大気の流れが光に陰影を与え
千島列島あたりの上空に、北太平洋から上がっていった温度の高い大気の塊が取り残されたように居座っていて、その西側から寒気を日本付近に南下させている。しばらくこの形が固着していて気象衛星画像でも右上に楕円形の下半分がいつもとろりと姿を見せている。これが消えれば春らしい菜種梅雨の季節になるのではないか。それにしても日本の上には乾いているようでも薄いベールのような湿りが絶えず送られてきているようにみえる。
昨日東京に出たついでに上野でオルセー美術館展を見てきた。オルセーは数年前の欧州旅行でルーブルの後に回ったが、飛行機の時間が迫り、中をとにかく駆け巡るだけで時間切れとなってしまって主要な展示物を見逃した苦い思い出がある。勉強不足もあった。今回も閉館時間30分前で一旦は閉まった切符売り場を、駆け込んだのを見かねた親切な係りの方が開けてくれてようやく入れた、似たような情景がまた起こったが、勿論パリに較べれば遥かに限られた展示なので、入ってしまえばとにかく見れる。日中の混雑も無くてかえって見やすい気もする。しかし、どうもオルセーは時間との勝負になる、2度あることは3度ありそうな気がしてくる。またパリへ行けるのはいつのことになるやら、とは思うのだけれども。
懐かしい思いがする絵が並ぶ、多分現物を見るのははじめての絵ばかりのはずだがどこかで画像に接したことがあるのか、もしかしたらパリで駆け抜けたときチラリとみたのかもしれない。マネとその弟、ベルトモリゾ、ルノワール、バジールを取り巻く人間模様がうっすら見えて、絵そのものもあるが、その時代のその場の雰囲気が伝わってくるようなところがいい。ゴッホの有名な黄色い部屋の絵もある。明るい、こうまで明るい絵とは思っていなかった。ヨーロッパに行くたびに感じるのだが印象派もキュビズムも、単に見えているものを描いているに過ぎない、風景と光が日本とは明らかに違う。いわゆる印象派の変革は技法というのではなく単に素直な心になってきて目の前に折り重なる多色の光を普通に感じるようになってきただけなのではなかろうか。もともとの光がどこか湿気ている日本ではこんな絵は生まれてこなかったのではなかろうか、浮世絵が版画特有のそのめりはりでヨーロッパに明らかな影響を与えたとはいえ。色々感じてしまう。
大気の流れが光に陰影を与え感じ方にも及んでくるのを避けることは出来ない。単なる物理法則に従っているだけなのに、といつも思う。
繰り返す閉館時間の声に押され、あわただしくグッズショップで買い物をして会場をあとにした。春分がまじかだ。上野は夕闇とはいえないまだ明るい光の中で、ざわざわとしながら週末の夜を迎えようとしていた。
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