形が見えなくて、時と共に価値を失っていくもの
UWSCという、パソコンの処理プロセスの自動化ソフトがあることを教えてもらって、ダウンロードしてとにかくサンプルを動かしてみたが、これが難解。アメダスWebページから過去 のある日の全国の地点データを次々にファイルに読み込むことが当面の目標だがまだどのようにとりつくのか解らない、しかし、自動化のやり口をマスターできれば楽になることは多そうだ。ぼちぼち進めてみよう。
コンピュータのプログラムはFortranから入りBasicもいくつか作ってみたが、Basicはパソコンにはついてこなくなったのでもうできない。visual basic でもいくつか作ってみたが、面倒になって動かさなくなるとすぐに忘れていく。
自分の作ったプログラムはどこへ行ったのか、無駄な不良資産の束になってしまったのか、プログラムとは所詮は “関係” をつなげているだけで時がたてばあらゆるものは時空に吸い込まれて消えてしまう。しかし結局は無に帰するとは解っていても、動くものを作ることは面白い。アートではないがクラフトに通じるものがある。"面白さ”のひとつの形がそこにあるように思える。
岩井克人さんの書き物をたまたまウエブ上で見つけて([あらためて「会社とは何か」])読んでみたら、感じること多々あり。会社というものは一体何なんだろうか、を非常に本質的に攻めている、語っている。そもそも物なんだ、これを擬人化して法人にしているが物なんだ、この物が、会社に働く人を支配している、少し無理があるしくみだ、そうなんだ。会社のコアとは一体なんだろう。会社の中だけでしか役に立たない、会社以外では価値の無い組織特殊的人的資産は会社の存続と密接に関わっている、これは売り買いできない、コアといってもいいのだろう。…..どうもコアとはきれいな目に見える形のあるものではなく生物的な有機的なものらしい。これが失われると別の会社になってしまう、衰退してしまうかもしれない。経営者は会社というものを人らしく操る人形浄瑠璃の黒子なんで、そこには簡単な法律で扱えない関係が生じる。ある意味で“アート”な関係になる。いちいち、そうか、と思ってしまう。
勿論会社は株主のものだけではなく社会的存在だ、利益を上げることが唯一の目的ではなく社会を形つくることにも存在理由がある、これはもう10年前からいわれてきたことだ、しかしこれすら、いまだ共通の認識になっているとはいえない。
SOX法が施行されることになり会社のお金の面の全てがデジタルに露になろうとしている。これで、デジタルになることとそうでないことのふるいわけが次第に進み、もう少し会社とは一体何なのか、理解が進んでいくような気がしている。
形が見えなくて、時と共に価値を失っていくもの、そんなものが、なにか普遍的なコアになっていて、社会を成り立たせているのかな、関係、が結局コアなんだろうか、考えてしまう。
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