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2007年7月 7日 (土)

奥胎内で気になったものに

Hayabshi 奥胎内で気になったものに、隼の浅野大尉墜落事故碑がある。事故は昭和16年6月10日と記されている。試験機という碑の記述が正しければ、すでに16年4月に1式戦として制式化していたので、甲型の次の乙型か丙型につながる試験だったのではないかと思われる。開発試験であれば福生或いは各務ヶ原から飛び立って試験中に墜落したということになるのか。剛性がやや弱い感じがしていたと伝えられるから高速ダイブ中の事故かもしれない。あるいは気象条件が悪Haybsく雲中飛行での墜落かもしれない。碑が建立されているのは工事の際に機体の残骸が出てきたのではなかろうか。
1式戦は大きな改造もなく巴戦には圧倒的強さを持ちつつそのまま終戦を迎えた。高速で力で押して1撃離脱する米国機とは異なりどこか繊細な(或いはひとりよがりな)すこぶる日本的機体との印象がある。

墜落して上がる炎、いっせいにとびたち逃げまどうアカショウビン、カラフルな事故だったろう。

戦後日本のロケットの生みの親となった糸川は、小山主任技師のもと隼の開発に力を奮っていた。この事故をどう感じていただろうか。

惑星探査機はやぶさの方はぼろぼろになりながら小惑星イトカワの破片を抱いて帰還軌道に入っている。こちらにもかすかに隼の流れが漂っている。糸川から帰る隼、かえりつけるか。

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