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2006年4月23日 (日)

現代資本主義のお手本

Lay ホリエモン事件はやや冷めてきたが、海の向こうではエンロン事件の裁判が進行中で、次々に事件で有名な登場人物が証言している。
ホリエモン事件とエンロン事件とは、やり口は似ているが、エンロンは遙かに深い。一時はエンロンには米国の最も優秀なMBA卒業生が毎年集まり、新たなビジネスを次々に創造していた。経済界でもその先進的な経営手法が大きく評価され、ケネス・レイ(写真)率いる経営陣は連続して賞をもらっていた。エンロンの株は有望で将来性があるとして多くの年金運用機関のような機関投資家がエンロンの株を買った。ところがエンロンは非常に巧妙に業績を粉飾していた。思うに会計手法で利益を少々変えられるというのは、引当金をどのくらいとるか、といったところから誰でも考えることだと思う。エンロンはバーチャルな取引の中で粉飾していた。
また、自社の株価を巧みに上げこれを資源とする経営手法をとっていた、ここのところはホリエモンと全く同じで、恐らくホリエモンが真似したと思われる。
バーチャルな取引に違和感を感じるのは事実だが、資本主義では利益を上げるためなら勿論バーチャルな取引手法は是認される。信用をいかに増やし、この信用をいかに現金に換えていくか、まだ値段が付けられないデリバティブのような取引にどうやって正当そうな値をつけるか(オプション価格の妥当な計算法を導いた人はノーベル経済賞をもらったし、自分でももうけている)、こういったことは価値あることとして認められている。更に、エンロンは規制緩和という一見先進的概念で政治家を動かし(或いは深く繋がり)固まっている業界を破壊しもっぱら自らの利益をはかった。エンロン事件を追っかけていくと日本での規制緩和を唱える人にも疑いの目を向けたくなる、本当は誰の利益のために唱えているのか。
バーチャルなことを利用して伸びているのが現代資本主義で、これに代わるシステムを人類は案出できないでいる。マスコミはホリエモンを叩き、お茶の間正義主義がはびこる。ルール内なら何をやっても良い、というのが基本的に自由主義経済ではないのか、たとえそれがルールの隙間をついていたにせよ。。

エンロン事件の異様さとそれが現代資本主義のお手本とされる経営から生じていることが、今日ただいまの社会の歪んだ立体構造の核心をついている。ホリエモン事件はそこにつながりを感じさせる点で、ひっかかりつづける事件のように思う。

いまだ問題が正面から捉えられていない。

再び思ってしまう、どこへ向かって流れているのか、行き着く先はどこなのだろうか。

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