トラツグミが
真岡の井頭公園に散歩でもと昼から出かけてみた、奥日光に行くにはちょっと時間が遅い、羽田沼へ行くにもややおっくうになって近場でという感じだ、少々怠惰かとも思ってしまう、こんな調子では雪に遊ぶのもまたゲレンデスキー止まりに戻ってしまう。上空に寒気がかぶさっていてこの冬一番の寒さだがよく晴れているし今日の栃木は風も弱い、散歩にはまあいい日だ。冬だけあって鳥は多い。池はマガモだらけだで、コガモもピーピーという声も響かせて隅にかたまっている。なんのアイサかと思えばミコアイサのメスがいて、隣の池にはパンダ模様のオスもいる。斜面の林と藪にはルリビタキのメスやマヒワやメジロやカラ類がうるさいほどに飛び交っている。シロハラなどはそばまで寄っても逃げもせずしきりに草の根をつついている。いつもの冬の井頭だ。が、ちょっとばかりにぎやかだ、と思いつつ歩 みを進めるとツグミ位の鳥が地面に沿って飛び立つ。もしやと思って探す、見つけた、トラツグミだ。目がクリクリしている、茶色の羽根が微妙な色合いで綺麗だ。動きが遅いのでスコープでもゆっくり見れる、が目を離すと枯葉色の背景に埋もれてしまう、見事な保護色だ。声も撮りたいがそう都合よくはないてくれない。今年はここのトラツグミはしばしば出現しているという話も聞く。周りの林や藪が少しづつ切られて安全で住み心地のいい場所に移動しているのかもしれない。決まった場所でしか鳥が見られなくなるというのでは都会の鳥見のようだ、里山ではバードウォッチングなどという言葉も虚ろなほど鳥はそばにいるような気がする、三宅島に出かけた時も地元の普通の人は、鳥のどこがめずらしいのか、と素直に話してくれた。都会人の遊びだ、これは。どこか地に足が着いていないようなところを感じるのもそのせいか。都市への集中がこんな遊びを生んだのだろうか。
以前から思っている、世界は自分の中にある、自分のやっていること感じていること経験していることを素直に見つめてつきつきめていけば そこには世界で起こっていることそのものが凝縮されている、と。ここでバードウォッチングしていることは実は自然環境が失われようとしている現在の状況そのものの裏返しではないのか、そんな風にも思ってしまう。そうかもしれない。
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