渋民村にて
東北の春に浸りたくて、雫石に遊びに行った。渋滞も無く思ったより早く着いてあたりを走り回っていたら、渋民村というのが近くにあって寄ってみることにした、啄木の渋民村である。丁度春がさかりにて岩手山を望み花がいっせいに開く、清新な印象のする場所だっ た。資料館には啄木の巻物になった手紙が何点も残っている。数行おきに墨を継いだ跡が明らかで何か生なましい、それに長い。お礼やお願いの手紙ばかりだがとにかく墨で巻物に長文を書いて意思を伝えるやり方はこんなだったんだと改めて思い知る、書き間違いも無く一気にすらすらと書きつづっている、ワープロ推敲に浸ってしまった今が少々情けなくなる、自分には書けそうに無い。墨書きの借用証書もたくさん残っている、金にはかなり苦労した様子がありありだ。野口英世記念館に残る多数の借金返済を求めた手紙を思い出してしまう、名を成した人の後世に残るものは大半が借金証書と借金を巡る手紙だったというのも何か感じるところがある、人の生きているうちに書いている文書で残るものは結局そんなものばかりなんだ。啄木は勿論優れた作品を残しているが、それでも残された書き物だけでは生き方そのものは実は何も解らない様に思う。本質的な部分は殆どが会話であり感じていることそのものでしかないのではないか、空中に放たれた夥しい言葉は時空のかなたへたちまち飛び去ってしまう。立派な本も出せない凡人はろくなものは残らない、やはり生きている今そのものしかない、残すことより今を目一杯感じるしかない、なんと時間の足りないことか、と思ってしまうが。
渋谷村を後にして、鳥や桜を見ながらぶらぶらと宿へ向かう。それにしても岩手の春は美しい。
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