人間世界も少し寒くなってきた
雲に流れるような形が目に付くようになって、夏ははっきりとその姿をうすめ、秋らしさは日に日に力を増してくる。人間世界も少し寒くなってきた。
米国の住宅バブルはソフトランディングするのではないかという市場関係者の期待を裏切って見事にはじけ担保価値の急落による不良債権の蔓延がおこって日本の90年代後半の有様がデジャヴィのように次々に展開している。バブルの崩壊と米経済の低迷に関しては多くのことは明らかに事前に予想されていたが、ことが起こると急に生々しくて身をすくめてしまう。約束事で作られていた巨額の価値が次々に崩壊する、不動産価格の急落、株価の急落によりその分だけ世の中のお金が失われていく、考えてみるまでもなく恐るべきことだ。しかし、この数ヶ月の米財務当局、アナリスト、経済学者の発言を追ってみるとばらばらで楽観と悲観が交差し、どうみても現状の経済の状態の理解や把握がうまく行われているとはみえない、FRBはつい7月でも景気はそれほど悪くないと言い張っていた、能天気のようにも見える。日本のバブル崩壊をそのときに日本で見続けていたメンバーが米政府の中枢にいるにもかかわらず、である。資本主義経済はもちろん個人の個々の判断で動いているものだからよほどうまく個人が教育されない限り同じような状況になれば同じように個人は行動する、経済活動としては過去から学ぶことをしない。舵取り役の政府・中央銀行が学ばなければ本当に同じことが起こる。結果から見ると日本のバブル当時の経済政策中枢も今回の米国の中枢も本質的には学んでいないことになる。こんなのをみていると経済という学問の現実の社会への貢献が口ほどにもない、と感じてしまう。数理経済で経済の動きを個のレベルまでモデル化して予測解析しようとしても所詮は複雑系でバタフライ効果といわれるようにほんの些細な初期値のずれが大きな大きな結果の相違を生んでしまう。まだ人類は的確な経済予測手段を手にしていない、後付で解析はできても予測はできない。
なんとかならないのだろうか、民主主義制度の行き詰まりが個人への権力の集中を認める制度へ移行しながらなんとか生きながらえているように資本主義制度そのものの変革も効果的な中央集権への移行によっても持続的に行われなければならないように思える、しかしうまくいっていない。経済活動の全容がいまだに日の光の下にさらけ出されていないからなのだろう、どこか胡散臭いやりかたがいまだに力を持っている。すべての活動が白日の下にさらけ出されては駆け引きもなければ驚きもない、面白くなくなる、管理社会にまた近づくことになる、適当なところで抑えることに結局は進むことになるのだろう。やっぱり人間くさいのが実はよくて、どこか立体的なあそびが許容できるようなコントロールになる気もしてくる。
そう考えると、こんな経済の混乱も新たな時代への移行かとほの温かく思えてしまう。
それに、冬もまた楽しい。
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