伊豆沼まで走っていった。ものは無くすし、録音はまともに録れないし、ぼろぼろだったけれども、ともかく良かった。沸き上がるような鳴き声と羽音、これでもかこれでもかと頭上を飛び交い空を埋め尽くすマガン。日常では似た光景がない。いつまでこの感触が保持できるだろうか、写真やビデオや僅かに録れた音はどこか他人事のようで日常の中に埋没しそうで頼りない。見直したり聞き直したりすると却ってその時感じていたものが矮小化した映像や音にすりかえられていくような感覚に陥る。現実はその何万倍のスケールと荒々しさでかぶさってきていた。デジタルな小道具は捨て去ってひたすらひたるしかなかったのではないか、そんな気がしてくる。
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