冬至と12夜と
冬至の話を少しだけ調べていたら丁度読み直していたシェイクスピアの喜劇「12夜」が関係しているのに気づいた。これもボコノンだ、おやと思うことが関係してくる。 12夜というのは何のことなのか、最後の訳者あとがきまで読んではじめて解った。12月25日から始まって1月6日まで続く12日間のクリスマスの祝祭の最後の夜のことだという。1月6日はベツレヘムへ東方の3博士がイエスの誕生を祝いに現れた日で、公現祭というらしい。ここでドンちゃん騒ぎも終わりまた明日から日常が始まるという最後の夜という意味あいがもたされているようだ。
そもそもクリスマスは冬至の日が化けたものとの説が強い、とすれば昔も今も正月付近の暦はほぼ同じで、昔から1月6日の翌日あたりが日の出が早くなりはじまる最初の日ということになる、冬至のひと月の終わりの日だ。暦が現在のように固まる過程では年の初めと冬至との関係はどこかでセットされたようで昔は中国でも冬至を年の初めとした時期があるらしい。農耕文明の発達に伴って暦が精緻なものとなっていき冬至や立春などを節目として生活するやり方が洋の東西を問わず用いられたようだ。冬至も過ぎて日が昇るのが早くなる初めの日を、祭りのシーズンの終わりとするのは納得できる。太陽に促されて働き始めなければならない。
シェイクスピアの12夜はなにもこの時期に起こった話というわけでもないようで、登場人物による大騒ぎがクライマックスに達し全員が一堂に会してめでたくハッピーエンドになる話、という点が12夜のタイトルの由縁とみえる。話もいかにもシェイクスピアらしいトリックとレトリックに満ちている。
この作品とハムレットが作られたのは1600年、関が原の時だ、シェイクスピアは徳川家康と同時代を生き同じ頃に亡くなっている。これも洋の東西を問わず生き生きとした時代のように映る。風は地球をめぐり時代を作る。
こんなことを読んだり調べたりしていると太陽と地球の動きからもどうしようもなく逃れられない人類共同体を感じて何か安心してしまう。
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