨシ原だろうと少し探すと玄洋高校に近いヨシの茂みから元気な声が聞こえてきた。懐かしさがある。近寄ってもそうは逃げないようなので姿を探すと時々茂みから上に出てくる。思った
20170508ooyosikiri2よりもずいぶん大きい感じがする。宇都宮にいる時は結構離れてみていたからだろうか、もっと小ぶりの印象を持っていた。いつも思うのだが福岡の鳥見は距離が近い。人家近くを旅することを鳥は心得ているような気もする。何しろ人類よりとんでもなくはるかな昔から地球上を飛び回っていた生き物だ、色んなことはすぐに心得てしまうのだろう。新参者の人類なんて適当にいなされているのだろう。

いずれにせよよく鳴く鳥は姿をしかととらえるのは難しい。考えてみれば当然だ。あの派手なアカショウビンでも鳴いている時は巧みに人から姿を木陰に隠す。写真を写すことに気を取られると鳥の楽しみから離れていくような気がしている。
録音のみする人にむしろ鳥は寄っていきもする。以前の蒲谷さんの講演を聞き直しているとどうして蒲谷さんには鳥が寄るのかとよく質問されると語っておられた所が心に残る。

20170508imazuhachikm 人でも有無を言わさずパシャパシャ撮られればいい気持ちはしない。鳥ならなおさらだろう。

今津で帰り際に仰ぎ見るとハチクマが2羽舞っている。そんな時期になった。こうやって流れていく時間を眺めていると、他に何のなすべきことが残されているだろうか、そんなことも思ってしまう。いい季節だ。

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博多どんたくに出る

5月の連休の催しで人が集まる筆頭は博多どんたくとされて久しい。今年も主催者発表で200万人を超える人出があったことになるがいつもほんとうかい、と思ってしまう。各所のステージの観客、ドンタクパレード観客・出場者の総計ではそういうことになるらしい。延べだからパレードの分は1日当たりの倍だしステージは前夜祭も入れれば2.5倍くらいになるのだろう。それにしても多いカウントだ。
見て回るといってもステージではどこで何をやるか直前までわからない、適当に見るしかない。パレードも立ち尽くして見続けるのは少々つらくなる。どう楽しむのがいいのだろうか、毎年何かずれを感じていた。

そもそもどんたくの始まりは平安末期の平家の時代とされているようだが現存する記録として残っているのは小早川秀秋が名島城城主となった1695年、博多の町人が松Kobayakawa 囃子を仕立て年賀挨拶として行ったことがもっとも古いものとされている。小早川秀秋といえば秀吉の親戚でありながらこの5年後関が原で家康側に寝返って勝敗の行方を決めたその人ということになる、どこか軽さがあったのだろう、町人も気楽に挨拶に行けたのだろう。歴史はこんなところが面白い。

江戸時代になって黒田の殿様に年賀挨拶する行事として定着し、松囃子の後ろに趣向を凝らした出し物が続いた、これが現在のどんたくパレードの原型とされる。博多側から福岡側にパレードが繰り出すというのはその時の形が残ったのだろう。今も残るお祝いの掛け声「いをーたー」というのが古いどんたくの雰囲気を一番よく伝えているような気がする、要するに無礼講のお祝い行列が主体ということだろう。

確かに面白い歴史があるが、パレードに参加するというのが元来の楽しみ方というものだろう。そう思って、今年は公募の博多町屋ふるさと館隊に応募してパレード参加した。
Zontag
パレード参加すると見物人としてパレードを眺めるわけにはいかない、楽しみ方が随分変わる。とにかく「ぼんちかわいや」ともう一曲、振りを直前に教わってパレードを踊りながら進む。すぐに慣れてそれらしく形ができて、群衆の視線を浴びるのが心地よい。
曲の切れ目で「いをーたー」の掛け声を掛けたりするとつい愉快になる。
呉服町から天神の市役所前まで1kmほどのパレードだが、ゆっくりと景観が流れていき十分に楽しめる。
確かに参加するとこんな祭りが盛大に数百年もの間毎年続くのもなんとなく解る。

前日の突然の雷雨はこの日は免れた。予期せぬことが起こる非日常の祭りというところが本物の祭りらしくていい。

解散後、まだ祭りのざわめきが満ちている街中をゆっくりそぞろ歩いた。春もそろそろ終わりなのだろうか。

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2017年5月 6日 (土)

インスタグラムと著作権侵害

インスタグラムに写真を投稿していると時々不愉快な事態に遭遇する。自分の出したInstag 写真とタグをほぼそのままコピーして別の人がその人のハンドル名でインスタグラムにアップしているというちょっと信じられないような事態だ。

発見はふとしたことからだった。
アップした時に殆どの人が使っていないハッシュタグを書き込んでしまって、しばらくした後少し後悔しながらタグのページを開くと自分のと同じ写真が2枚アップされている。あれっと自分のミスかと思ったりもしたが写真をクリックすると知らない人のページに行く。こちらにも いいね を打っている人もいる。
何なんだこれはと思うがロシア語であったりヘブライ文字が出てくるぺージであったりしてこんなことをしている本人に注意するのも厄介そうだ、どうしたものかと暫くほっておいた。ほぼ忘れかけていたが、つい4-5日前にSNSの著作権侵害に関するニュースが流れているのをテレビで見て思い出した。
せっかくだから著作権侵害の申し立てをインスタグラムに送る方法はないかと探してみると すぐに見つかった。やはり問題のところなのだろう。

Instagramヘルプセンター - プライバシーと安全 - 報告する と辿ると報告する手順が始められる。にっくきコピーページのurlをメモし、自分の対応ページもメモして手順を進めると最後まで行きつく。最後のところに電子署名の要求があり、電子署名?といぶかるがそのまま自分の名前を書き込む。これでOKのようだ。
送信して2-3日もしないうちに 削除しました との英文のメールがinstagram team から送られてきた。確認すると問題のページは削除されている、めでたしだ。まだあったと思い出してその後も申し立てを何回かやっているが慣れるとすぐにできるようになる。ネットで手続きが面倒だとの書き込みをいくつか見かけるがやってみるとそんなことはない。勿論日本語でOKだ。

ネットに出した写真は無断コピーは避けられない、ある程度の著作権侵害は防ぐのが難しいというのが実情と思うが、防ぐ手立てはとにかく講じてみるのが大事のようだ。すこしづつルールを固めていけばこれはひどいという事態は抑制されてくるだろう、ネットを便利に使っている現在の様な生活は少なくとも維持したい、これは知恵が出せればできるだろう、拡大しても行けるだろう。

とにかくこれから続いていく未来は言葉通り広く果てしないのだから。

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2017年5月 3日 (水)

2017年4月の福岡市南区周辺の野鳥

2017年4月の福岡市南区周辺の野鳥

シロハラもついに姿を消し夏鳥が次々に渡来しにぎやかになってきた。今年はコルリのさえずりを久し振りに聴いた。

手元に残るメモからの観察記録は下記

20170417hibari 2017.4.1 pm2 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ツバメ10+

2017.4.2 pm17-18 福岡市南区長丘付近の野鳥 中公園:アオサギ1、ヒヨドリ、シロハラ2、マガモ2、メジロ 新市楽池:バン2、マガモ3 鹿助池:マガモ4、バン3、モズ1、ヒヨドリ、ドバト 曇り時々雨、 風力3、NW   

2017.4.13 14:40-16:00油山市民の森 時計回り周回
オオルリ(77番)、ビンズイ(76-7
20170427hoojiro1a4番)、イカル(61番の駐車場側)、他ウグイス囀り(多数)、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、ヒヨドリ(多数)
サクラ満開-散り初め、シャ
クナゲ3分位 、タゴガエル多数

2017.4.18 pm3 福岡市南区長丘付近の野鳥 中公園:シロハラ2-3、マガモ♂1、メジロ 新市楽池:バン1、 鹿助池:メジロ、アオサギ、ドバト、ハシボソガラス

2017.4.19 福岡市西区 吉武高木遺跡 ヒバリ、カササギ

20170427kawarahiwa 2017.4.24 1530-1630 西南の杜 ハクセキレイ、ウグイス、ムクドリ、マガモ

2017.4.27 1030-1230 油山 オオルリ6-、キビタキ4-、ホオジロ2-、ウグイス、エナガ、ヤマガラ、カワラヒラ、ルリビタキ、ヒヨドリ、メジロ、ゴジュウカラ疑

2017.4.28 7:00-9:30南公園 コルリ(さえずり)、キビタキ、オオルリ、センダイムシクイ(多数)、コサメビタキ、メジロ、アオサギ、ヤマガラ、アトリ、シジュウカラ、スズメ、ハ
20170428kosamebitaki1シボソ、ハシブトガラス

2017.4.30 pm2 福岡市南区長丘付近の野鳥 中公園:アオサギ1、スズメ、シジュウカラ1、カワラヒワ1 新市楽池:マガモ3、バン1、ハシボソガラス1、スズメ 鹿助池:スズメ、  ハシボソガラス

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2017年4月30日 (日)

たらたらと歴史を想う

4月も終わりとなった。なんだかちょっと疲れた。

晴れた日が多くて、クルマも新しくなって出かけたくなる日が続いたためかもしれない。
なるべく食事会飲み会には出ないようにしているが何故か4月5月6月とその機会が増える。気象だ野鳥だとどうしても所属するグループの輪の飲み会・食事会には年度初めということもあり付き合うことになり、法事もあったりすると、そうでなくとも体調が今一つで足が遠のいているヨット遊びには出れなくなる。花見にも行かねば、興味のある歴史探索にも出かけねばと思えばとにかく忙しい。
本当はやらねばならないことなど何一つないのだから全部をうっちゃってぼーとしてればいいのだがそうもいかない。春は気ぜわしい。

最近行った歴史探索では装飾古墳の竹原古墳が心に残る。6世紀後半ころのものというから水城や基肄城や大野城といった、白村江の敗戦後に造られた対唐新羅防衛建造物などと同じころの古墳ということになる。よく残ったと思う。現地に常時駐在して管理している方の話によれば高松塚などの明日香の装飾古墳は漆喰の上に描かれたため脆くて傷みが出ているようだがここは岩にじかに描かれているため比較的傷みにくいということらしい。
Takehara 同じく筑豊にある特別史跡の王塚古墳のはかない壁画に比べてもくっきりとして見事だ。勿論ガラス越しで見ることになるがよく見える。
きちんと管理して何時でも誰でも見れるという強さが古墳の管理には重要なのかもしれない。絵が傷みそうなら誰の目にもすぐそれが解るという状態が直ちに対策をとれるということになって望ましいのだろう。隠さないことが強さを作るのだろう。
壁画は撮影禁止となって掲示されている説明図を撮るしかない、説明にはなるが記録にはならない。フラッシュを焚かないことを条件に撮影可と
Ponpei1した方がいいのではないか、そんなことも思ってしまう。最近福岡市に周ってきたポンペイ壁画展(日伊国交樹立150周年記念「世界遺産 ポンペイの壁画展」)は全て撮影可だった、そこには堂々とした誰に向かっても解放された人類の遺産という誇りがむしろ感じられた、そんな姿がこの古墳にも似つかわしい。

ポンペイの壁画展には紀元前数十年頃に描かれた壁画が含まれていたが、そのころといえばシーザーがガリア戦記を記したころだ。
たまたま図書館にあった
Ponpei2ガリア戦記(新訳ガリア戦記 ユリウス・カイサル著 中倉玄喜 翻訳・解説)を読んでいるところだったので一層この時代が生々しく感じられる。ガリア戦記もポンペイの壁画も2000年前とは思えないリアルさと人間の息遣いが感じられる作品だ。
2000年もの間を人類は徒に過ごしていたのだろうか、10 年前に書かれたといわれてもそうかと思ってしまうほどだ。

そのころの日本の様子はどうだったのか。2000年前の遺跡である自宅近くの吉武高木遺跡で少しはうかがい知ることができるが、到底ローマには及ばない時代を過ごしていたようだ。それにしても吉武高木遺跡の王墓らしき墓からは前漢製の鏡が出土するなど東シナ海を越えた交易が広がっていたようでもある。邪馬台国成立以前、伊都国や奴国ができる以前の時代だ。日本でも目いっぱい生きていた
Yositaketakakiその時代の人の生きようがうっすら浮かぶ。進んでいたか遅れていたかそんなことではない人間の生活が感じられてくる。

たらたらとこんなことを思って4月も終わる。いい生き方かもしれない。時々そう思う。

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2017年4月25日 (火)

芭蕉の句碑が

俳句が流行ってきているらしい。現代俳句のネット投稿でも毎月の投稿数が5句から3句に減らされた、毎月の投句総数が1200句をこえるようになってきて選句の負荷が高すぎるためらしい。それだけ参加する人が増えたことになる。

今やサクラも終わってつつじの季節となった。

2週間ほど前 豊かな桜の風景を求めて うきはの流川桜並木を堪能した後、史跡でも、と直ぐ近くの日岡古墳・月岡古墳に寄った。前もって調べていたわけでなくたまたま目について何だろうというくらいの好奇心だ。
朝倉・うきは地区は日本書紀にいくつかその名が出てくる場所で、邪馬台国・朝倉甘木説の現場でもあり、古墳それぞれに大和朝廷以前の古代史への興味が掻き立てられる。
若宮神社の境内にある2つの前方後円墳で、古墳時代中頃6世紀ころのものらしい。Hinookakfn 説明看板を読むと日岡古墳は幾何学模様の描かれた装飾古墳として、そういえばそんな写真をどこかで見たことがある、という類の有名古墳だった。後円部の上部の天井板が落ちていてその上に小屋が立っており、上から覗き込むようにして装飾画を見ることができるらしいが、第3土曜日にそれも5日前事前申し込みでしかみることができないようだ。とにかくこの日は観れない。
まあこんなものかと月岡古墳に回る、こちらは装飾古墳ではないようで内部を見ることもでず、上に上がって歩き回って戻ろうとすると芭蕉句碑が目に入った。
Basyoukuhi 花本大明神
  百年乃けしきを庭乃落葉かな
と刻んである。
芭蕉が九州で詠んだ句はないはずだがと句碑の裏に回ると嘉永2年建立の字が見える、1849年造ということになる、幕末だ。
どういうことだろうと戻ってネットで調べる。
花本大明神とは芭蕉が150回忌の天保14年(1843年)に二条家から与えられた神号とある。これを記念してこの時期に全国に句碑が建てられているようで福岡県内にも句碑が75もあるという。句は彦根の明照寺に門弟の季由を訪れた時に詠まれたものらしい。(潺々 - 芭蕉・五老井の流れ - 石川柊著 による)。
そもそも芭蕉が亡くなったのは 九州長崎を目指して旅立った途中の大阪ということだったようで、九州へ行きたいとの思いが臨終の床で詠まれた 「旅に病んで 夢はBasyoukuhi2 枯野を かけめぐる」 の背景にあったということらしい。
九州には芭蕉を慕う俳人が多かったというのは芭蕉の時代からで句碑も芭蕉の気持ちに応えたかったとみるべきなのだろう。句碑が多いのもうなづける。ここの句碑の句を選んだことからは百年といわず百五十年後の九州の庭にも
芭蕉の気持ちが伝わったことを示したかったそんな想いが響いてくる。

夢は芭蕉を駆け巡ってしまう。その一瞬の雰囲気がおもしろい。俳句が流行るのもそんなところだろうか。

古墳巡りてさくらちる微睡みと

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2017年4月20日 (木)

マスターズ・プレーヤーズ、ウイーンを聴きながら

春はどこか物憂い。

4月18の日にアクロス福岡にマスターズ・プレーヤーズ、ウイーン  コンサートを聞きに行った。毎年の定例だが、演奏者の技術が高く指揮なしで見事に交響曲を演じるその技Mastersplayer2017 に惹かれてできるだけ聴きに行くことにしている。今年の福岡での演目は

ベートーヴェン:「コリオラン」序曲 ハ短調 Op.62
ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調 Hob.Ⅶb:2(チェロ/ロベルト・ノージュ)
モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385
シューベルト:交響曲 第6番 ハ長調 D.589

だ。
「コリオラン」序曲と「ハフナー」の頭は聞き覚えがあるが、他の曲は初めてだ。安心して受け入れられる音の流れに身を任せるように聴いていく。

2曲目のハイドンを聴いていると、柔らかな宮廷音楽の響きがフランス革命前のアンシャンレジームの世界へ想念をいざなう。音楽から次第に心が離れて流れゆく。歴史のうねりへの思いがアメリカ独立戦争、フランス大革命、ナポレオンの栄華と没落、帝国主義戦争の時代。。。と太平洋戦争の真珠湾攻撃までたどり着くと、そうかもしれないとの思いにいきあたる。ハワイの米国併合だ、明治維新の直後日本を訪れたハワイの王妃が何とか米国の簒奪からハワイを守ることに日本が力を貸してほしいと明治天皇に直訴した、明治天皇はまだ国力がしっかりしておらずいかんともしがたい状態で無理だとやんわり断った。しかしこれが結局は日米開戦の真珠湾攻撃につながったのではないか、そこには一つの義があるという思いが攻撃を正当化したのではないか、長い間果たされなかった思いがそこにはあったのではないか。少なくとも攻撃を是とした昭和天皇の脳裏にはあったのではないか。
たかだか18世紀終わり頃から始まった欧米の近代化に日本はわずかに遅れた程度ではなかったか。瀉血ばかりの医術が横行していた時代が長く続いた、それが19世紀初頭に至るまでの西洋医学の実態ではなかったか。今にたどり着く歴史は単純ではない、一通りではない。
思いがぐるぐる回ってまた音楽に戻る。ハイドンのすぐ後を進むモーツアルトが創り出したフィガロの結婚はフランス大革命の引き金の一つともいわれる、もう時代は限界に来ていた、しかしその寸前まではこのハイドンのような柔らかな響きが宮廷を満たしていたのだろう。
チェロの響きが心地よく眠くなる、そうでなくとも春は眠い。

今の時代は何なのだろう、その思いがまた巡ってくる。何なのだろう。

曲が終わる。万雷の拍手が続く。

こんな風にコンサートで生の演奏を聴いていると、音楽そのもというより思考を解き放つそれ自体が貴重な時のように思えてくる。どこかに閉塞感があるそんな気分の時はこんな聴き方をするのがいいのだろう。

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2017年4月15日 (土)

桜は土手が

今年も桜の季節が過ぎ行きつつある。
開花が遅れてそのあとも涼しい日が続いた分長い期間にわたって花が楽しめた。
今年も、自宅の小さな桜や近くの中公園の桜、鹿介公園の桜、樋井川の桜、桧原桜 と概ね歩いていける範囲の花見を一通り行った後少し遠くに出かけてみた。今回はうきは市の流川桜並木と称されるところだ。

Kanasakisakura 栃木県にいた時分も花見はあちこちに出かけたが、良かったと思う筆頭クラスに金崎の桜堤という場所があった。思川の西岸土手に見事な桜並木があってあたりの自然と相まって気持ちよく桜を楽しめる場所だった。場所取りをして飲んで騒ぐようなところでなくただ土手の上をずっと歩いて時には邪魔にならないように道脇でお弁当を食べる、そんな健康的な場所だった。
福岡付近にもそんな場所があればと思っていたらテレビで似たようなところを流していたという、流川桜並木というところだった。
満開に嵐が雨を打ち付けた次の4月12日の日に、まだいけるだろうと出かけた。

ここらあたりだろうとナビの地図上であたりを付け目的地をセットしてナビに従って走Map1 る。ネット情報では駐車場有とされていたがそれがどこなのかよくわからない。ともかく現地に行けば案内位はあるだろうと思っていたら近づくと案の定小さい流川桜並木の表示が現れだした。
桜並木をを横切るように橋を渡ってやや行くと駐車場の案内表示が現れてそれに従って土手に隣接した臨時駐車場にたどり着く。平日だが駐車場整理の方がいて誘導してくれる。舗装はなく前日の雨で水たまりがあったりもするが無料なのは申し訳ない思いだ。途中で買ったコンビニおにぎりやカメラなどを抱えて花見となる。それなりに人はいるがゆっくり歩ける。確かに金崎の桜堤に Nagaregawa_2 似ている。昼近いので土手から川側へ少し下ってサクラを見ながら草の上でおにぎりを食べる。なかなか気持ちいい。
カワラヒワの声がしきりにするが花が多くて姿がしかとは見られない。道にはびっしり花びらが落ちているが、まだ満開を保っている木も結構あり少し離れてみると並木全体を満開といってもおかしくない。いい時期だ。歩く人の表情が緩んでいていい感じだ。
こんな風に今年の桜も満喫できたことがうれしい。

出会う顔みなほころびて さくらばな


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2017年4月10日 (月)

電子的不満

最近、クルマを新しくした。
驚きがしばらく続いている。直面するのは電子化・自動化だ、ちょっとついていけなくなってきたかなと思い始めている。

17万キロ走った前のクルマも最初はDレンジで走ると思うような走行にならずマニュアルモードをメインにしてやっとなじんできた、という経験がある。今度はもっと手ごわい。

まず気になるのはサイドブレーキだ。サイドブレーキが電子化されて小さなレバーを押したり引いたりしてサイドブレーキをかけるようになっている。

フットブレーキを踏みながらでないと解除できないし見た目今ブレーキがかかっているかどうかはわからない。さわっても解らない、計器表示だけだ。

信号待ちでサイドを引いて足を休める、サイドを下ろしながら発進するなどということが少し面倒になった。勿論、簡単にする仕掛けがあって、サイドブレーキがかかった状態でアクセルを踏むと自動解除されてレバー操作はいらない。しかし安全のためどこかのドアが半ドア状態では自動解除されないようになっていて、一度交差点で半ドアを直せないまま発進せざるを得なかった時にふかしてもなかなか動き出せず冷や汗をかいたことがあった、そんなことが一度でもあるとアクセル自動解除はなるべく使いたくなくなる。
標準と少し違う運転の仕方になると余計な手順が増えて、間違いそうだ。

その他にも細かい違和感はたくさんあって未だに慣れない。
ギアシフトはマニュアルでもできるがシフトレバー操作でなくてハンドルのレバー操作で上げ下げする、どうにもメカニカルな感触がないし慣れない、すぐに操作できない。
ナビの取り付け位置もやや下にあって走行中にちらちら見ると危ない気がして知らないところを気楽には走れない。立派なドライブレコーダの再生もクルマではできず、SDカードを抜いてパソコンで見るほかない、前つけていた格安タイプの気軽さがない。
渋滞で追従モードにして自動で前車に従って走るのは楽だけれど自分で運転していないのはどこか落ち着かない、自動ブレーキのタイミングも遅い気がして慣れない。
助手席のシートベルト未装着やはみだし走行や、とにかく警告音がよく鳴る、何だろうと暫くわからないまま不安を覚える時がしょっちゅうだ、まだ慣れない。

前のクルマのように性能を最大限に引き出して意のままに操るレベルにいつになったら到達できるのだろうかといささか自信を失う。電子化は明らかに進んでいて細かく調整されているところは感じるが自分なりのクルマのイメージとはどこかずれている、慣れるしかないのだろうが電子的不満に慣れるには思いのほか時間がかかりそうだ。

Dazn 慣れないことは車に限らない。
Jリーグが開幕して今年はサッカー中継はDAZNでパソコンで見るほかないようなので とりあえず申し込んで1か月の無料試用期間を体験しているが不満だらけだ。
テレビにパソコンをつないで見ることになるが、画像が鮮明でない、接続がよく切れる、特に終盤の大事なところでよく切れる。こんなのにお金を払えというのは無理だ。まともな商品といえる代物ではない。こんな状況にはとても慣れそうにない。
試合が地元である時はサッカー場へ見に行けということなのだろう。Jリーグ運営側にとっては資金は入るしサッカー場へ足を運ぶ人も増えそうだしいいことずくめなのだろうが、楽にサッカーを楽しみたいと思う自分のような身にとってはどこか腹立たしささえ感じる。ひとまず解約してしまった。ともかく、ここでも直面しているのは電子的不満ということになる。

それなりの時がたてば不満というものは雲散霧消し気持ちの良い生活が送れるようになるのだろうが、残り時間が気になるような年頃になってくると、世の中についていけなくなったままで終わるかもしれないというそこはかとない不安がどこか漂うようになる。

Sakurahibaru ともかくもすべてを受け入れるほかない。桜がやっと満開になり美しく散り始める様をゆるやかに眺めるように、楽も不安も取り混ぜてただただ眺めて過ごすのも悪くはないのかもしれない。

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2017年4月 2日 (日)

2017年3月の福岡市南区周辺の野鳥



3月は冬鳥と夏鳥が交差し始める季節で思わぬ鳥が現れる。今回はヤツガシラとコスズガモが珍しい。新市楽池のホシハジロ♀は今度こそ北へ去ったようだ。シロハラ・ツグミはまだいる。

2017.3.1 11時 福岡市植物園:メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、イカル、ジョウビタキ、ヒヨドリ、シロハラ、コゲラ、ハシブトガラス

2017.3.4 14時 かなたけの里公園: シジュウカラ3、エナガ7、ジョウビタキ♀2、コJyoubimesu ゲラ1、カワラヒワ、モズ1、ハチジョウツグミか1、ハシボソガラス、アオサギ1

2017.3.5 14:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ドバト6、キジバト2、ムクドリ2、ハクセキレイ1、マガモ3、シロハラ1 新市楽池:ホシハジロ♀1、バン2、オオバン1、マガモ5、ハシビロガモ1、ハクセキレイ1、ハシボソガラス1、ジョウビタキ1 鹿介池:ジョウビタキ♀1、シジュウカラ5、バン2、ヒヨドリ、ドバト

2017.3.9 14:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:キジバト2、ドバト5、メジロ2、Kawarahiwa コゲラ1、マガモ4、カワラヒワ3、ムクドリ2、ヒヨドリ5+、シロハラ1、ウグイス1 新市楽池:ホシハジロ♀1、バン2、オオバン1、マガモ4、ハシビロガモ2、イソヒヨドリ1、ハクセキレイ1、キセキレイ1、ハシブトガラス2 鹿介池:マガモ4、バン2、ヒヨドリ10+、ドバト10+  4Cu050,風力W3-4

2017.3.12 16:30 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ4、シロハラ1、クロジ 1、ウグイス1 新市楽池:マガモ4、ホシハジロ♀1、バン2、オオバン1、ハシボソガラス1 鹿介池:マガモ6、アオサギ1、バン2、ヒヨドリ5+、コゲラ1、シロハラ3 3Ci250,2Cc250
Kosuzu1

2017.3.13 16:00  春日公園:シロハラ、ツグミ20+、ジョウビタキ♂1

2017.3.14 10:00 福岡大前ため池:コスズガモ♂1、キンクロハジロ約70、マガモ♂1、ホシハジロ♀1、カイツブリ1、ドバト3

2017.3.14 15:00 
Yatugasiraq1 春日公園:ヤツガシラ1、シロハラ、ツグミ

2017.3.17 17:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ2、シロハラ3、ウグイス1、ムクドリ2、ハシブトガラス1 新市楽池:ハシビロガモ2、マガモ5、ホシハジロ♀1、バン2、オオバン1、コゲラ2、スズメ2 鹿介池:マガモ5、バン3、ヒヨドリ4

2017.3.18 アイランドシティ中央公園:ヒドリガモ15+、オオバン5、ホシハジロ2、シHasibiro ジュウカラ3+、ツグミ1+、シロハラ、マガモ2+

2017.3.20 10-12時 油山市民の森:カワラヒワ、ホオジロ、メジロ、シロハラ、ツグミ、エナガ、シジュウカラ、ヤマガラ、ハシブトガラス

2017.3.22 15時 鴻巣山:シロハラ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ヤマガラ、シジュウカラ、ソウシチョウ、ヒヨドリ、キジバト

2017.3.25  13:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:コサギ、シロハラ2、ツグミ1、ヒヨドリ、ムクドリ2、キジバト1 新市楽池:ハクセキレイ1、ハシビロガモ2、マガモ3、バン1、ヒヨドリ1、ハシボソガラス2 鹿介池:アオサギ1、バン2、ヒヨドリ

Sirohara 2017.3.26  16:30 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ2、ヒヨドリ 新市楽池:マガモ3、ハシビロガモ2、バン2、ハクセキレイ1 鹿介池:コサギ1、マガモ5、バン2、ヒヨドリ

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2017年3月28日 (火)

桜の開花が思いのほか遅い

今年の桜はどうしたのだろうか。

Sakura17 桜開花予想については、気象庁の資料を参考に、温度変換日数法という、各日が標準とする気温(ここでは15℃)の日に換算してどのくらいの長さの日相当となるかを各日の平均気温から適当な換算式(=EXP(9500*(日平均温+273.15-288.15)/((日平均気温+273.15)*288.15)))を用いて計算しこれを 決めた起算日(ここでは2月1日とした)から足していき、一定値に達した時(福岡では24.6以上)を開花日とする手法で自分なりに予測していた。積分的手法だ。 気温の予測さえ間違えなければ宇都宮でも福岡でも現実の開花日とこれまではそうは違わない結果となっていたので、一応信頼がおける方法と思っていた、しかSakurakaika2017 し今年は違った。
今年は3月10日に先の気温推移予測も入れて計算すると3月22日開花と出た。その後の気温推移は予想よりも高く22日開花より早まりそうに思えたが現実には遅くなり25日開花となった。実際の気温で計算をやり直してみると、3月20日開花の計算となり、計算法自体が現実と随分合わない結果となっている。
ちなみに福岡で開花が22日だった2011年の福岡の気温(この年の計算では23日開花でほぼ計算通りだった)データと今年のデータを比べると明らかに今年は気温が高い、積算日数のカーブは今年が常に上にある、それにもかかわらず今年は開花が遅れて25日となった。
秋の高温化の補正(チルユニット補正)も試しにやってみた、確かに2016年の秋は暖かくその影響で開花が遅れることは推算できるが、予測20日結果25日というこの差の半分くらいしか説明できない。温度変換日数法という計算の考え方がうまく現実に適合していないところがあるようにも思えてくる。

どう違うのかをみると今年は2月16日頃に高温になった後気温が下がりその後の気温の上昇が非常に鈍い、一方2011年は2月28日頃に高温になりその後はいったん気温が落ち込んだ後はっきりした気温の上昇が認められる、この違いが原因の様に見える。積分的手法では温度上昇勾配は予測に影響しない。これが生物の感じ取り方とすこし違うような気がしている。自分自身の感覚でも今年の春は妙に暖かくならないと思えている、気温の上昇勾配を感じている。

どういう補正をすればいいのだろうか。勾配を入れると複雑な式になり解の安定性も悪くなりそうだ、いつも直面する問題だ。ここは季節の移ろいが相手だ、時には外れることもある、それくらいに思って今までの計算式を使い続けるのがいいように思っている。


未来がきっちり予測できるというのは考えてみればつまらないことなのかもしれない。

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2017年3月22日 (水)

基肄(きい)城

クルマも新しくなったし、少し足を延ばしてみようと前から行かねばと思っていた基山に出かけた。春は天気がいいと出かけねばならないという強迫観念にかられるような気がいまだにしている。
Kiyamamap
基山(山としては きざん、地名としては きやま)は福岡市と佐賀県の境め位の佐賀県側にある標高400mほどの山で大宰府を南から見下ろす位置にある。

ここには水城、大野城(四王寺山)と並ぶ古代の国家防御の大規模遺構があり、白村江の敗戦の後、いかに日本が唐と新羅の侵略を恐れていたかの痕跡が明瞭に残っているところとされている。防人が配備され防衛線が固められていたその現場というこKiyama2 とになる。
基山の城は日本書紀には椽(き)城、続日本書紀には基肄(きい)城と記されている。大和朝廷は百済からの亡命高官の憶礼福留(おくらいふくる)、 四比福夫(しひふくふ)を当地へ派遣して大野・椽の城を築かせたと日本書紀天智四年(665)八月の条にあり、西暦665年に建設が着手されていることが解る。この年には博多にあった大和朝廷の西の拠点、那津官家の政治機能も現在の太宰府政庁跡に移されて防衛ラインの内側になるよう体制を固めている。
何ともあわただしい雰囲気が伝わってくる。山の頂上部には大野城と同じような土塁の跡が残っており土塁に囲まれた山の砦の形になっているようだ。谷の部分には大野城と同様な石積みの水門が残っている。攻め込まれたときはここを根城に抵抗しようとしたということだろう。
Kiyama1 上ると軍事拠点だけに眺めがいい。戦前に作られた天智天皇欽仰之碑(きんぎょうのひ)というのが立っている。基肄城を作らせた天智天皇を慎み仰ぐ碑ということになるのだろうがいまひとつピンとこない。天智天皇の銅像でも建てたかったがそうもいかず
欽仰の碑ということになったのだろう。戦前の空気が碑の周りに漂う。
山頂に大きな岩がある。基山の新穂神社のご神体になっているという。もともと新穂神社は基肄城の守護神として築城当時山頂に作られていたが戦国時代に戦火で焼失し基山の麓に移りご神体が残ったということらしい。何故か仏像がありお経をあげてお勤めしKiyama3 ている人達がいる。神仏習合なのだろうか。スピリチュアルなものを感じる山だ。

基山というと昔は草スキーで知られていたが今もそれは変わらなかった。土塁から下ったところの草原が格好の草スキー場になっていて子供たちの歓声が響く。小さな小屋があって草スキーの貸し出しもやっている。しかし山頂部に通じる自動車道は最後はすれ違い困難な細い急な道となる、こんなところを小さい子供を乗せたお母さんドKiyama4 ライバーが登ってくる姿はたくましくもちょっとした驚きでもある。
基肄城が作られた当時からはげ山だったようで、新羅から持ち帰った種をまいて日本最初の植林が行われたと(日本書紀にあるという)の
「日本植林発祥之地」の記念碑もある。日本書紀といっても神話の世界のくだりだから相当に怪しい話だが、今に草スキーに向いた草原が頂上部に残っているのも歴史的由来がある風景なのかもしれない。

北関東で暮らして福岡に戻ると、この地の、歴史が重層した有様が気になる。素のままの自然などは殆どなく山の奥まで人の手でいじられ変えられてきた時の重みを感じる。

気にはなるがそのまますべてを受け入れて生きていく、それしかない、そしてそれがいいようにも思っている。

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