« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月30日 (日)

美術と工芸と産業

秋が本格的にやってきて季節を分ける前線が張り付いている。おかげで落ち着いた雰囲気の休みを過ごせる。近くの美術館にでかけてみたらノリタケチャイナの歴史をたどる展示をやってNoritk2 いた、なんだ、企業の展示かと思ったが、せっかくだから見てみたらこれが結構面白い。ノリタケは明治の初めに生まれた、日本連合として陶磁器を米国にむけて製造・輸出する会社だった。オールドノリタケと呼ばれる凝った陶磁器もいいのだが、20世紀の初めの頃のアメリカで注文を得るためにセールスマンが持ち運ぶ手書きのカタログがなかなかだ、現代の写真カタログよりはるかにリアルな感じを与える、絵付けそのものを見せられているようで普通の絵ではない。陶磁器のデザインは米国のデザインセンターで行われていたようで当時の嗜好が感じられる。殆ど実用になるとは思えない背の高い壷などを見ると、装飾的に用いられていたように感じられて、古きよきアメリカの生活の有様が浮かんでくる。東海岸の雰囲気だ。しかしこんな展示はめずらしい、美術と工芸と産業の間にいる。

イタリアに遊びに行ったとき目くるめく彫刻に圧倒された、柱といい、扉といい、石が埋め込めるところは彫刻で覆われていた。美術と工芸は殆ど同じものだ、と思わさせた、そして工芸の先に産業がある。そのグラデーションのような連続をここでも目の当たりに見せられる思いだ。

連続体の中に生きる、か、また学ばされた、どこまでつながっていくのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

CO2と航空機と鯨と

このところ航空輸送に対するCO2問題の風当たりが急速に厳しくなってきて、どうなることかと気になっている。市民運動レベルで欧州で特に厳しくなっているのは、航空機での長距離移動の出すCO2の乗客一人当たりの量が簡単に航空会社のサイトで計算でき(例えばBritish Airwaysのサイト)これが個人が年間普通に排出するCO2に較べてHikoukigmダントツに多い、個人レベルでCO2削減を課せられると、航空機を使わないというほかない、という事実に起因しているように思える。例えば英国―成田往復便を1回使うと1人当たり2.17tonで自家用車1年分(約2トン)以上のCO2を排出する。CO2以外の温暖化ガスの効果を入れるとこの3倍位に相当するという計算もあるようだ。こんなのを突きつけられると、ちまちまと紙を節約しても桁が違う、ハイブリッド車にしても電気自動車にしても追いつかない。日本でも日本語の航空会社のサイトで簡単に計算できるようになったらためらう人が出てきそうだ。
欧州では2012年から、欧州以外の地域から欧州に飛来する航空機からもカーボンオフセット(CO2排出権購入代金、温暖化ガス削減資金に使われる)を徴収すると言い出している。これに怒っている国が続出、米国が怒るのは覇権を奪われた気持ちからだが、アフリカが怒るのはよく解る。先進国が散々勝手放題をしてCO2を出しすぎた結果を後から来た国にも責任を負わせるのはあんまりではないか、ということだ。この手の話は老獪な欧州や無邪気な米国の行動をみていると良く出くわす。
例えば鯨だ。石油が発見される以前の18-19世紀にはランプの油は鯨油だった、ランプの油のためにとりつくされるほど鯨はとられた。特にハワイの西は良い捕獲場所だったらしい。日本の開国も捕鯨船への補給要請がきっかけだった。ジョン万次郎も捕鯨船で米国を知った。そんな歴史はきっぱり忘れて、今は反捕鯨の大合唱だ。反省のことばや懺悔の言葉があって、その償いをやってくれれば反捕鯨もわからぬではないが、そんなそぶりは露も無い。万事がこんな調子だ。アフリカでもインドでも怒るがいい。
欧州は懺悔してCO2を回収する努力を真摯にやらねばならない。日本も本当は少しは怒っていいくらいの立場だ、とにかく米国の湯水のごときエネルギーというか石油の無駄使いは目を覆うものがある。

航空機のCO2問題は結局航空機がバイオディーゼルを使い、そのバイオディーゼルを海洋で養殖した藻類から取れるようなサイクルが出来上がるまでは、決着しないだろう。カーボンオフセットでは根本的には解決しない。

こんな事態をみていると人類はどこまで生き延びられるだろうか、ずるい欧州はずるさだけではそのうち存在がむつかしくなるのではないか、結局知恵の勝負になってくるな、と思えて面白くなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月25日 (火)

金星が

金星が夜明けのSeiza2空に非常に明るく上がってくる 今は太陽が出ても見えるくらい明るい、マイナス4.5等星というので 明るさのピークに近い9月21日、起きだして見てみた。ガラス戸を開けると晴れた東の中空に大きく光っている、これは明るい、双眼鏡で面を感じることができる。ついでに見えたオリオンも随分近い。空気の透明度が良いようでもある。とにかく秋が来たようだ。

金星を見るとその輝きから若さを感じる。周りが明るくなっても輝くのは一種の若さの傲慢のように思えてくる。

若さの傲慢は若さの特権である、そこに未来が感じられるのがいい、これから始まる時の流れが見えてくるようで、この先を見届けたくなる。これに対し年のいった傲慢は手が付けられない、近寄りたくない。自分がそうなるのではないか、と恐れているが、時々そうもいかなくなる、そうなってしまう。そしてそうやって人は最後にはばらばらになっていくのかな、と思えてくる。。

秋分も過ぎて夜が長くなり始めた。こんなことをふーと考えていく季節になったような気がしている。

夜は宇宙の永遠に直接つながっているような気がして。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月22日 (土)

タカの識別は難しいのだけれども

タカの渡りのシーズンになって、タカを目にすることが増えてきたが、種類の識別がなかなか難しい。この前白樺峠へ行ってサシバとハチクマをしこたま見て、尾翼の模様がはっきり見えるとき、また首筋の感じがはっきり解るときは、容易に区別がつくようになった。遠Inwash めで滑空している時は後縁がほぼストレートになるのがサシバ、少し たよっとしているのがハチクマ、とすればよさそうだが、やはり近づいて尾翼の模様が見えないと100%の自信は持てない。わからないのはイヌワシだ。殆ど出くわすことが無いし、黒くて大型ならイヌワシと決めるのは乱暴すぎる、写真にとっても遠いし、いい角度でないものばかり、どうしようもない。例えば今日撮った添付の写真はくちばしの感じからイヌワシのようにも見えるが、そうではないかもしれない。邂逅は一瞬であり、その瞬間の出来事は既に時空のかなたに飛び去り、取り戻すことはできない。真実はもはや誰にもわからない。残っているのは怪しい写真とぼんやりとした記憶だけだ。
こんなことに思い悩んでいると、鳥でなくとも現実の認識とは結局そうしたものかもしれないと、思えてくる、そうであるかもしれないし、そうでないかもしれないことの、連続体の中に身をおいているのではなかろうか。現実と認識を結び付けうるのは結局こうだという意思でしかないのかもしれない。

鳥を見ていると学ぶことが多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月17日 (月)

白樺峠のタカ見

タカの渡りが見Takaba1たくて、有名な信州白樺峠へ 9月15日、16日の1泊2日で行ってみた。宇都宮からは300kmくらい、丁度5時間かかる、午前4時に出て午前9時頃現地着となる。右上高地を左へ折れて奈川から乗鞍スーパー林道を上がっていく、“スーパー“がついても林道だから細い。ガイドブックで見た料金所は白樺峠へ移動していて奈川からの往復では払わなくて済むようになっていた。乗鞍高原側からでも料金所手前の駐車場に置けばよくこれも払わずに済む。しかしいずれにせよ来年からは無料化されるという。駐車場は料金所手前(奈川側)に2箇所、向こう側に1箇所で、一応必要十分なスペースはある、ここに停められなくなったら多分たか見の広場は溢れる。駐車場から東側の斜面を20分ほど登って白樺の林を抜けて たか見の広場に出る。東北東に向いた尾根の頭で、遠く松本市が望める。タカは松本市の方向から来て乗鞍高原側あるいは奈川側へ抜けていく、頭上を通過する場合もある、尾根を横切る白樺峠を越えるのではなく尾根に沿った谷を飛んでいく。ここで左右に分かれることにな るのでとりわけ数が多いポKakamイントになっている様だ。
たか見の広場は人工的に切り開かれた場所で雛壇状の白樺の切り株に座って観測できるようになっている。2百人位は収容可能とみられる。標高は1700mだ。とにかく普通のバードウオッチングとは様子が違う、腰を落ち着けた観客席のような場所に1日いることになる、人口密度も高い。いいこともあるが周りがうるさいこともある。ともかくトイレもあるしガイドブックを販売している売店もある、雨で逃げ込む小さな小屋も3つ作ってある、予想外によく整備されている感じがする。写真は15日朝の状況。

タカはこの時期サシバが多くこれにハチクマが混じる。またハリオアマツバメも渡っていく。時々アサギマダラもとんでくる。タカは手前の尾根で上昇気流(サーマル)を掴んで上昇し滑空して渡っていく。この日は緩やかな南風で逆風だったが めげず滑空して渡っていた。
殆どグライダーの飛行の感覚だ。グライダーと同じくサーマルでガグル(この場合はタカ柱)をつくり あがっていく。見ているとサーマルの出やすいポイントは決まっていて勿論タカはそこに群がる。上がり始める状況もグライダーと良く似ている。この日は上空の雲の吸い上げを利用しSasibaa ている場合が多いようにみえる。雲底が尾根頂上くらいの高度でやや低い日だったがそのまま雲中に入って高度を稼いでいた。グライダーと違って羽ばたけるが最小限にしているのがよく解る。谷を右するか左するかは下降風を読んで決めているのかもしれない。ハチクマは単機で渡っていくのが多いがサシバは群れる。
この日は11時頃から12時頃までがピークで、この間は適当にスコープを覗くと視野に何かしら入ってくる、8-10羽がスコープの視野でいっぺんに見えたりする。食事する暇がないくらいだ。サシバ、ハチクマばかりかと思えば、なんとイヌワシ!の声が上がりそちらを向くと真っ黒な大振りの姿が。これはすごいと思っているとぱったり止んでしまった。午後は本当に静かだ。ムッとした感じがしなくなって雲形が良くなくなった。3時まで待ってみたがもう終わりという雰囲気で、引き上げた。宿は新奈川温泉の川仙という旅館で、温泉なのに安かったのでとにかく予約しておいた。部屋はトイレもないが、合掌つくりでちょっと面白い。風呂はとても狭いが、食事はいい、まずまず、というところか。客はタカ見客と釣り客だ。翌16日は雨の恐れがあったがともかく朝は晴れている、お弁当を宿でもらってとにかく上がってみる。斜面を登り始めると、なんとYbirdとおぼしき一行が後ろから上がってきた、先頭の世話役らしい早足の数人に道を譲る。上がると広場では場所取りが繰り広げられていた。こうなると世知辛くなる。前日より更に人口密度が高い。人声も気になる。ちょっと。。。という感じがする。8時半頃にサシバの一群が渡ったくらいでタカは終わり、ハリオアマツバメが飛び交うのをみていると、ブッポウソウ、との声が上がり、外翼に白い班がある青みがかった中型の鳥が飛翔しているのが見える、図鑑と見比べて確かにブッポウソウのようだ。思いのほか動きがいい。
そうこうしているうちにザッと雨が降りかかる、雨具を羽織ってしばらく様子を見るが止む気配が無いので撤退を決意。
帰りは乗鞍高原側に降りてみるがこちらはリゾート化されている。こちらの方が何かと安心のようにも見える。せっかくだから一の瀬園地なぞを傘をさして散策して白樺と草原の乗鞍らしい風景を楽しんだ後宇都宮に戻る。
帰ってからタカのカウントをインターネットで見てみると、15日が399になっている、見た数は百羽+くらいだったから谷間や全体に散らばっていたのかもしれない、しかし、400くらいというのはちと多い感じがする。よく解らない。
とにかくタカの渡りを見るということがどんなものかは解った。白樺峠の混雑は少々興を削がれるものの、渡り始めるとあきない、面白い、一緒に飛びたくなるくらいだ、写真もたくさん撮れば数枚は見られる。しかし少々疲れた。もっと近くでも見れるポイントがあるのではないか。探さねば、そう思い始めている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月12日 (水)

北極海の昇温が異様に高いのが

気象の話を聴きにまた東京まででかけた。

以前から北極海の昇温が異様に高いのが気になっていたが少し解った気がした。海洋研究開発機構で北極海の調査にかかりきりの方が話してくれた話が印象に残った。

北極の気温が上がり続けている、その原因は、何かの拍子で夏場一旦氷が薄くなり始めると今度はこれSeaice4aを補うように冬場にできる氷の量が多くなって凍るときに放出する熱量が増え冬場昇温する、また夏場の開氷面が一旦増え始めると海面が吸収する太陽熱が増えて温度も上がり開氷面 が更に増大する、氷が小さくなって動きやすくなり北極海から大西洋に流れ出す氷の量が増えて更に開氷面が増える、という繰り返しで加速度的に進行する、ということのようで、平均気温の温室効果ガスによる上昇とは別のメカニズムで上昇しているようだ。人類が頑張ってCO2の増大を抑えてもしばらくは北極の氷の減少は止まらないことになる。ちょっと拍子抜けだ。

北極の氷は2mくらいの厚さで基本的に浮いている氷で解けても海面の高さは変わらない。マスメディアの、氷が解けて島が沈む、だから温暖化は困る、という訴えはいかにも浅はかで信頼性が無い、南極は温暖化しても雪が増えて却って水面が下がるという計算もあるようだ。温暖化して本当に困るのは何なのかをはっきりさせなければ実は空騒ぎなのかもしれないと思ってしまう。暑くなるだけなら慣れてくるだろう。感性に訴えていく話が多すぎる。

気候の変化を真摯に受け止めるのは大事なことだがどうにも過激になりやすいし政治くさい話がつきまとう。とにかく事実を確かめてクールに付き合っていくしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月10日 (月)

久し振りに百里基地で

久し振りに百里基地でF2だのF15だのブルーインパルスだのの機動をみた。較べてみると、F15が飛行場上空エリア内で低空の極めつけの急旋回を繰り返すほうがブルーインパルスの軽やかな曲技F2acよりも迫力がある。大きさと武器としての凄みを感じてしまう。ブルーインパルスの曲技を見たのは5年ぶりくらいだが、うまくなったというか洗練された感じがする。下方開花も綺麗にやってくれる。ずっと昔F86のブルーインパルスの飛行を真近でみた時のプラモのような雰囲気を思い出してしまった、平和だ。F2が対地攻撃の機動もやってみせたがこんなのから狙われる世の中は御免蒙りたい。
飛ぶことが次第に旅客機に乗ることと同義になってきている日々では、時々ギリギリの飛び方をしている機体が見たくなる。ストレークから出る渦を見ると妙に懐かしい。昔の恋人に出会った感じ、というのが最も近い、セピア色の雰囲気がある。

地上はものすごい人出と容赦ない暑さだ。終わったはずの夏がまだいた。ペットボトルもことごとく売り切れ、水道の水に人々が群がる。熱中症の恐怖が直ぐそばにいる。
クルマは今までで一番スムーズにたどり着けた、あっけないくらいだ。例によってずらりと並んだ路上駐車の中にまぎれて停める。他に行きようが無い。

ブルーインパルスの飛行が終わらないうちに次の目的地に向けて移動を開始する、時間の余裕が無い。しかしとにかく飲み物だ、しばらく走って混雑から抜けたところでコンビニに入って冷たいポカリを一気に飲む。ジュッと音が出るような気がしてしみわたる。こんな生き方をいくつまで続けられるだろうか、時々思ってしまう、ともかくまだ止められない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 3日 (月)

そろそろ震災が起きなければならない

久しぶりに、用があって東京に電車で出かけたが、少しいやになる。

Zz 4年前までは週の半分以上は出張で東京をかけ回っていたのに、最近は出張では殆ど出なくなった。たまに用があって東京へ出るとそのとげとげしさと、自分の中にとげとげしさが現出するさまを見て感じ入る。速く歩く、効率よく地下鉄や電車を使ってたどり着く、人が左にぴったりよった長いエスカレータの右側を駆け抜ける、少し遅れた人に容赦のない社会、優しさを仮装している社会。自分も染まってくる、もたもたする人が前にいると早くしろといいたくなる、やさしさが失われていく。
もうこんな生き方には決別したはずなのに、と思う。
どうして東京は傷ついた人を更に追い込む社会になってしまったのだろうか。段々きつくなってきているように思える。

関東大震災がまた起これば人は優しくなれるのかもしれない、そういえば江戸時代では繰り返し大火事が江戸を襲い、明治になってからも戊辰戦争や震災や大戦で、大きく破壊され被害が共感できる環境が周期的に作られて人間の内的崩壊の連鎖を免れ続けてきたようにも思える。そろそろ震災が起きなければならない、ということかもしれない。

本当に地震に注意したほうがよさそうな気がしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »