また喧騒のインフレの時代になるのだろうか
立秋だ、暑い昼の時間に消えていた鳥が戻ってきた、今日になってカワラヒワの声が流れてくると本当に夏の盛りは過ぎてしまったような気がしてくる。季節はゆっくり回っている。
この間秋田竿灯から夜行バスでの帰り、車窓に浮かぶ夜明け間近の宇都宮付近の風景をぼんやり眺めていた、開いているコンビニが次々に眼に入る、開いている店といえばコンビにばかりだ、が、いずれも殆ど客がいない、便利といえば便利だがここまで頑張らなくてもという気がして思った。
デフレが終わりそうになってきている。デフレは資本主義経済ではとても手の焼ける状態と思う。将来のお金の価値が上がるのでは借金しても返しにくい、投資も鈍る、お金が回らない。フィリップス曲線というのがある。日銀総裁が講演で論じるくらい有名な物価と失業率の関係だ。失業率が下がってくると人件費が上がって物価は上がる、ただそれだけの関係だ。今は失業率が下がっても物価が上がらない、フィリップス曲線がフラットだ、変な状態だ、とぼやいているようにみえる。デフレが終わると何が起こるか。人手不足が起こる、これは明白だ。ついにフラットなフィリップス曲線を脱して安い賃金で人を働かせることができない持代となる。働くものの発言力が強くなる。24時間営業のコンビニは成り立たなくなってくるだろう。安いトラック輸送は過去のものとなるのではないか、タクシーは拾いにくくなるし、宅配はこんなに安くなくなる。便利な時代が終わりに差し掛かっているように思える。
考えてみれば午前4時でもあいているコンビニや日本中どこでもすぐ届く宅配はデフレ時代のたまものなのではないか。振り返ってみていい時代だったと感じる日が来そうだ。
また喧騒のインフレの時代になるのだろうか。しかし、失われた10年は本当は何も失ってはいなかったのではないか、さなぎの10年だったのではないか、新しい時代が始まるのかもしれない、そんな予感を楽しんでいる。
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