デジタルな消費
写真がたまってはネットで写真を焼いている。送料込みで1枚11円位だからフィルムでの現像と焼付に払っていた合計より安い。写真に焼かなくてもデジタルなままでもいいか、という気もするが、デジタルな記録は見える形に落とさないと一抹の不安がある。ともかくメディアのSDカードを保存用のCDromに焼いては写真にも焼いてクリアしている、こんなことは長くは続かないかもしれない。近頃はSDカードはとても安くなったので一々CDromに落として保存しなくても良くなったようにも思うが、一体このSDカードがいつまで読み書きできるのだろうか、10年持てばいいほうではないか、(勿論CDromもしかりだが)、フロッピーはもはや時代のかなたに飛び去ったがせいぜい15年位前のものではないか、同じ運命をたどるのではないか。最近はSDもマイクロSDに押されてきたように見える、アダプターをつければ使えるのだがそのうちアダプターが効かないのが出てくるのではないかと思ってしまう。なにしろ2年で集積度は2倍になるというムーアの法則がまだ力強い、10年たてば15倍の密度になる、SDの仕様では持たない。デジカメの寿命も頑張って5年ではないか、こんなめまぐるしくも消費し続けるデジタルな文明はどこで終りが来るのだろうか、デジタルの先にはバイオがある、そう考えられ続けてきた、そろそろ生物の領域に踏み込んでこられたようにも思う、10年もたてば遠目には変わらずともうごめいている小道具はまったく新たな領域に進化しているに違いない。どこかでアナログに定着させなければ人類の記録そのものが保持されなくなることになりそうだ。結局デジカメの記録をもう一度ネガフイルムに焼き付ける時代が来るのではないだろうか。
そうはいってもアナログは場所をとる、現に本に部屋を占領されていて、増殖はなかなか止められない、紙は溜まる。どこかで整合させなければと思いつつ先へ先へと進んでいる、いつも思う、どこへ向かっているのだろうか。誰もコントロールしていないのだろうか、先には終末しかないのだろうか。
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