« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

2007年10月30日 (火)

冷酷な宇宙に生きて

Holms 太陽を離れつつあるHolmes彗星というのが突然アウトバーストして2等星くらいにまでなっているというので、これを知った金曜日に即見ようと思ったが、雲が広がっていたので果たせず、台風が来たりであきらめかけていた月曜日の晩、寝る前に夜空を見上げると月は明るいが晴れている、落ち着いてペルセウスを探してカペラも探してその間を探すと簡単に見つかった。もわっとしているのでそれとわかる。以前ハレー彗星が来たときに見たもわもわっとした感じよりはまだ星のように見える。

写真を撮ってみたが、何しろ暗いところで撮るので何を撮っているのか解らない、後で落ち着いてみてみるとどうもこれらしい。

何かと衝突して内部のガスが一気に噴き出したのだろうか、次に来るときは7年後となるがもうかけらしかないのではなかろうか。こんなのをみると、いつか地球も何かと衝突することは避けられない、いつか、が問題なだけだ、と思ってしまう。仰ぎ見る星空が計算外の表情をみせると、冷酷な宇宙に生きていることをこうやって現実に思い起こさせてくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月29日 (月)

謎の鳥

時々知らない鳥に出会ってなんだろうと思うことがあるが、今日は驚いた。昼休みに工場を散歩していたら芝生のところに変な鳥がいる。ハシブトカラスの2羽が道路をつついているそばにのんびりと芝生をつついている。ハトと同じか少し大きいくらいの見たことの無いTurukuinaa 茶色い鳥だ。写真で見たクイナに似ているような気がするがやけに首が長い。近づくとゆっくり逃げていってそのうち芝生の上に丸くなってしまった。さわれるくらいに近づくとさすがにトットットと逃げてしまう。面白い感じのする鳥だ。そのうち建物の裏にに入り込んでしまったがどうももう1羽いたような雰囲気だ。
家に帰って図鑑やインターネットで調べるが、今ひとつぴったりしない。ツルクイナ(のメス?)が近いといえば近い。しかし軽やかに歩いていてペタペタという大き目の足の平の感じではなかった気がする。ウーンとうなってしまう。明日も出てくるかもしれない、でも不思議だ。
台風が運んできたのだろうか。

台風は災いだけでなく新しい出会いももたらせてくれるようだ、こうやって世界は仲良くなるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月28日 (日)

紅葉の奥日光

今年の紅葉は思いのほか駆け足だった。秋の晴れた休日は紅葉に限る。混んでいるとは覚悟しながら、いろは坂の紅葉は渋滞が似合う、渋滞していればゆっくり見れる、とばかりに昼から日光に出かけた。予想通り清滝出口の5km手前から渋滞が始まった。ここDscn0089 らでも両側の紅葉の始まりは美しい。モミジのグラデーションが特に綺麗だ。雪をかぶった男体山を眺めながら、いろは坂の上まで2時間近くを要したが、途中は勿論十分楽しめる。光は次第に横からとなり錦の山肌にスポットライトを浴びせる。下の方はまだ青い葉が多いが、高度を上げていくと紅葉は盛りとなる。枯れた葉は昨日の嵐で飛ばされて紅葉だけが残っている、今年はいいようだ。
上がって立木観音あたりで秋の日光にひたる。はぜの実や小さなどうだんまで真っ赤だ。遠くには雪を頂く白根山も望める。
下りのいろは坂がまたいい。のぼりより明らかに綺麗だ、こちらの渋滞は大したことなく思いのほか車の流れが進むのが残念だ、写真も撮れないしゆっくり楽しむことが出来ない、光も翳ってしまっている、それでも赤や黄色や岩肌や常緑樹の緑の織り成す錦は素晴らしい。
とにかく紅葉の奥日光は晴れた休みであれば無理しても見たい、他では見たことが無い美しさといつも思う、毎年1回位しかないチャンスを今年も逃さなかったことが素直にうれしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京モーターショー 2007

第40回東京モーターショー 2007が始まったので初日に早速見に行った。出し物にも、観Dscn0060ab 客にも時代の動きを感じられるような気がして、とにかく毎回見ることにしている。このところモーターショーはそれほど混んでなかったので、台風接近の荒れ模様でもあるしタカをくくって開場時間がナビ計算の到着時間になるよう緩いペースでクルマで出かけたら、とんでもなかった。高速出口が長蛇の列で本線上に3kmくらい伸び極めつけのノロノロとなった。割り込みも多く感じ悪い。予定より1時間半遅れでとにかく到着、駐車場の駐車位置も随分奥のほうになってしまって、混んでいる。関西ナンバーもちらほら。会場に入ると、今年の感想はとにかく人が多くて活気が戻ったことだ。出し物そのものは、今までの燃料電池車やハイブリッドの技術を誇示するような技術の押し出しは今回は今ひとつ弱くクルマそのもののコンセプトを前面に出そうとしている、があまり面白くない。どうみても窓も開かないむなしい感じのするコンセプトカーなんかがまた出ている、こんなのが公道を走れば事故間違いなしと思われる一人乗りの電動モバイルビークルもあきもせずまた出ている。電動ビークルならお年寄りが良く利用している電動三輪車でもまじめに取り組めば面白いような気がするがどこもそんなことはやってくれていない。トヨタは発売が近いといわれるプラグインハイブリッドすら持ってきていない。結局、新車の展示会、現在売られているクルマの展示会のニュアンスが強まったような気がするし、事実そこが面白い。見通せない将来より目の前の現実、という感じだ。確かに時代を反映している。今年は高いクルマも目に付く、レクサスの1600万円のクルマに驚いていたらベンツのマイバッハは6000万円のセダンを展示している。一体どこにそんなカネがかかるのか、売れないから高くなるんじゃないかと邪推してしまう。技術よりも、わかりやすい 値段で押している、ということか。今年の観客で目に付くのは外国人の多さ、初日だから特に多いのかもしれない、グローバリゼーションという言葉がちらちら浮かぶ。
次に回るところもありいい加減疲れてきて会場をでたら嵐だ。台風がそばまで来てしまったようだ。前の日に南の海で発生した台風がもう来てしまうとは、今様だ。動きの早さは、将来を見通しにくい今の状況を表現したようで、モーターショーの中身とオーバーラップして感じられる。やはり目の前の今を見るしかないんだ、横殴りの雨を受けてクルマへ戻りながらまたそう思ってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月25日 (木)

秋の夜長は

秋のクリヤーな夜空に14夜の月が浮いている。日本の月探査機があそこにいるのかとTuki 思うとちょっと複雑な感じもしてくる、しかしいい月だ。。

郵便といえばとにかくダイレクトメールが多いがたまには読みでのあるものもある。住宅のお客様サービスで送ってくる冊子に最近脳の話が出ていた。AIで脳とことばの研究をした黒川伊保子さんという方のエッセイだ。年をとって脳が老化して衰退するという考え方は違っていて、脳は年とともに進化し続ける、成熟してもっとも頭が良くなるのは53歳―65歳 というのである。単純記憶は減退しても全体がバランスよく働き洞察力が優れこのころが人生最強の脳になるという。ほんとうかいな、と思ってしまうが、自分に心地よい話はどうしてもフムフムと頭に入ってしまう。そういわれればそのような気もする、多角的考え方はこのあたりが得意のように思える。勿論個体差はありそっちの方が大きいようにも思えるが、物忘れはあっても肝心なことは覚えている、どうでもよいことは忘れて考えがまとまりやすくなる。全体の俯瞰はなんだか見やすいように思える。

こんな話はちょっとばかり元気が出る。考え方一つで見えてくる世界が変わってくる様で面白い。

このごろエッと思わされたことに出くわしたのは、血液型と性格の関係を本当のことといまだに信じている人がいることだった。こんな話は疑似科学として社会心理学的には面白いところもあるが科学的根拠は無論無い、世界的にこんなことが言われているのは極東エリアくらいだ。女性雑誌が売れなくなると血液型の話を載せる、こうすると売り上げが上がる、といわれていた、マスメディアが視聴率稼ぎや売り上げ稼ぎで安易に流す典型ないい加減な話だ。この手の話をみると人間的弱さを感じる、人を何かの枠に入れて理解して安心する、枠の社会の一端をみてしまう。枠を捨てると見方が変わる。人が人を理解することはたやすいことではない、でも正面からそのものを理解しなくては、といつも思う。

成熟脳の話も、枠の社会も、何か関係がありそうな気がして引っかかっていた。気持ちが変わると見方が変わる、見方が変わると気持ちも変わる、ということか、どっちでもいい。

秋の夜長はこんなことをつらつら考えてしまう、長い時間をゆったり使えるようで何か楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月22日 (月)

秋の雲があまりに綺麗で

鬼怒川沿いの刈り取られた田んぼのあたりをのんびり散策した、渡り途中のノビタキが小Kibitk さな群れをなしている。ノビタキは人がいてもあまり逃げないような気がする、里山の鳥のようにも思う。河原の林からはモズの高鳴きが響き、そのうち無粋な騒がしいカケスの声もしてくる。

見上げると秋の雲があまりに綺麗で。単なる物理現象であることはわかっているのだけれども、朝の光をうけ繊細に、昼の光をうけ雄大に、ノビタキの上に広がり、いきているように、生きていることをあらわしている様に変化しながKmら流れる。

こんな雰囲気の秋の日は時の動きも遅くなって、このままの時間が続いていくことをひそかに願ってしまう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年10月20日 (土)

デジカメ画像が消えて

久し振りに使ったコンパクトデジカメのCFカードからパソコンに画像を取り込もうとしたら突然CFカードの全部の画像が消えてしまった。カードをカメラに入れなおすと フォーマッOlmpsc2 トしますか、と聞いてくる。メモリーのヘッダーが壊れたのかもしれない。ともかく一瞬のうちに中味が消えてしまった。CFカードから以前パソコンにダウンロードしていた数枚はかろうじて生き残った、しかし、めったに会わない人たちにあった写真や風景や少し前まで見ていたスナップが一切なくなってしまった。こんなことはあることだとは聞いていたが体験するとわが身を疑うほどだ。どうやら、USBカードリーダーに問題があるようにみえる、今回CFカードでははじめて使ったものだ。
フィルムカメラではこんなことはあり得ない、とにかくネガが残れば火事でもない限り消えてしまうことはない。デジタルも良し悪しだ。
こんなにスッパリ消えてしまうと、自分の記憶さえ逃げていってしまったような感じがして、もはやそのことがあったことなのかどうかさえ、怪しげな気がしてくる。
しかし、しばらくたつと、もうどうでもよくなる、あっても、なくても、今には及んでいない、消えたところで、結局何も変わらない、内的な存在はもともと怪しげなものだ。記憶から去り記録から去れば無かったことと同じだ。
こうやってやはりその瞬間瞬間を生きていくしかないとまた悟らされてしまう。時々デジタルな機器はこうして世界の本質を輪切りにしてさらして見せてくれる。ナノに迫りつつあるデジタルの世界は哲学の領域をカバーしつつある様に思えてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年10月16日 (火)

霧降の霧が

Tenkiz 秋の空は変わりやすい、読みにくい。

晴れるはずの日曜日に日光霧降のリフトで上がって行ったら、第4リフトで雲底に突っ込んだ。雲底が1600m位となれば平地の湿数(=気温―露点)は簡易計算では10を越えるわけで、平地なら晴れ、ということになるのだが雲が張り付く山では霧になる。霧降一帯はゆるい南東の風だった、この風が吹くといかにも山の斜面を駆け上がっていく形になり雲ができる。特にこの日は前夜が思ったほどには冷え込まず結露が殆ど無く混合比(即ち大気単位重量当たりの水分重量)が下がってくれなかった、朝になると麓からの吹上で湿り気のある空気が上がっていき、これに上空にゆっくり入ってきた寒気とが混ざって簡単に1130large 露点に達して中腹に雲を貼り付けてしまった。奥日光の方は東からの吹上が一旦いろは坂でせき止められるので戦場ヶ原あたりは雲の中に漬かってしまうことにはなかなかならない。この日の低い雲も衛星写真をよーく見ると中禅寺湖の東側、すなわち霧降のあたりに雲がたまっていて動かない様子が見えてくる。ゆるい南東風では霧降は山腹での霧に要注意ということになる。天気図からは晴れて当然なのだが東/南風の吹く状態では霧降の山腹ではとても晴れとはいえない天気となる。これを入れて予報として見通すのはまだ力量不足だったかもしれない、でも段々解ってきた。

山腹は時折霧が晴れて錦の紅葉を見せてくれた、霧がかかる風景もまた悪くない、鳥もウグイスなんぞはコメツツジの潅木にもぐってぐぜった声を出している、これも面白い。
霧でも紅葉しかかる木の葉でももぐりこんだ鳥でも伝わってくるものに満ちた秋はひたっているだけで十分な気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 8日 (月)

野鳥録音を着信音とするのが

携帯を新しくして色々発見がある。
MOVAからFOMAに変えたが、FOMAは山地ではまだエリアがMOVAより狭い、と思い込んでいた。ドコモショップでもそれを認めるような言い方をしていたので、気になって、手元に残ったMOVA機をデュアルネットワークとしていざとなれば使えるように契約しておいた。早Nec_0003速、休みに、近くの日光霧降の斜面を登ってみて受かり具合を比較してみると予想に反しMOVAは受からずFOMAは受かる。同行者のMOVAはやはり受からないのだから機器のせいではなく電波の具合だ。ドコモはFOMAエリア拡大に非常な努力を傾けていたのはわかっていたが遂に逆転にまで至っていたとは、と少々驚いた。これではデュアルで残す意味がない。契約は早速解除ということにした。いかにも進展が早い携帯の世界のスピードを計らずも感じてしまった。
自宅に戻って、パソコン接続、着信音の自前供給にとりかかる。まずはパソコンをモバイル化できるようmopera接続を試してみる、結局これは携帯をUSB接続して*99***1#にダイアルするようにすればパケット通信でのパソコンのインターネット接続が可能となった。Movaよりは相当早いし割安となる、これは実用になる。少し気を良くして、続いて、自分で録音した野鳥の声を着信音とすることにトライする。簡単にできそうだ、と思っていたら、これが思いのほか厄介だった。どうやらCDから勝手にコピーされた曲が着信音にされないようガードが張られているようだ、着うたは音楽業界でいいビジネスになっている。携帯機のメディアはマイクロSDなんだが、買ってきてその小ささに驚いた。SDアダプターの下部にひっそりはまっている、これは確かにマイクロだ。通常のSDが小人の世界のガリバーの持ち物に見えてしまう。時々スイフトの物語は未来の暗示のように思えてくる。ともかく携帯のマイクロSDにパソコンに保持していたmp3やwmaの音を携帯で音楽として聴ける音として変換して送る。これは、添付のソフトのSD-Jukeboxで簡単にできたが、送られてきた音を着信音に変換することは携帯の機能にもSD-Jukeboxの機能にもない。しかたがないのでネット上で流されている情報を集めてきて、なんとか突破を試みる。
結果的には成功したのだが、疲れた。
まず、用意すべき音源はWAVファイルだ。次にQuickTime6.5.2とQuickTimeAlternative1.32 を探してきてダウンロードする。最新のQuickTime7ではうまくいかないらしい。QuickTimeAlternative1.32をダウンロードするだけでQuickTimeは単なるプレーヤーからファイル変換.・save機能付のソフトに変身する。ここでwavを3gpというファイルにエクスポート機能で変換する。次に 着もと というソフトを探してきてダウンロードする。このソフトで 着もと化 を実行すると、晴れて着信音に使える音となる。ファイル形式は3gpのままだ。この出来上がった3gpのファイルをネットからアクセスできるところへアップロードしておき、ここに携帯のインターネットで読みにいけば3gpが携帯にダウンロードされ、着信音として使える状態になる。
ともかく、試しに奥胎内録音のアカショウビンを入れてみる。うるさくなくて丁度いい。
半日近い努力が報われると、そのうちFOMA向け着信音ページを作ってみようか、とも思い始めている。と、書いたのだが、とりあえず簡単なページができてしまった。(添付のQRコード)。Torioto まともな音にしていかねばと気になってやることがますます増えてくるが、それもまたいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 5日 (金)

携帯を

携帯を新しくした。気分が少し変わった。持ち物は時々新しくした方がいい。
N703 元のが電源が突然ダウンしたり調子がおかしくなったので、古いしもう買い換えよう、とにかく薄くて軽くてデザインのいいものを、と探していたらN703iμというのがぴったりだったので即買ってしまった。翌日、たまたまCEATECに出かけていったらNEC携帯のところでなんと買ったばかりのN703iμの説明を熱心にやっている場面に出くわした。CEATECは国内最大の電機・通信のビジネスショーだ、ここに出しているということはかなり新しいんだ、携帯の新しい形なんだ、なんとなくうれしくなった。
まだ慣れていない、慣れるまでは使い勝手が悪い。が、いじるのが面白い。時代の感性が伝わってくるように思えて、いい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »