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2008年5月29日 (木)

脳内写真

野鳥を見ていて写真に撮る事も出来ない場面に遭遇することが時々ある、こんな時は後でスケッチを起こすしかない、しかし大体が急に現れてあっという間に去って行って、怪しげなスケッチが残るだけだ。以前、野鳥の絵を数多く描いておられる水谷高英さんに日光まで来ていただいて野鳥の描き方を講義していただいたことがあるが、その時のお話は、鳥を見て即座に例えば卵形のような基本形に当てはめれるようにすれば描きやすい(とテクニックの話があったOoruri後で)、しかし私はその場面全体をあたかも写真のように頭に焼きつけられるので帰って落ち着いてそれを描いていけば何でもないと思っている、こんなことはみんなが出来ることだと思っていたがどうもそうではないらしいですね、とあって、これは できない、と思ってしまった。画家になれる人とそうでない人は生まれもって違うものがあるのか、とその時はあきらめたように感じてしまって、結局みっともないスケッチを時々描く事態が続いていた。ところが つい最近日経ビジネスオンラインに佐藤信正という方が脳内写真の技術という記事を書いているのを見つけて、これだとばかりに読むと、写真のように脳に焼き付けることはちょっと訓練すればたいていの人が出来るようになる、とある。本当だろうかと思うが、手順はこうだ、覚えたい場面に遭遇したら、まず映像よく見てこれにタイトルをつける、次に こめかみを指で押してシャッターを切るしぐさをしてカシャと声に出す、最後に時計を見て撮影時刻を確認する、これだけのステップで脳内写真が撮れる、という、これは簡単と早速やってみる、確かにその風景が妙に頭に入る。水谷さんの言われたのは本当で実は誰でも程度の差はあれこのような能力は持っているような気がしてくる、何度もやっていけば水谷さんのレベルに近づけそうにも思える。人間の記憶もコンピュータのファイルと同じように名前をつけないと探すことが出来ないのだろう 探せないファイルはないのと同じになる、そういうことか、と勝手に得心してしまう。
ともかく、つぎにフィールドで鳥に出会ったら試してみよう、慣れれば段々シャッターも早く押せるようになるかもしれない。

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2008年5月26日 (月)

スカイプ

身内に米国への引越しが出て、電話ではたまらないと、慌ててスカイプのセットをいじったらこれが思いのほか大変。それまで曲がりなりにもボイスだけでは動かしていたバージョSky2 ン3.0のスカイプにカメラをつけてこの際バージョンも最新のに、とばかり3.8に入れ替えたら、何故か全くノロノロとしか動かず、テストも途切れてまともに動作しなくなってしまった。どうしたものか、プログラムの削除と追加でバージョンを入れ替えたのでもはや昔のバージョンには戻せないし。。。背景で走っているソフトと干渉しているのだろうか、プライオリティを上げればいいのでは、と色々やってみても効果なし、数日間相当に滅入っていた。気を取り直してネットで同じ悩みの人がいるに違いないと探していたら、見つかった。解決策はこうだ、windows xpのアクセサリのシステムツールにあるシステムの復元、というのに、昔の指定の日の状態に戻せる、メールやファイルは消えない、という不思議な機能があってこれを動かし、問題のバージョン変更をインストールした日以前の日を指定して復元すれば旧バージョンのシステムに戻せる、というのである、こんな魔法のような機能は全く知らなかった、とにかく早速やってみる。指示された手順で1週間くらい前の日付までもどすことにして、待っていると自動的に再起動されて出てきたのは確かに削除したはずのバージョン3.0スカイプがインストールされた状態のパソコンだった、すごい、バックツーザフューチャーだ。ともかくもう一度カメラのセットを始める。USB接続のイヤフォンマイクでボイスは動く、これにカメラをインストールしてこれもUSBにつなぐと何故かボイスとカメラが同時には作動できない、まだなんだか変だ、しかしここは落ち着いてイヤフォンマイクをジャックタイプにかえたらやっと両方が動いた、試しに米国の身内につなぐと、うまく話せて絵も動く、やった、の心境だ。海外とのテレビ電話がタダで出来るようになった。どこが本当はまずかったのかよくは解らないが、とにかく動けばしめたものだ。

パソコンのソフトを巡るトラブルは、はまると疲れ果てる、虚しい時間が吸い取られるように消えていく。自然のサイクルと切り離された世界にはまり込んで抜けられなくなる。
何かを得て何かを失っている。いつかは失ったものの塊が耐えられなくなって一気に崩壊しそうに思えてくる、そんなそこはかとない不安が純粋に自然のサイクルで生きている生き物に人類の気持ちをむかわせているのだろうか。時々そんなことを思う。

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2008年5月23日 (金)

つながり合い尊敬しあって

ネットでなにげなく漂っていると時々、はっとする図に出会うことがある。この間もwiredのニュースに人類の出現からの移動の軌跡を作成、というのがあったので見てみたらDNA20080514191 で追跡した世界地図が出ていてはっとした。気になる日本人の起源だが、南インドからインドネシアを経て海を北上して日本にいたりここからユーラシア大陸とアメリカ大陸に向かっている。はっとしたのは日本語起源説の中に、日本語は南インドのタミル語がクレオール化したクレオールタミル語である、という説があり、きわめて良く似た言葉がたくさん見つかっている、という事実だ。何故南インドなのか、というのが不可解で異端のような説になっていると思っていたが、この図をみると、クレオールタミル語というのは当然のように思えてくる。この遺伝子追跡もまだ柔らかい状態なのではないかと思うが、次第に技術が進めば謎が解けてくるのではなかろうか。こうやって人類は もとはひとつで、つながり合い尊敬しあって生きていく他ないとの気持ちが伝播していけばそのうちには国境のようなものは無くなるのではないか、国を支配する、国を防る、などという思想そのものが捨て去るべきことをいつかは悟るようになるのではないか。

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2008年5月21日 (水)

機体に落雷

福岡空港で東京行きのJAL便を待っていたら、使用機体の尾翼や翼を丹念に点検している、どうしたんだろうと思えば、前のフライトの着陸降下中に機体に落雷があったため点検で遅れるとのアナウンスがある。落雷とは穏やかでない。携帯電話の使用も禁じられている機体に、である。恐らく雷の入ったところと出たところはアルミが少し溶けているのではないか、と思うが荷重を持つところでもなければ、構造は大したことはあるまい、電子機器にどこか損傷が残るのではないか、と危ぶむが、きっとチェッカーで見ているに違いない、OKが出れば飛ばすのだろう。このまま待っていればよさそうにも思える。昔 斉藤茂太の飛行機の雑文に、やはり飛行機好きの友人が 福岡空港上空で今雷に会った、今からでも間に合うかもしれないから直ぐに福岡便にのれ、滅多に飛行中に雷なんぞ経験できない、とばかり斉藤茂太に急いで電話してきた話が書かれていたのを思い出した。何故かこれも福岡だ。確かに滅多に落雷には会わない。今回は北の寒冷前線に南から台風が湿潤な空気を送り込み不安定な状態になったための雷のようだ。右翼端の点検孔を開けているように見える、どうもここらに何らかのダメージがあるらしい、程なく点検はおわり、大丈夫らしく展開していた整備員も落ち着いて片付け始めた。やはりこのまま飛行のようだ。せっかくだから上空で雷にあってみたいと期待する半面、機体が大丈夫だろうかとやはり気にもなる。ともかく30分遅れで南向けにUncyu 離陸、直ぐ雲に入ってがたがた揺すられるが雷の気配は無い。南側では雷雲までにはなっていないようだ、しかし厚い雲だ、30000フィートになってもまだ雲の中だ、これは乱層雲と呼ぶべき雲だ。機体の具合は特になんと言うことも無いようにみえてしまう、当然だろうが。どうもジェット気流の芯を選んでやや低めに飛んでいるようだ、遅れを少しでも戻したいのだろう、遅れは乗客も困るが航空会社も後の便に遅れが伝播して困る。15分くらい追いついたか、というところで大島上空通過、このあたりから飛行経路が緩くなる、どうやら着陸順番待ちで速度を落としているようだ、せっかくとばしても元の木阿弥で結局30分遅れで着陸となった。この日はもうひとつ回る予定があってこのくらいの遅れで感謝すべきなんだろうが飛び立つ前の、この先どうなるのだろう、という不安からは少々拍子抜けの結末に終った。
旅をすると、どんなにつまらないところでも全てが面白く、生きていることがありがたく思える。雨が降れば雨の面白さがあり天気が荒れればそれもまた面白い。

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2008年5月17日 (土)

ただ流れ行く時間が

このところ同窓会のようなもので集まることが増えている。パラレルに年が過ぎていく、互いの顔に自分の姿をみてしまう、だんだん嫌味が抜けてくる人もいれば濃くなる人もいる、体型も重々しくなる人、そうでもない人、さまざまなところがいい。

メタボTurusiの話でぼんやりテレビを見ていたら85cmというのがやりすぎではないかとの話題に 値の設定にかかわったらしい肥満学会会長のなんとかいう医学部長が登場したのだが、官僚的で明らかに視聴者を小ばかにしている、どうして85cmがいいのか何の説明もしなくてただこれでいいと思っている、とばかり言い張る。こんな人が出てくるのを見たとたんこのメタボの話の裏には国民のことを考えるのではない官僚の考えがうごめいているのが透けて見えて全く信用がなくなってしまう。まあ一筋縄ではいかないことも色々あるのだろう。

ただ流れ行く時間を眺めるだけでも生きているのは面白い。

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2008年5月13日 (火)

鳥よ花よと暢気に時を送るのが

連休に軽井沢に遊びに行っても同じところでは面白くないと行ったことの無いところを探すのだがかなりネタが尽きてきて今回は長野牧場というところに行ってみた、ほんとは花見スポットになっているがもう散ったらしい、ともかく高速を佐久平PAのスマートICで降りてナビを頼りに探していく。どうも上信越自動車道という道は好きになれない、少しでも早く降りたくなる、トンネルばかりで、走り方も気持ちよくない走りのクルマが何故か多いし、サービスエリアの雰囲気も良くない、東北道とは随分な違いだ、東北道はともかく穏やかだ。
長野牧場はヤギとウサギの研究をする国立の牧場だった、皇室も時々訪れているようだ、確かに子供連れが多い、花見に好適な芝生が広がっていて花は散ったがそこここでお弁当が広がる。変なヤギを、こんなのもいるんだ、とのんびり見ている、こんな過ごし方は楽だ、遊ぶことをせかされない。なんとなくいい気分になって中軽井沢の野鳥の森にいってみると、こちらは人も多いが鳥も多い、いままでで一番にぎやかなような気がする、オオルリ、クロツグミ、イカル、サンショウクイ、キビタキ、、、が しっかり鳴き声を響かせながらSanski 姿を露わす、買ったばかりのPS-1000Mで録音もしてみる、色々忙しい。クロツグミの声は随分と日光のものと節回しが違う、毎年渡ってきて同じ森にもどるのだろうか、節回しも代々引き継がれるのだろうか。翌朝ゴルフ場の周りを散歩するとここも鳥がにぎやかでオオヨシキリまで鳴いている。今年はいい年なんだろうか、春が駆け足で走り抜けていくのを感じて鳥も相手を探すのに忙しいのではないか、と思ってしまう。連休には裏磐梯にも行ってみたが、こちらもアオジやオオルリやクロツグミがうるさいばかりだった。そうはいっても軽井沢の帰りに奥日光へ寄ってみると静かなものだ、いつものアオジポイントにもアオジの声もない、3日前の五葉平はいつもの通りのさえずりの洪水だったので日光が嫌われているわけでもなかろう、標高がやや高いのでまだたどりついていないのだろうか。
ともかく今年は花も鳥もなんだかいい、鳥よ花よと暢気に時を送るのが先が見えない景気や落ち着かない時代には必要なことのようにも思えてくる、地球からの贈り物のようでもあり、これも地球と人間との対話のひとつかもしれない

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2008年5月 5日 (月)

PCMレコーダー

Ps1000m_2  野鳥の声の録音をしばらくHiMD(sonyMZ-NH1)+AT822で録音しているが、HiMDのメカに不安があって録音失敗がしばしば起こる、このあいだなどは前の録音もろともHiMDディスクが2枚もfile-errorになって消えてしまった。もう限界かという気がして最近はやりのメモリーカードに録音するPCMレコーダーを買ってきた。当面はHiMDとパラレルに録るつもりで、2台運用可能なようになるべく軽くてバッテリーの持続時間が長いもの、として、出たばかりのサンヨーのICR-PS1000Mを選んだ。メディアはマイクロSDだが携帯がマイクロSDで席巻されつつあるようでしばらくは入手性がよいとの読みもある。気になる価格は.comで調べたのを見せたらヨドバシで30,800円にしてくれた、最安値より僅かに安い。買って帰って直ぐにHiMDと比較してみる、ついてきたイヤフォンの性能が良くないので最初はこれはひどい音質だ、と落胆してしまったが、HiMDで使っているイヤフォンで聴き較べると、ともかく使えそうだ。声紋をみるとバックグラウンドノイズが何故か高周波数帯までうっすらとかかるのは少々いやになるが普通に聴く分には問題になるようなものでもない。HiMDの補助としては十分使えそうだ。それにしてもHiMD+AT822の音のよさを改めて認識する、これは大事にうまく使っていかねば、捨てるなんてとんでもない、と思ってしまった。フィールドで両方を使ってみると、ICR-PS1000Mの直ぐに録れる便利さは圧倒的で、HiMDは落ち着いて録る時、と、役割分担すれば丁度いいようだ。グリップノイズも小さいようで手に持ったまま録るのでいける、また、録った音を内臓のスピーカーで直ぐに確認できるのもいい。

しかしデジタル機器の勢いは方向が決まれば止め処が無い、PCMレコーダーに何がしかの需要があると見定めると各社一気に出してくる、今年に入って新製品のラッシュだ、そうはいってもこればかりはちゃんとした環境で個別に録音して聞き比べて買うなど現実には不可能に近い、結局一種のイメージで買ってしまう事になる、不思議な商品だ。なんにでもそんなところはあるにせよ、だが。

ともかくはやりのデジタル機器はそれ自体が時代の今を背負っていてそこが面白い、暫くは遊んでみよう

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渋民村にて

東北の春に浸りたくて、雫石に遊びに行った。渋滞も無く思ったより早く着いてあたりを走り回っていたら、渋民村というのが近くにあって寄ってみることにした、啄木の渋民村である。丁度春がさかりにて岩手山を望み花がいっせいに開く、清新な印象のする場所だっSibutm た。資料館には啄木の巻物になった手紙が何点も残っている。数行おきに墨を継いだ跡が明らかで何か生なましい、それに長い。お礼やお願いの手紙ばかりだがとにかく墨で巻物に長文を書いて意思を伝えるやり方はこんなだったんだと改めて思い知る、書き間違いも無く一気にすらすらと書きつづっている、ワープロ推敲に浸ってしまった今が少々情けなくなる、自分には書けそうに無い。墨書きの借用証書もたくさん残っている、金にはかなり苦労した様子がありありだ。野口英世記念館に残る多数の借金返済を求めた手紙を思い出してしまう、名を成した人の後世に残るものは大半が借金証書と借金を巡る手紙だったというのも何か感じるところがある、人の生きているうちに書いている文書で残るものは結局そんなものばかりなんだ。啄木は勿論優れた作品を残しているが、それでも残された書き物だけでは生き方そのものは実は何も解らない様に思う。本質的な部分は殆どが会話であり感じていることそのものでしかないのではないか、空中に放たれた夥しい言葉は時空のかなたへたちまち飛び去ってしまう。立派な本も出せない凡人はろくなものは残らない、やはり生きている今そのものしかない、残すことより今を目一杯感じるしかない、なんと時間の足りないことか、と思ってしまうが。
渋谷村を後にして、鳥や桜を見ながらぶらぶらと宿へ向かう。それにしても岩手の春は美しい。

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2008年5月 3日 (土)

春は東北

思わぬ雨の日が連休の最中に出現して、みれば、また切離低気圧だ、高層のトラフの先っぽが切れて日本の上空やや南にとどまっている、本当に今年は北極回りの寒気の波うちが大きい、やたら寒冷渦を放出する。埋め合わせに北海道に暖気が入る。予測計算が合いにくい。
もはや散っているとは知りながら4月の終わりに秋田・角館の葉桜を見に行った。少しくらKakunodt2 いは残っているかと密かに思っていたが桜吹雪もとうに終わって本当に葉桜だった。連休の遠出は暫く前に宿を押さえる都合からこんなことが起こる。やたらツアーバスが多くてあきらめ顔の大群が武家屋敷だの桜堤だのを埋める。地元も葉桜の下で桜祭りの行事を粛々と進めていく、なんだかおかしくなる。前の日には、すぐ東側の岩手・雫石あたりを走り回っていたが、小岩井農場の桜並木や一本桜は丁度満開で雪をつけた岩手山をバックになかなかの風情を見せていた。こうもちがうものかと唖然とする、秋田側のほうが山の芽吹きも全体に早く 西のシベリヤ側から暖気が押し寄せてきた今年の春の不思議さを体感できる。そうはいっても角館でも桜の名所以外での郊外では結構花が残っている、作られた名所の桜は見栄えのいい種類に揃えられ手入れも日当たりも良く大事にされて周りの桜より早く咲き早くそれも一度に散ってしまうように感じられる、何か今様だ。昔からの桜とはいえそれに輪をかけて町おこしによかれと一所懸命にやっていてやりすぎてしまう、桜そのものをいつくしんでいるのだろうか、とさえ思ってしまう。上野のパンダと同じだ、これは。死ぬ間際まで見世物となるパンダの哀れさがかぶってくる、見る側見せる側の視点しか感じられない。
そうはいっても春の東北の花やいだ雰囲気は素晴らしい、花はひらき、終れば霞のような若葉が広がる、雪が消えはじめるなだらかな山も、なんともいえない雰囲気だ。やはり春は東北だ。

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