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2006年9月13日 (水)

未熟な技術に囲まれて

なんだか肌寒くなってきたがこのまま秋が深まるわけでもない。

この間気象の集まりがあって、測候所の無人化が進Sokkou んでいることについて、観測機器による自動計測で現実的には測候所の人はやることが無くなっている、雲の種類の観測をするくらい、後は個人的な趣味の観測をするくらいではないか、と聞いた。そうなんだろう。(写真は奥日光の無人観測所)。担当している機能をつきつめると大変な思いをして辺鄙なところに住んで有人観測することの意味が説明できなくなる。それにもかかわらず、無人化を進めるのはいかがなものか、という議論が出るのは、多分、人がいてはじめて可能になる諸々の無形のものが無くなってしまう、それでいいのか、といったことなんだろう。有人か無人かは色んな分野で近頃よく耳にする議論だ。無人にするならシステムの信頼性を人間以上に高め、能力も人間を遙かに超えるものを与え、数も圧倒的に増やして、逆に有人にしようと思ってもそれはできない、とだれもが認めるレベルにしなければ収まらないように思う。

何故人を宇宙ステーションに送るのか、ロボットではどうしてダメなのか、何故戦闘機は有人なのか、有人無人の議論はつきない。議論が出るのは結局技術が全く未熟なんだ、と思う。身近なところでは自動の血圧計はどうも信用できなくて、やはり人が聴診器をあてながら測ってもらわないと怪しいと思ってしまう。まだまだ技術が届いていない。
こんな未熟な技術レベルに囲まれる位なら素朴な生活がやっぱりいいか、とはいいきれないのも、中途半端で、屈折していて、生きてる感じがして、人類は生き延びられるような気がして、それもいい。

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