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2006年3月31日 (金)

不吉な電話

Fe06032615_1 日光の裏山歩きから戻る途中、不吉な電話が鳴った。

父が旅立った。
駆けつけねば。

ふるさとは桜が咲き始めた頃だった。今年は桜が少し早い。

長い病床ですでに存在はないも同然だと思っていたがそうではなかった。
ともに引き込まれるような落下感。

春雷が家を揺らした。ばらばらと落ちかかる雨。

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2006年3月25日 (土)

あたりを暗くする煙

P1010090_1 渡良瀬遊水池の葦焼きを見た。炎もあるがとにかく数十本も立ち上る煙とこれが空を覆いあたりを暗くする有様が圧倒的だ。これを書きながらたまたまちょうどテレビで阪神大震災の映像が流れているのを見ているが、煙はこれにやや似た感じさえする。想像していたよりその広がりが遙かに大きい。

東南アジアでは焼き畑の煙が町を覆う、とどこかで読んだことがあるが、こんなのを国のあちこちで断続的に続ければ、ちょっとかなわない。

P1010089_1 現実に見ないと本当は解らない、また実感してしまった。

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2006年3月23日 (木)

白梅

Ume2006 庭の白梅が咲いてきた。

ハクレンも蕾がかなり膨らんでいる。今年は咲き始めるとあれもこれも一斉に開きそうだ。

なんだかけだるい春にいつのまにかつかってしまっている。

もう4月か。。。。。

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2006年3月20日 (月)

彩雲

Photo_4 彩雲を初めて見た。今日の1時前くらい、太陽を隠すような層積雲が出ていて、ここから太陽が出かかるころ、雲が緑や青や茶色っぽくなった。結構綺麗な色が出る。太陽が近いのであまり見ていると目がつぶれそうになる。(画像はうまく撮れなかったのでWikipediaより引用)

彩雲というと、これまで艦上偵察機の名前、としか意識していなくて、そういえば、これは光学現象だ、と改めて認識したのは このところ気象のMLに彩雲を見た、と情報が流されていたのがきっかけだ。そのつもりで空を見上げるようになって程なく見つけることが出来た。要するに見れていたのに、ただ見ていなかっただけにすぎない。最近こんなことが多い。

Photo_3偵察機の彩雲は排気タービン付き高速機として有名で昭和18年5月に試作機が完成して終戦までに愛知県半田で400機位作られた。空力的にも優れていたといわれる。

近頃昭和と平成を読み替えると太平洋戦争中の時間の流れを追体験できることに気がついて、昭和18年(すなわち今年、平成18年)という時が身近に感じられる。18年4月には山本五十六がブーゲンビルで戦死、20年8月までよく戦争が続いたものだ、確かに長い戦争だ。白黒の重苦しいイメージがする。

重苦しい時代に 彩雲 というあでやかなカラフルな名前を与えた感覚に、何か人間的なものを感じてしまう。

空は63年たっても同じ空だ。

昼休みの小さな発見から時空が広がっていくのも不思議な気がしてきた。

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2006年3月18日 (土)

結果無価値

Photo_2 法律の話しその2。刑法。刑法も読んでいくと、これは、ということに出くわす。

2条、すべてのものの国外犯、というのがあって、つまり世界中の人に適用になる、適用が限定されているが、81条 外患誘致罪、すなわち、外国に日本を攻撃させたものは死刑(のみ)、も適用ということになっている。殆ど防衛戦争、すざましい状況が思い及ぶ。

38条、罪を犯す意志がない行為は罰しない、とある。ここまで意志に重きを置いているのであれば、言い方一つで罪になったりならなかったりしそう。本当は内心思っていてもそういわなければ罪にならない、ということにもなってしまうが、逆には、そういわせれば罰することもできる。使い方が難しい。

法律用語にも普通には理解しがたいものがあり、例えば、結果無価値、行為無価値論。別に結果に価値がないというのでなく結果がよくない、違法、といった意味で、ドイツ語の直訳かららしく変な感じがする。でも現在の主流は行為無価値論、つまり違法な行為というのが違法の本質、というのだけれども、被害者にとって見れば結果の方が問題のように思う。社会的に罰するとなると、行為の方が問題、ということになのか。

刑法さんは、どう思って何のつもりでこんな違法をするのか、に目がいっている感じがする。社会システム維持のためにはしかたがないんですよ、と声がするみたい。憲法さんみたいに偉ぶっていないけれど、グチが多い様な気がする。

昔観た つかこうへいの熱海殺人事件 刑事がグチりながら、ただのつまらない事件ではだめでストーリーが大事なんだ なんていうのもそれなりのリアリティがあったのか 。

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2006年3月16日 (木)

風景がやわらぐ

Kwrhw1 会社の昼休み、社内を散歩していたら、芝生にツグミがいた。毎年この時期に渡る途中で2-3日寄っていく。何だか人になれているのか相当近寄っても逃げていかない。安心している。歩いていくと頭の上からカワラヒワのビイーッビイーッという鳴き声もする。少し前の寒いときはキリキリとか細くさえずっていたのだが、暖かくなると、どうだ、といわんばかり力強く自己表示している。ジョウビタキなんかも出てきたりしてこの時期は殺風景な風景がやわらぐ。社内の野鳥もなかなか捨てたものではない。

以前は見えなかった風景が近頃は見えるようになって来たように思う。

(貼付の写真はカワラヒワだが別の場所で撮ったもの)

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2006年3月14日 (火)

意図的誤審

Photo_1 WBCの日米戦で審判明らかな誤審、意図的と思われる誤審があり、アメリカもこんなことまでやらないと勝てないのか、弱くなったものだ、と思うと同時に、戦前のチルデンの逸話を思い出した。テニスの話である。

以前ラジオで聴いた記憶を頼りにnetで探してみたら繋がってきた。

1921年のデビスカップ杯で、当時の最高峰の選手であったチルデンが日本の小柄な清水に追いつめられ、最後の清水のサーブがチルデンを破った、と誰Zenzom111 もが思った瞬間、審判がレット(ネットに触れた)と判定した、清水はこれに愕然とし、今までの勢いがみるみるなくなりついに敗北した、という話である。ところが戦後になり、当の審判が、この時チルデンが東洋人に敗れさるのをくい止めるのは自分しかないと思い意図的に誤審した、と告白した、更にこの一戦に、西洋人の東洋人に対する壁を感じた雰囲気がその後の戦争への導火線となっていった、というのである。出来過ぎた話しで、創作という話しもあるが、なんとなく、時代の空気を動かすのはそんなことかもしれない、と思ってしまう。

今回の誤審はこんな大げさな話ではないが、偏狭なアメリカ人の原感覚を見て、なにか哀れみを感じてしまった。

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2006年3月13日 (月)

見えざる手

200603110900002006031121000020060312090000

先週の金曜日あたりから気持ちの悪い雲がシベリヤから緩やかに降りてきた。冷たい寒冷低気圧の中心に何かの理由で水蒸気がはまってしまっている感じだ。周りの雲がジェットに流されていくのに、淀んだとろのように動かない。こんなのは見たことが無い。雲の高さは22000f t(6.7km)位だから、積乱雲のような高さはないが、ちょっと見た目、層雲のように見える割には高い。結局、北海道の西あたりまで降りてきてゆっくりばらけてしまった。日本に遅い寒波が来た。

しかし確実に春は雪崩をうって到来している。 世界をみわたすと北極をめぐる寒気の固まりがあちこちでちぎれるように南下して消えていこうとしている。

地球のゆらゆら揺れる頼りない大気のゆらぎが人間の日々の生活にそれなりの影響を及ぼしていく様、これが人間と物理的地球との会話ということなのだろう。
物理の方程式系で大気の流れは確実に記述できる。

昔、数値計算で遷音速の翼の周りの流れを計算していた。純粋な方程式と境界条件の連立方程式の繰り返しだけで、音速以下の流れが加速されて一部が音速を超え更に加速しその後ろに微妙な衝撃波ができてまた音速以下の流れに戻る、という複雑な流れがだんだんと生成されいく様に、何か神の手のようなものを感じたことがある。

単純な、純粋な関係の中に(こそ)、見えざる手は存在するのかもしれない。

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2006年3月10日 (金)

何か面白いことを失い

Fujikap1a_1 ひかり電話を入れたとき思ったのだけれども、以前は新しいものは旧式なものの機能を殆どすべての面で上回っていた、切り落とした機能は少なかった.

デジタル化が進んできて、そうではないことがやけに目に付きだした様に思える。例えば8mm映画と8mmビデオ。スクリーンに写すと8mm映画の方が明らかに分解能が高く画質がよい。ビデオは要するにTVでみるには便利だが、映画、のイメージが失われている。編集も切ったりつなげたりで手作りで面白かった。ビデオでは簡単には出来ないしやろうとすると少しは値の張る 装置がいる。

パソコンでもBASICはVISUAL BASICに変わっていって、パソコンならどれででも簡単に使えるというものでもなくなった、ソフトを自分で作るなら少々費用のかかる仕掛けが必要になった。結局ソフト作りはやらなくなってしまった。

こうして何か面白いことを失い何か便利なものを手に入れる。でももう戻れない。

一体どこに向かっているのだろうか、どこにたどり着くのだろうか、時々考えてしまう。

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2006年3月 6日 (月)

ハイイロチュウヒのオス

Hicyu ハイイロチュウヒのオスをやっと見ることができた。
買ったばかりのスコープで闇が迫りつつある渡良瀬遊水池の土手の上から視野一杯に捉える。きれいだ。特に上面の青みがかった灰色と黒い翼端。アスペクト比が思ったより大きい翼だ。スマートだ。緩やかにアシの上を飛翔していきなりヒラリとアシ原に頭から反転ダイブ。それっきり出てこない。ここがねぐらのようだ。
映像に撮る間もない。記憶の中に漂っている印象を絵に落としてみる、うまく残せないのが歯がゆい。

この日はこのシーンに出くわすためだけにここで時を過ごしてきたとも思えてくる。

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コクチョウ

Kokucy1 ウメの開きかけた蕾がみたくて偕楽園に出かけた。この時期偕楽園に行くには道が結構やっかいだった気がしていたが、思ったより早く 手前の千波湖のほとりの駐車場に首尾良くたどり着いた。湖沿いに歩いていくと、コブハクチョウと真っ黒なハクチョウが集まっている。コクチョウだ、コクチョウは初めて見た。アヒルのように人になついている。ここで飼われているらしいが 別に紐がついているわけでもなく、どこかへ飛んで逃げてしまってもおかしくないのだが、逃げていかない。でも50kmくらい離れたところまで飛んでいって戻ることもあるらしい。コブハクチョウも飼われていることは同じなんだけれども、なんだか違う。

コブハクチョウには何かが欠けている。渡りをしないぬるま湯のような生き方が伝わってくる。
コクチョウはそうでもない。ほんの少し行動的なところがそんな感じを伝えてくる元のような気がする。

偕楽園のウメは予想通り。固いつぼみがひとひらゆるみ、いい風情だ。

Ume1rin_2   

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2006年3月 1日 (水)

国民の不断の努力

Roppou結局今までまともに法律を学んだことがないことが気になっていて、最近、憲法や民法や刑法を読んでみている。やはり知らなかったというか、改めて感ずることがやけに多い。まずは憲法。憲法の前にある“上諭”から、これを巡って日本国憲法の成立に8月革命説という立場が真面目に議論されている、というところから面白い。上諭で一応明治憲法の改正という形を取り繕い、憲法の成立の正当性に気を配っている、しかし本質論からは8月革命なのだろう、連続性がない。
読んでいくと、なんとなく決めつけられている言葉が随所に出てきて気になる。憲法さん、と人格を与えたくなるような書き方だ。例えば、12条、この憲法が保障する自由および権利は国民の不断の努力でこれを保持しなければならない、ちょっと押しつけがましいのではないか憲法さん。憲法さんからここまでいわれなくても、と思う。まるでこの憲法が最高の場所にいるようではないか、もっと高みがあることを憲法さんは知らないみたい。
しばらくは法律で遊べそうだ。

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