2017年8月16日 (水)

「騎士団長殺し」

松本清張の「球形の荒野」を読んでいるときに村上春樹の「騎士団長殺し」の貸し出し順番が(ついに)回ってきたとのメールがあり急ぎ図書館から借りだした。発売と同時に申し

Kisidancyou

込んでやっと今だ。読んでみると、どこか2つの小説の筋立てに通じるものを感じている。勿論小説の質は全く違うが、いずれも事象の原点は戦争に関わった時代のスイス・オーストリアでありそこから脱出できたあるいは死んだという人の話が物語の湧き出し源になっている。

とにかく「騎士団長殺し」を読み終えた。村上春樹らしさに満ちた小説だ。
タイトルの騎士団長はオペラ ドンジョバンニの冒頭でドンジョバンニに殺される騎士団長とされる、騎士団長殺しの現場は画家雨田具彦によって日本画として描かれているがこれは
雨田がウイーンに留学中ナチス高官暗殺未遂事件に巻き込まれた記憶をメタファーとして絵にしたものらしい。騎士団長が飛鳥時代の衣装で描かれているという。ウイーンの事件そのものはこの小説の中での扱いはそれほど重要ではなくて、その騎士団長の姿で現れたイデアが重要な役割を担うという組み立てとなっている。
イデアとは何か。要するに観念のことだ、と主人公の「私」は少女まりえに説明している。愛そのものはイデアではない、愛を成立させているものがイデアだ、そう語っている。この言い方でいけば雲そのものはイデアではない雲を作り出している大気の構造がイデアである、ということになる、そうなのだろうか。ちょっと違うような気もする。
ともかくペラペラ喋るイデアの騎士団長という概念にどこか無理がある様に感じてしまう、本来は抑圧する側の観念を現すイデアなのだろうが小説の中の振る舞いにはそんなところは一つもない。メタファーに過ぎないのではないかと思ってしまう。
「私」は騎士団長の姿をしたイデアを雨田具彦の目前で殺害して地下の道を潜っていく。そこでは自分の観念が道を物理的に作る、広げる、それは何なのか、相変わらず説明がない。観念には実は実体がある、作者はそう思っているような表現をあちこちにちりばめている、そうかもしれないという気もする。勿論説明はない。
説明的でないようにしているところは俳句的ということもできる。くだくだ説明しているとリズムを失う空気感を失う。

「私」が絵を描くところ、肖像画を描くところ、そこはずいぶんリアルだ。概念を形にする、騎士団長の形にする、その人の真実を絵という形にするという登場人物の作業があって、一方で小説を作るという作業をしている作者が感じられる、それも同じ作業かもしれない。そこら辺が村上春樹なのだろう、どこか概念的な雰囲気にリアリティを与え、読者を楽しませる小説とすることに徹している。

結局は 形を借りる、それがキーワードかもしれない。妹コミがまりえの形を借りて現れる、まりえの母と妻ユズに雰囲気の共通性を与える、騎士団長殺しの形を借りてウイーン事件を描く、白いフォレスターの男の形を借りて「私」の邪念を描く。免色のような人、それは読者の心に投げかけているのかもしれない、どこかで見かけた人、読んでいる自分としては放送大学の「感性」の担当講師と無意識に重ねている、そういうことかもしれない。
騎士団長殺しというタイトルもしばらくは師団長殺しというワードで自分に入ってきていた、あの終戦の日の反乱ー日本で一番長い日ーで師団長が殺されたシーンと2重写しになっていた。形を持たせなければ概念は入ってこない。


最近 社説欄に 「「騎士団長殺し」(全2巻)は、歴史の暗部と向き合うことを読者に求める作品である。登場人物の学生は20歳で徴兵されて1937年の南京攻略戦に加わり、復学した後に自殺する。遺書には、上官に命令され、軍刀で捕虜の首を切らされた経験などがつづられていた。」
なる主張が載せられている新聞(西日本新聞)を見て少々唖然とした。局所的にはそのような記述はあるが 「歴史の暗部と向き合うことを読者に求める」 全篇を読んでそんなことを求められていると感じる読者は殆ど無いだろう。そんな小説ではない、こんな社説を堂々と発表する新聞の報道の偏りを、何でも自己の主張に利用してやろうというえげつなさをどうしても感じてしまう。有名な小説の有名税かもしれない、というかこんなことは形を借りられてしまう、というところを本質的に持っている小説からなのかもしれない。

ともかく色々考えさせる小説だ、浸れる小説だ、ノーベル賞は取れないかもしれないが、何といっても村上春樹は面白い。

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2017年8月15日 (火)

大ピラミッド展

エジプトにもいつかは行かねばと思っていたところへ、早稲田隊の吉村作治さんが企画・監修した大ピラミッド展という展示会が福岡に巡回してきた。2年位国内のあちこちを巡回

Entry

してきたらしい。これとは別だが昔宇都宮で、やはり吉村さんがセットした古代エジプトの展示会を見たのを覚えている。発掘資金集めの一環かな、観に行けば支援にもなってそれもいいか、とついふらふらと見にいってしまった。



この間みたラスコーの洞窟壁画は2万年前、こちらは5千年前だから、この間の変化が人類文明の進歩というとになるが、この1万5千年の間にピラミッドような超大工事を正確にやれるようになっていた、ということに尽きるようだ。

Miira

文字を使い、王国を築き、数々の工芸品を残すに至った姿からは一気に前に進んだ勢いを感じることができる。

しかし考えてみれば、縄文の始まりから現代までがおよそ1万年5千年だから1万5千年でこれ位の進歩というのはそう不思議でもない。進歩というのは所謂クオンタムリープ(量子的飛躍)の繰り返しだから、飛躍の度合いをきめる天才がどれくらい優れているかどの位いるかで進歩の速度は決まってしまうような気がする、古代エジプトでは天才の数が限られていたのだろう、まだ人類の総数が少なかったということかもしれない。氷河期でそれどころではない時代が続いていたということかもしれない。

展示品で感じるのはその色の華やかさだ、3000年前の木製のミイラカバーは鮮やかな色彩の細かい絵で埋め尽くされている。ミイラを作る技術とともに物を保存する技術も磨かれたのだろう。勿論乾燥した地域の地下で厳重に封印され続けてきたということもある。

Menk

日本のたった1500年前位の古墳から出土する木製品はこんな姿では到底ない。

展示品にはカイロ博物館の重要な収蔵品が多く含まれていて国内でこれほどの古代エジプトの出土品がカイロ博物館から出展されるのは初めてではないかと思われる。メンカウラー王のトリアード(添付写真)は思いのほか小さいが顔の細工も細やかでリアリティがある。これは。。と思わせる迫力がある。

日用品ではエジプト・アラバスターと呼ばれる半透明の石を加工してつくられていた水差しの巧みな技が印象的だった。今使ってもおかしくない、美しい。
目玉となっているアメンエムオペト王の黄金のマスクも立派だが金だけに古びたところがなくてそれがかえってこんなものかと、感慨がどこか薄い。

しかし並べられている展示品はほぼすべてが墳墓から出土したものだ、言わば墓荒らしの成果をみているようでどこかうしろめたさがある。そうはいっても大規模な建造物を除けば墓しか残っていない。ピラミッドもギザにある3つのピラミッド以降は総てがかなり崩れているようだ。
戦乱や大規模な自然災害を潜り抜けては洞窟か墓か或いは余程の大建造物しか残らない、結局そういうことだろうか。今後も5千年や1万年のスケールでは大震災だって核戦争だってあるだろう、これからでもそういうことかもしれない。ちょっと空しくなる。

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2017年8月11日 (金)

ショウリョウバッタとお盆

お盆も近いというので例年のようにお墓の掃除に出かけた。歩いても行ける距離だが何しろ暑いし道具や花や持ち物もあるので車で行く。お盆の入りの日を控えてということもあって、墓地には結構な車が入っている。
適当に停めてお墓に近づくといつにもまして植物の茂り方がきつい。雨は少なくて日

Ichijiku

照りが強い方が生き物は生育が盛んなようだ、昔から日照りに不作無しというが本当だ。伸び放題の野ばらやら以前から植えられていたよくわからない小さな灌木が登り段をふさぐほどになっている。有無を言わさずばさばさ切っていくが、あれっと思う木が生えている、イチジクだ、実すらつけている。そういえば春には小さな葉っぱが出ていて何だろうと放っておいた記憶がある、こんなにまで立派な姿になったのか。ちょっとした感動だ。
その他ナンテンの葉も出てきているし、別のよくわからない木の葉も地面から出てきている。これは放っておくのが面白そうだ。
刈込も終わって片づけていると

Syouryoubatta

大ぶりの茶色い昆虫が小さな灌木の上にいる。逃げる風もなく見られてほしい風情でじっとしている。兎に角写真に収める。それにしてもなんだか不思議だ。
帰って調べてみるとショウリョウバッタという名にたどり着く。メスのショウリョウバッタだ。なーんだと思ったがショウリョウの漢字の字を見て少し驚いた、精霊と書く。
亡くなった母の命日は8月だ、お盆に魂が戻る、という説を信じたくなる。
そういえばイチジクの木も以前両親が住んでいた家にあった。

ショウリョウバッタはお盆のころに出現するバッタらしくイチジクの木もたまたま鳥が運んだ種が根付いたのだろう、しかし揃って墓参りの日に墓前に出現するとなにやら意味ありげに思えてくる。あれこれ結び付けてみたくなるのは人の心故のことだろうし、そういう風にして故人を偲ぶのも、人ならではのことなのだろう。

それにしてもお盆には不思議なことが起こる。やっと人並みにお盆を感じることができるようになったというべきなのか、そんなことを考えている。

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2017年8月 1日 (火)

2017年7月の福岡市南区周辺の野鳥

2017年7月の福岡市南区周辺の野鳥
夏の暑さが前面に押してきた感があり、クマゼミの鳴き声がいやましに大きく、野鳥の姿は追われるように少なくなっている。カワセミがしばしば見られたが暑さ負けか元気がない。

手元に残るメモからの観察記録は下記

2017.7.3 am6:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ヒヨドリ、メジロ、ムクドリ、シジュウカラ、キジバト2、スズメ、 新市楽池:スズメ、バン3(親1+若1+ヒナ1)、カワラヒワ1、ドバト3、鹿介池:カワセミ2、ツバメ、バン声、アオサギ1、シジュウカラ4、ヒヨドリ、ムクドリ

2017.7.5 am6:30頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ20、スズメ16、ハシブトガラス1、メジロ声、ヒヨドリ、アオサギ1、ドバト2 新市楽池:、ドバト、バン2(親1+若1)、ツバメ、マガモ5、鹿介池:バン1、ハシブトガラス、ムクドリ、スズメ、メジロ、カワラヒワ2、ヒヨドリ、ハシボソガラス

20170712ban


2017.7.11 am5:45頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ7、ドバト3、スズメ5、 新市楽池:バン4(親1+若1+ヒナ2)、スズメ2、鹿介池:スズメ5、、ツバメ2、バン1、アオサギ2、ムクドリ3、ハシボソガラス1、

2017.7.12 am5:45頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ3、コゲラ1、ムクドリ5+、ヒヨドリ、キジバト、スズメ5、カワセミ1、ハシブトガラス1-2 新市楽池:バン3(親1+若0+ヒナ2)、ツバメ3、鹿介池:スズメ5、、マガモ1、バン1、アオサギ1、ムクドリ5+、

20170712kogera


2017.7.13 am5:50頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ2-3、ムクドリ10、ヒヨドリ、キジバト1、スズメ5、カワセミ1、ドバト2 新市楽池:バン5(親1+若1+ヒナ3)、アオサギ通過、鹿介池:スズメ5、ムクドリ8、

2017.7.19 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ7、ドバト、スズメ、シジュウカラ 新市楽池:バン3(親1+若1+ヒナ1)、スズメ、鹿介池:マガモ1、ムクドリ7、ドバト、ハシボソガラス2

20170712aosagi



2017.7.20 am6:30頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ7、ドバト5、スズメ5、シジュウカラ 新市楽池:バン3(親1+若1+ヒナ1)、スズメ、鹿介池:マガモ1、ムクドリ7、ドバト、、ハシブトガラスハシボソガラス

2017.7.21 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ1,ムクドリ、ドバト、スズメ5、 新市楽池:バン4(親1+若1+ヒナ2)、スズメ、鹿介池:ムクドリ7、ドバト、ススメ、キジバト

20170713mejiro


2017.7.24 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ2,アオサギ1、ハシボソガラス、スズメ、 新市楽池:バン2(親1+若0+ヒナ1)、スズメ、マガモ2 鹿介池:マガモ1、ハシブトガラス

2017.7.25 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ1、 新市楽池 マガモ3 鹿介池:マガモ1、

2017.7.31 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公

20170724kawasemi

園:カワセミ1、 新市楽池 マガモ1,バン3(親1+若0+ヒナ2)ハシボソガラス、スズメ2、

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2017年7月30日 (日)

観音の滝を見る

毎日のように熱中症の警報がメールで送られてくる。WBGT(Wet Bulb Globe Temperature)という暑さ指数が31を超えると危険と判定され外出は避け涼しい室内で過ごすことが適当とされる

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高度を上げて少しは涼しい山歩きをするにも雷が危ない、ここは瀧見に出かけるのがよかろう、滝なら少しは涼しかろうと、自宅から1時間少しで行ける唐津市七山の観音の滝にランチも兼ねて出かけた。日本の滝百選に選ばれている滝だ。

無料の西九州道を使って思いの外簡単に到達する。ランチは駐車場所にあるそばの店で「冷やしわさび茶そば」というのを食べる、この辺りではもともとワサビが自生していたようだ、とにかくこれがうまい。味100選店の看板もあって、一定の水準以上ということになっているようだが味 わってみても少し凝ったところがあって むべなるかなとの気がする。

滝はここから川底へ下っていくのだが、アマチュアカメラマングループと思しき一団がすぐ前を行く。
こちらは三脚もなく手持ちでスローシャッターを切ったりしているが向こうはケース入りの立派な三脚を立てて時間をかけてフレーミングしたりもしている。

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身なりもきっちり長袖長ズボンとそれなりだ。趣味は何でものめりこまなくては面白くないのかもしれないが、自分としては とんとそんな気にならない、のめりこまない趣味ばかりだ。その方が自由でいいような気がして遊んでばかりいる。

川底におり始めようとすると駐車場所に水遊び姿の親子連れが続々到着する。どこで遊んでいるのかと帰りに気をつけて見ていると滝の上の淵にある自然のスライダーで遊んでいる。滝の落ち口まではややあって安全そうには見えるが何かの拍子で流されれば助かるとは思えない。よくこんな所で遊ぶと思う。しかし涼しそうで手軽で一度やってみるとまた、ということになるのだろう。大人でやる人はいないようだが、いつか大人でもはやってきそうな気もする。この暑さだ。
毎年のような猛暑には耐えるのにも限りがある。

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岩肌もきれいだ。地質を見るとこの辺りは1億年前の白亜紀に凝固した花崗閃緑岩という深成岩でできている。マグマが深いところで冷えて固まった所謂花崗岩の一種というわけだ。目に見える滑々の岩からは水で浸食はされるものの適当に硬くていい石ということかなと思えてくる。耶馬渓では竜門の滝の滝滑りが有名だがあちらは安山岩に苔がついて滑りやすくなっているようだ。安山岩よりこちらの方が石は良さそうだ。

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すぐ南には黒雲母花崗岩の地層があって高級墓石材とされる天山石が産出しているという。大谷石ではないが掘れば売れるものが出てくるというのはいいところなのだろう。
立派な滝があるところは地層が面白い。

肝心の滝は落差45m、途中で少し段になっているようなところがありなかなか姿がいい。いかにも絵になりそうな滝だ。しかし期待していたほどには涼しくない。滝の冷気をまともに浴びる場所で見れるようになっていないからだろう。

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贅沢は言えない。
色々滝を撮ったりしてこの地を後にする。しかし暑い。

逃れようもない暑い夏は、滝見くらいでは許してくれない、観念して、こんなものかと受け止めて味わうほかないようだ。

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2017年7月28日 (金)

ラスコーの世界巡回展示が

もう10年以上前の話だが宇都宮にいた頃 西武パルコで洋書の特価市があった折 洞窟壁画の写真が豊富にあるのが気に入ってラスコー洞窟の本を買っておいた、割

Lascaux0

安だったので何気なくというのがより正確だがとにかく”LASCAUX en Perigord Noir”というしっかりした本が手元にある。ぺリゴー ル・ノワール地区にあるラスコー というのがタイトルの意味だが、フランス語の本だ。但し解説文は英語とドイツ語、スペイン語が並べて書いてあって、各言語の表現が簡単に比較できる点でも面白い本だ。勿論図版は豊富にある、図版そのものについている説明はフランス語だけで少々残念だが全体としてそれなりに書いてあることはわかる面白い本だ。

暫くこんな本のことは忘れていたのだが、九州国立博物館でラスコー展が開かれているというので思い出して眺めてみた、なかなかいい、勿論展示はレプリカが主体だ

Lascaux1

が立体的な姿が見れるようだ、とにかく展示を見てみようと出かけた。後で調べて解ったが、この展示会は2012年10月から始まった「ラスコー3」と称する世界巡回展示会であり、これまでに、ボルドー、シカゴ、ヒューストン、モントリオール、ブラッセル、パリ、ジュネーブ、韓国光明市、東京、仙台、そして福岡 とめぐってきた。2020年まではフランスに戻らないとされているが福岡の後は公表されていない。巡回に従って内容は充実してきているようで、ラスコーで発見された壁画の制作道具の展示は東京から加えられたとされているようだ。福岡だけの展示というのも結構あったりもする。

Lascaux2

ともかく数年前の大英博物館の展示といい、全世界を巡回する世界的な展示会というのが目に付くようになってきた気がする。これもグローバリズムの一端だろうか。

展示の焦点は実物大の洞窟レプリカで、4か所分くらいあって、照明も工夫されていて洞窟の雰囲気がよく出ている。牛や馬の姿がリアルで、例えば竹原古墳の壁画などより遥かに生き生きしている。一朝一夕にはこうはかけない、描くこと専門の人がいた感じがする。同時に展示されている精巧な石器も国内で見るものより遥かに美しい。

Lascaux3

2万年くらい前の時代に美的感覚を持って絵が描かれ道具が作られていた、それがあからさまに解る。すごい。
この展示を世界巡回させたいという主催者側の気持ちには西洋文明の根源がここにあることを世界に誇りたいとの気持ちがあるのだろう、どうしてもそれを感じてしまう。

でもたかが2万年だ、せいぜい1000世代位前の先祖がなせる技だ、このままいけば人類はあと2万年位は軽く生存し続けるだろう、いやその何倍もの先の未来へ続いていくだろう、4次元の時空に生きる座標をまた感じてしまう。

歳をとったのかもしれない、そう思いながら
暑苦しくも楽しくもある現実世界へと会場を後にした。

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2017年7月26日 (水)

治水は人類の進歩とともにあり続ける

建築中の五ケ山ダムを見に行った。背振山の東にあって博多湾にそそぐ那珂川の上流部の水系に建設されているダムだ。福岡平野から山越えで吉野ケ里に行く時に通る場所にある。栄西が宋から持ち帰った茶の木を初めて植えたと伝えられるあたりということにもなる。古くからの歴史を抱えている場所だ。建設も終盤で貯水を始めているらしい。

Gokayamadm2

2004年頃取り付け道路の工事が始まり2012年にダム本体工事が始まった。自宅から佐賀に抜けるには便利なルートでしばしば使っていたがダム工事の進展に伴ってみるみる道がよくなっていくのが印象的でどんなダムができるのだろうと気になっていた。

 

今回は野鳥の繋がりで見学会があるというのででかけた。ビオトープも新たに作られているというあたりが野鳥とかかわりがあるということだろうか。
福岡平野は年間降水量は平均的には少なくはない

Gokayamadm

が、年間降水量に占める梅雨時期の降水量の割合がほかの地域より大きい傾向があって空梅雨ではその影響を受けやすい、そのためだろう、やたらと溜池があるし大きな水不足に何回も襲われている。今は筑後川から水を送っていたり博多湾の海水から水道水を作ったりもして水には随分と苦労している。こんな状態を少しでも解消しようという多目的水利用のためのダムとして五ケ山ダムは作られているようだ、発電もあるがはダム自体が使う電気を賄う程度の極めて小規模のものだという。エネルギーをダムに求める時代は終わっているようだ。
勿論大雨が降った時はそれをある程度吸収できるように通常の水位には余裕を持たせ洪水防止にも機能するようになっているという。

今回のような北部九州豪雨でも筑後川水系のダムは例えば寺内ダムのようにギリギリまで大雨を溜め込んで水位調整に役立っておりその状況を見ると一時期叫ばれていたダム不要論は行き過ぎていたのかと思わせる。民主党政権下で見直された小石原ダムが間に合っておれば、という声もあるようだ。治水のかなめは矢張りダムが強力だ。中小河川を地道に抑え込む治水が大事の様だ。考えてみるまでもなく治水は人類の進歩とともにあり続けた。

それにしても巨大な工事による大規模自然改変であることは間違いない。生態系の維持を考えたビオトープの設置が最近のダムでは常識の様で、環境アセスメントの結果でそうなっているというような説明が見学時の質問に答えてあった。生物多様性基本法が実効的に動き出し、少しでもそんな多元的な思考が行われるようになったというのは時代の進歩といえるだろう。政治の世界も失敗もあるがいいこともしている、そう感じさせる。色々学び考えさせられる、こんな見学は面白い。

行き過ぎては戻す、この繰り返しで少しづつ前に進む、それが人類の当たり前の姿なのだろう。どこまで行けるだろうか、一億年後はどうなっているだろうか、見られないのが悔しい、また思ってしまった。

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2017年7月19日 (水)

夢のような街かもしれない

もう10日くらい前のことになるが、アオバズクを見に遠来の孫子を連れて30分ほどの神社まで出かけた。
到着して見回すと枝を見上げている風情の人がいる、近づいて様子を聞く。そろそろ巣から子供のアオバズクが出てくるころだが未だ出てきておらずお父さんアオバズクがあたり

20170711aobazuku1

を見張っているだけだという。確かに言われた方向を見ると一羽それらしいアオバズクが枝にとまってこちらを見ている。早い年にはもう子供が出ている頃だから間もなくだと思うとも話してくれ、おまけに巣の木の穴に近いところに落ちている産毛のような羽を拾って、これがヒナの羽毛と思う 盛んに飛ばしてる、と渡してくれた。
刺激しないようにそっと小さいカメラで写真を映して静かに立ち去る。雨覆いと風切り羽根の拾ったものも渡してくれた。きれいな羽根だ。アオバズク特有のまだらのような模

20170711aobazukuf1

様はないので他の鳥の羽ということもあるが、巣の近くに落ちていたという雰囲気からしてアオバズクかなと思う。でも正確には解らない、解らないくらいがいつも気になって調べて丁度いいとも思う。
以前いくつか拾ったり貰ったりして集めていた羽根は引っ越しの時にどこかに紛れて出てこなくなってしまっていた、捨てたはずはないのでどこかに潜っているのだろう、結局出てこないこともありうる、集めなおせばいいかとも思っている。この街ではまたそれができるようだ。

宇都宮にいたころはこんな風に身近な神社の森にアオバズクが毎年来るということはなかった。福岡ではこの時期になるとあちこちからアオバズク飛来との情報が流れる、南に寄っている分渡り鳥が居つきやすいのかもしれない。
アオバズクの渡りのルートは衛星追跡発信機を装着できるほど大きくない鳥なので明快なデータがあるわけではないが対馬の出現があまり早くないようなので朝鮮半島経由ではなさそうで、

20170719cyoutombo

石垣・沖縄から続く島伝いに北上しているのではないかと想像される。ここから朝鮮半島に渡るのもいるのかもしれない。

それにしてもちょこちょこと鳥を見に行くのにいい街だ。蝶やトンボも面白い。
今日も近くの図書館を訪れた後 横の池を散歩しているとチョウトンボが4頭位現れた。夢のような暮らしかもしれない、歩きながらふとそう思った。

梅雨もそろそろ開けそうだ。

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2017年7月17日 (月)

感性工学の講義が

放送大学で感性工学というオンライン講座を取ってみた。感性というキーワードが引っかかっていた。自分の関心がある部分と重なるところが多々ありそうに思えていた。オンライン講座はテレビ・ラジオ

Kansei

講座のようには公開されていないので内容を知るにはきちんと学生になってサイトにアクセスするしかない。オンラインである分時間に制約がないので毎回講義のほかに1時間に及ぶインタビューが主任講師によって行われているあたりが特色でもある。インタビュー対象は感性工学に関わる有力な方々で感性工学のそもそもの提唱者である長町三生広島大名誉教授も含まれる。インタビューが中核の講座のようにも思える。

講師から最初にある通り感性は何かというところで定まっていない、定まっていないままで教えようとしているところが面白いといえば面白い。インタビューでは感性とは何だと思うかという問いが毎回投げかけられる。

 心の働きにおいて、理屈で理解する部分が理性、感覚で感じる部分が感性という至極普通の分け方、カントの著書純正理性批判でもそのような記述になっている様に思うが、これで何がまずいのだろうか、それが解らない。カントの使っている感性で別に構わないのではないか、どこが不満で新たな定義を持ち込む羽目になったのか、その説明はどのインタビューからも感じ取れない。

感性とは何かという言葉の定義がそれほど気になるのは結局は感性の商業利用の方向を強く考え始めたところからではないのかと思ってしまう。長町の感性工学はマツダのクルマの開発に長町が関わったところから始まっているという、そういうことなのだろう。

感性という言葉の受け取り方そのものの変化がすこぶる興味深い奥行きを持っているようにも思える。
恐らく感性というものと感性工学というものは全く違うものなのだろう。長町のインタビューからも感じられることだが感性工学はユーザー目線でプロダクトをつくるという至極当たり前のことを追求しているに過ぎない。ユーザーの感じている求めていることをユーザーアンケート等に基づいて設計パラメータにどうやって落としていくか、そのプロセスがキーのような学問に思える。具体的にはユーザーアンケートの因子分析を行う、その結果に基づきユーザーの求めるプロダクトの設計パラメータ(アイテム・カテゴリー)を数量化理論1類を使って求める、というのが骨子の様だ。
講義では手法の詳細が細かく説明されるかと思えばそうでもない。具体的解析は、それぞれのソフトを使って求めればいいということだろうか。確かに検索すれば因子分析のフリーソフトは探せるし数量化理論1類の具体的な手法も出てくる。

ユーザーの求めるいい感じのもの、という感じを理解するにはカワイイも詫び寂びもきちんと受け止められなくてはならない、広範な美術的音楽的なバックグラウンドも必要となるだろう、感性工学が泳いでいる世界はそんな世界なんだということがなんとなくわかってくる。
しかし「アートと設計の接点は殆ど無いといっていいでしょう」 という耳を疑うような説明をテキストで公言するような講義だ、未だに中途半端な技術と中途半端な考え方しか頭にない人達の学問なのだろう、そんな風にも思ってしまう。講義を振り返ってみると、ここに未来はない、ブレークスルーは無い、そういう確信が湧いてくるようでもあった。なかなか整理のつけられない講義だ。

こんなことを改めて考えさせてくれただけで十分すぎるほどの価値がこの講座にはあったようにも思う。放送大学はやはり面白い。

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2017年7月 6日 (木)

アクロスランチタイムコンサートが良くて

アクロス福岡で平日の昼時の短めのコンサートとしてランチタイムコンサートという名の演奏会が時々ある、切符代も低く抑えられていて気楽に行けるので 時々聴いている。こん

Masudaguitar

な時間帯だから女性やリタイヤ組が圧倒的に多い。昨日も台風3号の嵐の中出かけた。今回の出し物はギターと弦楽のアンサンブルでギターは益田正洋、アンサンブルはアクロス弦楽四重奏団で技量は十分すぎるメンツだ。

益田正洋というギタリストはよく知らなかったが、いかにもクラッシックというきっちりした演奏がいい。うまい。曲は ヴィヴァルディのギター協奏曲、モンティのチャルダーシュ、パガニーニのセレナータ、ハイドンの四重奏曲、テデスコのギター五重奏曲 それにアンコール1曲(何だっかメモ忘れ)。ギターと弦楽のアンサンブルというのは初めて聞いたが、それぞれの楽器の特徴がよく出ていて面白い。ビオラの自在な音の変化をギターの正確な弦の響きが支える、ギターが表に出れば心地よい緩やかさでアンサンブルがギターを支える、これはいい。現代作家であるテデスコの五重奏曲はなじみにくいせいか今一つ聞いていて乗り切れないところがあるが他の曲目は素直に楽しめる。

いいコンサートだった。少し調べると、このコンサートはアクロス福岡と交流のある所沢ミューズでアクロスの協力により今年の4月に今回と全く同じメンバー同じ曲目でワンコインコンサートとして開かれていた。アクロスの社会活動の一つかもしれない。素晴らしい活動だ。

天気が荒れようがこんなコンサートを聴いていると、なかなかいい日々だと思う。いつまでこんな楽な日々が過ごせるだろうか、やっぱりそんなことも思ってしまう。

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2017年7月 3日 (月)

2017年6月の福岡市南区周辺他の野鳥


野鳥の子育てがあちこちで進んでいるようで新市楽池ではバンに新たに4羽のヒナが生まれた。カラスも縄張り争いか大きな群れが鹿介池の周りで争っているようでもある。中公園に出没するカワセミはどうやらペアリングしているようだ。皆忙しい。
手元に残るメモからの観察記録は下記

1706tsubamesu

2017.6.1-3 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 3日合わせて(数は日最大) 中公園:カワセミ1、ツバメ3、カワラヒワ、ムクドリ、シジュウカラ、ウグイス、スズメ、アオサギ1、 新市楽池:マガモ2、スズメ7、ムクドリ、バンヒナ声、ドバト3、鹿介池:ムクドリ5、スズメ8、ツバメ3、ハシブトガラス6、バン1、アオサギ1、シジュウカラ4、ヒヨドリ

2017.6.3 夜 20:00頃  福岡市油山市民の森 アオゲラ?、ウグイス、オオルリ?、キジバト、カワラヒワ、キビタキ、コゲラ、シジュウカラ、ソウシチョウ、ツバメ、ヒヨドリ、ホオジロ、ホトトギス

1706kawasemi

2017.6.5 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ2、ツバメ1-2、ムクドリ、シジュウカラ3、ウグイス疑、スズメ、ハシブトガラス、 新市楽池:バン3(1+若2)、マガモ2、アオサギ1、スズメ、ドバト3、鹿介池:バン、ハシブトガラス約50、ムクドリ、スズメ

2017.6.6 am10:00-12:00頃 春日市春日公園の野鳥 ササゴイ1、セグロセキレイ2、ハクセキレイ3、ダイサギ3、ムクドリ、スズメ、バン、ツバメ5、コゲラ、コチドリ、ハシボソガラス3、カワラヒワ、アオサギ2、シジュウカラ2、カワセミ

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1、キジバト2、アオバズク1、マガモ、ヒヨドリ、ドバト、ハシブトガラス、メジロ

2017.6.8 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ、スズメ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ツバメ、ヒヨドリ 新市楽池:ツバメ、

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マガモ5、鹿介池:バン1、ハシブトガラス、ムクドリ、スズメ、メジロ、カワラヒワ2、ヒヨドリ、ハシボソガラス

2017.6.9 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ、ヒヨドリ,メジロ、ハクセキレイ1 新市楽池:バン3、ツバメ2、マガモ1♀、スズメ 鹿介池:バン、ツバメ、スズメ、ムクドリ

2017.6.12 am7:00頃 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ5、スズメ、ハシブトガラス2、ツバメ1、マガモ3、シジュウカラ、コゲラ  新市楽池:バン2、ハシブトガラス 鹿介池:バン1、ハシブトガラス、ムクドリ、シジュウカラ2、スズメ、カワラヒワ、ヒヨドリ、

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2017.6.13 am7:00頃 4Ac,calm 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:Rサンショウクイ、ムクドリ4、スズメ10、ツバメ1、マガモ1、ハシブトガラス、ハシボソガラス、カワラヒワ声 新市楽池:バン3、鹿介池:バン1、ムクドリ10+、コゲラ1、ツバメ、ヒヨドリ2 大池通ツバメの巣放棄か

2017.6.14 am7:00頃 1Ac,風力1、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ20、スズメ15、ツバメ1、マガモ2、ハクセキレイ1、カワセミ声、アオサギ1 新市楽池:バン3、カワセミか 鹿介池:バン1、ムクドリ20+、ツバメ、ヒヨドリ、カワラヒワ声、ハシブトガラス、ハシボソガラス

2017.6.15 am7:00頃 1Ac,風力1、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ1、ムクドリ50+、キジバト2、ツバメ1、マガモ2、スズメ、ハクセキレイ2、メジロ声 新市楽池:バン2、ムクドリ2 鹿介池:シジュウカラ4+、ツバメ1、バン声、むくどり、コゲラ2、メジロ声

2017.6.16 am11 東京・昭和島 コアジサシ約200、むくどり20+、ハシブトガラス5+、スズメ

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2017.6.17 am10 皇居東御苑 ヒヨドリ、スズメ、コゲラ、ハシブトガラス
2017.6.18 am10 旧古河庭園 コゲラ、ヒヨドリ、ムクドリ

2017.6.21 am7:00頃 雨、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ2、アオサギ1、マガモ4、メジロ2、カワラヒワ5、キジバト2、スズメ 新市楽池:バン3(親1+若2)

2017.6.22 am7:00頃 曇り8Ac100,calm、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ2、アオサギ1、スズメ、ムクドリ、シジュウカラ2 新市楽池:バン1、シジュウカラ1、キジバト1 鹿介池:ツバメ1、ハシブトガラス、キジバト1、ムクドリ2-3、バン1、メジロ

1706kogera

2017.6.23 am7:00頃 1Ac100,calm、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ1、カワセミ1、スズメ、ムクドリ10、ツバメ2、カワラヒワ3、キジバト1、アオサギ1 新市楽池:バン3(親1+若2)、シジュウカラ声、コゲラ声 鹿介池:スズメ5、ハシブトガラス1

2017.6.24 am7:00頃 8Sc020,S 2、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ12+、スズメ10、キジバト,ヒヨドリ2 新市楽池:ハシボソガラス2、マガモ3、バン声 鹿介池:コゲラ1、ツバメ2、スズメ、バン声,コゲラ穴

2017.6.26 am7:00頃 8Sc020,calm、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ1、シジュウカラ1、カワセミ1、ハシボソガラス1、キジバト2、ムクドリ、マガモ4、スズメ、アオサギ1、ツバメ1、ハシブトガラス1 新市楽池:バン1(若1)、ハシボソガラス1 鹿介池:ムクドリ、ヒヨドリ、スズメ、?声

2017.6.27 am7:00頃 8Sc008,calm、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:アオサギ1、

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ヒヨドリ2+、ムクドリ7、スズメ8、シジュウカラ1-2、メジロ1-2、キジバト1、ドバト5 新市楽池:バン3(親1+若1+ヒナ1)、ドバト2、ツバメ4、ムクドリ声 鹿介池:ツバメ1、ムクドリ、ヒヨドリ

2017.6.28 am10:00頃 8Sc010,calm、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ2、スズメ30+、ムクドリ10、シジュウカラ2、メジロ1、キジバト1 新市楽池:バン8(親2+若2+ヒナ4)、ヒヨドリ1、ハシボソガラス1、スズメ 鹿介池:スズメ10+

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2017年6月29日 (木)

運河の眺めと蛍と

品川の南で大学時代の運動部の同期会がある予定だったが少し早く着いてしまった。
京浜運河とつながる高浜運河沿いに時間つぶしでぶらぶら歩いてみた。
運河の対岸に巨大な門型のビルがある。こういうビルを見ると近頃はインスタグラム投

Sinagwa_compressed

稿に相応しいいかなと思ってしまう。そう思えば躊躇いもなく想う存分に眺められるのがいい。小心者には理由付けがあると何をやるにも気楽にできる。後で調べるとマンションとオフィスの複合ビルのようだ、因みに家賃はとみると2LDKで24.6万円とある。ほとんど埋まっているようなのにも少し驚く。確かに場所も環境もいいが幾ら何でも高い。そういう世の中になってしまったようだ。東京は最早自分には住めない街だ。
でも少しだけ東京という街が羨ましくなる。

 

旅から福岡に戻ってきて翌日蛍を見に行った。
蛍を見るとこの時期ホッとする。宇都宮にいた頃はどこで蛍が見れるのだろうとあっちこっち見に行って結局市内の美術館裏の数頭の蛍を見るばかりが毎年のことだった。
福岡へ移ってくると、あちこちにほたる公園と銘打った場所がある、どうもこっちの方が多そうだ。蛍のポイントとして最も近いところが那珂川町の中ノ島公園と教わって、行ってみると見たこともない蛍の数だった。こんなに手軽に見れるならと毎年必ず訪れている。駐車場が少し離れたところに確保されているのもいい。
映像になんとか収めたいと写真撮影を試しているが大体分かってきた。1枚で撮るなら

Hotarux10_compressed_3

iso3200でf8,5秒が今のところまずまずで、撮った映像を画像処理ソフトで明るさとコントラストを好みに調整すればまあみれる写真になる。たくさんの蛍が翔ぶさまの映像が欲しければ同じ場所同じアングルで何枚か写真を撮って重ねればいい。もちろん多重露光ができればそれがいいがやり方がよく分かってないので後でソフトで重ねるのが簡単だ。
今年は少しは動きの入った写真が撮れた。梅雨どきでも結構遊べる。

 

梅雨も後半戦に入ってきた、大気が連日不安定になっている。雨が殆ど毎日何処かの時間帯で降る。植物がよく伸びる。だからと言う訳でもないが、やっぱり福岡に住むのが丁度いいのかな。そんなふうにも思っている。

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2017年6月23日 (金)

東京のコアジサシ

東京へ出かけることに決まって、大した用というわけでもないのでできるだけ費用を抑えようと安い飛行機便をいくつか探してみたがLCCは思ったほどには安くない。

マイルも片道だけ使うという手もある、これならマイルがすってんてんになるということはあるまいと羽田往復として往きはスカイマークの1万円くらいの切符があったのでこれにして帰りはJALのマイルということにする。これならチープな旅が可能だ。
あまり時間もないがどこかで鳥見をしたいと思っていた。モノレール羽田線といえば途中にコアジサシのコロニーがどこかの工場敷地に形成されているというのを看板で見たことがあったのを思い出して、少し調べてみた。

ネットを手繰っていくと森ケ崎水再生センター東施設の屋上部にコロニーがこの時期形成されるということが分かってきた。更に一時数が少なかったが関係者の努力が奏功したためか2014年頃から増え始めて多分今年もそれなりのコアジサシが飛来しそうだということも分かった。

勿論水再生センターは基本的に外部の人は自由には入れない、外から見ればいいがどこからなら見れるだろうか、調べようとするがこれ以上情報は発見できずとりあえず昭和島駅で降りて京和橋あたりまで歩いて行ってそこから眺めてみようという計画とした。

九州では有明海の三池島にベニアジサシが来ていたがこのところ不調でなかなか姿が見られなくなっている、また以前鬼怒川のコアジサシのコロニーを見たことがあったがその後大雨で川の様子がすっかり変わってコロニーが形成されなくなったこともあり、アジサシのコロニー維持の難しさを感じていた。東京のコアジサシでも見れるものなら見ておきたい。

 

Map

当日予定通りモノレールを昭和島で降りて東口改札口を出る。天気は少々日差しがあるが雨にならなかったのは有り難い。細い通路があって通りに出るのだがその途中まで来ると右手の大きな建物の上からコアジサシの群れが飛び出してくるのが見える。

 

結構近い。暫く眺めているがこの通路を通る人は誰も足を止めようとしない、見慣れた風景なのだろうか。録音したりとりあえずの写真をコンデジで残す。
水面へ飛び込むところも見れるかもしれないと京和橋まで歩いていく。

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海に掛けられた橋だけに橋の中央は結構高くなって水再生センターのコロニーと思しきところとほぼ同高度になる。さすがにコロニーそのものは遠くてよく見えないがそれらしい場所は大体わかる。

 

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コロニーから時折5-10羽位の群れで海面に出て魚を採り始める。よく見るような垂直降下をするコアジサシもまれにはいるが殆どは接線気味に接水して採っているようだ、魚が浮いてきているのだろうか。

20170616koajisasi6a_compd_3

それとも海が汚くてあまりつかりたくないのだろうか、よくわからない。
京和橋を渡って反対側の水際沿いには遊歩道がついていて日陰で見ることができるがこちら側にはムクドリの群れやカラスもいて、コアジサシは寄ってこないので少し遠い。コンデジの望遠ではちょっと苦しくスコープか300mm以上の望遠が要る感じではある。
見ているのが思いの外面白くてあっという間に予定した時間は過ぎる、また昭和島の駅まで群れ飛ぶコアジサシを見ながら戻り、昼食場所と決めていた天王洲アイルまで進む。

こうして少しいい気分になって久し振りの東京の旅は始まった。
見るべきと思うものはなるべく見るように心がけているが、今思い返してみても旅はどういう形であれ刺激的で面白い。

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2017年6月22日 (木)

何かが凝縮した街東京

東京で同期会が2つあって、おまけに気象予報士総会のシンポジウムも聞いたりして久しぶりに2泊3日を東京で過ごした。折角だからとモノレール羽田線沿いのコアジサシを途中下車でみたり、皇居東御苑のアヤメを見たり、旧古河庭園のバラを見たり東京をあちこち動き回ってもみた。

何とか時間を作って東京駅近くで開かれるダビンチ・ミケランジェロ展もみようと計画したが結局疲れて力尽きて辿り着けず旧古河邸での歌曲のミニコンサートを心安らかに聴いていた。歌の翼がバラ園の中空に拡がっているようでゆるく流れる時のうねりが心地よかった。
東京はストレートな生き方がし易いかもしれない、そんなことを思っていた。


旧古河庭園にバラの時期かと見に行ったのは、東京には旧華族や財閥の邸宅がいくつか残されていてそれが東京ならではの見どころのように思っていることがあった。
旧古河財閥の迎賓館であった旧古河庭園は北区にあり京浜東北線の田端の次の駅上中里で降りて10分足らずで到着する。泊まっていたホテルは人形町駅の近くだから日比谷線で上野まで出てJRに乗り換えればいいという塩梅で複雑な地下鉄乗換もなくて気軽にアプローチできる。

日曜だからなるべく早めでないとと人出が気になって9時の開館直後に入る。洋館の見学は10時半からだが当日申し込みは少し早めに行って並ぶ必要があるらしいというのもあった。
Furukawagarden
バラは殆どの木にはまだたくさん蕾をつけていて1番花は過ぎているものの2番花が十分に楽しめる時期だった。2番花などという言い方はここのホームページで初めて知ったが言って見るといかにも詳しそうな雰囲気になって面白い。丁寧に手入れされていて、見ている間もずっと手入れの人が手を動かし続けている。話しかけたくなって、バラのムシ対策は?と聞いてみる、基本的に1週間に1回の薬剤散布でムシは防げているという。ふーんそんなもんでいいんだという感じだ、話すことが面白い。

洋式庭園の作庭は邸宅の設計者ジョサイア・コンドルによるものという。いかにもヨーロッパの庭園だ。
連日の飲み会で疲れていたのもあって日本庭園につながるところの木陰のベンチで鳥の声を聴きながらスケ
Baraen_2ッチを始めた。描くべきものがたくさんある景観だから十分に時間が使えて気兼ねなく休憩できる。
鳥の声は大抵がヒ
ヨドリで時々コゲラの声がするそれくらいだ、しかし何故か品がいいヒヨドリでいやみがない。ゆったりした時の流れに身を任せる。
いくら何でも洋館見学時間が迫ってきたので切り上げて急ぎ日本庭園を見て回る。茶室が点在しこのままのんびりしようとすれば幾らでも居られる雰囲気の庭だ。いいところだ。

Furukawagarden2 洋館に辿り着くと当日見学の列ができ始めているが十分定員内だ、ほどなく見学が始まる。写真撮影は禁止という。写真を撮ることにしか興味のない人はご遠慮願いたいという管理者側の気持ちが伝わってくる気がする。

建物は進駐軍に接収された後暫くは放置されてお化け屋敷状態にあったというが今は綺麗に維持されている。こういう風に整備され始めたのが戦後の終わりを示しているともいえるだろう。

2階の洋式ホールのドアの裏側に襖があって和室が作られていたりする、和室の床の間や違い棚も含めて全てジョサイア・コンドルの設計という所がまた面白い。明治期の招聘外国技術者で鹿鳴館等を設計した人だ。東大で辰野金吾他多くの建築家を育て、個人的にも日本画や日本舞踊まで習い日本舞踊で知り合った日本人の妻をめとって67歳で日本で没している。ロンドン生まれの英国人だ。デレーケ等も含めて明治初期の日本には人生を日本に捧げた優れた外国人が来てくれているのには感謝を覚えるばかりだ。
一回りした後、1階ホールで3人の女性声楽家によるミニコンサートがあるというのでもう東京で回るところは終わりにしようとコーヒーとケーキを味わいながらその歌声を楽しむ。菩提樹にからんで訳詞の近藤朔風を少し調べたところだったので同じ訳詞家の手になる野ばらの歌唱になにか因縁を感じる、歌の翼がバラ園の空に響くさまは何とも言えない安らぎがある。
東京という街もさすがに素晴らしい、そう思えてくる。何かが凝縮している。

上中里駅から浜松町経由で雨が降り始めた羽田に出て午後の便で福岡へ戻る。博多駅前でバスを待っていても人の多さの圧力を感じない、やはり東京の人の厚みは疲れるかな、歳をとるとすかすかしている福岡位の街が丁度いいかな、そんな風にあれこれ思いながら家路についた。この街らしい乾いた風が吹き抜けていた。

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2017年6月15日 (木)

菩提樹、言葉と事物

いつものようにテレビをぼんやり見ていたら菩提樹の花が満開ですとにこやかに笑うアナウンサーの姿が出てくる。フーンと思いながらも見にいくのもいいかもしれないと思う。理屈をつけて出かけるようにしないと特に梅雨場は動きが鈍くなる、精神に良く無い。
恵光院という寺だという、調べて見ると筥崎宮のすぐ側だ、一応駐車場はある事になっている、特に問題もないようなので直ぐに出かけることにする。例によってナビはそうかなあという街中突破の道順を指し示す、面倒なのでナビにとりあえずは従ってみる。走り出すと案の定渋滞ありリルートしますが次々に出てその度にリルートに従うと細い道をうねうね走らされる。後悔しながら筥崎宮までたどり着くと恵光院の駐車場が分からずぐるぐるまわることになって、諦めて筥崎宮の門前のコインパークに入れる。参道を歩いて行くと確かに恵光院の駐車場はあるが筥崎宮の参道から曲がりこむところが進入禁止になっていて普通に考えると駐車出来ない。しかし既に1台駐車している、どこから、と思っていると次の一台が現れた、参道の歩道部分を少し走って進入禁止の立て札の裏側から曲がり込んでいる。知っている人はこうするらしい。

Bodaijyu 門をくぐってやや進むと目当ての菩提樹が現れる。なんとも言えない香りを漂わせて小さな黄色い花が鈴なりに垂れている。本堂には涅槃図のご開帳もある。仏門の信者ではないが形ばかりのお参りをして、花の写真をあれこれ撮る。置いてあったベンチに腰掛けてのんびり眺めたりもする。確かに心が和らぐ木だ。
釈迦が悟りをひらいたのも菩提樹の下とされる。一方で菩提樹といえばリンデンバウムだ、シューベルトの冬の旅の中の有名な歌曲でもある。
眺めているとシューベルトと釈迦は本当に菩提樹でつなBodaijyu1 がっているのだろうかと思えてくる、何だかピッとこない、歌詞を思い起こすと同じ木だとは思えない。
戻ってネットであれこれ調べると、フーンという話が色々出てくる。
まずは釈迦が修行した菩提樹はインドボダイジュと現在呼ばれている木で、クワ科イチジク属の木であり、恵光院の菩提樹は和名ボダイジュでシナノキ科シナノキ属で全く違う木とわかる。シューベルトのリンデンバウムのほうもまた違うセイヨウシナノキと呼ばれる木だがこちらはシナノキ科シナノキ属でボダイジュとは近しい関係にはある。

なんでインドボダイジュでないボダイジュがお寺にあるのかというと、もとは約800年前に中国から伝わったものであのお茶を伝えた栄西が中国に渡った際にこれも持ち帰ったという。正確には頼んで日本に送ってもらったという事らしい。送り先は博多で香椎宮のそばにまずは植えられたという。その後日本に戻った栄西の手によって株分けされたボダイジュが全国の寺院に配られて日本に根を下ろしたという事らしい。東大寺の菩提樹にはその経緯が残されており栄西が伝えた木の子孫であることが明記されているようだ。香椎宮の元の木は戦国時代に焼失しその場所には今は東大寺から株分けした木が植えられているという。恵光院の菩提樹は樹齢200年とされるばかりで由来の説明がないがたどれば栄西の木にたどりつくのだろう。
栄西の伝えた菩提樹が日本国内で大事にされてきたのはその木の出す雰囲気があったからだろうが、そもそも何で中国でインドボダイジュが菩提樹とされずシナノキの仲間が菩提樹とよばれるようになったかについてはインドボダイジュが熱帯性の木で温帯には適合できないため近しい木として今のボダイジュが選ばれたとの説明があるようだ。しかし本当にそうなのかどうか、解らない。現在通販でもインドボダイジュは売られており日本国内で育てている人も多数いるようではある。おおらかなところが大乗仏教らしいといえばそうだ。
シューベルトの菩提樹の歌だが歌詞はドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーのドイツ語で勿論菩提樹の言葉は訳者が選んだ言葉だ。訳詞は明治の終わりから大正の初めに活躍した近藤朔風の手によるもので、同じシューベルトの野ばらもこの人が訳出したものだった。重ぐるしい歌曲冬の旅の中でほっとする気持ちを与える名曲だ、菩提樹という和名は名前はまさにそのような効果を曲とともにもたらしているように感じる。原文のリンデンバウムは植物学的には、セイヨウシナノキというべきなのだろうがそれでは歌にならない、近い種類のボダイジュを当てたのは正しいと思える。
調べると色々な思いが菩提樹ボダイジュという言葉からにじみ出てくる。
言葉と事物の繋がりの保証が容易く崩れ、崩れたとしてもまた新たな時空を生み出していく深みのある関係に思いが至る。
こういうう風にして世界は成り立っているのだ、また思ってしまった。

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