Tucker
ガソリンの価格がみるみる上がって道路がすいて走りやすい。渋滞が減って燃費が良くなる、ガソリンの消費が更に減る。なにかのスパイラルだ。しかしこのくらいの価格上昇ではまだ大半の人は車を手放さないだろう。欧州ではそもそもがリッター200円で動いてた、多分価格が落ち着けば200円の生活になじんでくる。便利な都会暮らし以外の殆どの生活では人類はクルマで得られた便利さを手放すことはなかろう。
クルマといえば、この間遊びに行ったナパのフランシス・コッポラのワイナリーで、何故か Tuckerのクルマが何の説明も無く展示してあったのを見つけて驚いた。市場に出た車は50台くらいしかなかったはずだ。とても綺麗で60年前のクルマとは思えない、今使っても良さそうに見える。記憶ではTuckerは、無駄なモデルチェンジを繰り返す米3大メーカーに牛耳られていた自動車産業に不満を抱き新たな自動車メーカーを立ち上げようと奔走したが既存メーカーから露骨な圧力を繰り返し受け裁判にもなって50台ほど製造したところで遂につぶされてしまった、クルマとしてはかなり良いものができたらしい、というものだった。そのベンチャー精神は確かに西海岸の風土にふさわしい。戻ってネットで少し調べてみるとジョージルーカスとコッポラのコンビで
Tuckerのはなしは映画化されており(確かに観た記憶がある)その縁であそこにクルマがあったのか、と簡単に納得してしまう、がむしろ、Tuckerのクルマをふとしたことで手にして、感じるところ多く、映画化したと考える方が面白い。Tucker Torpedoというのがクルマの名前らしい。Torpedo(魚雷)というところに意気込みを感じる。
Tuckerはつぶされたがベンチャーの心は米国に拡散して広まった、こんなことの多層な繰り返しが精神的風土を生んでいるのだろう。ネットで見ると50台のTuckerの殆どは全米各所の博物館などで今も大事に保存されているという。
ナパに広がる平原にはブドウの低い木が貼り付いたように一面に植えられていた。カルフォルニアの乾燥した風にさらされて広がる広大な農園は自然をねじ伏せる努力なくしては開けない。風土が人を作っている。人が風土を作っている。ぺらぺらしたアメリカ文化の価値の真実はこんなことかと伝わってくる。やはり動き回らなければ触れられない、感じられない。原油が少々上がっても止まりそうに無い。
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