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2008年8月20日 (水)

グローバリゼーションの終焉

オリンピックとともにロシアが戦争を始めた。嫌な予感がする。南オセチアはグルジアと共存しにくい関係にあったのは事実だがロシアの侵攻は計画的だ。グルジアはロシアの挑発にのせられた、迫害されている南オセチアの住民保護を口実にロシアは攻め込む、一昔前の戦争開始のパターンそのものだ。侵攻開Ojirwas 始とともにグルジアに弾道ミサイルSS21を2ダース以上も撃ち込んでいる。カスピ海油田・パイプラインの戦略的掌握を狙っているのは明らかだ。パックス・アメリカーナの終焉とグローバリゼーションの終焉、そしてナショナリズムの時代への突入を宣言するようなエポックメーキングな侵攻だ。クルーグマンによれば第1次大戦前後の世界は十分なグローバリゼーションの状態にあったという、それが次第にナショナリズムの台頭により崩されていき第2次大戦の徹底したグローバリゼーションの破壊に至った。時代は繰り返される。ニーチェの「永遠の回帰」はマクロには正しいのかもしれない。

個人個人にとって時の流れを経るDNAの連鎖はあっても「永遠の回帰」はない、世は1回限りの無常の世界だ。ドイツの格言では一度は物の数ではないそうだ、Einmal ist keinmal、重々しく生きていくことは本質的に不可能だ。軽さが本質ではないか、グローバリズムの終焉もナショナリズムの台頭も、個人にとっては軽く感じておくしかない。
軽い無常と重々しい輪廻。

時代のうねりは時にこんな風に思考的にしてしまうようだ、夏もそろそろ終ろうとしている。

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