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2007年5月 4日 (金)

いつか再びアナログの贅沢さに戻る日が

このところKbtk2 デジタルな道具で鳥の声や姿を追いかけているが、今ひとつうまくいかない。愚痴が多くなる。

写真撮影は昨年買ったペンタックスのデジタル一眼、K100DにPENTAX FA J 75-300mmF4.5と1.4倍のタムロンAFテレコンバーター020Fをつけて420mm相当で使っているが、オートフォーカスがどうにも決まらない、ジージー動いて発散してしまう。程度は弱いがノーマルレンズにしても同じ傾向がある。モータが弱くて機械系の追従が弱くこれをソフトでカバーすべくフィードバックゲインを限界まで高めているのかもしれない、不安定だ。ニコンなんかに較べて明らかに負けてしまう。勢いマニュアルピントになるのだが小さい鳥に合わせるのは失敗が多くなる。愚痴りたくなるが昔はオートフォーカスなんてものは無かったのだから贅沢はいえない。でもデジタルなんだから部分拡大してピント合わせる機能があればもっとピントが合わせやすくなるのに、と思ってしまう。マニュアルピント用の機能を充実させるのは出来にくいのかもしれないが。
以前はビデオで撮って画像を適当に切り出して鳥を同定していた、とにかくチャンスを逃さず記録するにはやはりビデオのほうが失敗が少ないように思う。しかし録音もしてカメラとビデオ両方あやつるには手が足りない、肩が足りない、指が足りない。

デジスコが良さそうにも思えていたのだけれども、これ以上やることを増やすのはためらいがあってまともにデジスコを撮れるセットを揃えるに至っていない。スコープ(ニコンEDIII)は接眼にズーム(MCII)を使っているが、これを固定に換えてデジスコにするのも気が進まない。低倍率であればカメラ望遠のデジタル拡大のほうが気楽に撮れる。
なにかを捨てて何かを選択しなくてはいけないのだが捨てるのが難しい。

録音も以前はMDに小さな汎用マイクをつけて録っていたが、音質の違いに愕然としたときがあって、高性能マイクとHiMDに変えてしまった。HiMDはsony MZ-NH1を使っているが電池は弱いしディスクも埃に弱いし、で肝心なときに録音できないことが何回もあった(昨日も!)。あまりアウトドア向きの機器では無い様に思う。MDの方がタフだがこれには後戻りできない。しかし大容量の外付け電池が使えない(使いにくいというべきか)のも困ったもので、どこかで捨てなければならないような気がしている。R-09に換えるべきかもしれない。

デジタルな写真や録音がディスクに積もり次第にパソコンを圧迫していく。いつまで続いていくのだろうか、振り返るとデジタルなデータは10年ももっていない、フォーマットが陳腐化しデータ密度が飛躍的に高まり見たくもなくなってしまう。

いつか再びアナログの贅沢さに戻る日が来るだろう、そうでないと、このデジタルのミクロへの拡散は止め処が無い。

デジタルな記録は明らかに何かを失っている、単なるビットの隙間でなくて、扱う人の、ある時間なのかもしれない。

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