時は容赦なく転がりゆく
予想されたことではあるが、この数日は夜間低層の雲が一向に晴れずに、ハレー彗星のかけらの作り出す流星雨をまだ見ることが出来ずにいる。もうそろそろ終わりのようで、もはや出会うことがないのだろうか。
早朝晴れるかもしれないと思って早起きしたがやはり曇りで、思い直して、上空の乾燥気団を期待して、今がピークの日光紅葉見物に出かけることにした。
朝5時前に出ても遅いことがあり得る、昔身動きできない渋滞にはまったことがあり、紅葉の時期の日光には空恐ろしさを感じて、そんな風に思っていたが今日はうまくいって高速利用で6時前には中禅寺湖畔を疾走していた。
いろは坂は小雨だったが、戦場ヶ原では天気の予想は、やや遅めになったとはいえ概ね あたり で晴れる雲の動きを見せていた。小田代に着く頃にははもう 良く晴れて霧が湿原から引きはじめていた。カメラの放列は相変わらずだが高さが以前より心なしか高い。灌木の成長に伴って段々カメラの位置が上がってきているみたいだ。今日は箱形カメラが目に付く。プロかセミプロか。朝の光が霧をかすめて落葉松林に黄金の輝きを与える。この美しさはこの時期の晴れた夜明けだけのものだ、休日の秋の晴れた朝にしか許されない。今年はこれで終わり、来年はうまく見れるだろうか、あと何回この風景に浸れるだろうか。一期一会か。
行けるときに行きたいところに行ってしまう、出会いたいものに出会ってしまう、細く長く暗く食い延ばすより、先のことは考えずに走っていく、始めるにもう遅いということはない、やりたいことをやりはじめる、こんな風に思っていても、時は容赦なく転がりゆく。転がっていきながらも真っ向から世界を正視することが大事なように感じている。風のように生きていくことがせいぜい出来ることに思えて、寂しくなることはあるけれども。
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