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2008年9月28日 (日)

栃木のタカはどこを渡るのだろうか

タカの渡りのルートというのはよく解らない、栃木のタカはどう渡るのだろう、サシバ、ハチクマはそんなに栃木でみるタカではないように思う、しかし北から渡ってくるサシバ、ハチクマもいる、どこかは通るはずだと思って日光近辺の地形を見ると渡るとすれば細尾峠が隘路になる可能性がある。まえから気になっていて、今日28日、様子を見に行った。細尾峠は日光と足尾を結ぶ日足トンネルが出来て以来旧道となって寂れている、それだけ自然の力が色濃くい。ともかく細尾峠まで旧道をクルマで上がってみる。木が多く視界が限られている、渡りの観察にはあまり向いているとはいえない、それでも少し開いた空と斜面を見ていると、カケスがかたまって次々に南に動いていく、カケスの数は多い。ヒヨドリのかたまりも時に渡っていく。やはり細尾峠は渡りのポイントにはなっているようだ。タカは、と待つが現れない、天気は高曇りであまり期待できないためか、トビも上がってこない。
ともかくもう少し視界のいいところを、とばかり薬師岳方面に向かう稜線を歩き始めた。崩Yakusidk2 れやすいやせた稜線を過ぎても木が高く空が開けない、1時間ほど歩いて遂に薬師岳山頂まで行ってしまった。山頂は白樺峠を小さくしたような雰囲気だ、北東側の木が切り払われて視界が開けている、日光の街をV字型の谷の向こうに見る感じも白樺峠と良く似ている。タカが来るもんならば見るのはここだ、と思ってしばらく空を見ているが何も来ない。気象条件が悪いようだ。ともかくカケスの動きを見ても細尾峠が渡りに何らかの役割を果たしているのは違いなさそうだ、それに上昇気流に良さげな天気の日には峠の北の清滝にトビの柱が立つのを何度も見たことがある、ルートとして条件はそろっているように思える。晴れた日にまた来て見るべきなのだろう、しかし今年はもう終わりか。
タカが渡るかも知れない、と開けた空を求めて初秋の山を歩く、これも悪くない。鳥をみていると本来の生き物の世界の中に踏み入れていくようで、それがいい。

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2008年9月27日 (土)

GMTのインストール再訪

GMTのインストールを新しいパソコンにやり直していたら、かなりてこずってしまった。以前インストールした時とかなり勝手が違う、ハワイ大のGMTのページが新しくなっているからでもあるようだ。ハワイ大のインストール手順に従ってとにかくcygwinをまずインストール、これは問題ない。次にGMT本体だがINSTALL FORM.のページの手順によりinstall_gmt,ファイルをダウンロード、parameterファイルを必要ファイルにチェックしていってダウンロード、cygwinのプロンプトウインドウからbash install_gmt.txt GMTparam.txt と打ってもすぐに止まってしまう。汎用ソフトTera Pad でダウンロードしたファイルの改行をLNに変更してみると少し進むのだがまた止まGmtinst2 る。どうやら肝心なソフトのダウンロードと解凍が機能していないようだ、しょうがないので GMTのftpサイトから tar.bz2ファイルを片っ端からcygwinの作業フォルダにコピー、cygwinのプロンプトウインドウからbunzip2コマンドとtar xvfのコマンドで解凍していく。とにかく揃ったところでもう一度bash install_gmt.txt GMTparam.txtと打つと、エラーメッセージを出しながらもとにかく進んでいってついに完了。環境変数の設定を行ってプロンプトウインドウからコマンドを打つとどうやら動いたようだ。作図した結果のビューアーはフリーソフトのXnViewを使うことにした、これも窓の杜なんかから探してきてインストール。ここまでたどり着くのに三日間くらいあれやこれやてこづってしまった。とにかくアメダスの風向風速グリッド・等圧線・等温位線プロットは画けるようになった。
動かないソフトを動くようにするにはかなり疲れる、とりわけ慣れないUNIXコマンドを探してきて手探りで打ってみたりしていると、もうだめかと思う。しかし、とにかくたどり着けると少し知恵がついて前に進んだ気がしていて悪くもない。次はいつになるのだろう。

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2008年9月25日 (木)

早秋の尾瀬

そろそろ紅葉の季節だ、23,24と尾瀬に出かけてみたが、勿論まだ紅葉にはかなり早い。草紅葉がなかなかの味わいを見せていて、尾瀬ヶ原の他でも、燧ヶ岳の麓を巡る木Oze1 道を歩いていると、次々に出くわすxx田代が楽しみになる。大江のあたりの草紅葉がいまは彩がいいように思える。しかし以前見た小田代が原の草紅葉の繊細さにはかなわない、どうも草紅葉に関しては奥日光に軍配か、そうではあるが尾瀬のも十分鑑賞に耐える。紅葉には早いといっても つたやはぜが真っ赤な葉をつけて緑の中にはっとする点を与えている、これもなかなかいい。そのままの尾瀬が好きになる。御池から入って、三条の滝というのをはじめて真近で見た、これはすごい。尾瀬中の流れを集めた幅の広い水量豊かな川がそのまま数十メートル落下する。地響きが滝見台に伝わってくる。滝見台へはハイキングコースから崖のような急坂を100m以上の標高差降りてまた上らなければならず、1泊分の荷物を背負ってはちょっとした覚悟がいるが、今やらねばもうできないかもしれないと思い切って降りてみた。かいがあったというものだ。今まで見た滝のうちでは豪快さでベスト1と思う。川沿いに平滑の滝を経て元湯山荘に上がる。本当に久しぶりに尾瀬の中の山小屋に泊まってみた、昔の雑魚寝の山小屋とは大違いで個室、温泉、ビル・エヴァンスの流れる夕食、衛星テレビ、消灯もなし、としゃれてきている、隔世の感がある。夕暮れの木道をサンダル履きで散歩してはのんびりスケッチでもする、なかなか優雅な時間が流れる、お金ではない。木道を廻っていると鳥は思いのほか多くて、見上げるとクマタカがたもと豊かな羽根を広げて旋回していたり、銭トリ銭トリのメボソムシクイが声ばかりか姿もまじかに現したり、カラ類の密な混群にすっぽりかこまれたり、クロツグミとみえる鳥が突然足元から飛び出したり、ノビタキがいたり、まだわたり損ねている鳥が入り混じって、それなりに見ごたえがある。
九州から尾瀬に通う夫婦に出会ったりすると、日帰りも容易な北関東にいるのが贅沢にも思えてくる、確かに九州ではブナの森もないし高層湿原もない、繊細な落葉樹の林もあまりない、常緑広葉樹の力が強くていろどりに奥行きがない。尾瀬のこんな自然のたたずまいに一度出会うと惹かれてしまうのも、当然のような気がしてくる。
小さな寒冷前線がまた通過する、一日ごとに季節は動いく、街では希薄な日常が流れていきそこにすら季節が転がっていく。

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2008年9月22日 (月)

人間世界も少し寒くなってきた

雲に流れるよYutakうな形が目に付くようになって、夏ははっきりとその姿をうすめ、秋らしさは日に日に力を増してくる。人間世界も少し寒くなってきた。

米国の住宅バブルはソフトランディングするのではないかという市場関係者の期待を裏切って見事にはじけ担保価値の急落による不良債権の蔓延がおこって日本の90年代後半の有様がデジャヴィのように次々に展開している。バブルの崩壊と米経済の低迷に関しては多くのことは明らかに事前に予想されていたが、ことが起こると急に生々しくて身をすくめてしまう。約束事で作られていた巨額の価値が次々に崩壊する、不動産価格の急落、株価の急落によりその分だけ世の中のお金が失われていく、考えてみるまでもなく恐るべきことだ。しかし、この数ヶ月の米財務当局、アナリスト、経済学者の発言を追ってみるとばらばらで楽観と悲観が交差し、どうみても現状の経済の状態の理解や把握がうまく行われているとはみえない、FRBはつい7月でも景気はそれほど悪くないと言い張っていた、能天気のようにも見える。日本のバブル崩壊をそのときに日本で見続けていたメンバーが米政府の中枢にいるにもかかわらず、である。資本主義経済はもちろん個人の個々の判断で動いているものだからよほどうまく個人が教育されない限り同じような状況になれば同じように個人は行動する、経済活動としては過去から学ぶことをしない。舵取り役の政府・中央銀行が学ばなければ本当に同じことが起こる。結果から見ると日本のバブル当時の経済政策中枢も今回の米国の中枢も本質的には学んでいないことになる。こんなのをみていると経済という学問の現実の社会への貢献が口ほどにもない、と感じてしまう。数理経済で経済の動きを個のレベルまでモデル化して予測解析しようとしても所詮は複雑系でバタフライ効果といわれるようにほんの些細な初期値のずれが大きな大きな結果の相違を生んでしまう。まだ人類は的確な経済予測手段を手にしていない、後付で解析はできても予測はできない。

なんとかならないのだろうか、民主主義制度の行き詰まりが個人への権力の集中を認める制度へ移行しながらなんとか生きながらえているように資本主義制度そのものの変革も効果的な中央集権への移行によっても持続的に行われなければならないように思える、しかしうまくいっていない。経済活動の全容がいまだに日の光の下にさらけ出されていないからなのだろう、どこか胡散臭いやりかたがいまだに力を持っている。すべての活動が白日の下にさらけ出されては駆け引きもなければ驚きもない、面白くなくなる、管理社会にまた近づくことになる、適当なところで抑えることに結局は進むことになるのだろう。やっぱり人間くさいのが実はよくて、どこか立体的なあそびが許容できるようなコントロールになる気もしてくる。

そう考えると、こんな経済の混乱も新たな時代への移行かとほの温かく思えてしまう。

それに、冬もまた楽しい。

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2008年9月16日 (火)

鳥と人の距離が何か少し近くなってきているような

この時期鳥もあまり期待できないがとにかく散歩でもと真岡の井頭公園に出かけて歩いているとスコープや口径の大きな望遠レンズつきカメラが目立つ一角に行き当たった、何かと思えばカワセミだ。池の中ほどの小島にいるらしく赤茶色い腹がわずかに見える。鳴き声もそれなりしていてそれではとレコーダーやカメラを取り出していると、水面にダイブして向こう岸の木立に飛び去ってしまった。カワセミなら確かに追わなくともいずれ定位置に戻る、構えている一団はまだまだチャンスを待つという。 待つのは性に合わなくて池をぐるりと散策して戻ってくると、まだ一団は頑張っている、さらに彼方へ飛び去ったがまだ待ち続けるという。里山の鳥だ、優雅な気もしてくる。
数日後、宇都宮市立図書館へ行った帰りに中央公園にちょっと寄ってみて散策していると橋のところで2人ほど望遠を構えている、狙っている先を見ると、またカワセミだ、水辺の岩の上にたたずんでいる。井頭公園よりこちらのほうがよく見える。カワセミは池を覗くでもなく空を見上げたりしてなんとなくポーズをとっているようにも見えてしまう、町Kawasem1の中のカワセミは人なれしているようで、こんなのもいい。さすがに望遠レンズを持って歩いてはいなくて、ポケットにたまたま入れていた小さなデジカメと貧弱な双眼鏡を組み合わせて簡単デジスコとばかりにとにかく撮ってみる、これでも一応写るから役には立つ。思えばカワセミのそれとわかる写真は今まで撮れていなくてこれくらいの大きさにはじめて撮れたことになる、生き物相手ではそんなもんだ。
しかしこのところ鳥と人の距離が何か少し近くなってきているような気がする、気候の微妙な狂いに運命共同体の意識が双方に生まれているのだろうか。今年は白樺峠のタカの渡りもはやばやと大群がわたったようで、鳥の動きがいつもとは少し違うようにも思える。ぼーとしているとすぐにひやりとする風が吹き出すようになりそうだ。つぐみもそろそろ現れるだろうか。もう秋だ。

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2008年9月11日 (木)

那須のリンドウ

三陸沖の暑さをもたらした高気圧がやっと緩んで久し振りの晴天がおとづれた、南の島のようなスコールの日々も一段落だ、これくらいで終わりなら異常と言うほどでもない。
せっかくだからと昼から那須にリンドウでも見にいくかとカメラやスケッチブックをかかえて出かけた。平日ならばガラガラだろうと思っていたが思いのほかクルマが多い。年配と女性が目に付く。これからリタイヤ組が増えていくと平日のビジネスが様変わりしてくるかもしれない。それでもロープーウエーの先の駐車場はゆったりしていて昔大丸駐車場から歩いて登らざるを得なかった時とは大違いだ。おだやかな積雲がぽかぽか浮いていい日だ。峰の茶屋まで行くにはちとつらいか、途中の開けたところまででも行くかと登り始める。渡りの途中のタカでもいないかと上空が気になるが、そんな姿にはついに出会わない。昼過ぎには多分動きも止まっているのだろう、長い距離を渡る決意をするには時間が遅い。久し振りだが道が少し良くなっている。降りてくる人が多い。ロープーウエーからぐるっと周ってきたのだろうか。遠足の子供たちの長い列さえあらわれる。鳥はEzorindou少ない。紅葉はまだ始まらずナナカマドの真っ赤な実だけがやけに目立つ。2-30分ほどで開けたところにでた。山頂に向かってススキのような白い穂が逆光で美しい。あたりの草はらに目を凝らすとリンドウがあちこちに花をつけている。北東側の斜面が見やすい。やや大ぶりのエゾリンドウが多いが時にはオヤマリンドウもある。しばらく写真に撮ったり眺めたりして時を過ごす。スケッチするのはなんとなく忘れてしまった、描き出すとこまめにかけるのだが、何故か忘れやすい、カメラを振り回していると何か写すことに吸い取られてしまうような気もする、どこかまだゆったりとした気持ちになりきっていないのかもしれない、。しかしいい日だ。
またしばらく暑い日が続きそうだ。しかし秋はその角まで。

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2008年9月10日 (水)

モバイルパソコン

6年使ったダイナブックが故障を頻発するようになり、この際だからと新しいモバイルパソコンをネットで発注した。エイサーのAspire-oneという発売寸前のものだ。ハードディスクAspire1 も120Gとそれなりに大きくてDVDがついていないほかは性能十分な割りに小型で送料含めても55000円位で安い。DVDは外付けのKEIANのKA-BP14Tというのが最も小型で送料含めて8000円弱だったのでこれを別途買うことにしてAspire-oneの到着を待つ。Aspire-oneは発注が多かったのか発売日の8月23日からやや暫くして送られてきた。早速色々動かしてみる、画面が美しかったり他は快調なのだが無線LANが認識できない。これではモバイルにならない。エイサーのサービスとナビダイヤルで電話代を気にしながらやり取りを重ねるが埒が明かず送り返してハードを確認してもらう、しかし異常ないとまた送り返されてくる。NTTの無線LANルーターの設定かとルーター設定のページを開きながらNTTにも問い合わせるが設定は正常だと返ってくる。困り果てて再度エイサーのサービスに当たると、今度は少し違うことを言い出す、NTTのルーターの設定のチャンネルを変えてみては、というのである、設定は12となっている、それならば11に変えてみてくれ、変えてうまくいった事例がある、という、どうやら同じようにトラブルの顧客があって知恵がついてきたらしい。設定を変えてみるとなんとうまく認識を始めた。2週間ほどすったもんだしていたのがうそのようだ。12を11に変えても周波数は僅かしか変わらず混信とは思えない、何かのマッチングで受からないチャンネルがあるのだろうか。
ともかくめでたしだがパソコンのトラブルは疲労感が多い、ソフトが複雑に組み合っているだけにハードなのかソフトなのか何が原因なのか単純な思考では解決できない、あれやこれや試していると時間ばかりが砂のように流れ去っていく。何かの試練のようにさえ思えてくる。以前よりも明らかにトラブルがやっかいになってきている、どこまでこんなことは進んでいくのだろうか。どこかで人類は複雑化の重しに耐え切れず前進を投げ出してしまうのだろうか。それはもう近いのだろうか、そんな気もする、しかし解らない。

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2008年9月 8日 (月)

つばめのねぐら入りがすごいと

渡良瀬遊水池のつばめのねぐら入りがすごいと聞いて去年、今年と9月の初めに出かけ てみたがなんだか空振りのようで、確かに日没後つばめは現れるのだが乱舞には程遠い有様、どうやら遊水池でも場所が違うような気がしている。バードリサーチの地図をよくみDsc04129 れば東西に縦通する道から北へ伸びる道をかなり進んだところになる。だいぶ手前でみていた。すずめのねぐらに近いようなところだった、すずめとうまく住み分けているのだろうか。時期も、日本のほかの場所では7月から8月で、9月ではもう遅いのかと思ってしまう。でもまだ南へ渡るのには早すぎる気もする、よくわからない。来年はもっと早く8月の半ば頃をねらってみることにしよう。
しかしつばめの乱舞は出なくとも夏が終ろうとしている夕暮れの葦原でぼんやり空を眺めているのはなんだかそのものがいいように思う、鳥見をしているともらうものが多い。

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2008年9月 4日 (木)

雷雲が

雷雲が中部から東日本に繰り返し発達、局地的な豪雨がおさまらない。三陸の遥か沖に、海水温の上昇がもたらしていると思われる背の高い高気圧が居座っていて、湿った暖気が南の海から高気圧を巡る南風で吹き寄せられる、活発な前線が南北に走る。縦向けの秋りん前線といえるのだが、こんなこともあるのだ。
先週末、東名名神とこの前線を横切るように走り抜けてみた。前線直下の栃木の早朝はとんでもない雷雨だった、一晩中ゴロゴロピカピカ、眠りが浅くなる。眠い目でレガシイB4で走り始Toumei1_2 めて首都高・東名と進む、前線の暖気側に入って特に荒れた天気にはならず暑い。それにしてもクルマの走り方がおとなしい、やはり燃料高のせいか。車間を開けても割り込まれることも無い。何か神の見えざる手でもてあそばれている人間を感じる。道の山側には直ぐに育ちそうな雲が並ぶやはりかなり不安定な大気だ。岡崎に近づくと例によって少し荒いトラックが目に付くようになるがいつも感じるほどではない、このあたりの運転の荒さはトヨタのJIT-ジャストインタイムの徹底の影響ではないかという気がしてくる、とにかくいつもあせっている、JITは製造の効率を上げているが人の心を虚しくしているのではなかろうか。豊田ジャンクションの周りが少し混んでいる、岡崎市の浸水騒ぎの避難の影響か。抜けて岐阜羽島あたりから突然雷雲がかぶってくる、時間雨量にすると50mmくらいになりそうな驟雨がざっとくる。濃尾平野を抜けた湿った南風が北側の山に当たって雷雲を作っている。かなり厚い、暗い。こんなのに停滞されてはたまらない。関が原の先ではもう小止みになる、こういう時でなくとも関が原付近はいつも気象が怪しい。
2日後に戻る時には草津JCTから新名神に入る、今年の2月に開通していたんだ、これなら難所の関が原を通らずに済む。こちらはまるで東北自動車道のように路側帯も広くゆったりしていて楽だ、トンネルも横長で幅が広い。東名阪は少々旧式だがそれでも楽だ。行きも気がついていればこちらを使うべきだった。道路はこれ以上作らなくともいいというのはどうみても物流に鈍感な都会人の暴論だ。日本のどこに住んでもそれなりの利便性が保たれうるのは道路のおかげだ。党利党略の議論の氾濫はうんざりだ。

それにしても1300kmくらい走って1つの事故にも出くわさない、めずらしい、燃料費の高騰がこんなにも変えてしまうものだろうか。確かに昔の第1次オイルショックでも交通事故が激減した事実を思い起こす。燃料費高騰で命が救われるのならそれもあながち悪くない。

クルマで長く走っていると感じることがたくさんある。日本の政治の虚しさや製造業の歪や、燃料費に圧迫されておとなしくなっている普通の人の群れや、気象のダイナミックな怪しさや、神の見えざる手や。疲れるけれども走ることそのものが楽しくもある。まだ止まらない。

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