ヒレンジャクに出会う
早春からヒレンジャクを探してあちこち探訪してきたが、ついに出会えた。宇都宮市内の河原だった。あちこち行かずとも結局近くで遭遇できたことになる。雨が降り始めたところが良かったのではないか、勝手にそう思っている。CDで聞いていたピリピリという声はもっとにぎやかか、と思っていたが、本物にでくわすと、どちらかというと、かすかなヒリヒリという声、というのが相応しかった。やはりバーチャルなデータでは限りがある。ひたすら 群れになってレンジャクのなる木を現出して移動していくさまを夢
中で追いかける。双眼鏡で追う、とまったところをスコープでしばらくみる、写真を写す、録音する、相変わらず忙しい。時折地面に降りて何か食べている。枯れた草本の黒い実を食べているようだ。考えてみれば当然だがレンジャクはヤドリギの実だけに来るのではない、ここにはほんとに小さなヤドリギが一つあるだけだ、こんなもの目当てに集まってくるとはとても思えない、どうやらこの草の実も魅力の一つのようだ。ヒレンジャクの学名がBombycilla japonicaというのだから日本ではじめて認識された鳥なんだろうが、冬鳥だ、これからどこまで帰るのだろうか、次はいつ出会えるだろうか。
河原はいい、しかしどこかもろい。藪と潅木と柳と水路のあるちょっと見た目には荒れた河原が野鳥の 楽園となるのだが、これが次々に失われてきている。身近では日光大谷川の河原は片っ端から整備されて、無残な公園に姿を変えつつある。とても自然との調和などありはしない。こんなことに多額の税金を注ぎ込むなんてどうかしている。こういうのを見ていると、やはり勝手に振舞う人類は滅びるべく自らをそう仕向けている、そう思えてくる。勝手な振る舞いがもたらす温暖化は緩めることは出来てもとめることは出来ない。人類が滅べばまた平和な地球が保たれるのだろう、これはしょうがないな。
河原を彷徨して野鳥の姿を追う、当たり前のことのように思っていたが、出来るうちにやっておくべきことのように思えてきて こだわりたくなってくる。
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