夏が終わった
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野鳥の声を録音しCDに編集してカーステレオで流し続ける、という楽しみ方をしばらくやっているが、いくつか興味深いことに遭遇する。
まずは雑音だ。自分で録音するとどうしても雑音が入る。風の音、マイクを持つ音、マイクの周りを歩き回る音、チャックが開け閉めされる音、飛行機の音、衣服の擦れる音、車の音、しゃべり声、おなかのなる音、MDの起動する音、位がいつも出くわす雑音だ。編集ではこの雑音削除が大きな問題で、いくつかの手順で削ることはできるがだめなものはどうしようもない。しかしかなり大変な作業だ。
結局雑音が取りきれないCDを聞くことになる、出来上がったCDをはじめて聞くときはこれはひどい雑音で落ち着いて鳥の声に聴き入ることができない、捨てたくなる、しかし、2回3回と繰り返し聞いていくうちに雑音は気にならなくなりだんだん鳥の声そのものに浸れるようになる。明らかに頭の中に聞きたいものに集中するフィルターができてきて雑音を聞かなくなっている。考えてみれば そもそもこの世は雑音に満ちている、雑音を篩い分ける能力がないと耐えられない世界となるように思える、やはり人間のしくみはよくできている。
人にあげるCDは1回目から聴き入れるものでなくてはならないが自分用ではそんなことには構わなくて良い。そんな調子で聴いていると、思わぬ感想に出くわす。代行車を呼んで帰るときに代行ドライバーがカーステレオに入っていた鳥のCDを聞きながら、自家製CDですかこれはいいですね、ところでところどころで太鼓の音がするように思うのですが。。。ときて冷や汗が出る、風の音だ、低音を切って残った風の音は成る程太鼓の音の様でもある、しかし聴きなれた自分の耳ではもう聴いていなかった。
自分のフィルターが出来上がっているときに別の人のなにげない指摘を受けてギョッとする、鳥の声でなくともそういえば誰しも思い当たる節がある話かもしれない。ひとりよがりの判断が世の指弾を受ける事件は枚挙に暇が無い。こんなところにも録音の奥深さを感じてしまう、まだまだ録音から学ぶことは多い。
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本当に今年の暑さは腰が据わっている。日本上空に背の高い高気圧がはりついているためだが、この現象を調べていくと このはりついている高気圧はどうもロスビー波と呼ばれる地球規模の波動により伝播してきて生成された小笠原高気圧(太平洋高気圧とは別)で、波動は西アジアの砂漠上空の放射冷却がその源らしい、小笠原高気圧と西アジアの関係は数値実験でも確かめられている(榎本剛氏の論文による)。ジェット気流の蛇行が大きいと運ばれてくるということになり何年かに1回はこのようなパターンになるようだ。確かに今年のジェット気流は明瞭に蛇行している。どうも本当らしい。イラクあたりの影響が及んできていることになる、別に砂漠の大気が運ばれてきているわけではなく圧力の伝播だけなんだが、暑いわけだ、と思ってしまう。
暑いとなかなか出かける気にもならないが、閉じこもってもいられない。
ハクチョウで有名な瓢湖とはどんなところだろうかと、猛暑の中いってみた。驚いたことに ハクチョウがいた。コブハクチョウでは無くれっきとしたオオハクチョウ、コハクチョウだ。30羽くらいいる。冬に見るハクチョウとは雰囲気がどこが少し違うがとにかくハクチョウだ。事務所があったのでそこの人に聞いてみると、傷ついたハクチョウが渡れずに夏の間残っている、暑さは特に問題ではないようだ、という。ホシハジロもいたりして、ここには夏が無いのかと思ってしまう、が暑い。見に来る人にはいつでもハクチョウがみられて絵になるがそれにしても多い、栃木の羽田沼では見たことが無い。なにかしかけがあるのではと思ってしまう。
ともかく少々暑くてもハクチョウも生きていける、このくらいの暑さは大したことではないというべきなのだろう、それに計算にも乗るような気象でそれほど異常でもない。しかし暑い。
さてこの冬はどうなるだろうか。
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なんとなく近頃地震の話題が続いているような気がしている。
柏崎刈羽のそばを高速道路で走った。地震補修工事中で50km速度規制がかかっている。初めはちょっと50kmはやりすぎか、との感じがしていたが、刈羽に近づくと道路の波うちが確実に増えてきて、これは注意して走らねばならない、という気がしてきた。とにかく地震でできた段差は応急補修で取ったものの全体のうねりは隠しようが無い。高速道路は地震後開通したらその後は特段の報道も無いが、行って見ると、これは、という印象で地球の力を感じてしまう、なにしろ地盤そのものだ。流れ行く風景には屋根の青いビニールシートも目に付く。長岡ナンバーのクルマは慣れて飛ばしていくが、どこか痛々しい。
上信越道に北から入るとぼこぼこした小山が多い風景が続く、別に今回の地震の影響でできたわけでは無いがフォッサマグナの中だ、風景がそのように見えてしまう。地殻のひずみが地表をでこぼこにまげているように見えてしまう。
環太平洋、特に東側で地震がこのところ多い。(図はIRISによる最近の2週間以内の震源分布)。太平洋プレートの動きが活発になっているように見える。ペルーの地震とも何か関連があるような気もしてくる。何が起こってもおかしくない。
こんなのを見ているとやりたいことは直ぐやってしまわないといけないといやましに思えてくる。こうやってまた真剣に遊ぶ理由を手に入れてしまう。
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夏らしい暑い日が続く。西太平洋の海面の水温が上がっていてラニーニャの様子になっている。500hp等高線の5880m線が広く日本を覆っていて、典型的な猛暑パターンといっていい。暑さが好みの人にはあこがれの5880だ。おろおろ歩く寒さの夏より暑い夏の方がはるかに良い。景気も良くなる。しかしこう暑いと水遊びがしたくなる。
前から那珂川のカヌー下りを一度やってみたいと思っていたら、初心者向けの那珂川カヌー(カヤック)ツアーがテレビで紹介されていたのが目にとまり、これだとばかりにネットで探してたどり着いた、栃木カヤックセンター(tkc)というところがやっている那珂川カヌーツーリングだ。やっと予約が取れて今日、集合場所の烏山のやなに出かけた。10数人いる。ヤマセミなんかも見れる、というのも魅力的だ。午前中に流れの弱いところで練習して午後から5kmの川下りとなる。1人乗りで最初からソロなんで大丈夫だろうか、と思っていたが、安定して扱いやすい。1時間も練習すればおおよその要領はのみこめる。午後は、はなから流れの速い瀬を下る、小さいが三角波だ。下手すれば沈するかもしれない、しかしライフジャケットはあるしインストラクターはついている、大事にはなるまい、なんとか乗り切ったがちょっとばかり面白い。瀬を過ぎると瀞に出る、この繰り返しだ。
ヤマセミかな、というのが飛んでいったがしかとは見えない、思ったほどは鳥が出てこないのは、TV番組収録(高校生クイズ)が行われていて少し騒がしかったせいがあるのだろう。しょうがない、独占はできない。イカルチドリやセキレイは飛び回っている。
しかし、水遊びとしてこれは秀逸だ。那珂川もいい川だ、秋には上がってくる鮭を見ながら川下りができるという、これもなかなか魅力的に思えてくる。
全く初めてでどんなことになるか不安があったが、身を晒してやってみる、この半歩踏み出す感触がいい。
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Space.comの宇宙開発のニュースレターに時々彗星や流星雨の話題が現れて、そうか、夜空も忘れてはならない、と思い直す。
ペルセウス流星群が月明かりも無くて今年は良いということで8月12日の夜から気にして夜空を見ているが、低い雲が出てきてしまう。この暑い陽射しでは昼間空中に盛んに水分が蒸発しこれが夜冷やされて雲をつくる。夏空は流れ星を見るには条件がいいとはいえない。高原にでもいけば雲海の上に出てよく見えそうだが、夜中に出かけるのは少々やっかいだ。それでも12日は雲が現れる前の30分くらいの間に大小3ケが見れた。本来ならペルセウス座が高く上がる0時以降がよいらしいがそんなことは言ってられない。流星群の正体は彗星が軌道上に残したチリやかけらの雲だ。別にペルセウス座から本当に星が落ちてくるわけではなくて、地球の軌道が彗星の軌道を横切るのが8月13日あたりでこの時地球の進行方向が丁度ペルセウス座を向いているのであたかもペルセウス座から降ってくるように見えるというだけだ、現実にはどこからでも降ってくる。13日夜明けがいいというので4時に起きだして見てみた、今日は夜明けには雲が無い。次第に明るくなってくる雰囲気がいいが、流れ星はあまり出てこない。30分で大きいのが1つと中くらいのガ1つくらいだ。多いことは多いが驚くような落ち方ではない。やはり高原でないと無理か。
次の流星群は9月1日の夜現れるぎょしゃ座流星雨(Aurigid Meteor Shower)になるが、これは周期2500年のKiess彗星の落し物の中心に地球軌道が突っ込むらしいのでどんなことになるか気になる。この日は月齢18.9で大分明るいが8時半頃までなら期待できるかもしれない。なにしろKiess彗星が太陽のそばに来た最後はBC83年で、今度の流星はローマ時代に軌道上に残された遺物ということになって、いずれにしろちょっと面白い。彗星そのものが太陽系の起源と関係しているらしいのでこれくらいはあっという間の時間かも知れないが。
流れ星だってとんでもない歴史を抱えている、何でも見ておかねば。また思ってしまう。
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このところ北へ出かけているが、道東は後から思い出しても色々印象深いものがある。
トウキョウトガリネズミが霧多布湿原センターで飼育されているのを見せてもらった。2グラムくらいのモグラだ(写真は広報はまなかより)。ケンボック島という霧多布湿原沖のフラットな無人島で捕獲されたも のという。ケンボック島はあの動物王国のムツゴロウが北海道で初めに住み着いたところというが、今でも無人島でツアーが時々あるというから普通の人でも行けるらしい。
飼われているトウキョウトガリネズミは忙しく走り回ったり動かなくなったりちょこまかしている。2グラムでもそれなりの大きさはある。食べ続けなければ生きていけないらしい。
トウキョウと名がつくがこれは発見地のエゾがエドと誤記されこれを見た日本の研究者がエドならトウキョウだ、とばかりトウキョウトガリネズミと和名を付けた、ということで、無論東京にはいない、北海道だけに生息、道東に発見例が多いらしい。殆ど生態が解っていないという。
飼育はべつに土の中に住まわせているものではなく、普通の草木などがある地表を模擬している。モグラだがもぐっているわけでもなさそうだ。
フーンと思って見ていたが後で思い返すと、絶滅危惧Ⅱ類で、これは滅多に見られないものを見た事になる。
見れるものをできるだけ見ておかねば、と常々感じる。世界は認識することで自分とって現実に存在している。認識の境界を拡げるには半歩でも日常から踏み出す、それしかないと思っている。
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立秋だ、暑い昼の時間に消えていた鳥が戻ってきた、今日になってカワラヒワの声が流れてくると本当に夏の盛りは過ぎてしまったような気がしてくる。季節はゆっくり回っている。
この間秋田竿灯から夜行バスでの帰り、車窓に浮かぶ夜明け間近の宇都宮付近の風景をぼんやり眺めていた、開いているコンビニが次々に眼に入る、開いている店といえばコンビにばかりだ、が、いずれも殆ど客がいない、便利といえば便利だがここまで頑張らなくてもという気がして思った。
デフレが終わりそうになってきている。デフレは資本主義経済ではとても手の焼ける状態と思う。将来のお金の価値が上がるのでは借金しても返しにくい、投資も鈍る、お金が回らない。フィリップス曲線というのがある。日銀総裁が講演で論じるくらい有名な物価と失業率の関係だ。失業率が下がってくると人件費が上がって物価は上がる、ただそれだけの関係だ。今は失業率が下がっても物価が上がらない、フィリップス曲線がフラットだ、変な状態だ、とぼやいているようにみえる。デフレが終わると何が起こるか。人手不足が起こる、これは明白だ。ついにフラットなフィリップス曲線を脱して安い賃金で人を働かせることができない持代となる。働くものの発言力が強くなる。24時間営業のコンビニは成り立たなくなってくるだろう。安いトラック輸送は過去のものとなるのではないか、タクシーは拾いにくくなるし、宅配はこんなに安くなくなる。便利な時代が終わりに差し掛かっているように思える。
考えてみれば午前4時でもあいているコンビニや日本中どこでもすぐ届く宅配はデフレ時代のたまものなのではないか。振り返ってみていい時代だったと感じる日が来そうだ。
また喧騒のインフレの時代になるのだろうか。しかし、失われた10年は本当は何も失ってはいなかったのではないか、さなぎの10年だったのではないか、新しい時代が始まるのかもしれない、そんな予感を楽しんでいる。
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また台風だ。この台風5号についても1週間前から東北北部への再上陸が気になっていた、どこの予測計算も4日土曜日津軽付近への再上陸を予測していた。日本海で転向しても行方に高気圧の壁ができて進み方が早くはならない、本当らしそうな気がしていた。今回は鳥ではなくて秋田の竿灯なんで嵐でも面白いということは決してない。台風の嵐ではるばる行ったはいいが祭りが無しとなる不安は現地に着くまで消えず、日常性からの離脱が複数の形で目の前にあった。
結局台風はほんの僅か早めに動いて土曜の昼前北海道南端あたりに再上陸、竿灯の始まる1時間前の18時には風はややあるものの雨は時折の霧雨で祭りは予定通り実施と決まった。台風が去っても結構な西風が残って日本海側は簡単には低い雲が消えない。衛星写真では台風の中心はどこか解らないが上空風分布からは明瞭にわかる、18時で襟裳岬あたりだ。ぎりぎりな天気だがとにかく逃げ切れた。会場付近の路上や空きスペースは全国からのバスだらけだ、ねぶたと似ている。 初めて見る秋田の竿灯は思ったよりダイナミックなものだった。頭や腰で山なりのちょうちんがついた竿を保持する、曲芸に近い。風であおられると姿勢が持ちこたえられなくて観客席に倒れ込む、それも面白い。うまいところはギリギリで観客に当たらないよう支えるが未熟なところはそのまま落ちてくる。よく見ていなくてはいけない。例によって最前線で写真をぱちぱち撮ったりビデオをまわしたりで忙しいが今回はとにかく気が抜けない。今日は風があっていつもより動きが面白かった、と後で聞かされた、台風は祭りそのものにも思わぬスリルを与えてくれたようだ。ちょうちんはねぶたと違ってろうそくだ。倒れたりするとかなりが消えてしまう、ろうそくを取り替えて火をつけなおしてまた立てる、うまいところはここらの手際もよい。いくつの竿灯が出ているのだろうか、企業やら自衛隊やら学校やら東北のめぼしい団体は全て出している。北はこのほかにも青森のねぶた、札幌雪祭り、と大掛かりな祭りが多い、これはかなりな負担になりそうだ、金銭的にも、人的にも。大丈夫なんだろうかと思ってしまう。しかし盛んになりながら続いているのを見るとこれが何かのエネルギーを与えているのだろう。
小さい子供は小さい竿灯でそれなりに頑張る、入れ込み方は一様でない。
そろそろ見疲れしてきたか、と思い始める頃終了の合図がある、それっとばかり近寄って竿灯を触ってみたり持ってみたり、記念撮影をしたりもしてみる、観客との距離が近い祭りだ。GPSを頼りに暗い中バスまで戻り、バスの中の眠りにしては深い眠りに陥りながら南に帰る。もっと見なければならないものがまだまだあるように思えている。
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