2025年3月27日 (木)

はにわ展に行ってみて、おや、ということに出会う

1週間くらい前に久しぶりに九州国立博物館(九博)に出かける。はにわの特別展があっていてちょっとのぞきたくなった。春らしくクルマが多Haniwa20250321a い、土曜ということもある。
大宰府の市街地に入って信号待ちをしてKanekake0321a いると右手に立派な祠が見える、由緒ありそうととりあえず窓からガラス越しに写真を撮って、戻って調べると 金掛天満宮と呼ばれている菅原道真を祀った神社で、室町時代に起源のある神社のようだ。歴史のある街だけにそこここに由緒のある場所が残っている。金掛けとは飢饉で困った人々を救うため自分の財を家が傾くほどに投げうって世に尽くした一族が天からの賜りを梅の木に掛かった金の入った袋という形で受けて家を再興できたという言い伝えによるものらしい。積善の余慶天の賜りなり、ということのようだ。一度訪れてみねばと思ってしまう。
ほどなく九博に到着する。放送大学の割引で半額以下で入場できる、学費はこうして緩やかに取り戻せる。
さて「はにわ」展だ、予想通りたくさんのはにわらしい埴輪が置いてある。見ていくとちょっと驚く、半数以上の出土は北関東からだ、はにわとはそういうものだと初めて知る。日本のあちこちに分布していたとばかり思っていたがそうでもないらしい。人物は武人が多い、大体が関東出土だ、武人Haniwa20250321b の伝統が関東で古くから培われていた様を目の当たりにした思いだ。防具の付いた様も細かく表現されている。はにわ師のような職業があったのかもしれない。
会場を出る、頭に残ったのはやはり北関東の出土の多さだ。出かければ必ず、おや、ということに出くわす、それが面白くてどこへでも行きたくなる。風が心地よくなった季節でもある。

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2025年3月19日 (水)

SDカードが壊れて

毎日撮った写真をインスタにアップしている、もう数年こんなことを続けている、ほぼ日記代わりだ。最近ちょっと悩まされていたことの一つに、日々の写真撮影に多用しているコンパクトデジカメに入れたSDカードがある日突然認識されなくなったということがあった。パソコンに入れても認識しない、読みだせなくなってしまった。ほとんどの映像はすでにパソコンに移してあるので実害は大したことではないが、やはり突然こんなことが起こると不愉快だ。落ち着いて件のSDカードをながめていじったりしているとロックのつまみがポロリと取れてしまった、あれっという感じで、つまみの周りをよく見るとつまみのある辺の上のヘリのプラスチックも取れている、どうもつくりの良くない製品だったようだ。名のあるメーカーの製品だけれども、もともとネットで信じられないくらい安い価格(64GBで数百円、送料無料)で売られていたものだけに、そんなこともあるのかもしれないと思ってしまう。何とか回復する方法はないかとネットで探ると、ロックつまみが取れた場合はその部分にセロテープを貼ってやると認識することがあるとある。ロック解除の位置が何かで埋まっていればいいということらしい。分解した写真もあってロック機構はSDカードの電気的部分とは独立しているようだ。すぐにやってみると別のカメラでは認識し始めたがそもそものコンデジカメラやパソコンでは認識しない。テープでだめならエポキシで埋めてしまうという例も紹介されていたのでこれも早速プラモ用エポキシ接着剤をネットで取り寄せて試みる。成形ができるので欠損が見られたロックの上のヘリの部分もそれらしくナイフも使いながら作ってみる。完ぺきではないが細かい作業なのでやれるだけやってみて、コンデジカメラに入れてみるがやはり認識しない、しかしパソコンでは認識し始めた。修理部分のせいでパソコンのSDカード挿入部が詰まってしまうと嫌Sdcard0319a21a3a なので念のためUSB接続のSDカードリーダーも手配しておいた、こちらでもすんなり認識できる。とにかく今までの記録は読み出せ、コンデジには新しいカードを用いれば今後の撮影記録には問題はない、一応めでたしだ。それにしてもSDカードのプラスチックの脆さでデジカメ記録が一瞬で失われかねないというのは怖い、こんなことはそこここにありそうだ、なんというか、そもそもこの世がうまく動いているのはこまごまとした脆い物たちがうまく機能しているためで、そんなものはいつ潰えるかもしれないと思い知るべきだ、と学んだ気がする。年とともにその傾向は強くなっているような気もする、少しは賢くなった。春の嵐の一日が過ぎていく。(添付は補修したSD,左端上半分に欠損ありエポキシ埋めとテープはり、この状態ではパソコンで読める)

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2025年3月15日 (土)

地下鉄サリンから30年

3月20日で 地下鉄サリンから30年たったことになる。思い立ってまだ読んでいなかった村上春樹の被害者及びオウム信者へのインタビュー作品「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」を読んでみる。文章の大半がインタビューを受ける人の語りなのでいつもの小説とはずいぶん違う。でも報道されたこととは違う景色が見えてくる、知らなかったことが随分あるなあと思ってしまい読みだすと対象者一人分は一気に読んでしまう。まだ完全に読み終えたわけではないが今のところ印象に残る一つがインタビューを受けたオウム信者は全員がオウムに入った時のことをポジティブに語って いることだ、現世の息詰まり感は 出家により 洗われた 、良い時間を過ごせていたと事件の全容を知った今でも感じていることだ 。何も洗脳されているという次元でないことは読めば響いてくる。彼らがオウム信者となるに至Yakusokuった息の詰まるような社会構造は解消されたとはとUndergrても言えない。またか、という事件が起こることになるような気がする、もちろんオウム信者がということではなく同じように行き場を失ったと思い詰める人々がまた何かをやりだすことになるだろうとどうしても思えてくる。闇バイト事件や特殊詐欺集団も部分的には同じところがあるような気もする。どうすればいいのか未だ解決の方法は見つけ出されていないようだ。

地下鉄サリン で被害を受けた人の側の視点もはっとさせられるものがある。 地下鉄で事件に遭遇しやっとの思いで 地上に出るとあたりは多くの人がたおれ込み、苦しむ 地獄だった 、さらに驚くべきはサリンにやられて人が苦しみ横たわり吐いたりしている 、そのすぐ先を 日常が何もないかのように流れ続けていく、誰も立ち止まって手を差し伸べたりしない、すぐ近くの官庁の守衛も何も反応しないという異様な光景 .こんな有様はどのマスコミからも報じられなかった。

そこに何かの真実があるようだ。平日午前8時過ぎの地下鉄霞ヶ関駅、機械のような官僚社会が図らずも現出したように思えてしまう。

我々は何か歪んだ社会を作り続けている、その思いは多くの人で共有されるべきものだと思わずはいられない。我々は一体どこへ向かっているのだろうか。

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2025年3月13日 (木)

2025年3月11日の初御代桜

3月に入ると桜が気になる。このあたりでの最初は那珂川市山田の初御世桜だ。今年は花が遅れていてネットにもなかなか開花情報が流れてこない、3月も7日になってやっと訪問記がネットに出ているのを見つけて見るとやっと咲き出したところという。咲きだせば桜は一気に進む、暖かくもなって11日くらいにはもう結構咲いているような予感がして現地を訪れてみた。駐車場はガラガラで、これは期待できないかなと思いながら歩いて近づく、まだHatumiyozkr3011a Hatumiyozkr3011b まだの感じだ、三分咲きくらいというあたりだ。例年より2週間以上遅れている。花と鳥の写真をともかく撮ったりして時を過ごすがあと1週間くらいして出直すべきかと引き上げる。気象の見通しでは1週間後はまた少し寒くなりそうなのでもっと後がいいのかもしれない。長くは楽しめそうではある。今年は2月の低温がずいぶん効いているような気がする。温暖化といってもこのざまだ、つらつら思うに気象に翻弄される人類の姿は太古も今も変わらないような気もしてくる、自然にはとてもかなわない、これを受け入れ乗り越える知恵が人類を進歩させていくのだろう。

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2025年3月 5日 (水)

2025年福岡市での桜開花予想を今年もしてみる

桜の季節も迫ってきた、例年のように今年の開花予想を行ってみた。昨日までの日平均気温観測値(アメダス)とGSMの気温予測データを用い予測期間を超える先は平年値+0.5℃として温度変換日数法を用いた。チルユニット補正はしていない、手間の割にあまり精度が上がる気がしないためだ。開花日は3月23日、満開日は3月29日頃と出た。昨年9月は月平均で平年+3.5℃と高くこれよりはやや遅れると予想される。さてどうなるか。2025sakurakaika

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2025年3月 4日 (火)

2025年2月の福岡市南区周辺の野鳥

いつもの冬なら現れるクロツラヘラサギもついに野多目池には現れず、今年はいつもの年と違うところが多い。変化に富むのが豊かな自然というべきなのだろう。

手元のメモに残された記録は下記の通り:

2025.2.2 13:30 曇り 風力1-2 8Cu/Sc030 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:メジロ/シジュウカラ/ヤマガラ/混群、コゲラ-ドラミング1、ヒヨドリ1、コサギ1 新市楽池:ハクセキレイ1

2025.2.4 13:30 曇り/小雪 風力1-2 8Cu030 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ハシブトガラス2 新市楽池:無し 鹿助池:マガモ14♂9♀5、つぐみ1、メジロ声1、ハシブトガラス2

2025.2.6 14:00 曇り/小雪 風力1-2 8Cu020 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:シロハラ1、ヒヨドリ2、 新市楽池:ダイサギ1、ハシボソガラス1 鹿助池:マガモ16♂11♀5、アオサギ1、ハシブトガラス1-2、ドバト7、ジョウビタキ2♂♀、ツグミ1+、シロハラ1、スズメ10+、ヒヨドリ2+、 自宅庭:メジロ2、シジュウカラ2、ヤマガラ2、スズメ

2025.2.10 15:20 曇り 風力1-2 7Cu030 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:無し 新市楽池:オカヨシガモ♂1、アオサギ1 鹿助池:マガモ15♂9♀5、

2025.2.11 15:15 快晴 風力0-3 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:シロハラ1、メジロ1、ヒヨドリ3、アオサギ1、ジョウビタキ♀1、スズメ2、トビ(上空)1 新市楽池:ダイサギ1、ハシボソガラス1 鹿助池:マガモ15♂11♀4、ヒヨドリ1-2、アオサギ1、ジョウビタキ♂1

2025.2.12 11:00 曇り 風力1-2 8Cu025 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ハシビロガモ3♂2♀1,カワウ2、ホシハジロ4♂1♀3、マガモ5♂3メス2、オオバン3、ヒドリガモ2♂♀、カイツブリ1、ハクセキレイ1、

2025.2.13 10:40 晴れ 風力1-2  福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:シロハラ1、メジロ1、シジュウカラ、ジョウビタキ♂1、ヒヨドリ10+、アオサギ1、 (間):スズメ 新市楽池:無し

2025.2.14 14:00 晴れ 風力1-2  福岡市植物園の野鳥  コゲラ1-2、シジュウカラ、ヤマガラ、ジョウビタキ♂1、ヒヨド1、メジロ

2025.2.14 15:00 福岡市南区野多目池の野鳥 ミコアイサ♀1、カイツブリ6、キンクロハジロ5+、カンムリカイツブリ1、カワウ2+,オオバン1+
2025.2.15 15:00 曇り 風力1-2 7Cu040 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ルリビタキ♀1、シロハラ1、ヒヨドリ 新市楽池:スズメ、カワウ(上空)1

2025.2.16 11:50 晴れ 風力1-2 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ダイサギ1、カワウ2、ハシビロガモ6,ヒドリガモ4♂♀、ホシハジロ4-6、オオバン3位、マガモ2位、

2025.2.18 15:00 晴れ 風力1-2 3Cu040 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ヒヨドリ3-4、キジバト3、ドバト2、コサギ1 新市楽池:コサギ1、ダイサギ1
2025.2.20 14:30 快晴 風力1-2  福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:メジロ2、シロハラ1、ヒヨドリ2、ダイサギ1、ジョウビタキ♂1 新市楽池:ダイサギ1 鹿助池:カワウ1、マガモ14♂10♀4、ドバト5

2025.2.22 11:00 晴れ 風力1-3 5Cu040 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ハシビロガモ6,マガモ6、ヒドリガモ4♂♀、ホシハジロ5♂1♀4、バン3,オオバ2、カワウ1、ダイサギ1、スズメ26+,ドバト12+、シロハラ1、カラス2+

2025.2.22 13:00 曇り 風力1-2  福岡市中央区天神中央公園付近那珂川下流の野鳥  オオバン、キンクロハジロ、オカヨシガモ、バン

2025.2.24 14:40 晴れ 風力1-2 4Cu040 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ルリビタキ♀1、ヒヨドリ、シロハラ1、コサギ1、アオジ1、メジロ、コゲラ1 新市楽池:ダイサギ1 鹿助池:マガモ17♂11♀6、アオサギ1

2025.2.25 14:30 曇り 風力1-2  福岡城-大濠公園の野鳥 福岡城:スズメ、エナガ、シロハラ、イカル声、大濠公園:トビ、カラス、スズメ、ヒヨドリ、エナガ、オオバン、ユリカモメ、カワウ、カイツブリ1

2025.2.26 15:00 晴れ 風力1-2 2Cu040 福岡市早良区室見川下流白魚堰付近の野鳥 ユリカモメ多数、トビ訳10、アオサギ2-4、セグロカモメ5+、オオセグロカモメ1+、ヒドリガモ、オナガガモ、ウミネコ、カモメ、ハクセキレイ2+、スズメ

2025.2.27 14:00 曇り 風力0-1 8Sc/St020 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ハシブトガラス2、メジロ1、キジバト2、ヒヨドリ2、ハクセキレイ1 新市楽池:なし 鹿助池:マガモ14♂10♀4、アオサギ1、ヒドリガモ4♂♀、スズメ30+、ムクドリ8,ドバト5、ハシブトガラス1 メジロ、エナガ、アトリ疑、ルリビタキ♂♀、ヤマガラ、ノスリ、ヒヨドリ

01mejiro0202a 02kosagi0202aa1 03tsugumi0206ba1 04daisagi0206aa1 05jyobitkfe0206b 06sijyukr0207a2ea1 07ymgr0209a2a1 08shirohr00211aa21 09kogera0214a2a1 10mikoaisamesu0214aa1 11kaitubr0214a01 12kanmrkaitbr0214a01 13hiyodr0219aa1 14aosagi0220da1 15ruribimesu0224ca1 16segurokmm0226ca1 17oosegrokmm0226a01 Kmm0226a01

写真は上左から  メジロ(2/2中公園)、コサギ(2/2中公園)、ツグミ(2/6鹿助池)、ダイサギ(2/6新市楽池)、ジョウビタキ♀(2/6鹿助池)、シジュウカラ(2/7福岡市南区自宅)、、ヤマガラ(2/9福岡市南区自宅)、シロハラ(2/11中公園)、コゲラ(2/14福岡市植物園)、ミコアイサ♀(2/14野多目池)、カイツブリ(2/14野多目池)、カンムリカイツブリ(2/14野多目池)、ヒヨドリ(2/19福岡市南区自宅付近)、アオサギ(2/22西ノ堤池)、ルリビタキ♀(2/24中公園)、セグロカモメ(2/26室見川下流)、オオセグロカモメ(2/26室見川下流)、カモメ(2/26室見川下流)

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2025年2月28日 (金)

平尾八幡宮という所に行ってみて時空のつながりを思う

平尾八幡宮に行ってみる。ずいぶん昔、戦後10年という時代にこの近くの平尾小学校という所に通っていて、今でもこのあたりの雰囲気はうっすら覚えているのだが、ここにこんなお宮があったのは記憶していない。当時は動物園側に高射砲陣地跡というのがあったり教会があったりしたのだが平尾山荘通りの東の方にこんな神社あったっけ、という感じだ。昔の地図をネットで探してみてみると、確かに神社マークがある、知らないだけだったようだ。当時は山荘通り南側の小笹地区一帯が大開発中でいったい何ができるのだろうという感じが印象の中心にあったような気がする。記憶は曖昧なところが懐かしさの元にあるような気もしている。改めて平尾八幡宮に行ってみると平尾天神というのも横にあって、菅原道真が流されて博多に上陸したところにできた容見天神が移転してきたものだという。天神の水鏡天満宮の起源とは別の容見天神があったということのようだ。住吉神社に残されている鎌倉時代の博多古図からは平尾村のところに容見天神 が書かれており 位置関係からはこちらの方がそれらしい気もしなくはない。ともかくこの地の言い伝えはすぐに1000年前の時代に軽く飛ぶ。高宮駅に寄ったところには高宮八幡宮というのがあるがここは天智天皇が中大兄皇子 と言っていたころ博多に来て(結局は白村江の敗戦に至る)百済救援の陣をひいていた辺りらしい。随分昔に起源があるようだが平尾八幡宮の方もそもそもの起源はそれより古い神功皇后の三韓征伐までさかのぼることになっているようではある。むろん本当のところはわからないが博多の地は古くから朝鮮半島/大陸に向かう玄関口だったことから、様々な本当らしい言い伝えに満ちているような気がしている。金印の出土など証拠となる遺物遺跡もいくつもあって古代から連続する歴史の時空が今に繋がっている様が否応なく現実に感じられてしまう。

この話とは全く別だが時空はつながっている話で最近感じていることがある。

この冬は波状的に日本列島は寒波に襲われて北の地方では近年にない豪雪になっているようだ。この天気は西高東低の冬型の強まりが直接の原因とされる。大陸の冷たい高気圧である西高というのに対し東低という形はは東の海上に向かって急速に低気圧が発達してこれが寒気を呼び込む形を作ってしまうということのようだ。多分相対的に暖かい海洋上に冷たい空気が吹き込んでくると上昇気流ができやすくこれが低気圧を発達させるの2025022607utc だろうが、この発達した低気圧はその後どうなってしまうのだろう。地球規模の雨雲の動きを追跡してみると、日本の東の海上で発達した低気圧は東進を続け大体は北米の西海岸北部に到達する。当然のように北米の西海岸北部は次々に現れる低気圧で冬の間中雨だらけとなる(暖かい海流のせいで雪にはならない)。シアトルに昔仕事で時々行っていたが、Seattle: 32 Days of Rain と書かれた帽子がお土産品として売られていたほどだった。Seattle’s gray skies というフレーズもあるようだ。日本の豪雪はシアトルの冬のgray skiesに直接つながる、さらには全く同じようなパターンで北米への寒波は大西洋の東に位置する英国にはGrey skies over London、といった表現が用いられるように冬のロンドンにシアトルに似た冬の気象をもたらすようだ。波状的に気象は世界をめぐっている、思っている以上に地球を包む時空はつながっている、と感じてしまう。

こんな風につらつら思いを時空に解き放ち漂っているともう2月も終わりに来てしまった、3月は何が待っているのだろうか

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2025年2月25日 (火)

九響の「名曲・午後のオーケストラ」が終わる

九響の名曲・午後のオーケストラというくくりのコンサートが今回で終わりになるという。名曲といわれる曲を取り上げ午後のゆったりした時間に演奏する贅沢なコンサート、と思っていたが、止めになるというのは九響もやることが多いので重みの軽いところから減らしたいということなのだろうか、よくわからない。
聴きに行った最終回の今回はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」と「スターウオーズ」だった。スターウオーズが名曲かと言われれば、どうだろうと思ってしまうがそういう見方も面白Qkyo20250222 くはある。ずっと先の未来でこの時代の名曲はという時に取り上げられる気がしなくもない、そういう時代が現代なのかもしれない。
ハイドンの主題による変奏曲が始まる。ああ作曲家はいいテーマ旋律を探し求めてるのだなそれさえ見つかればこれをいかようにも展開しつくして多彩なメロディーを次から次へと生み出すことができる、それが作曲家なのだ、と感じてしまう。曲の展開に従って音は出さないようにしてフレーズを聴きながら一緒に口を動かしたりもしてしまう。作曲家とともに楽しめる、確かにいい曲だ。
いい気分になって何とはなしに終わってからの交流カフェ参加を申し込もうかと思っていたら休憩のアナウンスとともにもう満員で申し込みは締め切ったとある。何でも簡単ではない。
休憩の後はスターウオーズだ。大勢の合唱隊とオケも打楽器4倍にピアノ、エレクトーンにハープ、楽器の本数増大など随分補強される。そうか、迫力が勝負なんだ、始まる前から思ってしまう。始まる、弦の響きに複雑さはないが確かに迫力満点だ、調子がいい、もちろんこれも無音で口ずさんだり足で拍子をとったり、楽しい。何だか椅子に座って正面を向いて黙々と聞くというスタイルが曲に合わない気がしてくる。親しい人と話しながらとか、もっといえば例えばポールマッカートニーの最近の英国のコンサートを聴衆が何人も勝手にスマホで撮ってYoutubeで流したりする雰囲気(米国でもそうだと米国在住者からも聞いた)とかがどこか似つかわしい気さえしてくる、共に楽しむ、それが未来へ向けたキーワードかも知れない、そんなことを思っていた。
音楽を聴く、いろんなことを思う、とにかくそれが楽しい。

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2025年2月18日 (火)

もう一つの芥川賞、「DTOPIA」も読んでみる、ちょっといい

「ゲーテはすべてを言った」の読後感が今一つよくなかったのもあり、待った末に図書館の貸し出し順が回ってきた文藝 2024年秋号掲載の安堂ホセの「DTOPIA」を読み始めた。こちらも頭からエッというようなシチュエーション設定で、トンデモ小説がはやりなのかこれは、としばらくは読む気がしなくなったが、そうはいってもと気を取り直しDtopia て読み進んでいくと小説らしい心理的な駆け引きが連なる、こちらの方がよほどまともな小説らしい、場面設定はどうでも内面的なリアリティがある。こういう小説の形もありだな、確かに新しい、芥川賞に値する、やっと納得できた気がした。

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2025年2月17日 (月)

九響2月定期演奏会の準メルクルにちょっとびっくり

2月7日に九州交響楽団の定期演奏会がアクロス福岡であったのを聴きに行った、もう10日もたってしまったが感じたことを忘れないよう残しておきたくて書いている。コンサートでKyukyou202502 その時発せられた音はたちまち時空の中に飛び去っていき取り戻すことができない、本を読むのや絵画を見るのとは大きく違う、少しでもその痕跡を自分の中にとどめ置くにはどこかに書いておくよりほかはない。この日のコンサートの記憶ももはや次第に薄れていっていく、どうしようもない、それが音楽だ。
この日は大雪の騒ぎが日本中を駆け巡っていた時分の丁度一休みのような日で晴れてはいないが雪はたぶんなしで済みそうな日だった。タイヤを新しくオールシーズンタイヤに変えたこともあって多少の雪には不安はないのだが、この地では冬用タイヤにこまめに履き替える人がそんなにはいないようで駐車場は天神の土曜日という日にしてはガラガラだった。
指揮者は準メルクルという人で、名前は初めて知った、名前に漢字が入っていて?と思う、が父親がドイツ人母親が日本人ということのようだ。経歴を見ると世界的に活躍している経験豊かな指揮者のようではある。席はいつもの一階が取れずに2階の左袖となった。ともかく始まる。最初はワーグナーのトリスタンとイゾルデの前奏曲だ、何だかオケの音がよく出ている、大きくてメリハリがある。そういう曲なのかもしれないと思いつつ次のマーラー5番第4楽章に移る。この曲はヴィスコンティンの映画「ヴェニスに死す」で効果的に使われていて、その映画の舞台となったヴェニス・リド島のそのホテルに宿泊したこともあり、記憶によく残っている、アクロス弦楽合奏団の演奏を7年前にこのホールで聴いたことも蘇ってきた。今回の演奏は今まで聞いた演奏に比べ際立ってメリハリがつけてある、大きい音は本当に大きく小さい音はエッと思うくらい小さい、ちょっとやりすぎのようにも聞こえてしまう。いつもの九響とは違って指揮者の考えが色濃く出ている感じだ、個人的にはちょっと趣味が違うがこんなのもありなのだろう。最後はブラームス1番だった、これはあまり聞いた記憶がない曲て比較のしようもないが前の印象が後びいてしまう、いつもの重いブラームスという感じがなくて何だか賑やかなブラームスになっている。それはそれで面白い気もするが。終わるとブラボーの声が多く飛び交う、こういう演奏が受ける時代になっているのかなあとも思ってしまう。音楽を聴くのはすこぶる個人的なことなので色々感じるところが異なるのは当たり前のことなのだろう。でも生の演奏は感じることが多くてやはり楽しい。
9時過ぎに終わる、雪は結局降らずじまいで路面凍結も大丈夫そうだと戻る、それにしてもいつもと比べてタクシーの割合がずいぶん多い気がする、雪に慣れない福岡という街の現実なのだろう、これも面白い。

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2025年2月15日 (土)

また寒波がくる

また来週は寒波がやってくる。気象庁のGSM全球予測計算値をダジックアースに張り付けて地球全体の気象の分布を見てみると、2月17日12時UTC(日本時間21時)では極東、北米、欧州の3方に見事に寒気が南下してくる予想となっている(添付図-850hp気温分布)。こんな時はジェット気流の蛇行が引き起こしてなどのせりふが用いられることが多かったように思2025021712utcうが今回はそれほど際立った蛇行というほどもない、全体として北半球が寒くなっているようにも見える。非常に長いスパンの気候の変動の観点からは地球は間氷期を終わり次の氷河期に向かっているはずで、温暖化の心配と同時に例えば大規模な火山活動で太陽光が遮られやすくなる事態等が突発したなら寒冷化へ向かう危険性も十分あると思っておく必要があるようにも感じてしまう。いずれにせよ地球規模の気候変動を台風一つコントロールできない人類がコントロールしようとするにはあまりにも力不足で、多発する気候災害にはとにかく予測して防災するこれしかないように思えて仕方がない。

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2025年2月 3日 (月)

2025年1月の福岡市南区周辺の野鳥

年明け最初の記録は自宅庭に珍しく現れたジョウビタキ♂だ、幸先がいい。庭のカンアヤメやスイセンの開花は大幅に遅れ生き物の動きもいつもとは違っているようでもある。いつもは1月下旬には大濠か春日公園に現れるレンジャクが一向に姿を見せない。気長に生き物の変化を見守るほかないのだろう。
手元のメモに残された記録は下記の通り:
2025.1.2 11:00 晴れ 福岡市南区自宅庭の野鳥  ハシブトガラス、スズメ、ヒヨドリ、ヤマガラ、シジュウカラ、ジョウビタキ♂1
2025.1.5 10:50 曇り 風力0-1 8Cs050 4Cu030   福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 カワウ3、マガモ2♂♀、オオバン3-4、ホシハジロ5♂1♀4、ハシビロガモ6♂♀、ヒドリガモ4♂♀、バン2、スズメ30±、ドバト5±
2025.1.7 14:00 晴れ 風力1-3 4Cu040   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ヒヨドリ8、 新市楽池:無し 鹿助池:マガモ19♂11♀8、ヒヨドリ、ドバト、スズメ 自宅庭:メジロ2、シジュウカラ2、ヤマガラ2、スズメ
2025.1.12 11:00 曇り 風力1-2 7Cu030   福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ハシビロガモ6♂♀,カワウ5、オオバン4、アオサギ1、マガモ4♂3♀1、ホシハジロ3♂1♀2、ヒドリガモ4♂♀、スズメ30±、ドバト、モズ♀1
2025.1.14 15:00   福岡市南区長丘の野鳥 中公園:シロハラ1、ジョウビタキ♀1、コゲラ1、ヤマガラ1
2025.1.18 11:00 晴れ  風力0-1 8Cu040 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ハシビロガモ8♂♀,カワウ3、マガモ1♂、ホシハジロ6♂1♀5、オオバン3、バン2、スズメ23、ヒドリガモ4+、ドバト約20、

2025.1.20 15:00 晴れ/曇り 風力0-1 6Cu040   福岡市油山市民の森(駐車場-牛小屋) メジロ、エナガ、アトリ疑、ルリビタキ♂♀、ヤマガラ、ノスリ、ヒヨドリ 

2025.1.23 13:30 快晴 風力0-1   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ムクドリ3、ドバト2+、ヒヨドリ4+、メジロ3、コガモ3♂、カラス1 新市楽池:ヒヨドリ4,メジロ1 鹿助池:チュウダイサギ1、マガモ19♂11♀8、シロハラ1、ヒヨドリ2+、コゲラ1、ドバト10、スズメ、ハシボソガラス1-2、シジュウカラ1-2
2025.1.24 15:00 快晴 風力2-3   福岡市早良区室見川緑地の野鳥 ユリカモメ160、オナガガモ70+、オオバン5、バン2、ハクセキレイ3+、ハシボソガラス、コサギ1、タシギ1、カワウ、カイツブリ3、
2025.1.25 13:30 晴 風力2-3   春日市春日公園の野鳥 カワセミ1、マガモ11、チュウダイサギ1、ハクセキレイ3+、カワラヒワ5+、アトリ5+、シロハラ2+、モズ1、ムクドリ5+、ジョウビタキ雌1、コゲラ声
2025.1.25 14:30      福岡市南区野多目池の野鳥 カイツブリ9,キンクロハジロ♂3、オオバン3、マガモ2♂♀、(ユリ)カモメ1
2025.1.26 14:00 晴 風力1-2 4Cu040 福岡市大濠公園の野鳥  カンムリカイツブリ2、ホシハジロ25、ユリカモメ、オオバン、マガモ2、シロハラ5+、ヒヨドリ、トビ12+、カラス、スズメ、モズ、ハクセキレイ3+、カイツブリ2+
写真は上左から  ジョウビタキ♂(1/2福岡市南区自宅)、ヤマガラ(1/2福岡市南区自宅)、カワウ(1/5西ノ堤池)、メジロ(1/7福岡市南区自宅)、ジョウビタキ♀(1/14中公園)、シロハラ(1/14中公園)、ルリビタキ♂(1/20油山市民の森)、コガモ(1/23中公園)、タシギ(1/24室見川緑地)、アトリ(1/25春日公園)、カワラヒワ(1/25春日公園)、カイツブリ(1/25野多目池)、モズ(1/26大濠公園)、カンムリカイツブリ(1/26大濠公園)

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2025年2月 2日 (日)

村上春樹が

図書館に1週間に一度は行って本を借りてくる生活をここ10年くらいは送っている。宇都宮にいたころも似たようなサイクルでもあったので図書館とはずいぶん長い付き合いではあるようだ。1月の初めころ図書館でたまたま見つけた村上春樹の「意味がなければスイングはない」という文庫本を読んでいて、さすが、とImiga 思ってしまった。ジャズ評論と言っていい書きものなのだがジャズ評論家としても一流のよく掘り下げた、よく書き込んだ文だ、ここまで書くには相当にのめり込まないとできない。見直してしまった。そもそもどういう経歴だったっけとwikipediaで村上春樹のところを見てみて、ちょっと驚いた。まずは、同学年だった、村上春樹はいわゆる早生まれで自分より8か月くらい遅れて生まれているが同学年だ。まさかそうとは思っていなかった。西宮市で育ち高校は神戸高校に通っていたという。ニアミスだ。自分は中学の終わりころに父の関西転勤が突然決まり急遽関西の高校を受験することになった、まずは神戸市東灘にある私立の難関校を受けここに落ちたら神戸高校を受けるという手はずだった。幸運にも、と当時思っていたが、難関校のほうにパスしたので神戸高校には行かなかったがそうなっていたかもしれない自分がいた。西宮市の山の手に住み時々ジャズコンサートを聴きに行ったこともある、ジョンコルトレーンが神戸国際会館で来日公演した演奏会はよく覚えている、どこかですれ違っていたかもしれない。嵐のように大学闘争が吹き荒れる時代を東京で過ごした、ここも同じだ。最初に読んだのは「羊をめぐる冒険」だった、高校のころはSFが好きだったのもあり何か通ずるところがあって、そのあと新作が出るたびに読み続けた。フーンそうだったのか、と何かが解けた思いがする。Wikiに載っていたイスラエルでの授賞式とその講演の話はよく覚えていないこともあり、スピーチ全文が掲載されているという文芸春秋2009年4月号を図書館から借りだして読んでみた。2009年あたりでもイスラエルはガザ地区住民に対して集団殺人を行っていた、何度でもやるようだ、狂っている。そんなイスラエルに出かけて大統領も含む聴衆の前で何を言ったのだろう。小説家らしい言葉で、我々は国籍や人種や宗教を超えて一人一人の人間として、脆い殻をもった卵として、高く硬く冷ややかなシステムという壁に立ち向かっている、我々に勝ち目があるとすればそれはお互いの温かみを寄せ合うことから生じてくるものだ、私は常に卵の側に立つ、と語っている。当然のように共感を覚える。我々の世代にまだできることは残されているのだろうか。

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2025年1月30日 (木)

確定申告も終わって久しぶりにMDを聴こうとしてトラブる

年が明けてもやることは多い。いつもは放送大学の下期の試験が1月にあっていろいろ気ぜわしいのだが、今年度下期はオンラインの講座を選択したため試験がレポート提出となり昨年中にすべて提出し終わって、この部分の忙しさはない。一番重荷を感じるのが確定申告だ。株配当金にかかる税金は確定申告するとほぼ戻る、やらぬ手はない、毎年パソコンでやっているが、やり方が少しずつ変わってきてるようで毎年これどうすのかなという所に1度や2度は行き当たる。今年も国税局に電話をかけてわかりにくいところをクリヤしたが、官僚的な表記は何とかならないものかといつも思う。とにかく終わった。

一段落となったこともありしばらくほっていたMDでも聴いてみるかとの気になった。
MDのコレクションがだいぶ手元に残っていて、マイルスデイビスの演奏の録音が多いのだが、久しぶりに聞いてみるかと動かそうとしたが動かない。MZ-NH1というMDウオークマンの出力をアンプにつないでスピーカーから音を出していたのだが、MDを聞く手段は手元にはこれしかない、困った、といろいろ調べてみるとどうやらMDウオークマンをセットしているスタンドの電源供給部分のどこかが断線したようだと察しが付く。スタンドの電源線を切っていけばたどり着けるかもしれないが内部の方だと厄介だ、ここは新たな電源を購入しようと、代替品をネットで探す純正部品はとうに販売終了だ。3.5mm6V端子のアダプターにセットできるpowseed12Wマルチ電圧ACアダプターというのが1400円弱でAmazonに出ていたのですぐに発注する。4-5日で手元に届き、つないでみると問題なく動き出した。MDプレーヤーそのものは供給が止まっているせいだろう、ネットで探してもSony0130ab エッという高い値段で売られているばかりで今持っているものをとにかく使い続けねばMDの音源はまともに聞くことができないようだ。規格が使用途中でなくなるというのも厄介だ、ソニーはエルカセットというオープンリールテープのカセット規格を一時推進していたが3年持たずに撤退した歴史があり、MDはまだ持った方なのだろう。今年になってブルーレイディスクからの撤退も発表しており、そもそも音響ビデオ規格の寿命は長くないということのように思えてくる。録り溜めするより今その場で楽しむということが大事なようだ。クルマのオーディオも少し前まで乗っていたクルマはMDで今のクルマはSDカードとCDの組み合わせになっている、クルマを替えたときは随分不便な思いだった、あらゆるものは変わり続ける、これはどうしようもないことだ。
人類はその知恵を記録して後続に伝えることにより前へ進んできた、これから未来に残す記録媒体はどうすべきなのだろう。不安になってしまう。
どこかでアナログバックアップが脚光を浴びるかもしれないが、ないかもしれない。

結局人類は衰退していく運命を刻み込まれているのかな、そんな気もしだしている。

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2025年1月27日 (月)

今年の芥川賞「ゲーテはすべてを言った」を読んで、これが芥川賞?と感じる

今年も芥川賞が発表される季節となり、1月15日に芥川賞及び直木賞の受賞作が発表された。何とか読んでみたいと受賞作の掲載誌や出版された本の予約を図書館に入れてみるが、入れたのが少し遅かったからか、もうびっしりと予約が入っている。安堂ホセの「DTOPIA」の載っている文藝 2024年秋号 は数人待ちでTripperx21 ひと月くらい待てば読めそうだが鈴木結生の「ゲーテはすべてを言った」掲載の小説トリッパー2024年秋季号は数か月は優に待ちそうで、直木賞の「藍を継ぐ海 」に至っては数年単位の待ち行列だ。これは買うしかないかと後の2つについてはネットで発注した。まあしょうがない。それにしても小説トリッパーなる雑誌は聞いたことがないなと思 っていたら朝日新聞の小説誌で週刊朝日別冊として1995年創刊とある、知らなかっただけのようだ。認知度が低いせいか福岡市の図書館には本館分館すべてを合わせても1冊しかなく待ち行列も長くなるわけだと思ってしまう。
先に来た小説トリッパー2024年秋季号「ゲーテはすべてを言った」から見始める。80数ページでこれはすぐにも読めそうだと読み始めるが、少々手ごわい。まずは登場人物の名前がよみづらい。博把(ひろば)だの、芸亭(うんてい)だの、然(しかり)といった名字や綴喜(つづき)、徳歌(のりか),義子(あきこ)といった名前はルビなしではとても読めない。統一(とういち)という主人公の名前もなじみにくい、統一教会かGoethex2 ?などとも思ってしまう。読みだしてすぐにファウストの一節の引用で乾杯する場面があるがここではドイツ語のまま表記されていて訳文はない、(Trauben trägt Weinstock!/Hörner der Ziegenbock/......といった塩梅)エッと思ってしまう。紅茶のタグに書かれたミルトンの言葉も英文のまま翻訳なしで挿入される、英文ならば分からなくはないがあってるだろうかと思ってしまう。なんという小説なのだろうか、これくらいは俺の読者ならわかるはずだ、と浴びせかけられているような気になっていい気持がしない。一方では、ゲーテという現実の文豪のゲーテ全集の「西東詩集」の巻は全編登場人物の芸亭學が訳したことになっている、現実にももちろんゲーテ全集の翻訳版は出版されていて「西東詩集」の巻を担当した翻訳者が現実にいるわけだがそれを超越してこの小説を進めている。こんなことしていいのだろうか、と疑問になってしまう。小説としての筋立ては比較的単純でそこには特に感動もないのだがそれを取り巻く小宇宙のような記述の海がこの作品の特徴のようだ、そこの出来栄えが新しい時代を開く小説として受賞したのだろうが、その小宇宙は作者の知識のひけらかしのようでなんだかなあという感じもする、読後感が良くない。ほかにいい作品が候補になかったのだろうか、文学の不作の時代に入りつつあるのだろうか、いろいろ考えてしまう。「DTOPIA」の方はどうなんだろうか。

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