季節が巡り
今回は武尊山の北の谷、照葉峡の紅葉だ。
水の流れと紅葉が重なるところが静と動がバランスして、過ぎ去っていくこの世の中をあらわに感じさせて、響く物がある。もみじ葉が落ちて流れゆくのか、世界全体が紅葉のように流れゆくのか、どちらでもよいことなのだが、とにかく流れ流れゆく。
今年の紅葉は綺麗だと思う。多分すこぶる個人的な感じ方で、客観的にはそうではないかもしれない。でも、こんなことは個人的な感覚が全てではないか。
羽田沼にオオハクチョウが現れた。まだ4羽だ、オオハクチョウのほうがコハクチョウより 早く来るのはやはり飛翔力の差なのだろうか。今日は疲れているのか飛んでくれない。
一羽若鳥が混じっていた、今回この場所を教えてもらったのだろう、次は自分でこれるようになるのだろうか。小さな沼に2000km以上離れたシベリアから正確に渡ってくるのはどんな仕掛けなんだろうか。伝書鳩が少し前までは現実に新聞社の屋上で飼われていて必要なときに記事を遠方から飛ばした、ということを思い出す、渡り鳥でなくても帰ってくるやり方を知っている、というのは鳥の種に固有の能力なのだろうか。確かに、生体磁石というものがあるらしい、しかし磁石さえあれば航法は万全というのもちょっと信じがたい。太平洋戦争中の日本の偵察機は自分の位置を確認するのがそうたやすくはなく、まともな位置報告がなかなか出来ていなかった、と聞いたことがある。昔の偵察機も磁石位は持っていた。
季節が巡り生き物が動きまた巡る、それすら、当然のものとして思いこまされているように感じる、たまたまそういう風に宇宙の組み合わせが出来てしまったに過ぎないのだけれども。
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