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2007年5月31日 (木)

三宅は風の島だった

  三宅島はどんな鳥がいるのだろうか、にわか勉強しながら三宅島に行った。風が強い島だった。アメダスポイントが4箇所もあるのだが、帰ってそれぞれの記録を見直してみると、結局体感した風と近いのは三宅島空港Mykkz1_1ポイント(今は閉港中、図の三宅坪田)だけだった、他の3点は風のデータはどう考えても弱い、物陰に入っているようにしか思えない。
朝5時に島の三池港に着くと火山ガス高濃度地区の港で、無茶苦茶に風が強いにもかかわらずなにやらガスの気配がある。レベル3というからガスマスク着用状態のはずが誰も付けていない、港のおまわりさんすら付けていない、確かに湯元の泉源の方が余程臭いのだから付けないほうが常識的のような気がする。しかしこんなに風が強いのにガスの気配を感じるとは油断のならない島だ。山頂部からは噴煙がうっすらと出続けていているのだが地上の風と流れる向きが違う。島に大きな渦が張り付いているようだ。ともかく風の島だ。

レンタカー屋の用意してくれたのはブレーキの甘いアメ車と床下のカバーを引きずるようにしてやたらうるさいバンだった、島のレンタカーは結構いい商売のようだ、昔オーストラリアの砂漠に実験に行ったときレンタカーが足りなくておまけにせっかく借りたクルマを次々にカンガルーやエミューに衝突させて使える台数を減らしていった時のことを思い起こしてしまう、レンタカーがあるだけ有難いと思わなくてはならない。

離れ島なんで鳥は独自のもばかりのようにさえ思える。アカコッコ、なんでこんな名前がついたのか、名前が間が抜けている。要するにアカハラの三宅版だがシロコッコはいない。Akk アカハラだけがここへたどり着けたのだろうか、それともシロハラはここには合わなかったのだろうか。タネコマドリ。これはてっきり種子島特産かと思っていたが結構鳴いている。以前種子島へ行ったときは秋だったので、ここではじめてさえずりに出くわした。種子島と伊豆諸島とは黒潮つながりだ、黒潮にのった船で運ばれたのか飛んできたのか、とにかく黒潮だ。イイジマムシクイ、タイロ池の森に行くとまずはこればかりだ、メボソ的だったりセンダイ的だったりしていくつかの鳴き方で鳴いて確かにムシクイだと感じさせる。ムシといえば、ハスオビエダシャクなるシャクトリムシが大発生していて頭上の木から糸で下がってくる。油断ならないが、鳥にはいい餌だ。池に落ちれば魚も飛びついてくる。豊かな原始の森だ。ムシが葉をかじる音だろうか、パリパリという音が常に聞こえる、風もあり録音はなかなか気持ちよくは録れない、いろんな音に満ちているのがかえって原始の森にふさわしい気もしてくる。面白いのはウグイスだ、サビの部分がいかにも熱帯の森のような声を出す、ここだけ聞くととてもウグイスに思えない。ミヤケウグイスといいたくなるくらいだ。鳴き声の違いだけでは亜種ともいかないのだろうが。それにしても森が濃くてその上なぜか鳥の動きがすばやくて姿をなかなか映像に取れない。カラスバトもあちこちで声はするが滅多にじっとしてその緑かかった美しい姿を見せることはない。デジタルな道具はここではあまり役に立たない、風の音に混じった声を聞き一瞬の出会いを見つめるしかない。しかしそれで十分な気がする。なにしろ鳥の声に満ちている。

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森ばかりではない、風の吹きすさぶ伊豆岬の草原にはウチヤマセンニュウが飛び交う。こ れもよく見てないとすぐに草の中にもぐってしまう。メリケンキアシシギなどというシギが海辺の岩の上に座り込んでいる、これは見るのが楽だ、でも風が強い。
沖をオオミズナギドリがエンドレステープのようにひたすら列を成して海面をかすめながら左から右へと流れていく。一体何羽いるのか見当もつかない、これが全部御蔵島に集結するとは信じられない、御蔵島とはどんな島なんだろうか、行かなくては。

次第に疲れてくる。三宅島ではこんなに鳥が出るのにどうしても鳥を追ってしまう、何かせわしなくなる。やはり風だろうか。溶け込むようにして1日を無駄なように過ごすべきだった、そう思っている。何かが過剰な島だ、何なのだろう、わからない、しかしいい島だ。

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2007年5月21日 (月)

気になっていたダ・ヴィンチの絵が

東京で飲み会があるついでに、気になっていた国立博物館の特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」を見に行った。気になっていたのは、以前ウフィツ美術館に行ったとき、ダ・ヴィンチの「受胎告知」が、貸し出し中か修復中かで展示されておらず、ちょっとがっかりした思い出あり、見逃していたこの絵を見てみたいという気持ちがあったためだ。

 それなりに人は多かっDavinchたが十分鑑賞できるくらいの混み方だった。きれいによく描かれている、しかし貧しい大工の妻にしては なんと立派なマリアだろう、それにずいぶんな豪邸に住んでいる、左の天使の翼は固そうで飛べるとはとても思えない、20歳代前 半の作だから、まだダ・ヴィンチらしい暗喩は出てきていないように見える、それにしても何か間延びした絵のような気がした。

見終わって、この絵だけの特別会場から次の会場へ移っていったら、途中でビデオ映像による解説が大画面で流されている部屋があり、とにかく観てみた、まだ時間に余裕がある。

続けて流されていた3つの解説映像の内、受胎告知の絵について、興味深い解説があった。それは、この絵はある修道院の壁に掛けて右下の位置から眺められるということを計算に入れた遠近法で描かれている、正面からみておかしな感じのする間の抜けたような間合いは、右下から眺めると引き締まり辻褄の合った絵になっている、というのである。こんな遠近法というか描き方には思いが及ばなかった、でも確かにありそうだ。
こんな大事な解説は絵を見る前にやってほしい、ぶつくさいいながらも、とにかく急いで取って返して、もう一度みなおすことにした。絵の鑑賞は、右から左への一方通行で逆行できないし、再入場もできないようになってはいるが、出口からゆっくり入りなおしてじりじり逆行して絵の右側へ寄っていき、とにかくみなおした。確かにここからみると間延びした感じは消えうせ、横広の感じがした人物も引き締まり、建物の遠近法も不自然ではなくなる。しかしこんなことを考えて描かれた絵があるとは露ぞ知らなかった。若いとはいえ既に構図については考えつくして描くというダビンチらしい描き方が既に確立されていた、と思える。
 第2会場の展示には膨大な手稿のそのものやそのままの訳を期待していたが、全ては解釈されなおした現代の資料だった、ちょっと期待外れだった、本当は何と書いてあったのか、ダ・ヴィンチの息遣いを聞きたかったのだが。
 期待していなかった新しい発見と期待はずれの疲れるような展示とで、何かの食い違いだけが妙に心に残る出し物だった、でもとにかくフィレンツェで見逃した穴は埋められた。

新しい発見がひとつでもあればそれは偉大な1日といっていいのではないか、飲み会にはつきもののいつものけだるい感じをしゃべることで消していきながら、そんなことを考えていた。

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2007年5月18日 (金)

奥日光のアカヤシオ

今年は梅は早かったが奥日光のアカヤシオは少し遅れたように思う。4月以降平均Akayas1a_1 的には平年よりやや涼しかったのだろうか。男体山の雪も消え方が遅い。前の週末、歩くのが楽なアカヤシオのポイントはないかと考えて、半月峠への道の途中に車を置いて、茶ノ木平へ向かう縦走路を少し歩くことにした。中禅寺湖畔はオオヤマザクラが清楚な花をみせはじめて、いい季節だ。駐車場所から短いのぼりで稜線に上がるとしばらくはアカヤシオの林がところどころを明るくして続いていく。つぼみがまだ大分あるが色が濃くなかなか見ごたえがある。ヒガラが忙しく飛び交ってチュッチュクさえずっている、しばらくするとコガラもヒーハ-ハーとこれに加わる。いかにも春らしい。北関東の春だ。アカヤシオのような花は関西以西の山では見られない、せいぜいがミヤマキリシマくらいでこんな品はない。北に行くほど山の自然が美しい、何故だかよく解らないが、明らかな事実だ。葉の厚い常葉樹林が次第に減ってくるためだろうか。微妙な季節に反応する落葉樹林からその生き方が見るものに伝わってきて共感を覚えるためだろうか。変化が美しい。光と大気との対話が見えるようだ。

アカヤシオの林を過ぎると稜線も針葉樹で覆われなんだか普通の山になってしまう。もう一かたまりアカヤシオがあったような記憶で先へ先へと行くが行けども針葉樹、いい加減で引き返す。道は往復歩いたほうがいい、近頃そう思っている。行きに見えなかったものが帰りに見える。光も違う。

Fuji1a 帰りに今市の龍蔵寺の六尺藤を見て帰る。ここは入り口が細くて難しい、また行き過ぎてしまった。花は盛りだった。10年位前は花が殆どなく寂しい風情だったがよみがえっていた。樹齢百年は超えていよう。

時は流れても同じように咲き続けるわけではない、いつくしみと支えがあって花も長らえている。そうだよな、支えだよな、感じてしまう。

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2007年5月14日 (月)

今頃レンジャクが

Hiren1  またヒレンジャクに出会った。頭やら腹やらが黄色いのでキレンジャクかと思ったが、尾の先は赤くてヒレンジャクだった。黄色の面積のほうが多いのに、とは思ったが、そんな決まりなんだからしょうがない。キヒレンジャクといいたいくらいだ。一羽だけ大谷川公園に面した大谷川の河原の枯れ木にとまっていた。カメラを構える4-5人がやたらと連写のシャッター音を響かせているのを時々にらむが逃げない、70mくらいの距離だ。撮られているのを楽しんでいる風情さえある。みられているのは人間のほうか。もう十分、と感じた頃にそれが伝わって、ビービーという声を立てて飛び去ってしまった。まだ涼しい日も来るからそのうち渡ればいいやと思っているHiren_2 のだろう。山頂にはまだ雪も残っているし確かにあわてなくても良い,梅雨までには北へ動けばいいだけだ。

レンジャクレンジャクと思っていると現れてくれる、やはり心に固く思うことは実現するものなんだ、また実感してしまった。

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2007年5月13日 (日)

夜光雲という名前がよくて

夜光雲-Noctilucent Cloud-というのが地球規模の気候変動と関係があるらしい。高度80kmくらいの宇宙と大気圏の境目に漂う雲で、高緯度地域の夏に観測されている。宇宙ステーションからもしばしば確Yakoun 認されている。上空の光を浴びて夜間光って見えることからこの名がある。勿論氷の雲だが、そんな高度に水分が上がって行っているというのが不思議だ。19世紀にインドネシアのクラカトア火山が噴火したときに噴き上げた噴煙が地球をめぐり、このときに初めて夜光雲として観測されたという。噴火の力で噴出物が高層に舞い上がり漂った、 しばらくして灰は落ちていったが雲は残り続け世界中に美しい夕日をもたらした、といわれている。このところこの夜光雲が拡大しているらしい。観測できる緯度が下がってきたという。
道理で時々何故か夜空が明るいことがあるのか、そう思ったが、まさか、と思える。

もう少し調べると、大気上層の気温と気圧の関係から高度40-70kmでは常にそこの気圧の沸点以上の気温となり水は気体となって雲はできないが、80kmあたりの中間圏界面(特に北極上空)と呼ばれる付近では非常に低温で(-90℃以下)、沸点以下になりわずかな水分でも氷結して雲を形成できる、ということのようだ。対流圏の大気層と同様、上層ほど温度が低いこの付近の大気層は上昇気流がおこりやすく、雲が漂うことになる。これ以上の高度ではまた温度が上がっていき水蒸気になってしまうし、上昇気流もおこらない。更に、この雲を形成する氷の表面でフロンから遊離した塩素が化学反応を起こしオゾンを破壊していく、というのがオゾン破壊のシナリオになっている。塩素を遊離する物質がオゾン層の破壊の原因を作り、その代表であるフロンが嫌われているというわけだ。火山噴火などで高層に水蒸気が吹き上げられれば、高層の水蒸気濃度が上がりこの雲ができやすくなる、ということにもなる。

でも、何故極地上空に出来やすいのか、よく理解できない。単純な理由でもないのだろう。低緯度地域にも発生するようになれば日本上空のオゾン層の行方も気になってくる。そのうち夜光雲破壊プロジェクトが立ち上がるかもしれない、そうなる前に一度は見てみたいとも思う。名前がいい。

まだまだ出会ってみたいことがこの世には溢れている。しかし手ですくい上げようとしてももれこぼれていく感覚をどうしようもできない。こぼれてもこぼれても追いかけ続けていくしかないと思い込んでいる。

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2007年5月11日 (金)

崩壊の中から新しい世界が生まれ

ふとしたことで ル・モンド ディプロマティークの日本語版のメール配信を受けることになKawara2_1 り、欧州の見方が気になって時々眺めている。最近、フランスのワーキングプアのレポートが目に留まった。
日本では、アルバイターを常勤者のように使って人件費を切り詰める、という手法が蔓延し これが原因でワーキングプアが社会問題化しているようにみえる、が、これは日本ばかりでなくフランスでも全く同じ構造の現象が現れ大きな問題となってきているという。グローバル化 という文字がここでも頭に浮かぶ、世界がきつく結ばれてきたことを感じる。インドや中国、東欧の賃金と勝負しなくてはならなくなっている。背に腹は換えられずなんとしても価格を切り下げねばならない、弱いところにしわ寄せが行く。今までは社会が許していなかったレベルまで押し付けが進んできている。

平等、ということを再び正面から見据えなければいけない社会になってきたようだ。

さくらんぼの大量盗難や電線のような公共財の盗難をみると人間の労働や暮らしを軽視する考え方がしみわたってきているように思える。小額でもかねになるなら、人が困っても知ったことでは無い、金に困っても社会は助けてくれない、と語っているように思える。社会が、ぎすぎすと音を立て、なんとかなるさ、を許さなくなってきている、少なくともそう思い込ませるようになってきている。政治家がセーフティーネットなどと言い出した時点で、これはおかしなことになる、と気づくべきだったのだろう。
振り返ってみて、いつ、こんなことになることを止めることが出来たのだろうか。解らない。が、ひとつのポイントは冷戦終結と思える。
多くの人の自由を束縛する国家主義的な社会主義が崩壊して一歩前に進んだと思った。そういうことは確かにあった。が、一方で何かの歯止めを失った、正面からの批判者を失った。しかし ねじはもう元には巻き戻せない。このままどこへ漂っていくのだろうか。

2.4億光年の彼方で通常の超新星の100倍もの超新星大爆発が昨年9月に観測されている。爆発で星の材料が宇宙に散らばりそれがまた集まって新しい星が生まれる、それが年老いていきまた爆発する。気の遠くなるような時間のスケールの中で繰り返されながら最終的には物質は消えエネルギーだけの宇宙の姿にに戻っていく。

崩壊の中から新しい世界が生まれまた成熟していき最後には崩壊する、この構造は普遍的なように思えてくる、社会もこのように歪が積もればいつかは崩壊するのだろう。それが悪いとは一概に言えないような気がする。今度はどんな崩壊が待ち受けているのだろうか。

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2007年5月 9日 (水)

サギが追われて

近くの林に毎年何種類かのサギが渡ってきて夏の間コロニーを形成し、あたりにひどい異臭を放っていた。昨年はことのほか数が増え、人間の生活がAmasagi 脅かされるようになって、ついに冬の間に林を間引いて住み着かないようにしてしまったようだ。昨年のこの時期には列を成して少し離れた森から木切れを咥えて飛び帰り巣作りに励んでいたが、今年の春は一羽のサギも現れない。居なくなるとなんだかさびしい。ここらの地名は昔から鶴田という、これは田んぼにサギが下りているのを鶴とみなしてそう名づけたと伝えられている。大分昔からこのあたりにはサギが数多く生息していたらしい。野生動物と人間が共存していく里山では色々と知恵が要るように思う。人間が暮らしつらくなるほど繁殖すると共生は難しい。人と野生の生活範囲が近すぎるようにもみえる。

もう自宅の庭からアマサギの写真を取ることも出来ないし、夕方の狩へ出発するゴイサギの姿も見ることが出来ない。

しかし地名にもなっているのだから暫くしたらまたくるようになるのだろう、こんなことを人間とサギは繰り返しているに違いない。里山らしい風景かもしれない。

もう夏のような暑さだ。西太平洋はこのところ平年より暖かい。まだラニャーニャではないが、暑い夏が予感される。冷たい夏より暑い夏が、どちらかといえば望ましいのだが、何故かこのごろ人工的温度コントロールに慣れてしまったせいか、少しの季節のブレを大げさに感じるようになってきた感じがする、報道も大げさに思える。

しだいに渡る鳥の種類が増えてくるような時代になるのか、人も無駄にエアコンなんか使わずに転地して夏を過ごす様になるべきではなかろうか。

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2007年5月 4日 (金)

いつか再びアナログの贅沢さに戻る日が

このところKbtk2 デジタルな道具で鳥の声や姿を追いかけているが、今ひとつうまくいかない。愚痴が多くなる。

写真撮影は昨年買ったペンタックスのデジタル一眼、K100DにPENTAX FA J 75-300mmF4.5と1.4倍のタムロンAFテレコンバーター020Fをつけて420mm相当で使っているが、オートフォーカスがどうにも決まらない、ジージー動いて発散してしまう。程度は弱いがノーマルレンズにしても同じ傾向がある。モータが弱くて機械系の追従が弱くこれをソフトでカバーすべくフィードバックゲインを限界まで高めているのかもしれない、不安定だ。ニコンなんかに較べて明らかに負けてしまう。勢いマニュアルピントになるのだが小さい鳥に合わせるのは失敗が多くなる。愚痴りたくなるが昔はオートフォーカスなんてものは無かったのだから贅沢はいえない。でもデジタルなんだから部分拡大してピント合わせる機能があればもっとピントが合わせやすくなるのに、と思ってしまう。マニュアルピント用の機能を充実させるのは出来にくいのかもしれないが。
以前はビデオで撮って画像を適当に切り出して鳥を同定していた、とにかくチャンスを逃さず記録するにはやはりビデオのほうが失敗が少ないように思う。しかし録音もしてカメラとビデオ両方あやつるには手が足りない、肩が足りない、指が足りない。

デジスコが良さそうにも思えていたのだけれども、これ以上やることを増やすのはためらいがあってまともにデジスコを撮れるセットを揃えるに至っていない。スコープ(ニコンEDIII)は接眼にズーム(MCII)を使っているが、これを固定に換えてデジスコにするのも気が進まない。低倍率であればカメラ望遠のデジタル拡大のほうが気楽に撮れる。
なにかを捨てて何かを選択しなくてはいけないのだが捨てるのが難しい。

録音も以前はMDに小さな汎用マイクをつけて録っていたが、音質の違いに愕然としたときがあって、高性能マイクとHiMDに変えてしまった。HiMDはsony MZ-NH1を使っているが電池は弱いしディスクも埃に弱いし、で肝心なときに録音できないことが何回もあった(昨日も!)。あまりアウトドア向きの機器では無い様に思う。MDの方がタフだがこれには後戻りできない。しかし大容量の外付け電池が使えない(使いにくいというべきか)のも困ったもので、どこかで捨てなければならないような気がしている。R-09に換えるべきかもしれない。

デジタルな写真や録音がディスクに積もり次第にパソコンを圧迫していく。いつまで続いていくのだろうか、振り返るとデジタルなデータは10年ももっていない、フォーマットが陳腐化しデータ密度が飛躍的に高まり見たくもなくなってしまう。

いつか再びアナログの贅沢さに戻る日が来るだろう、そうでないと、このデジタルのミクロへの拡散は止め処が無い。

デジタルな記録は明らかに何かを失っている、単なるビットの隙間でなくて、扱う人の、ある時間なのかもしれない。

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2007年5月 1日 (火)

仏教と しきたりと、“千の風”

庭のつつじも咲き始めさわやかな風が吹き抜ける。

Tubaki3 近頃、法事なるものにしばしば顔をださねばならなくなって、何か居心地の悪さを感じる。仏教と しきたりと、“千の風”の関係ということになる。形で入る仏事が日本の伝統として流れ出てきて、これが例えば浄土真宗が更に派閥に分かれて、それぞれに しきたり を主張する。別に葬式仏教であれば実害は無いが、本当に宗教の胡散臭さをも押し付けてくると、このくそ坊主めが、といいたくなる。今後少なくとも2030年までは死ぬ人が増え続け葬式が増え続け,収入が増えて宗教が影響力を増してくるような気がする。あまりいい感じがしない。“千の風”でいいではないか、これが本当の気持ちに近いのではないか、宗教ごときに汚されたくない、そう思えてくる。

頭から入るか形から入るか、時代の風は、心から入る、にあるようだ。

少し前になるが、みんなで買ったグライダ―の安全祈願を神主に頼んできてもらったら、まともなことを諭してくれた。安全は神に頼むことではなく、自分でやるものだ、自ら安全な飛行とすることを神に誓うものだ、神にすがってはいけない、お願いされても困る。今ここで誓え。はっと思ってしまった。

宗教もまともなことを語りかけてくることもある。

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