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2008年10月26日 (日)

フェルメールの透明感が

秋は美術展が目移りして、東京へ出る機会がある都度どこかへ寄り道したくなる。今回は上野だ、上野近辺ではフェルメール展をやっている。30数点しかない全作品のうち7点も一挙に出されているという。どうだ、というように日本でのフェルメールの受けが高いのを狙った商業的意図が見え透いている様で少々抵抗がある、入場料も1600円と高い、しかしまあいいか。土曜の昼前に上野の美術館まで行ってみると20分待ちだ、午後からの予定があって時間の余裕はない。フェルメール以外は駆け抜けるように過ぎて、7枚だけをじっくり見る。見るとフェルメールらしくなるのは半分くらい以降だが、しだいに同じような構図になる。気になるのは背景の壁にかかる絵だ。ずいぶんな気合の入れようだ、細かく書かれている。室内の遠近法を大きな部屋の奥Ferumeru の扉のむこうまで描く構図とするのは止めて、普通に壁で背景を仕切ってみたが、白い壁では遠近が出にくくさびしいので壁に絵をかけて絵で立体感を出そうとしているように見える。それにしてもスタティックだ、動きのある人物ポーズでも止まって見える、ディテールまで描きこまれていて透明感が高いためだろう。時間を切り出すことを意図したようにさえ感じられる。時代とともに見ていくと透明感が高まっていくのがわかる、描きたい絵に近づいている。
透明感か、17世紀のデルフトが透明感のある空気で満たされていたのだろうか。絵はかかれた現場に行くと画家の巧みさというより殆どが現実の持つ強さそのものを描いていると感じさせられる、この場合もそうだろうか、以前訪れたオランダにはそんな雰囲気も感じにくかったようにも思う。多分時代が変えたのだろう。オランダは勿論江戸時代唯一貿易の窓が開かれていた相手国だ、フェルメールの生まれたころ長崎の出島が開かれた。日本の持つ透明な文化とどこか通じる雰囲気を漂わせている、キリスト文化の押し付けでないオランダという国に安心感を覚えたのかもしれない。
現代の日本でフェルメールが好まれるのも流れているものを感じてわかる気がする。

慌しくというほどでもなく美術館を出て路上でギターを弾いている姿を横目に見ながら次の場所に向かう、土曜の上野は混雑が始まりだしていた。透明感か。。

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