非日常を堪能
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米国の景気が解らなくなってきている。米株式は史上最高値を更新しているが、債券市場の利回りはこの夏に急落したままで先行 き低利=不景気を予感させていて、クルーグマンに言わせると、こちらの方が株式市場より歴史的にまともな判断をしてきたのだから、信頼おけそうだ、ということになる。ともかくユーロに対してはドルはずるずる安くなっていて、ドル安が始まった、もうアメリカが引っ張る景気が終わろうとしている、なんて言う輩も出てくる。円はドルに対しても値を下げているのだから、まだまだ低迷から脱出したなどとはまともな人は言わない。これでは日銀も利上げもできない。日銀の低利が米国の景気の一端を支えていて、ここを崩すと、世界経済に及ぶような予感がそこはかとなく漂っていて、固唾をのむような雰囲気だ。
経済の世界は数式による厳密解がない。結局人間といういい加減なものが重要要素なんだからしょうがない、これが厳密に計算されるような時代がきたらそっちの方がこわい。
しょせん工学や物理の世界に数学が使えるのも、みたところ数学の規則に従った解析が現象を説明できるようにみえるからに過ぎない。現実と数学の1対1の対応は、保証してくれるものは実はいない、どこかでそっと対応の“はしご”が外されるかもしれない。
こんな世界の構造が、生きていることを楽しませてくれるような気がしてならない。
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久しぶりに奥日光に出かけてみたらうまくオオワシに出会った。去年出会った時と場所といい出方といい天候といい同じだった。11時前ころ菖蒲が浜 につくと、ギャラリーが4人ほどいて待ちわびている。湖面に浮いているオオバンなんかをみて、見上げるとトビが低く舞い始めた、そろそろ出そうな雰囲気と、トビを相手にカメラ練習をしていると、間もなく男体山の北側から、その巨大な姿を現せた。トビと較べるとその大きさが感じられる。昨年見たときより大きい感じがする。早速カメラを向けて撮り続けるが、テレコン付き望遠のせいかオートフォーカスが外れがちになる、マニュアルピントでねらうこともあってピントが決まらない絵をたくさんとってしまう、修練が足りない。中禅寺湖を一回りして菖蒲が浜の北東側の尾根の上部にとまった。スコープでゆっくりみれる。さすがに厳しい顔つきをしている。しばらく見ているがもう飛びそうにない、暖冬といっても湖
畔は冷えてきて、引き上げることにする。
今年もそろそろ終わりだけれど、いろいろなことがあって、今年は長かった。今年の字、”命”か、そうだよな、全くそのものだな。こうして流れながら流されながら漂うように、時には棹さして、生きていくのかな、それも本当らしくていいのかな。
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山階研究所の鳥の雑学の本によれば、現存の一番大きな飛べる鳥はアフリカのノガン(約18kg)ということだが、少し調べて見ると、いまは絶滅したアルゼンチンのアルゼンタビス・マグニフィセンス(Argentavis magnificens)が巨大で,スパンが6-8m、重さは100kg弱あり、飛行できた最大の鳥ではないかといわれる。
骨が出ているだけなんでどうも重さの値は怪しげだがとにかく巨大な鳥がいたら しい。翼面荷重は恐らく上限に近いあたりで飛び降りるようにして飛び出したのではないかと思われる。
大きいので強そうだが大きい体を維持するのも大変そうで、あまり環境の変化に柔軟に対応できるようには思えない、滅びていくのも当然にみえる。1600万年前あたりで絶滅したようだ。恐竜絶滅よりはずっと後に生存していて、明らかに鳥類と思える。でも、恐竜もそうだが、何で昔の生き物は大きいんだろう、地球が温暖で生きるのが楽で、大きな生き物も支えることができたということのように思える。人類の悪行で再び地球が温暖化したらまた巨大な生物が復活するかもしれない、人類には危機だが地球からみれば面白い。人類保護のための自然保護・生態系保護はどこかつまらない。
この間渡良瀬遊水池の現状と未来というシンポジウムがあって出かけてみたら、これがなかなか面白かった。湿地の再生には人工的攪乱が有効との話や、昆虫や植物、鳥の話があって、面白いが、あまりの量にいささかうんざりしてきたところで質疑に入ったら目が覚めた。国土交通省が治水目的でヨシ原を掘り繰り返そうとしているようで、それをサポートするような立場の話はおかしいんではないか、という鋭い指摘が飛び出して、ちょっと騒然。もしやこのシンポジウムは政治臭いぞ、という気がしてきた、と、にわかに人間くさい次元で面白くなってきた、入るとき所属団体を書かされたのはこのためだったのか、確かに聴講者はうるさそうな人が厳しい目つきをしている。防戦一方の司会役になってしまった講演者がやっとの思いで収めて終了したが、自然保護にはどこかイデオロギー的なところがつきまとっていて、こんな展開もまた興味深い。
こんな議論を延々とする人類そのものが実は最も貴重な自然に思えてくる、人類保護なんて言葉が出てこないそのことが、人類の面白さ・脳天気さを表しているような気もしてくる。
ともかくも、この厳しい真空の宇宙の中で生き延びていくのは容易なことではない、殆ど奇跡のようなこととしか思えない。何をみても感動してしまう。
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飛行機と鳥についての話を準備しているときカルマン渦について気になっていたので少し調べ直してみた。
カルマン渦は円柱周りに生成される層流剥離渦が上側と下側から交互に発生する現象で、乱流剥離では発生しない。ここまではいいのだが、気象で有名な済州島の下流に出来るカルマン渦は、レイノルズ数からはどう考えても乱流剥離だから発生しそうにない、しかし現象としては層流剥離渦のような渦がでてくる。これは渦粘性で説明するということになっているという, そうだったんだ。
個々の乱流の渦はスケールの大きい流れにとっては相対的に小さなものとなり全体としては層流の粘性にも等しく働く、従って大きなスケールの剥離渦は層流剥離渦のような振る舞いをする、というのだが、お話としてはいいかもしれないがいまひとつしっくりこない。気体流れの基礎方程式は大きかろうが小さかろうがナビエストークス方程式なんだから。もうすこし調べてみた方がいい様だ。
やっぱり基礎的な現象の理解は相当腰を落ち着けないと届かない。まあ、銀河も渦なんだからスケールで現象が変わっていきそうなのはありそうなことなんだが。
今年はまだ綺麗なカルマン渦が済州島の下流に出来るほど強い冬型にはなっていない。写真は昨冬のものだ。今年の冬はエルニーニョが発生していて暖冬には違いなく、今年はうまく見ることが出来ないかもしれない。
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ひこうぐも という本を読んでいる。戦中・戦後を戦闘機乗りとして生き抜いた小林というパイロットの人生を妻が詳細にドキュメンタリとして描いたものだが、これが面白い。お見合いから始まる二人の生活のディテールが夫の日記を交えて書き込まれていて、当時の生活はこんなだったのか、と色々と感じさせる。こんな本には初めて出会った。
戦時中の撃墜王が戦後自衛隊のジェットパイロットとなり最後はT33で事故死する、その死後12年を経て書き上げられていて、二人の生きてきた時間そのものを細かに思い起こし文に刻み込んでいる夫人の姿も読みながら浮かんでくる。
小林パイロットは飛燕でB29を本土で迎撃する244戦隊長として奮戦するのだが、ひとたびならず、B29に体当たりしてパラシュートで生還する話が本人の日記として出てくる、結構B29を墜としている。対戦闘機戦でもヘッドオンでぶつかる積もりで正面から向かっていき相手がたまらずかわすところを撃つ話しもでてくる。これで生き延びられるのだから素直にすごいと思う。
終戦の2ヶ月前でも、休暇を交代でとったりもして人間的な生活を送っている、そうだよな。
戦時中の隼戦闘隊のパイロットや疾風で飛んだパイロットから話を聞いたことがあるが座興でリアルな話にはなっていなかった。
でも、なんといっても、2人の生きてきた或いは過ごしてきた時間そのものがまるで映画のように浮かび上がることに、ある種の感動を覚えてしまう。自分には書けるだろうか,書いてもらえるだろうか。
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航空機と鳥という題での講演がやっと終わったがまだまだ分からないことが多くてここで止めてしまうわけにもいかない。例えば鳥の間欠的羽ばたきだ。大型の鳥は決してその様なことはしないが小型の鳥はほとんどが間欠的にはばたく。東先生の本には式で細かい議論が記述してあるがいまひとつぴんとこない。疲れないように、というのであればはねを全部折り畳んでしまうのはいかにもやりすぎで、大型の鳥と同じようにはねを広げたまま滑空すれば済むことのように思える。間欠はばたきそのものは、昔クルマのマイレージ
マラソンというのに出場したことがあるが、ここでもエンジンを間欠的にon-offしたほうが燃費がよくなった記憶がある、エンジンが大き過ぎるときはこんな感じになる様に思う。翼を畳むのは、恐らく、比較的高速(揚力係数の小さいところ)では翼の濡れ面積による抵抗がかなり重い物に感じられて、どうせL/Dは低いので、翼を畳んでしまった方が抵抗が少なく気持ちよく飛べるのだろう。ただ、姿勢の制御は尾翼にのみ頼ることになる。尾翼はどう動いているのだろうか。それとも主翼が不完全に畳み込まれて制御を助けているのだろうか。今度よく見てみよう。
考えていくことが面白い。
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数日前のこと、昼休みに歩いていたらハシブトガラスが地面で何かつついている。近づいても逃げない。そばまでよってやっと向こうへ行った。ハトだ、カラスがつついているのは胴体の上の方がとれていたハトだった、久しぶりのごちそうにありついた様にカラスがつついていたのが納得できる。右足に標識が付いているので伝書鳩だろう。オオタカが食べた後をむしっていたのか、時々オオタカが上空を旋回するのを見たことがある、と思ったが、もしかしてカラスにやられたハトではないか、と思い始めた。食べ残しにしては残りが多すぎる。そういえば大分前に井頭公園で地面にいるハトの群にカラスが突っ込んできて襲っている光景を見たことがある。工場の敷地にはカラスの食べ物はない、ゴミも厳重に仕分けられてガードされている、飢えたカラスがハトを襲うのは自然の成り行きかもしれない。
会社のほっとする休みに自然の摂理を見た、これが普通の世界なのだ。
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この間、気象予報士の話で全国紙に結構大きく紹介されたら、直ぐ後で講演依頼が舞い込んだ。定年間際の人に定年後の生き方に参考になる話を、というもので、とても荷が重い感じがして、即座に断ってしまった。後で思い直すと、無理でも受けておけばよかったか、と思えてくる。確かに仕事をしなくて良くなったら糸が切れたみたいになってしまいそう な気がすることに対する不安というのは気にしている人が多いようにも思える。時間が足りない時間が足りないと言い続けて毎日を過ごしている今の状態からはとても羨ましく思えてそんな人に有意義な話ができるとも思えないが、やれそうにもないことをやってみる、というのはちょっと面白そうなことではあった。今更遅くてもうそんな話はきっこない。
ぱらぱら雑誌をめくっていたら吉野屋の牛丼の話を目にした。吉野屋の牛丼は牛丼そのものへの徹底した異常なまでのこだわりの上にビジネスが成立していてそれはMBAの現代経営感覚とは相当に離れたところにあったらしい。注目すべき経営のやり方として最近紹介されるているようだ。
米国が調子悪くて日本が絶好調だった1980年代後半は、日本の経営者は長期戦略で行動する、米国は4半期業績で行動する、これでは米国は日本に勝ち目はない、といわれていた。今は全く逆になっているような気がする。失われた10年で自信を失って、経営がMBA流でアメリカナイズされた日本企業は4半期業績やアナリストの評価を気にしながら経営が行われているように見える。これではなかなか浮かび上がれない。
ビジネスの話であれ、講演する話であれ、目の前の できるか、うまくいくか、に振られてしまうのは、どうしようもないようにも思えるが、そうしていると、もっと大きな面白いことに出会わないままになってしまうような気がする。踏み出すスリルもまたよさそうに見えて。
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