気になっていたダ・ヴィンチの絵が
東京で飲み会があるついでに、気になっていた国立博物館の特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」を見に行った。気になっていたのは、以前ウフィツ美術館に行ったとき、ダ・ヴィンチの「受胎告知」が、貸し出し中か修復中かで展示されておらず、ちょっとがっかりした思い出あり、見逃していたこの絵を見てみたいという気持ちがあったためだ。
それなりに人は多かったが十分鑑賞できるくらいの混み方だった。きれいによく描かれている、しかし貧しい大工の妻にしては なんと立派なマリアだろう、それにずいぶんな豪邸に住んでいる、左の天使の翼は固そうで飛べるとはとても思えない、20歳代前 半の作だから、まだダ・ヴィンチらしい暗喩は出てきていないように見える、それにしても何か間延びした絵のような気がした。
見終わって、この絵だけの特別会場から次の会場へ移っていったら、途中でビデオ映像による解説が大画面で流されている部屋があり、とにかく観てみた、まだ時間に余裕がある。
続けて流されていた3つの解説映像の内、受胎告知の絵について、興味深い解説があった。それは、この絵はある修道院の壁に掛けて右下の位置から眺められるということを計算に入れた遠近法で描かれている、正面からみておかしな感じのする間の抜けたような間合いは、右下から眺めると引き締まり辻褄の合った絵になっている、というのである。こんな遠近法というか描き方には思いが及ばなかった、でも確かにありそうだ。
こんな大事な解説は絵を見る前にやってほしい、ぶつくさいいながらも、とにかく急いで取って返して、もう一度みなおすことにした。絵の鑑賞は、右から左への一方通行で逆行できないし、再入場もできないようになってはいるが、出口からゆっくり入りなおしてじりじり逆行して絵の右側へ寄っていき、とにかくみなおした。確かにここからみると間延びした感じは消えうせ、横広の感じがした人物も引き締まり、建物の遠近法も不自然ではなくなる。しかしこんなことを考えて描かれた絵があるとは露ぞ知らなかった。若いとはいえ既に構図については考えつくして描くというダビンチらしい描き方が既に確立されていた、と思える。
第2会場の展示には膨大な手稿のそのものやそのままの訳を期待していたが、全ては解釈されなおした現代の資料だった、ちょっと期待外れだった、本当は何と書いてあったのか、ダ・ヴィンチの息遣いを聞きたかったのだが。
期待していなかった新しい発見と期待はずれの疲れるような展示とで、何かの食い違いだけが妙に心に残る出し物だった、でもとにかくフィレンツェで見逃した穴は埋められた。
新しい発見がひとつでもあればそれは偉大な1日といっていいのではないか、飲み会にはつきもののいつものけだるい感じをしゃべることで消していきながら、そんなことを考えていた。
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