2010年2月 5日 (金)

アフリカにも

寒い。庭の温度計は昨日の朝はマイナス7℃だった、切れ込むような寒さだ。
こんな日は好きなシャーディーのCDなんかを聞いてアフリカの風を感じながらぬくぬくとしているのが一番だ。シャーディーはもう随分CDをリリースしていないと思っていたら間もなくSoldier Of Loveというの出すようだ、それにしても少ない、マイペースなんだろう、Sade Aduはナイジェリア生まれだからだろうか。
また航空機事故だ、今度はレバノン沖でエチオピア航空の737-800 ET409便がベイルートの国際空港をアジスアベバへ向けて離陸直後に墜落した。1月25日0時30分GMT頃に起こっている。レバノン政府は早い段階でテロの可能性を否定、またエチオピア航空はアフリカのエアラインの中でも最も安全管理がしっかりしていて殆ど事故が無く整備不良と考えにくい、ということで今のところ気象が最も疑われている。当時は激しい雷雨で離陸直後に機体が被雷したと言われている、空中での爆発的炎が目撃されているようなので、燃料タンクの耐雷性が問題となってくるかもしれない。フライトレコーダが回収されれば原因はそのうち明らかになろう。当時のベイルートEt409 の気象はMETARをみてみると(METAR OLBA 250000Z 31008KT 280V340 8000 VCTS FEW020CB SCT026 13/06 Q1014 NOSIG)で2000ft雲低の積乱雲あり5-10nmの距離で雷光ありで荒れたMETARだ。目撃情報ではひどい雷雨だった、とある。衛星写真では大規模な雨雲の塊は無く本当に局地的な積乱雲のようだ。2007年ケニア航空の737-800もカメルーンで離陸直後に良く似た気象状況でEf4091 墜落しており、原因が気象にありそうだが、これを乗り越えられない耐雷性の弱さが疑われるように思う。もっとも、雷自身も、冬の富山沖に発生するようなエネルギーの強い低高度の雷かもしれない、どこでも同じ雷と思ってはいけない、熱い地面にこの日北からの寒気が降りてきている、想いをはせるとはじけるような雷の音が響く。

レバノン沖はもうそこがアフリカだ、そこにはアフリカの風があるのだろう。

アフリカにも一度行って見なければ、なんとなくそう思っている。

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2010年1月31日 (日)

スキーを止められない

周期的に暖かい日が巡って来るようになった。今日は随分と暖かく穏やかな日だったが明日の夜は雪になりそうだ、そろそろ里には春の息吹が感じられる日々となりそうだ。
週末の土曜にゲレンデスキーに今年も出かけ た, なんとか年1はキープしたいと思っている。場所はいつものハンタマだ。なんとなく最近山には雪が降っていたような気がしていて くたびれかけたスタッドレスタイヤを気にしていたが、スキー場への道を登っていってもそんな心配は無用だった、全てがドライな路面を走る。着いて、またちょっと驚いた、駐車場を埋めるクルマの数が多い。スキーやスノボはもはや若者にははやらなくなってしまった、と聞かされていたが、違ったようだ。かっての賑わいがここにある。高速1000円が効いたような気もする、歳を重ねても続ける人が増えたかもしれない、確かに45歳以上のシニア券の利用を告げるリフト乗り場の自動音声の声がしばしば聞こえる様にも思える、しかしとにかく若者が多い、心強くなる。
クルマを降りて身支度をしようとした時、携帯落ちましたよ、と隣のクルマから降りてきた若者が教えてくれる、ポケットから滑り落ちたようだ、近頃とりわけ大事なものを落とすようになってきた、何かの危ない兆候かもしれない、今日なぞは出かけた先で車のキーを落としてしまって冷や汗をかいた、クルマのそばに落ちていたのが見つかって一応救われたが物忘れならぬ「もの落とし」はもはや危険なレベルになっているようだ。
毎年同じことが繰り返せる、と思っていても次第にそうは行かないことを時々思い知らしめされる。スキーは今年も何事も無く楽しく滑れたがいつかは終りが来るのだろう、しかしそんなもの恐れることなく、ぽろSki2010ぽろとものを落とすのが加速してもそんなことにもめげず、押し切るように先にいきたい。
ゲレンデスキーにそんなに意味があるのかと問われてもしょうがないが、怪我をするギリギリまで速度を上げていく面白さが、生きていく感触に似ているところがあって、止められないのだろう。

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2010年1月26日 (火)

ヒマラヤ氷河消失

この間wiredのネット版を読んでいたら ヒマラヤの氷河が融けるのはCO2によるというよりススによる、と言ったほうが正しい、舞い上がった微細なススが氷河に付着して太陽熱を吸収して氷河を溶かしているという記事に行き当たった、年末の米地球物理学会でNASAの研究者から発表があったものでちゃんとした解析のようだ。そうか、気温の上昇を十把一からげに温室効果ガスのため、となんでもそこに結びつけるのはやはり無理がある。そういうことなら中国やインドは現実に起きている温暖化に大きな責任があることになる。今起きているグリーンランドの氷床の減少も似たようなことかもしれない。そんなことが気になっていた時IPCC(気候変動に関する政府間パネル)がヒマラヤの氷河が2035年までには消滅すると報告書に書いたのは誤りだった、と発表した。こうなってくるとIPCCはいくつ隠し事をしているのか疑いたくなる。Himalayan_glaciers 2035年消滅説はWWFのレポートに拠った、としているがWWFのほうはこちらも1999年のインドの報告の引用でそのように記述した、確かに不確かな説をきちんと確かめないで書いたのはまずかったがIPCCの記述は原レポートからの引用で書いたもののようだ、とWWFに責任を全て押し付けられては困る、というコメントをすぐさま出している。原レポートの関係部分が提示されていてこれを見ると根拠はなんら明示されておらずこんなレポートを根拠にキャッチフレーズとしてインパクトのある2035年ヒマラヤ氷河消失が前面に出ていたのかと思うと環境学者集団のやることの底の浅さを感じてしまう。IPCCのノーベル賞受賞も返上したほうが良いのではないかと思えてくる。
やはり科学はとことん追求する姿勢をキープしつづけないと胡散臭い横丁のご隠居話に陥ってしまうようだ。

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2010年1月20日 (水)

雪の奥日光でキバシリが

日曜の昼過ぎから時間が空いて、雪の奥日光に久し振りに出かけた。走りながらの思いつきだからスノーシューのようなまともな装備は無い、防寒具もやや弱い。が、昼から登るのではいろは坂も凍ってはいない、楽だ、普通に中禅寺湖まで出る。菖蒲ヶ浜へ行ってみる、ここはびっしり雪だ。オオワシやオジロワシはと探す しかし居ない、しばらく粘ってみるがその雰囲気は無い、どこへいっているのだろうか。トレッキングシューズなのであまり動き回れないが踏み後を追って水辺近くまで行ったりぶらぶらしていると目の前の木にキバシリが現れる、こんな近くで見たのは初めてだ、雪景色ではキバシリもあまり警戒していないようだ、というより餌集めに必死なのかもしれない。木の中からムシをほじくり出しているようだ。

戦場ヶ原も少し歩いてみる、雪がびっしりだが踏み後が圧雪状態で問題なく歩ける。ゴジュウカラやコゲラが飛び回っていていかにも冬景色だ。雪の奥日光は好きだ、特にこんな風の無い日は一層穏やかでクリアで浸っているのが気持ちがいい。自然がなにかずっと近くにあって優しいように思えてくる、その優しさの裏側にある奈落の危険な香りがむしろ引き付けるのかもしれないが。

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2010年1月17日 (日)

T9入力

携帯電話は色々としかけの進みが速くて直ぐについていけなくなる。
ついこの間も身内で米国に出かけるというのでドコモの海外携帯を借りることにして宅配してもらった携帯を色々試しているうちにメールに4 字が書けないと言い出した。NECの携帯だ、最近はNは使っていない。どれどれとやってみるとひらがなの打ち込みがおかしい、ふ を打とうと は のキーを3回たたいてもはははとなるばかりだ。これは壊れているとドコモに電話すると それはおかしい、成田で当日交換します、という。面倒だとは思いつつも、まあそれでいいか、としたが、なんとなくどこか設定がおかしいような気もしてもう少しいじってみる。操作マニュアルが殆ど添付されてないので以前使っていて水漬けでだめにしたNECの携帯のマニュアルを探し出してきて、入力モードの様なところは無いかと探してみると、怪しいのがある。T9モードという入力形式もできることになっていて、もしそうだとすると症状がそっくりだ。これに違いないと以前のマニュアルを参考にしながら入力モード切替を試してみると、どうということもなく普通のひらがな入力モードに切り替わった。メデタシだがそれにしてもT9モードとはなんなのか、ネットで調べてみると解ってくる、アメリカ発の1文字1キータッチの入力を可能とする方式で大分以前から欧米でははやっているらしい。cを打つ時はabcキーを1回打って次の文字をまた同じように打つ、これを繰り返して単語になったところで自動的にこの組み合わせで意味のある言葉を探索して表示する、という方式だ、なれれば早く打てるというのだが日本ではあまりはやらないようで、NEC他数社が一応付けてます、という姿勢を示しているだけで特にアピールはしていない。今回はどうもキーを適当にいじっていたらモードが切り替わってしまったようだ。しかしひらがなを打っている限り普通はT9なんているか、との感じもする。

何とかして携帯でばりばりと文章を打ちたいというのは各国共通のテーマのようだが、やはり言葉ごとにいいやり方は違ってくる、バベルの塔だ。小さい携帯のキーに更に機能を押し込めていくことでオタッキーな雰囲気がどんどん強まってくる、日本ばかりではない、どうも携帯はその宿命から逃れられないようだ、だから面白いということなのだろう、携帯を見ていると時代が解る気がしてそこが楽しくもある。

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2010年1月14日 (木)

杉浦非水

寒い寒いと思って北極振動指数を見ると図を振り切れている、こんなのは見たことが無Aoobs1 い。北極上空の気圧が高くて寒気が半月くらい噴出し続けている。この週末は収束方向に動くようだから来週になれば一休みか。
日曜日に、寒いと家に閉じこもるのも運動不足だとばかり市立美術館にでかけた、絵を見終わった後に美術館を取り巻く広大な雑木林を散策するといい運動になる。
美術館の方の出し物は杉浦非水という戦前から三越の広告や包装などのグラフィックアートを手がけている人の作品展だったが全くその名を知らなかった、しかし見ていくとそのおびただしいデザインアートに圧倒される。明治の初め松山生まれというから遅れてきた坂の上の雲だ。それにしても子規といい漱石といい秋山兄弟といい松山という土地は明治の時代の人がこうも行きかうのが不思議になる。コンパクトないい城下町だったのだろうがちょっと辺鄙だ、しかし当時汽車はまだ東京までつながらなくとも海が繫がっている、穏やかな海はどことでもつながる、海運がキーだったのだろう。
やはりスケッチがいい、いいスケッチがいい図案の基本だ、それを強く認識して昔からの図案の手本から脱却した、そこがこの人の存在を強烈にしている。人物のスケッチがとりわけいい、見ると一発で描いている、こんな風に描ければと思うがとても描けない、どこか北斎漫画を思い起こさせる、北斎のプロフェッショナルな技も絵を描くということでは時代に関わりの無い共通の技なんだ、と感じてくる、当然のことなんだが。
02title更に見ていくと目くるめく多量の植物の絵にでくわす、植物の絵は正確で繊細で写真よりよくわかる、当然のように図鑑の絵も手がけていて見の周りにある本の図版がどこかで非水につながっているかもしれないと思えてくる。鳥も描いてはいるが数は少ない。どうも鳥は今ひとつだ、アカゲラを描いたものが絵葉書としても売られているがなんか違う、野生が削がれ装飾的な雰囲気が感じられて買う気になれない、こんなプロフェッショナルな人でも野鳥はなかなか捉え切れないところがあるのか、かえってどこかホッとする。
見終わって林の散策に入る、コゲラやヤマガラが冬の枝に現れいかにも冬木立の風情だが、そのうちやや大きめの茶色っぽい鳥が斜面の草に降りている、もしやと思ってポケットに入れてきた小型の双眼鏡で見るとトラツグミだ、光線が良くて美しい、カメラを持って来れなかったのが悔やまれる、しかしこんなもんだ見れただけで幸運だ。おとなしくしているので暫く眺め続ける、と後から犬を連れた家族連れがやって来たところで これまでと飛び去ってしまう、どうやら2羽居たようだ。こんなところにトラツグミがいたとは と ちょっと得した感じだが非水の鳥の絵がいまいちだったのを補ってくれたようで、成程、と勝手に納得してしまう。
来週後半は春のような暖かさになる予測だ、寒い冬もそう思えば楽しんでおかねば、と思えてくる、枯葉の落ち切った寒い冬も捨てがたい。

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2010年1月11日 (月)

福岡城にて

正月に福岡へクルマで行ったのが何かと感じるところあり、戻ってからも色々思い起こす。
福岡でちょっとばかり時間があいて以前に住んでいたのに福岡城を殆ど訪れたことが無かったと気がついて行ってみた。
年末から正月の期間は城の駐車場がクローズされていて止む無く近くの護国神社の駐車Fuku2 場に止める、初詣用に無料解放されている。大濠公園も直ぐ近くで福岡城周辺のエリア全体が広大な公園のようなオープンスペースとなっていることに改めて気づく、この街の大きな特徴のようだ。城は城壁がよく残っている、表御門から入ると立派な石積みが続くが多聞櫓のある裏手から入ると少々乱雑な石組みだ、表情があって面白いというべきなのだろう。数少ない建築物である多聞櫓も正月は閉まっていてそれもあるか、広い城址が閑散としている、熊本城が正月は無料解放して賑わっているのと好対照だ。昔福岡にいた頃は福岡城址を誇らしく思う雰囲気はここには無かった様に思う、僅かな櫓しか残っていない情けないFuku7a 城だとの空気があった。正月に閉めてあるのを見るとまだそれが続いているように思える、多くの人に是非見て欲しいという心意気が無い。今回の旅で松山城、熊本城、そして福岡城と図らずも3つの城を巡った。福岡城の城郭は城跡全体が復元建造物で覆われることもなくそのままの姿で歴史を語っている所が素晴らしい、つわものどもの夢の跡そのものだ。天主跡は石組みだけで十分な高さがあり市内を一望できる、そもそもこの城の天守閣は江戸の初期にはもう無かったといわれるが、無くても十分な気もする。飛鳥・奈良時代より大陸との玄関口であった鴻臚館の脇に位置していて、古くから政の中心であった場所なのだろう。恐らく城の下にも更に古い遺跡が眠っているに違いない。(賑わう熊本城のように)ここに城を再現させようという動きもあるようだがそんなことをする前に徹底的に掘るべきなのだろう。城の建造物はこの場所を巡る大きな時の動きの一時の有様でしかない、江戸の一時期だけに固着した風景にしてしまうのは如何にも惜しい感じがする、このままがいい。
旅するとその場所に立てることそのものに価値がある。福岡城三の丸が面していたはずの大濠公園でユリカモメと戯れながら、海からの風を感じるこの場所が今も時の流れをころがり続け 貴重な物語を語り続けている、そんなことをぼんやりと想っていた。

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2010年1月10日 (日)

こんなもんだったんだ日本という国は

寒くなった、経済をめぐる話も寒い。

Tancyo2_2 JALがいよいよ倒産となってしまった、どう甘くいっても会社更生法を適用する以上これは倒産だ。しかし未だにしっくりこない、巨額の債務超過を算出したデューデリジェンスは異様に航空機の資産価値を低く見積もっているのではないか、この恐ろしいばかりの航空不況で中古機価格が急落している折どの航空会社もこんな厳しい資産査定をすれば航空機を買うことすらできなくなるように見える、買った瞬間に大赤字を背負うことになる、航空事業の成り立ちを認識せずにやっているとしか思えない。逆にいえばこれで債務帳消しが一気に行われて新会社となって経営を再開すれば極めて強力な会社となるだろう。しかしまだ変な声が流れている、国際線は1国で1社なのが普通だなんていっている発言が報じられている、あまりの馬鹿馬鹿しさに声も出ない、何にも知らない人たちが寄ってたかって騒いでいるとしか思えない。世界第2位の経済活動をしている国ということを忘れているのではないか、更には国際線を複数社にしたのは競争原理の導入で強いビジネスをつくり利用者にも利便を与えようとしたのではないか。今後の世界の航空ビジネスの発展はアジア太平洋地域というのがあらゆる需要予測が指し示すところでその国際線を切り捨てようとしているということは外国にそれを明け渡ししてしまえということと同義であることを解っているのだろうか、そんなことを言っている輩が再建しようとしているということそのものが薄ら寒い日本の政治経済の実態を如実に表しているように思えてならない。JALの件ばかりではあるまい、他にも似たような解ってない人たちが事態を牛耳る話が満ちているに違いない、こんな調子ではあと10年は不況が続くだろうし、一度落ちきっておかしなことを言う人たちが一掃されない限り日本という国は立ち直れないだろう。

こんなもんだったんだ、日本という国は、と思うとまた寒さが身にしみる、いい加減な計算だったにしろ少しは温暖化してほしいと願いたくもなる。もはやどんなことが展開されてもただテレビを見るように眺めて行くほか無いのがもどかしくもある。今年はどんな歳になるのだろうか。

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2010年1月 7日 (木)

宇宙の雲が

寒い日が続いている。関東平野には昼間は積雲がぽかぽか浮いて空を見ただけでは厳しさも感じられないが日本海側は雪雲がびっしりだ。そうはいっても地球の雲はのんびりしている、しかし宇宙の雲はそうでもないようだ。
32年前にNASAが打ち上げたボイジャー2号が冥王星の外側を太陽系から高速で離れつつあり、今太陽系が突入している局所恒星間雲(Local Interstellar Cloud)にいよいよ近づいてきた、既にこの雲のデータが送られBow 始めてきている。雲には大分強い磁場が銀河の面とは30度くらい傾いてあるらしい、予想とは随分違っているという。太陽系が銀河系を公転していく間に次々に恒星間雲に突っ込むことになるのだが、どうやら単純な雲では無さそうだ。勿論高温で太陽系は太陽風でこの雲から守られているのだが、 この先(といっても今の雲に滞在するのは1-2万年、その後数十または数百万年かで次の雲に当たることになろうが)どんな雲に当たるかで太陽系の運命が変わってくるようにも思えてくる。まだ誰にもわからない。
果てしなき宇宙は思いのほか荒々しい自然が息づいている、ぬくぬくとして温暖化問題を議論したりしているのは幸せな生き物のちゃらちゃらした遊びのように思えてくる。人間はそのくらいのものなのだろう。

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2010年1月 2日 (土)

クルマの旅は止められない

九州へただ山陽道を走るのではつまらないと四国の佐田岬半島から大分の佐賀関にフェリー抜けることにして京都南からまた走り始める。久し振りに阪神高速で神戸の辺りを走ると、その新しいビル群の集積に新鮮な驚きを感じる、とげとげと尖った面をびっしりと空に向けている、地震後の復興で斬新な設計のビルが増えたのだろう,それにしても何か圧倒される、力を感じる 。首都高でもこんな風景は無い、もうすこしビルがばらけてゆるい生き方が漂う。六甲山と大阪湾に挟まれた狭い帯に押し込められているためもあるのだろう。しかし随分神戸は変わった、走るだけでそう感じる、確かに時は流れるように過ぎ去っている。明石海峡を渡るのは止めにして真ん中の瀬戸大橋で四国へ渡ることにする、いかにも瀬Seto戸内、の風景が見てみたい。岡山辺りから南へ折れて橋にかかる、なかなかすごい、H型の橋脚が島伝いに並ぶ様は壮観だ、しかし中間の与島のSAまではとめるところが無い、左側を迷惑にならない程度にゆっくり走る、似たよう なクルマも居て、そうだよな、といいたくなる。よくこんなものを造ったものだがそれにしても美しい。四国へ入るとなんだか山の形が違う、三角おにぎりのような山が目に付く、一体どんな力がこんな地形を作るのだろうか、中央構造線が走っているくらいの説明では到底理解できない。ほどなく松山に着く。坂の上の雲だ。松山の町Matuymは市電が走っているのもあるが、良くも悪くも昔風だ。松山城に登ろうとすると県庁のあたりから歩いて登るのが正統的のようで面白そうだが適当な駐車場が無い、県庁の駐車場が真下にあるのだが日曜というのにここに置くことはできないと駐車場の係りの人に言われてしまう。ちょっと杓子定規だ。観光客は歩いては登らないものと決めてかかっているようなところを感じる、時代はそうではなくなっているのに。しょうがないのでロープーウエーで登る。松山城は予想以上にいい、城らしい城だ。上田城のような切迫した戦いの城との感じは無いが 当時の姿のままの天守閣を最上部まで上がってみるといかにも松山城下ににらみを効かす支配する城の雰囲気が味わえる。道後温泉につかって次の日は海を渡って雪をみせる久住を越える。
車で走り続けるとたらたらと旅が続く、しかし次々に移り行く風景の中を抜けていく面白さは少々の疲れも飛ばしてくれる、やはりクルマの旅は止められない。

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2009年12月29日 (火)

伏見にて

今年の年末は福岡までクルマで移動することにして宇都宮から走り始めた、3年前の同じ時期に走った時は関が原が雪で大渋滞だったが今回はどうということも無く関西までたどり着いた。京都南に近い伏見の辺りを中継点にしてまた次の日走るのだが、早く着いたこともありぶらぶらと幕末の事件の舞台となった寺田屋辺りをみたり江戸時代からの酒蔵のたたずまいを見たりしていた、寺田屋は来年の大河ドラマの坂本竜馬でも登場するためかやたら見物人が多い。坂本竜馬暗殺の犯人はこの人ですという説明と共に渡辺篤の写真や暗殺告白の遺書の写真まで展示してある、来年はもっとはやるに違いない。しかし暗殺は近江屋で寺田屋ではない、こちらは薩摩藩の寺田屋事件の現場だ。改めてみると、狭い。こんなところで薩摩藩士同士の血なまぐさい切り合いが起こったというのが信じられないくらいだ。ともかくも京都で伏見は戦国時代以来の武家の実質的中心地だった、桃山時代の中心地であり、鳥羽伏見の戦いもここが主戦場だというのが象徴的だ、酒のにおいと共に少々血のにおいがする、明らかに公家の世界とは違う雰囲気が展開している。水運の中心で、銀座のある経済の中心でもあった、京都の都は公家が占めていて新しい力はその場所を南の伏見に場所を求めるほか無かったようだ、今でも京都地域の新たな宅地は伏見以Terada 南が大勢らしい。明治天皇の御陵ですら桃山につくられている。寺田屋の前を流れて淀川へ通じる川堀を見ていると小さな流れが時代を変えてきた様が想い浮かぶ。
過ぎ去った人々そのものは勿論今は無に帰している、しかし場所というか土地には、歴史として文字に書き下されなくともどうしようもなく消えないものを感じる。更には、本当は過ぎ去った時代を取り巻く全てが無に帰して宇宙のかなたへ飛び去っているはずだが、現世を生きている世代は 種としての経験の蓄積として抜け殻を役立たせようとそのイルージョンをその場所の空中に漂わせている。観光名所はイルージョンの塊のようだ。

見えている或いは書かれている歴史は本当は川に浮かぶ木の葉のように軽いものかもしれない。

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2009年12月24日 (木)

道が開けて

なかなか貫通しなかった道がやっとこの前の週末開通して随分と街までストレートにつながった。1kmも無い区間だったが見た目殆ど出来上がっていて1年以上放置されていたように見える、何故こうまで遅れたのか、遺跡でも出てきたのだろうか、よく解らない。とにかくできたので休みに通ってどこかへ出かけようと走り始めた。当ては無い。
街の東のほうに何か最近見つけたと考えていたら、親鸞の関東での拠点とした寺というのが真岡近くにあった、と思い出した、今までそんなところは聞いたことも無かったし、そもそも宗教は総じて嫌いなのだが重文が色々あるらしい、訪れてみるかと向かった。ナビで入れてみると1時間くらいかかることになっている、まあいいか。二宮尊徳の遺構をみて細くて曲がりくねった道を行くと駐車場につく。専修寺という。
誰もいないがなかなかの造りの山門やお堂がある。京都の寺などに較べるSenjyu3 とちょっと小ぶりで如何にも実質的なお寺との感じがにじむ。戦国時代の戦火に焼かれて元禄の頃再建されたらしいが親鸞の時代からのケヤキも残っていて流れていった時間を感じさせる。二宮尊徳が幕末期 近くの桜町陣屋を拠点に活動 したのも或いはここに専修寺があってこの辺りが地域の中核だったためかもしれない。水にも恵まれいかにも古くから人の営みがあったとの感じが漂っている。しかしこんな由緒のある寺院がSenjyu2近くにあるとは知らなかった。
道ができると新しい何かが開ける、開いたものを少し押すと更に新たな空が見える、何か大事な感触を思い出したような気がした、扉を少しばかり押すことが肝心のようだ。もうそろそろ今年も終わろうとしている、次の年はどうなるだろうか、新たな扉をおせるだろうか。

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2009年12月19日 (土)

1Q84

1Q84という村上春樹の本を会社の帰りに図書館に寄って毎日30分ずつ読Book2 んでいる、こんな読み方もなかなかいい。反芻しながらイメージを拡大していける、はまり込み方が広くなる。ともかく読む。読んで行くに従い、著者自身が話の中に登場しているような気になる。考えているだけのことでも何でも見通す リーダー というのは著者村上春樹でしかありえないのではないか、更には青豆の物語は天吾の執筆中としている小説そのものではないのか、という想いに至る。小説の半分の主人公が残り半分の書き手として姿を現しさらに本当の書き手も存在を表す という思いつきが気に入って、暫く読み進んでいる。まだ最後に到達していない、本当にそういうことなら面白いがどうもそうでもないらしい、と3/4まで読んだところで思い始めた。自分で書くならそういう風にして紙から飛び出したねじれた立体を描くだろう。小説では書き手がオールマイティだ、ミクロコスモスすべてを神の目で見、神の手で操れる。小説の中に解き放たれた人格は書き手の頭の中から彫りだされ小説の中を走り回っている。書けることに際限が無い。

しかし読んでいると書いてみたくなる、とても言葉も足りないようだし彫りだしてもかけらしか出てこないような気がしているにもかかわらず、だ。
1Q84の方は3/4のここまでくると大団円近しとの香りが漂ってだんだん普通の小説になってきたような気がしてくる。
もうすぐ終りがきてしまうのも少々寂しいものがある、次を探し始めねばならない。寒さの冬は読み物に限る。

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2009年12月18日 (金)

寒さと地震

寒くなった、寒気のコアが極東でするすると南下している。北極振動を調べてみようとしたところで地震だ、突き上げるように来た後かなりの横揺れが来る、震源に近いようだ、ネットでみると震度4だという。6時間くらい前に伊豆で震度5の地震があったらしくて、関係あるかもしれない。
091218aq 北極振動を調べようとして地面の振動が飛んでくるのはいささか妙な感覚だが北極振動に戻る。やはり北極振動指数(AOインデックス)は随分な落ち込みとなっている、極渦が弱まって北極の寒気が流れ出している。この寒さは典型的な北極振動によるものと納得する。
地震も寒気が降りて地面が縮んで起きたような気がしてくる。寒さは地球の息だ、地震は地球の身震いだ。この辺りの地面も寒がっている。

しかし冬は寒さがあってこそだ、しびれるような冬がいつになく心地よい。

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2009年12月15日 (火)

ふたご座流星群が

今年の冬はふたご座流星群が良いらしいというので極大の13日の夜に見ようと思ったら一面の雲。14日の夕方からはまた雲が広がりあきらめかけていたが15日の早朝はようやく快晴の夜空となった。それではと防寒対策をしっかりして起き出して星空を眺める。この時刻ふたご座は西に沈みつつあるがベランダからは東南の空しか見えない、要するにチリの大気圏への突入だからまあどこでも見えるだろう、とタカをくくって見始めるがなかなか落ちない。しかし じっと空を見ていると細かく落ちているのか全体がうごめいているようにも感じられてくる、そのうち 向かってくるものか、尾を引かないで輝いて消えるだけの点が見えてきたりもする、なんだか沢山流れているような気配だ。と、大きく天頂付近から東に流れる、これは見ごたえある、ややあって東南の中空から下に流れる、確かに通常よりは多い、しかし防寒具を着ても寒さは入り込んでくるし首も疲れる、もういいかというところでお終いにした。

この流星群は直径5kmくらいの小惑星ファエトンが彗星として元気に回っている頃に撒き散らしたチリの帯が地球軌道と交差してもたらされたものだが、そのうちファエトン本体が降ってくるのではないかと心配になる。調べるといまのところ2093年に月の軌道の7-8倍向こうを通過する位だから直ぐにどうこうということは無い、数百年のうちには危ないこともありそうだが今は冬の流星雨を楽しんでいればそれでいいということのようだ、気楽なものだ。
厳格な自然のルールで支配された宇宙に、漂うような視点で想いをはせてNew2 いると、本当に宇宙に飛び出したくなる。時が経っていけば人が大挙して月に出かけられる時代が来るのだろうか。22世紀だろうが30世紀だろうが40世紀だろうが時間はともかく流れ続けていく、そのうちにはそうなるだろう、月で宇宙に触れればそれは多くの人の考え方を変えるに違いない。今がその時代でないことが悔やまれる、ただそこまで人類という種が生き延びてほしいと願うだけだ、すくなくも自分のDNAのある部分が月にいずれは到達する様を思い浮かべるだけでも今は十分かもしれない。星に願いをかけるまでも無く、深く思うことは必ず実現する、そう信じている。

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