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2007年2月28日 (水)

庭にウソがきて

庭にえさ台を置いて10日ほどたったら少しずつ鳥の動きが変わってきた。エサはひまわりのたねと食べ残しを適当に出している。みかんを出すとヒヨドリがあっという間にたいらげる。ひまわりの種にはひよどりは全く興味を示さなくて暫く変化はなかったが、ある日を境に見事に無くなるようになった。キジバトだった。そのうち、昼間にひまわりを出すと、とKijibt5たんに3羽くらいキジバトが見ていたように飛んできてむさぼるように食べてしまうようになった。試食してみてこれはいける、とわかったみたいだ。面白くないので夕方気付かれない時間にひまわりは出すことにした。ある時サンドイッチの残りをちぎって置いておいたらひよどりがおそるおそる食べにきた、一切れ食べて口に合わなかったのか飛んでいってしまう。別の2羽がまたつまみに来るがつまんで行っただけ、どうもあまり好物でないのかと見ていると、1羽だけ気に入ったらしく戻ってきて腰を落ち着けて食べ始めた。ひよどりは好みもみんな同じかと思っていたら、どうもそうではないらしい。たくさん出しておいたのだが1日ほどできれいに食べ尽くしてしまった。きのうはなんとウソがガラス戸に激突して気絶する事件があった。家内が教えてくれたのだが、遊びに来たところをカラスにでも追われたのかもしれない。てっきり死んだと思って庭の隅に置いて置いたら息を吹き返し、しばらくはぼんやり庭の中をさまよって桜の芽なんかを食べてみたりしていたがそのうち元気になってスズメやUsokzt2 ひよどりに混じってどこかへ飛んでいってしまったという。今年はウソが多いような気がしていたが庭に現れたのははじめてだ。アカウソでなくてタダウソだった。庭には以前、キジが2羽現れたこともあり何がきても驚かないのだが。しかし、庭のウメも咲いてきてウメにウソとはそれらしい。

やはりとびきりの暖冬で花芽が早く育って鳥の動きが変わっているように思える。エサ台のエサもあと1か月くらいで終わりかな、季節は転がるようにして春を走り抜けようとしている。

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2007年2月25日 (日)

つくばの梅

Ume2  いつもは恐ろしく出遅れる庭のウメが5輪花開いた。ここでのウメ開花だ。本当に今年の春は早い。調べてみると2月初めから今日までの気温は平年に対し平均で3.2°も高い。もしこのままでいくとして温度変換日数法で推算すると桜開花は宇都宮では3月20日(平年は4月3日)にもなってしまう。まさかとは思うが、うめの早さをみているとあながち全くないともいえない。春を早めに楽しめることを素直に喜ぶべきなのだろう、温暖化が不愉快なんて贅沢は言えない。

いい日和となった。国立新美術館にしようか梅にしようか迷ったが、せっかくだからと梅見に出かけた。水戸の偕楽園はいつも行っていて、人混みにもまれる恐れを感じて、今年は筑波山梅園にしてみた。有名ではあるが行ったことがない、絶好の日和で、ちょうどいい距離だ。鳥も何かはいるかもしれない。

さすがに駐車場はあふれていたが途中は大した混雑もなくすんなり到着、筑波山神社入口横の駐車場から山沿いの道を歩いて梅園に向かう。日光の山とは木の感じが大分違う、常緑広葉樹が目に付き南方系の雰囲気がUmetuk1 漂っている。梅の具合はは予想以上に良かった。長い斜面なので全部は満開ではないが、紅梅白梅とも何処かの高度では満開になっている、気持ちよい、歩いている人も、梅の品に感化されて、のんびりしている。それに東京の高層ビルが遙かに霞む広々とした眺めも良い。がまの油売りの声もゆったりしている。偕楽園の梅をみている群衆はいつももっとざわざわして、ここよりせわしない。偕楽園のように銘木はないけれどもここの方が梅との距離が近い、物理的にも感覚的にも。

余韻を残して梅園を後にした。

行けるときには何処へでも行っておかなければと思う。今のこの時は空中に次々と吸い込まれて消えていき決して2度とは戻らないのだけれども。

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2007年2月21日 (水)

シャガールからヤマトに思いを巡らせて

Img シャガール展というのが近くの美術館でやっていてたまには絵もと出かけたがこれがなかなかすごい。時代を追って順々に観て行きながら、シャガールはさまよえるユダヤ人だった、と繰り返し感じる。ドイツに残されていた絵はヒトラーに焼かれてさえいた。シュールレアリズムな描き方とは別にやはり絵の職人でもあった、求められればキリスト教の天井絵もえがいた。シャガールといえば個人的体験が凝縮された絵か浮かんでくるがそればかりではなかった。モーゼの出エジプト記を繰り返し描いている、アイデンティティを求め続けたのだろうか。ユダヤの血の濃さを感じてしまう。現実の濃さでなく伝えてきた文化の濃さを。

ヤマトはどうなんだろう、古事記があのようにまとまって口実筆記されて今の世までに伝えられてきているのが気になっていて、時々解説した本を読んでみたくなる。現在の日本人の原型は遺伝子上はバイカル湖付近の民族と関係が深いらしい。ところが、例えば 工藤隆著の“古事記の起源”によれば、古事記に記載されている話は概ね南方起源のもので文化的には南方と密に関わっている様だ。黒潮の流れも関係しているのだろう。海幸彦山幸彦の話はインドネシアによく似た話が存在していて、関係があるとしか思えない。歌垣も中国南部雲南省に今も残っていて、このあたりの文化とのつながりはかなりのものがあるようだ。面白いのは12支の“い”は日本ではイノシシだが他の国では豚をさし、東アジアの日本以外の国では豚を飼う文化が営々と続いてきている。漢字の家のつくりは豚を意味しており、中国では排泄物を食べる豚は家の一部だったとも言われる。日本では縄文ではイノシシを狩猟していて豚は飼っていなかった、弥生時代にはどうやら豚が飼われたらしいが更にそれ以降は豚を飼うことを止めている。僅かに沖縄にだけ豚を飼う習慣が残った。

これらは何を意味するのだろうか。弥生人は大陸北方から鉄を使う文化と共にやってきて縄文人を追いやった、が、文化的には南方から渡来した文化と縄文の文化に圧倒されるところが多々あり折り合いを付けて日本を支配するようになったのではなかろうか。神社に感じるキリリとした空気と豚はどこか合わない、これを一時は折り合いつけてきたかと思うとそう簡単な歴史でもなさそうだ。考えていくと面白くなる。日本語の起源もアルタイ系、南島語系、諸説有るが文化や人種的にも混ざっているようで、混然としていることがヤマトの中に流れている本質のような気がしてくる。ユダヤとは対極にあるようだ。

シャガールからヤマトに思いを巡らせて時空に遊ぶ、ちょっと重いがそれはそれで、広がっていく意識が楽しくもある。

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2007年2月18日 (日)

オジロワシが奥日光に

Ojirw1 オジロワシが奥日光に冬の間来るというのは聞いていたが見たことがなかった、オオワシには出会うのだが、オジロワシとはどんなんだろう、オオワシよりは精悍に違いない、勝手にそう思っていた。

低気圧がやっと抜けて青空が見え始めた中禅寺湖畔の一番高い木にオジロワシがとまっていた。オオワシがとまったことのある木のような思えた。好きな木は同じ様だ。同じ様な環境になじんでいるのだからそうなのだろうけれども、何かあっけない思いがした。精悍と言うより洒落た雰囲気があった。わざわざ流氷の彼方からここまで飛んでくるのには何があるのだろうか、脊梁山脈のウエーブをうまく利用したソアリングで飛んでくるのかもしれない、もしかしたらそれが面白Oji2r いことなのかもしれない。

季節は巡りもう春がそこまで来ている。

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2007年2月14日 (水)

海辺の春

水星をやっと見た。水星を見ることなくして一生を終える人が多いと聞いた。そうなるところだった。肉眼では見えないというのも変な気がしたが現実だからしょうがない、金星の斜め右下にひっそりと双眼鏡の中に浮かんできた。

思い立って、早春の海が見たくて大洗へ向かった。栃木には無論海がない。暫く海を見ないと何となく息が詰まってくる。海風が懐かしいのもあるが多分その向こうに広がる世界を感じさせる開けた感触が引きつけるのだろう。
海への道は思いの外混んでいた。こんなに2月の海に引きつけられる人が多いのだろうか、解せない思いでノロノロと走っていった。所沢や横浜のナンバーが多い。海辺のアウトレットショップや水族館のせいらしい。
浜には6-7羽のセグロカモメが飛んだり休んだりしていた。写真を暫く撮っていたがそのSgr5 うち撮られるセグロカモメがポーズをしているように思えてきた。風に向かって飛び出しては対地的には浮かんでるようにして色んな飛び姿を見せてくれる。ずーとそんな風にカモメと戯れていた。
Segr1_1 セグロカモメも仲間内で威嚇するような鳴き方をする時があって、その姿は恐竜のミニチュア版に見える。時々はっとしてセグロカモメの別の必死さを感じる。

ただそれだけのことだけれども、春を感じていた。太平洋の波が今日はゆるくて、浜の貝殻が綺麗で、潮風が、強くなったり止んだりまた吹いてきたり、春がにおってくる。

帰りもいやましに混んでいる。関東平野の横断道路はどうしてこうも整備が遅れてしまったのだろう、高名政治家を数多く輩出している群馬は海に繋がる道にそれ程執心しなかったのだろうか。かなり奇妙だ。それが北関東の政治風土なんだろう。

水星と北関東と何か似ているようなところを感じさせる、輝いてもいいはずなのにどこか影が薄い。海を感じさせる街はずれでぶつぶついいながら渋滞にもまれる、春だ。

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2007年2月 8日 (木)

だれかの手の中で踊らされている人類という種

Onag2 このあいだ羽田沼に行ったときにオナガガモの飛行を幾つか写真に撮ってきた、あとで見直してみると、池にはうんざりするほど浮かんでいるオナガだが飛翔の姿は綺麗だ。鳥は飛ぶところに真の美しさがにじみ出る、それが存在理由のように見えてくる。

石油や石炭は化石燃料といわれる。大昔、生い茂っていた木々や、海中に堆積してきたプランクトンの死骸が石炭や石油になっていった。植物プランクトンは海中の生物ピラミッドの最底辺を支えている、その意味で石油の元も植物だ。一方、近頃の、バイオ燃料はCO2にニュートラルという考え方で扱われている、これは京都議定書にも含まれているらしいが、すなわち植物が生成されるときに空気中のCO2を固着させた結果燃料の元が出来たのだからこれを空気中に燃やして放出するのは単に戻すだけだから自然に対してニュートラル という考え方だ。これからすると、石炭や石油もバイオ燃料であり、これを燃やしても太古に戻るだけ、ということになる。奇妙な気がするが、恐らくこの考え方はそんなに間違っていないように思う。太古の地球は大気がもっと濃いCO2で温暖だったのが非常に長い時間をかけて植物の力でCO2が固定化され地中に埋められた、この結果段々地球は寒冷化してきて大きな動物が住みにくくなり人間のような小型の動物の天下になった、というのではなかろうか。とすれば、産業革命以来人類がエネルギー源としてとして無尽蔵にもみえた化石燃料を掘り出して燃やし続けているのは、まさにパンドラの箱を人類が開封したことに等しいように思える。ここまで地球を人類にとって住み易くしてきたCO2の地中固定化である石炭や石油を一気に空中に解放すれば元の木阿弥で人類が圧倒されてしまう大型の生物が跋扈する温暖な地球が再び姿を現すのことになるのではなかろうか。だれかの手の中で踊らされている人類という種を感じてしまう。

CO2対策を必死に続けて乗り切れるかもしれない。しかし太古の温暖な地球というのも案外魅力的な気がしてくる、人類の存在がそれ程価値があることなのだろうか、とも考えてしまう。

鳥は飛ぶことで 生存に適した気候を地球上から自由に選び、寒冷化しつつある地球の環境変化を乗り切って恐竜時代から生き延びた。さて人類はどう変化するだろうか。

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2007年2月 7日 (水)

インド洋ダイポール

JSバッハの平均律クラヴィーア曲集・前奏曲とフーガが絶え間なく流れてくる。ギターでも聞いたこともある様な気がする。直方体の重なりのように、角をしっかりと持ってそれでいてやさしい響きがある。ずっと浸っていたい感覚に陥る

IODという現象があることを最近知った。インド洋ダイポール(インディアン・オーシャン・ダイポールIndian Ocean Dipole ):のことで、インド洋の西と東の海面温Rao_cloud_p 度に明らかな暖寒が交互に生じ、アフリカ東部とインドの気象に影響を及ぼす、というものだ。インド洋シーソーともいえる。インド洋の西が高く東が低いときは正のIODでアフリカ東部とインド北部は雨が多くなる。現在これが発生しているという。エルニーニョのインド洋版のようでエルニーニョとも関係があるらしい。このことは、たまたまラジオでケニアの現地に住む日本人の電話による話題提供として流されていたのを聞いて知ったのだが、話題提供者は気象の専門家でなくて普通の人で、現地ではIODが日常の話題になっていることを感じさせた。クルマでちょっと出かけた帰り道に何となく聞いていたのを、帰って切れ切れの記憶からインターネットで検索していくと段々解ってきた。本当に便利な世の中になった。
正のIODが起こると日本のすぐ南の海域の温度も上がる様で、ちょうど現在起こっている日本近海の海温上昇とも符合する。エルニー ニョもそうだがこのIODも相当長い期間に渡って周期的に発生している。
Anomnight112007 米国NOAAの世界の海面温度のデータを見ると北極の海温上昇がこのところ特に目立つ。北極の氷が急速に溶けているという話はあちこちで聞く。そうはいっても全海洋の温度が上がっているわけでなく東太平洋なんかは広い範囲で温度が下がっている。明らかに周期的現象だから今年の暖かい冬も少し長い目でみなければいけないような気がするが、それにしても随分な暖冬だ。
しかし本日現在個人的に気になるのはからからの冬だ、乾きすぎだ。呼吸器が痛めつけられる。

しょせん地球の営みにはかなわない、乾きにはやさしい調べが心地よい。

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2007年2月 5日 (月)

ヒレンジャクを探しに

この間赤城までヒレンジャクを探しに行ったが会えずじまいでやはり気になKaki っているので近場の県民の森に出かけることにした。県内ではここが確率が高いと教わった気がしている。

ミニゴリラというカーナビを買ってみたので色々出かけてどう案内するのか見てみたいのもある。味気ないように思っていたがルート検索ソフトも必死に動いているのでなんとか使ってやりたい。普通行く道順とは大分違うけれども、指し示した道順でとにかく行ってみることにする。天気は良く晴れて からからだ。宇都宮インター近くから293号に導かれる。普段使う道よりすいていて走りやすい、カーナビも馬鹿に出来ないな。

尚仁沢に向かう小道を右へ折れて、思いの外楽に到着した。駐車場にはクルマが1台あるだけで静かだ。駐車場から沢に沿った遊歩道に下りて行くが、なんとなく居そうにない気がしてスコープはクルマに置いていく、これがいけないのかもしれない。散策路を上流に向かって歩く。何も居ない。冬の落葉樹林には実もなくてカラ類さえもでてこない。しかし風もなく天気も良くて気持ちがいい。見上げると針のように細い小枝が繊細な風景を作り出している。時々かすかに高い声が聞こえる気がして、ゆるやかな時間の流れにひたる、なにもでなくても構わない様に思えてくる。

ヤドリギが付いた木を見つけては暫く待ってみるが何も来ない。前からスコープを抱えた夫婦が下りてくるので すれ違いざまに、ヒレンジャク居ますか、と声をかける。見ないけれども案内所の連絡板に21日にヒレンジャクが出たとあったと教えてくれる、やっぱり来てはいるんだ。こちらは何も居ないというとがっかりして行ってしまった。沢の小道から舗装路に上がったあたりにヤドリギがたくさんついた立派なコナラがあった、ヤドリギには実が無いようにも見える、ヤドリギなんて九州では見たことがなかった 北のものなんだろうか、そんなことを話しながらとにかく木の下で待ってみる。やっぱり来ない、あたりをぶらぶらしていると鳥の気配有り、アカゲラだ。どこかほっとする。メタセコイヤなんかを見ながらゆっくり下っていくと、大きなイヌブナにたくさんヤドリギが付いているのを見つけて暫くみているがやはり居ない。シジュウカラがエサ台に群れている案内所に着いて連絡板を見たりしていると奥から人が出てきて、ヒレンジャクを1-2羽見たという人が今日もいた、写真も撮ったらしい、ブナとコナラの間を行ったり来たりしてるみたいだ、と教えてくれる。それでは、と引き返してみるが、やはりいない。1-2羽では群からはぐれたのだろうか、食べ物の少ないこの時期には鳥も必死なんだろう、都合良く現れなくともしかたがない気がしてくる。

帰り道、羽田沼まで足を延ばしてハクチョウの様子をみてみる、いつもの風景で鳥も人も多い。エサを与えないで、と注意書きがある横で 守る会 の上着を着た人がエサを蒔いている。勝手にやるな、ということなんだろう、エHakucy サがもらえるから鳥も来るんだろう。

しばらく見て引き上げる、帰りはナビの指示は全て無視していつも使っている道を走る。そのうちにナビの指示もこちらの積もりに合ってくる。

そうかエサ台か。庭の木に置いていたエサ台が無くなって久しい、これは作ってやらねば。エサをもらって野生を段々失うのかもしれない、しかし飢えた野生を楽しむ人間は残酷だ、いつくしみがない。とにかく少しは見栄えのいいエサ台を急いで作って庭に刺してみた。そのうち食べに来てくれればいい、スズメであれシジュウカラであれジョウビタキSbko であれ。

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