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2006年8月27日 (日)

現実に流れる感覚

北関東に来てもう随分になるが、また九州へ時々いくようになって、やはり違う、と感じることが多い。

九州は海だ。海に繋がり、それが見果てぬ国へ連なる。魏志倭人伝の世界だ。山は低い、低い山でも対馬海流を渡る北西風を受け止めて、冬は重い雲が空をうめて暗い気持ちにさせる。耕されていないところが少ない。平地には林がない。どこにも人間の手が入れられる、しかし植物の生命力が強Midori い。勿論虫も強い。蝉も大きいし、ゴキブリもでかい。放置された空き地は、たちまち常緑広葉樹の森林に化する、直ぐに手を入れなければ自然に圧倒される。

北関東には開発途上の土地が多い。明治の昔から時の権力者が広大な牧場開拓地を開いて国力の増強に努めていた。ゆっくりしたペースで開拓していっても、たちまち野生化するという切迫感がないし、何だか雰囲気が違う。平地に林がある。山が高い。

九州の山は最高峰が屋久島の宮之浦岳だが2000mに届かない。高山の鳥は勿論望めない。しかし、海が心地よい。いい入り江がたくさんある、白砂の浜辺が普通にある。関東は浜が黒い。太平洋の波は柔らかくない。海に乗り出していく気がしてこない。
やはり海は九州だ。

ぼやけていた概念が、現実に流れる感覚の中で、明確な概念となってくる。文字に落として記号化したためではなく、それはそのものの存在の主張のように思えてしかたがない。

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