そろそろ震災が起きなければならない
久しぶりに、用があって東京に電車で出かけたが、少しいやになる。
4年前までは週の半分以上は出張で東京をかけ回っていたのに、最近は出張では殆ど出なくなった。たまに用があって東京へ出るとそのとげとげしさと、自分の中にとげとげしさが現出するさまを見て感じ入る。速く歩く、効率よく地下鉄や電車を使ってたどり着く、人が左にぴったりよった長いエスカレータの右側を駆け抜ける、少し遅れた人に容赦のない社会、優しさを仮装している社会。自分も染まってくる、もたもたする人が前にいると早くしろといいたくなる、やさしさが失われていく。
もうこんな生き方には決別したはずなのに、と思う。
どうして東京は傷ついた人を更に追い込む社会になってしまったのだろうか。段々きつくなってきているように思える。
関東大震災がまた起これば人は優しくなれるのかもしれない、そういえば江戸時代では繰り返し大火事が江戸を襲い、明治になってからも戊辰戦争や震災や大戦で、大きく破壊され被害が共感できる環境が周期的に作られて人間の内的崩壊の連鎖を免れ続けてきたようにも思える。そろそろ震災が起きなければならない、ということかもしれない。
本当に地震に注意したほうがよさそうな気がしてきた。
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