仏教と しきたりと、“千の風”
庭のつつじも咲き始めさわやかな風が吹き抜ける。
近頃、法事なるものにしばしば顔をださねばならなくなって、何か居心地の悪さを感じる。仏教と しきたりと、“千の風”の関係ということになる。形で入る仏事が日本の伝統として流れ出てきて、これが例えば浄土真宗が更に派閥に分かれて、それぞれに しきたり を主張する。別に葬式仏教であれば実害は無いが、本当に宗教の胡散臭さをも押し付けてくると、このくそ坊主めが、といいたくなる。今後少なくとも2030年までは死ぬ人が増え続け葬式が増え続け,収入が増えて宗教が影響力を増してくるような気がする。あまりいい感じがしない。“千の風”でいいではないか、これが本当の気持ちに近いのではないか、宗教ごときに汚されたくない、そう思えてくる。
頭から入るか形から入るか、時代の風は、心から入る、にあるようだ。
少し前になるが、みんなで買ったグライダ―の安全祈願を神主に頼んできてもらったら、まともなことを諭してくれた。安全は神に頼むことではなく、自分でやるものだ、自ら安全な飛行とすることを神に誓うものだ、神にすがってはいけない、お願いされても困る。今ここで誓え。はっと思ってしまった。
宗教もまともなことを語りかけてくることもある。
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