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2007年4月24日 (火)

形が見えなくて、時と共に価値を失っていくもの

UWSCという、パソコンの処理プロセスの自動化ソフトがあることを教えてもらって、ダウンロードしてとにかくサンプルを動かしてみたが、これが難解。アメダスWebページから過去Fuyou2 のある日の全国の地点データを次々にファイルに読み込むことが当面の目標だがまだどのようにとりつくのか解らない、しかし、自動化のやり口をマスターできれば楽になることは多そうだ。ぼちぼち進めてみよう。
コンピュータのプログラムはFortranから入りBasicもいくつか作ってみたが、Basicはパソコンにはついてこなくなったのでもうできない。visual basic でもいくつか作ってみたが、面倒になって動かさなくなるとすぐに忘れていく。

自分の作ったプログラムはどこへ行ったのか、無駄な不良資産の束になってしまったのか、プログラムとは所詮は “関係” をつなげているだけで時がたてばあらゆるものは時空に吸い込まれて消えてしまう。しかし結局は無に帰するとは解っていても、動くものを作ることは面白い。アートではないがクラフトに通じるものがある。"面白さ”のひとつの形がそこにあるように思える。

岩井克人さんの書き物をたまたまウエブ上で見つけて([あらためて「会社とは何か」])読んでみたら、感じること多々あり。会社というものは一体何なんだろうか、を非常に本質的に攻めている、語っている。そもそも物なんだ、これを擬人化して法人にしているが物なんだ、この物が、会社に働く人を支配している、少し無理があるしくみだ、そうなんだ。会社のコアとは一体なんだろう。会社の中だけでしか役に立たない、会社以外では価値の無い組織特殊的人的資産は会社の存続と密接に関わっている、これは売り買いできない、コアといってもいいのだろう。…..どうもコアとはきれいな目に見える形のあるものではなく生物的な有機的なものらしい。これが失われると別の会社になってしまう、衰退してしまうかもしれない。経営者は会社というものを人らしく操る人形浄瑠璃の黒子なんで、そこには簡単な法律で扱えない関係が生じる。ある意味で“アート”な関係になる。いちいち、そうか、と思ってしまう。

勿論会社は株主のものだけではなく社会的存在だ、利益を上げることが唯一の目的ではなく社会を形つくることにも存在理由がある、これはもう10年前からいわれてきたことだ、しかしこれすら、いまだ共通の認識になっているとはいえない。
SOX法が施行されることになり会社のお金の面の全てがデジタルに露になろうとしている。これで、デジタルになることとそうでないことのふるいわけが次第に進み、もう少し会社とは一体何なのか、理解が進んでいくような気がしている。

形が見えなくて、時と共に価値を失っていくもの、そんなものが、なにか普遍的なコアになっていて、社会を成り立たせているのかな、関係、が結局コアなんだろうか、考えてしまう。

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2007年4月21日 (土)

里山の春が流れていくのを

急転直下ずいぶSsibaん暖かくなった。こんなものだ。暖かいほうがやはり過ごしやすい。のんびり鶴田沼を歩いていたら、鳥が多い。おまけに、ツウイーと声がして見上げるとサシバが2羽舞っている。声が少し柔らかで、切り裂くような感じではない。渡ったばかりなのだろうか、尾翼がすこし不揃いになっている。こんなときに限って録音レコーダーがない、家に おいてきてしまった。肝心なときに肝心なものがない、マーフィーの法則そのままだ、いつまでたってもマーフィーだ。

シロハラが落ち葉の下をひたすらつついている、シュレーゲルがコロコロ鳴いている、ツグミがまだ渡りそうも無い雰囲気で木々の枝をとびかっている、キジがあちこちの方向からケッケーンと大きな声を立てSirhr る、シジュウカラがクチュクチュ飛び回っている。こんな日はぼんやり座って里山の春が流れていくのを感じているのがいい。

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2007年4月20日 (金)

オオソリハシシギの渡り

昼休み散歩をしていると このところツグミが芝生で遠くを見つめている。今年は数が多い。この季節増えてくるのは朝鮮半島に戻る間のひとときのことだと思うが、とにかく餌を探すでもなく、遠くをみるように顔を上げて前を見つめている。短い渡りだから、準備も大して要らないと思える。見つめる姿が不思議だ。
Migratio 渡り、というとなんといってもオオソリハシシギの10000km無着陸飛行が近頃の話題だ。ニュージーランドの北島コロマンデル半島を3月17日の深夜に離陸した発信機を付けた1群が丁度1週間後に中国黄海の山東半島と北朝鮮に着陸した、無着陸の飛行だ、平均時速は54kmというから、どうみても途中での道草は無い。それにしても信じられない、なにしろ飲まず食わずで飛び続ける、たかだか3-400grの鳥だ。

どうなっているのだろうか、ありそうなことなのか数字で追ってみる。プロペラ機の航続距離計算式が基本的に使えるはずだから、これを使ってみる。エネルギー源の脂肪は1grで30kjouleの熱量が出せる。式はプロペラ機の航続距離R(nm)=145.8*ηp*L/D/bj*ln(w/(w-wf))で、単位をあわせて値を入れてみる。ηpは飛行機ではプロペラ効率で、鳥のは解らないが、ここでは発生熱量が実際の仕事に変わる分の効率全部を持たせてしまSorihsx う、0.25としている本もあるのだがちょっとかわいそうなんで0.3にしてしま う。bjは馬力あた り時間当たりの消費燃料重量(kg)だが、脂肪は1grで30kjouleの熱量を出すから、bjとしては1/(30000/750)*3600/1000 =0.09 kg/HP/hrとなる。L/Dは10とする、若干大きめだがいいところではないか、これでR=10500km=10500*0.54=5670nmにみあうwf/wを求めると、wf/w=0.7がいい値になる。即ち、離陸重量の70%に当たる脂肪を燃やして飛び続ければ10500km飛べることになる。ほんとだろうかと飛び立つ前と到着した様を見たくなる。しかしありそうな値だ。
070423 恐らく飛び始めたら止められない、取り付かれたように飛ぶ、ニュージーランドから北上し、東よりの貿易風に乗った後太平洋の高気圧の西端を回るような風に乗って極東にたどりついたのだろう、向かい風では長距離はきつい。
しかし、眠りながら飛ぶのだろうか、水は雨を飲むのだろうか、よく解らない。
とにかくこうやってオオソリハシシギは地球の春と秋をひろっていく。贅沢な暮らしのようにも思えてくる。
アラスカで生まれた子供は無事ニュージーランドまで帰りつけるだろうか。人間にはとても出来ない、人間が地球上で最も優れている生物だと思い込んではいけない。今の繁栄は30億年の地球の歴史のたまたまの一こまと思うべきではないか。

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2007年4月18日 (水)

春はどこへ行 ったのか

春はどこへ行Kion071 ったのか、花も散ったがはなびえは続く。世界的に見ても日本だけが寒いわけでもなくアメリカ東海岸もかなり寒い。

図は宇都宮の3,4月の気温推移の平年比較だが、これをみると、この時期このくらいはおかしくもない、平年のまわりをばたばたしている程度で今までがエルニーニョのせいもあり、暖かすぎたということのようだ。この先はどうなのだろうか、ペルー沖の海水温はこのところ低くなってきていてこのままラニャーニャに移行しそうにみえる、そうなると、今の東日本の低温、多雨傾向はAnomnight4172007まだしばらく続くことになる。エルニーニョ・ラニャーニャは今まで繰り返し起こっていることであり、この程度の変動は異常ともいえない、当たり前の自然の姿と思う。
低温になると温暖化の話題も下火だが、マスコミの取り上げ方を見ていると近頃は少しの変化にも敏感になっているように思える。

気候変動の原因は、CO2もあるが、オゾン層破壊もありうる。オゾン層が破壊されていくと高層のオゾン層による太陽光の吸収がなくなり、熱圏も成層圏も消失して大気全体の構造が 変わってしまう、上空に寒気がいつも居ることになって大気が不安定化しやすくなるだろう。今のところオゾンホールは極地の春に数ヶ月出現するだけだが、次第に大きくなっているようにも見える。CO2ばかりに注意を集中しているのも少し危険な気がする。
いずれにせよ、条件が変わって変動する気候は自然の法則から当然なのだが、これが気に入らないと思うのは人類のエゴイズムではないかと思える。変動する自然をねじふせようとせず、折り合わなければ、結局は人類は存在しづらくなる、これはどうしようもないことだ。海岸線が前進すれば奥地に住み、暑くなれば涼しいところを求めて住む、今住んでいるところにこだわっていては自然とは折り合えない。
一瞬一瞬の現実はもう戻らない、過去が未来になだらかにつながると考えるのは幻想でしかないのではなかろうか。

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2007年4月12日 (木)

Wiiがやっと

Photo2 前から買わねばと思っていていつも売り切れ状態だったWiiだが、もしや、と思って今日帰りしなにヨドバシ宇都宮に電話したら、丁度入荷した との明るい声が返ってきた。とにかく勇んで駆けつけてやっと手にすることが出来た。価格は定価で割引は無いがポイントが付くのでソフトは格安で買えた。まだ ボーリングなんかで試しに遊んでみただけだが、結構いい運動になる、コントローラを振る手に力がこもってくる。しばらくは楽しめそうだ。無線LANで簡単にインターネットに接続も出来るのもいい。自分のHPを出してみたりもしてみたが、テレビで見るには写真が多くて字が少ないページが見やすい事なんかもすぐにわかって、これからもこの線で行くか、と少しばかり心を強くした。確かに新しいエンターテインメント道具だ。

Wiiも世の中に出てもう大分たつから、今更、とも思うが、とにかくはやりものは面白い。少しばかり薄っぺらな遊びになるのが今様な気もしてくる。こんなことしていると本当に時間を失ってしまうがそれも仕方がない。生きているということは時間を失い続けることかもしれない。

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2007年4月11日 (水)

アメリア・イアハート

最近ふとアメリア・イアハートの名前をニュースの隅で見つけて、まだ捜し続けているのかと半ばあきれて、昔買ったアメリアにちなんで出されたPlainsong  "IN SEARCH OF AMELIA EARHART"なぞというレコードのほこりを払ったりもして少し調べなおしてみた。

Ameliapic アメリア・イアハート(エアハルト)というと航空機に興味のある人なら一度は聞いた名前と思う、戦前に世界一周飛行を行っている途中で太平洋上で行方不明になった米国の女流飛行家だ。飛行家、というのがいい。なりたくてもなかなかなれるものではない、今の時代にはもう絶滅したのかもしれない。エアラインのパイロットでもないし戦闘機のパイロットでもない、しかしプロフェッショナルな冒険に挑みうるパイロットとの響きがある、グライダーのようなスポーツ航空ともまた違う。その女流飛行家のイアハートの消息を今も追及している人たちが大勢いる。
1937年、悪化する国際状況下、米国西海岸を離陸して東回りで世界一周中、ニューギニアから太平洋横断に入ったイアハートは南太平洋で消息を絶つ。日本軍に捕まった、との説が割合広く信じられていたように思うが日本側には記録が一切無い、どうもそうではないらしい。燃料切れで不時着水して亡くなった、というのが一番ありそうに思える。しかし最近新たな資料――到着予定のハウランド島で待っていた若いAPのアルバイト記者の日記――が発見され、通信内容が記されていて、機体は殆ど目的地付近に到達していたとみられること、また着陸後しばらくの間、短波でディストレスコールとされる発信を行い米国のアマチュア無線愛好の複数の(当時の)若者がこれを聞いていたと証言していること、から、無人島に不時着してしばらくは生存していたとする可能性が高まってきている。この夏に米国のNPOが捜索船を出すらしい、これがニュースとして短く報道された。

イアハートはリンドバークより早く、単独ではないが大西洋横断飛行を果たし、更にリンドバークの後初の女性単独大西洋横断飛行に成功した。その後、ハワイーカルフォルニアの初の単独飛行にも成功して女性の地位向上にも大きな役割を果たしたといわれる。アメリカの英雄の一人といえる。
心の平和を与える代償として人生が要求するのは、勇気である   という言葉も残している。

こんなことを調べているとまた飛行することに対して心が動くのを感じる。飛び上がると別にロマンも何もないのだが離れていると時々戻りたくなる。そこに何があるのだろうか。幻想だけが人を動かしうるのかもしれない。

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2007年4月 8日 (日)

春は忙しくて

Nanhn 旗川沿いのナノハナを久しぶりに見に行った。土手を越えると満開で黄色に溢れた河原が現出していた。一面に香りが漂っている。雲雀が思わぬ時に道からとびたち、カイツブリの声がかすかに流れてくる。のんびりしている。カントウタンポポが群落を作っていて、ベニシジミがひらひら飛び回ってもいる。キジも道に突然出てきたり、背中の青い中型の鳥が潅木から飛び去ったり、春らしく、鳥も忙しい。

 渡良瀬川支流の旗川は小さい川でやぶのある河原が残って

Knttam Kiji07 いる、が、護岸工事も行われていて次第に姿を変えつつある。ここも時間の問題か。

帰りには太平山麓の大山寺のいわしだれざくらにも寄ってみる、散り始めているがまだ間に合った。

Snroy 春は桜を巡ってめでるのが楽しいのだけれども、そればかりではない、ナノハナに埋もれるのも、アカヤシオに心を躍らせるのも、やらなければならないようにせきたてられて、疲れてくる、けだるくなってくる。春は忙しいけれど、眺めながらぼんやり過ごす日々のほうが似つかわしいのかもしれない。そうはいっても、動けなくなるまで動き回るのはまだやめられそうにない。

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2007年4月 4日 (水)

美しい夕日はその時その時だけのものだけれど

Yuuhi 高層の季節外れとも言える冷気が低い高度まで降りてきたようで中層に厚い雲を広がらせていた夕方、どきりとするほど美しい夕日が雲の下に下りてきた。夕日に向かって車を走らせながら見つめるでもなし見てこの風景は覚えておかねばならないように思っていた。近頃は何気なく目に留まるものが気になる。

西行桜というのが湯津上にあるというので見に行った。しだれざくらで丁度満開だ。800年の古木にしてはよく咲いている。風情がある。
西行がこの桜の木を詠んだ歌として
盛りには などSaigyか若葉は今とても 心ひかるる糸桜かな
が伝えられている。これは花が散った後歌ったのだろうか、いまひとつぴんとこない歌だがとにかく西行だ。糸桜というと西行が好きのような気がする。
 芭蕉は、奥の細道で西行の後をたどったといわれるが遊行柳には訪れてもここには立ち寄っていない。芭蕉がここらを通過したのは初夏で桜の季節はとうにすぎていたからかもしれない、しかし少し くらいは触れてもよさそうなのに何も無いというのは少々気になる。西行がこの桜を詠んだというのも本当だろうか、とさえ思ってしまう。
とはいえ、とにかく西行もこのあたりを歩んで北へ向かったのは間違いないのだから、詮索するのはつまらない。桜そのものはそんなこととは関わり無く、長い年月ひたすら花をつけ人の心に春を送ってくれている、それで十分のように思える。

美しい夕日はその時その時だけのもので流れ去っていくが、道の石にも樹木にも時の流れは刻み込まれていてその重なりが存在の重さをにじませている、時々それを感じてしまう。

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