収穫祭にて
土曜日に今年もまたココファームの収穫祭にでかけてみた。少しずつ感じることが違ってくる。宣伝されているとは思えないのだけれども、とても混んでいる、万の単位の人がいる気がする。ココファームのホームページに行っても収穫祭の案内をなかなか見つけることができない、リピーターとその口コミでこんなに来るものなのだろうか。今年で25回目だが最初のころはほんの内輪の集まりだったという。繰り返すことの力を感じる。来たのは3回目になる、同じ砕石場の駐車場所に停めて同じ道を歩く、山道の同じところに出店が出て同じものを売っている。新鮮な驚きが薄れていっている。エントリーフィーは2000円に上がったが、そんなものだろう。同じように坂田明のバンドが演奏する、こちらはくたびれていない、切り口の鮮やかさをキープしている。出した音がそまま空中に吸い込まれていって元には戻らないのが音楽だ、1回1回がその場限りのものだ、とりわけJAZZはそうだ、それが新鮮さの源なのだろう。坂田には、深まりと衰えを知らない即興がある。ココファームの入所者は平均年齢が上がってきているらしい、新しい入所者が枯れてきているようだ。主催者の園長の挨拶もたどたどしくなって年が容赦なく過ぎていくのを感じさせる。音楽もワインも食べ物も上質でゆったりした時間を感じながら転げ落ちそうな斜面で過ごす感覚は他ではない一流さがある。しかしキープすることは難しい、常に入れ替わる仕組みの学生とは違い関係者の顔ぶれが変わらず毎年1つずつ年を重ねていく集団はキープしようとしてもぼろぼろと枯れてくる、こころみ学園にもそんな雰囲気が出始めているのかもしれない。新しいことへの拡大、グループの代替わり、そんなものを時は常に要求してくる、冷酷でもある。身近にもそんな難しさを何回か経験したことがある。坂田の響きを思い出しながら、プレーヤー自身の深まりと即興性か、そうかもしれない、それができなければ時によって消されていくということかもしれない。
来年はどう感じるだろうか、新しい次元へ転がり始めるだろうか、しかし難しいことはどうあれ来年こそは電車で行かねば。
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