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2008年12月28日 (日)

経済の状態が

経済の状態が本当におかしい感じがして各国政府は先を争って景気刺激策を打ち出している、こんなこともなかったことだ。こうも急激に事態が動くと、今度は回復期の振幅がオーバーシュートしてまたバブルに陥るのではないかと懸念してしまう。すくなくとも回復は思ったよりは早く来そうだ。中国はいち早く57兆円相当の策を打った、年率8%の成長を維持できなければ国内がどうなるかしれたものではない、といわれている。すでに民主化要求の08憲章が著名人から今月提唱されて逮捕者が続出している。政府にとっては8%維持は生命線なのだろう。どこの政府も同様に政府が需要を創り出すのに必死だ。これは早く回復する。来年の終わりごろは急激な戻りで圧倒されているかもしれない。
こんな風に呑気に構えていると師走の寒さも気持ちよくなる。景気と同様、本当に温暖化なのだろうか、そんな風にも思えてくる、変化が大きくなっている地球の気候と景気が同期しているようで、これくらいのうねりは楽しめるといってもいいくらいだ。変動があっての世の中だ、スリル感がいい。
本当に来年はどんな年になるのだろうか。

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2008年12月26日 (金)

キリストの墓の話が

八戸の近くにキリストの墓がある、とどこかで見たことがあって、最近寺山修二の花嫁化鳥と題された文庫本を読み流していたら、その話に行き当たった。茨城県のKirist2 神主家で発見された古文書--竹内文書--がキリスト伝説を伝えているというのが話の源のようだ。キリストは八戸に2回訪れていた、1回目は20才台で来日・修行して戻り、2回目が磔で身代わりに弟が殺されてパレスチナを脱出し八戸に上陸、日本で十来太郎大天空と名乗り嫁までももらってこの地で没した、という話だ。かなり荒唐無稽な話だが、寺山修二はまじめに色々調べて考えてみたあげく、結局、漢字も伝わってもない時代に十来太郎という漢字の日本名までつけられていたことになっている、これは無理な話だ、としている。しかしこの話に真実があるとすればこの土地の人がすべからくこの話を信じたがっているというところにある、とも記している。何か余韻がある。

こういう口伝を書き記した文書にはその元の話があり、時代を経て幾重にも様変わりしてきたのだろうから、真偽を問うこと自体無理なようだが、寺山修二のねちっこく事実を追うこだわりに彼の世界を見る思いがある。虚構とわかりながら寺山自身が信じたがっているのが漂ってくる。真実は虚構と対峙するものでもなんでもない並列なものなのだ、と語っているように感じられる。たぶんそうなんだろう。

この冬一番の寒気がシベリアから張り出してきて外は冬の嵐だ。純粋に物理学で支配される気象の中に、季節を、感情を、虚構を投影していく、それ全体が真実の世界のようで、面白くも感じられてくる。

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2008年12月22日 (月)

今年の冬は

今年の冬は例年とそう変わらないような気もしていたが、何処か冷え込みが弱い、調べるSaitei1 と、最高気温は平年並み、最低気温はどうみても平年より高い、ならしてみると3-4度くらい高い。原因は、と考えると、日本北部沿岸の海水温が高いのが気になる、世界中で一番海水温の平年との差が大きい海域になっている。寒気は例年のように押し寄せているが海水温が高くて冷え込み切れSaikou2 ないのだろうか。

こんなデータをぼんやり見ていると、時折寒くもなるが、寒暖がサイクルで到来すると地球が脈を打っているように思える。ソラリスではないが地球そのものが1種の生命体という気がしてくる。

3週間ほど前、朝、気がつくと会社の芝生で、ハシブトガラスが白い小鳥を食べていた。1羽が見張りAnomp12222008 をしてもう1羽が食べている。自然そのものだ。昼休みに見に行ってみると羽根が散らばっているだけだったが白い胸毛と尾羽が黒くて長い、ハクセキレイのようだ。確かに元気のないセキレイがいたようにも思う、老体だったのだろうか。カラスもあまりいいえさがないのだろう、人が出すゴミが厳重に袋詰めされてくれば次第に生きていけなくなるのではないか。羽根は芝生の上に10日ほどそのままになっていた。鳥というと鳥インフルエンザの恐怖の宣伝が行き渡っていて散らばっている羽根は誰も触れたがらないようだ。あれだけテレビで新型インフルエンザに備えよと流すのは鳥インフルエンザが国内に潜伏しているのという公にできない情報が行政側にあるからだと勘ぐってしまう。恐らくそうなんだろう。すべてを渡り鳥のせいにしているのが腑に落ちない。

今年も色々と起こった。年の初めに、今年はバーチャルなことが足場を失ってガラガラと崩れ去ると思ったが,図らずも当たった。崩れ去ればまた新しいものが生まれてくる、命のようなものだ、脈打つ地球も、その上に命を賭けて日々を送る生命体も、そしてとんでもない経済の活動も、すべてが本当に生きているようで、そのままのすべてが貴重に思える。生きることとはこんなことだったんだと思えてくる。来年はどんな年になるだろうか。

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2008年12月19日 (金)

師走のオペラ

団伊玖磨のオペラ 夕鶴の公演の切符が当たったので鹿沼まで観にいった。鹿沼市の60周年記念行事の一つらしい。この鶴はタンチョウかいな なぞといっているうちに始まる、勿論鶴の被り物をかぶって出てくるわけでもない、見る人すべてがつうは鶴だと思って見Tancyou2 る、それぞれの鶴を思いえがく、みんなが知っている話をゆっくり歌で聞く、オペラらしい。しかし、愛は惜しみなく失っていく様が痛々しい。そんなにお金かいいのかい、と語るせりふも本日現在のこの時代にどこかリアルだ。見ているうちに、前にも栃木でオペラを見たのを思い出した、オペラ日光という創作オペラだった、こちらは話がよくみえないが東照宮の境内で夜演じられていて、暗い闇の中の光の舞台で何か深みがあっていい感じだった、そのうち雨が降り出してそれが次第に強くなり、ついに後半は近くのホールに移動した、するとあかあかとした光の下ですべてがうそっぽくなって、興が冷めてしまった。野外の公演というのはギリシャ以来のものだが、定着したのはそれなりの理由があるように思える、話に引きずりこむ力を与えてくれる。野外のオペラなら新作でも見たい気がする。

夕鶴のほうはさすがに長い間演じられてきただけあってよくできている。感じるものがある。

終わって外に出る、言葉少なに、いつもの師走の風景が流れていく。

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2008年12月14日 (日)

アンドリュー・ワイエス

かもしかが華厳の滝に住んでいるらしいというので見に行ったが見つからない、大分粘ったがだめだ、それではオジロワシかオオワシでもと菖蒲が浜に回るがここも外れだ、こんなこともある。
時々東京に出る、出たついでに大体は美術展を一つは見る、多分東京に住むとかえってみないのだろう。しかし池袋に用事があるときはそうもいかない、まともな美術館がない。困った街だ。
池袋ではなく渋谷に出かけることがあって、行きすがら、何かやってたような気がしていて思い出した、アンドリューワイエス展だ、Bunkamuraでひらかれているはずだ。アンドリューワイエスの展示会は30年くらい前にみた記憶があるがもう薄れている。しかし1-2枚は時々Aw 見る、心に残る描き方をしている。今回はどうだろうか。
久しぶりの夕方の渋谷の街はどうしてこうも女性であふれているのだろうか、かきわけながらBunkamurにたどり着く。アンドリュー・ワイエス/創造への道程 と掲げてある。
出展された作品は、丸沼芸術の森の所蔵品がかなり多い、だから悪いわけではないが、すこしばかりあれっというような気分になる。しかし1枚目の鉛筆画の自画像から見入ってしまう。鉛筆画の精緻度がとてもできない圧倒感で満ちている、こんなことが鉛筆と紙だけでできるんだ。下絵を何枚も水彩で描いている、そのコントラストの強烈さ、劇画のようにも見える。作品の緻密さはいつ見ても驚嘆するが、下絵を見たうえで作品を見ると、少しばかり違う。作品は下絵を再構成している、緻密な絵の元はすでに作者の頭の中に入っている、どんな光線も一瞬の動きも細密に再現することができるようだ。入り込めそうな現実とはわずかばかり異なる亜現実の世界。一枚の作品に一体どれほどの時間が費やされたのだろうか。
下絵から作品へと追っていくと一種の鮮やかさが薄れているのを感じる、リアルな世界から亜現実の世界への変質を感じる。作品だけ見ると現実そのもののようだが、違っている。おびただしい言葉が埋め込まれているように感じてくる。
緻密な再構成と最初の精緻を極める鉛筆画、これがアンドリューワイエスの世界だった。
いい企画だったと思える。
どうやったらあんな鉛筆画が描けるのだろう、少しばかり滅入って かもしかのみつからない華厳の滝をスケッチしながらそう思っていた。描いていればいつかは自分なりにたどり着けるかもしれない、そうも思っている、人のやることだ。

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ティファニーで朝食を

Tiffany 文庫本の新刊に ティファニーで朝食を を見つける。カポーティの小説だった、それも知らなかった。オードリヘップバーンとムーンリバーのイメージだけで、映画も甘そうなイメージで、ためらいがあって、見ていない。村上春樹訳で読み始めるとまったく違っていた。ホリー・ゴライトリー きっとモデルがいたはずだ、こんな人物像は空想ではできない、カポーティはとんでもない世界に住んでいたかもしれない。こんな役をよくヘップバーンがやれた、と正直に思う、小説どおりの映画なら明らかにミスキャスティングだ。多分映画では甘く書き換えられているのだろう、違うホリーなのだろう、この、現実世界とかけ離れた意外さがなくなっているのだろう、ギターを爪弾く曲がムーンリバーでは甘すぎる。壊れそうで壊れない強さ、ドライと一言でいえない屈折、いつも危険の中を泳ぎまわる、それをむしろ好んでいる。若い女性がとっても複雑な世界に住んでいて その世界を感じることできる人をだれであれ魅きつけてしまう。ホリーがブラジルへ消えて小説は突然終わる。あっけない。ここで終わるのはもったいない気が残る、不思議なリアリティーがある。
なんとなくいい文章のような気がする、原文でもう一度読むべきか、そんな気もする。

風にあたらねば、ふとそんなことを考えていた、外は初冬の嵐だ。

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2008年12月11日 (木)

モバイル通信

デフレ終結宣言が出ないまま、今度は世界中がデフレの雰囲気に陥ってきた。こんな時は優雅に時を過ごすことに限る。
気象をみているとどうしてもモバイル通信をやってみたくなる。リアルタイムの情報を出先で知りたくなる。しかし費用がかかる、どうしようかと迷っていろいろ調べていたら、ブロードバンド通信のイーモバイルという会社がプリペイドの割安なサービスを販売しているのが目に止まった。AUでも上限付従量制で似たようなサービスがあると親切な方が教えてくれたがついにそのサービスを発見できず、どうもイーモバイルの方が使い方にあっているようでこちらを選ぶことにした。初期費用はUSBモデムの購入費1万7千円(プリペイド5千円分付き)でちょっと高いがその後の固定費はないことになっている。従量費は1MBでEmobl 63円だから、チョコチョコ使う分には問題ないし激しく使いそうな日がわかっていればいつでも上限なしの使用で例えば1日定額630円から設定でき30日の設定でも5千円くらいということになっている、なかなかだ。プリペイドはあまり宣伝されていないようで宇都宮ではヨドバシしか扱っていない、出かけていくと、イーモバイルの販売員の人もこのサービス(EMチャージ)については詳しくないらしく質問すると携帯でどこかへつないで調べてくれる、その場で、持ってきたパソコンにつないでもらおうとしたが、とても受けられない風情で、どうも販売がきっちりしていない、こんなんで大丈夫かと思ってしまう。とにかく使ってみようと、東京で気象の研究会があった日、朝、1日定額の設定をして 電車の中でつないで調子を見る。USBモデムが細長くてじか付けでは邪魔なんでコードを介してつなぐ。グリーンの普通電車が静かでゆったりしていてモバイルパソコンで遊ぶにちょうどいい、ただ電源は取れない、バッテリーを気にしながらとなる。つながり方も普通で、速さも普通のことをしている限り問題ない。帰りは研究会でうまく動かなかったソフトウエアの問題解決をウエブで色々検索しながら試していると、そのうち解決法もわかって、ソフトも動き始めた、一息ついたところで宇都宮に着く、うまく時間が使える。これはいい。
便利で安くなってきたもので楽しむ、デフレ時代を過ごす秘訣なのかもしれない。

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2008年12月 7日 (日)

いい文章が書きたくて

Koke 文章の書き方のいいお手本はないかとふと図書館で三島由紀夫の「午後の曳航」を借りてきて読み始めた。かどがあって綺麗な文だ。しかしすべての表現にわたって人の息吹で満たされている、自然だけを見つめた描写は皆無だ。三島とはそんな人だったのだ、改めて思う。不気味さがある。読み進むとちりちりと恐ろしいおぞましい終局へ向かう。これは手本にはできない。
しかしこの午後の曳航という小説は11年前の神戸の事件に始まる一連の子供の起こした不可解な恐ろしい事件を思い起こす、そればかりか、つい最近の、子供の頃犬を殺されたことへの復讐で官僚トップを襲う事件すら思い起こす。閉ざされた自らの空間と笑いさざめく世の中のどうしようもない乖離とその決着、三島自体が持っていた世界のようにも思えてくる。市ヶ谷でのあのような終わり方しかなかったのか。
日本語の文章ではないが英語の文ではっとするものに最近行き当たった、航空雑誌に載せられたある貨物便パイロットがアリューシャン上空で遭遇した話だった。事故を目撃した民間機が上空を飛ぶ機体に無線の中継を依頼する、これを通りかかった貨物機が受信してアラスカの沿岸警備隊にそのまま伝える。暫くして解ってきたのは、事故機は実は近くの島で落ち合うはずの通報者の息子の操縦する機体で、アリューシャンの小島に墜落した現場を上空から父親が自らの機体を操縦しながら冷静に正確に伝えてきたものだった、これが非常に透明なタッチで語られていた。
文章の強さはしゃれた言葉や言い回しではなく、やはり中身にあるのだろう。

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2008年12月 5日 (金)

緊張のない時がたらたら流れて

この数日ほど、北の冷たい空気が広く南の海上まで押し出して日本のはるか南に前線のQbma98_rjtd_776 ような雲の帯を形成している。ジェット気流より大分南に前線ができるのは少々おかしいが、成層圏の底の高度の高い南の大気の中上層の高度に冷たい空気が流れ込んだ変な形で、現に起こっているのだからこんなのもありということになる。ジェット気流と南の前線の間は安定が悪くところどころで発達した積雲も出ている。月曜には関東地方の南の積雲がまとまって押し出してきて雨をもたらすことになった。千葉に南から雨雲が伸びてくる変な天気だ。秋から冬にかけての天気は301200utc 時々説明するのが難しくなる。そんなことに地球はかまってくれない。
南からの変な雨雲の押し寄せる前の日の日曜は北関東はよく晴れていた、久しぶりの好天だ。いつも利用している健康の森という運動施設が10日間ばかり工事休館になって運動が足りないと体が伝えてくる、思いついてすぐ近くの山に登ることにした、古賀志山という600mにも満たない山だ。中腹にクルマを置いて登り始める。10年ぶりくらいの古賀志山は道は整備されているが登りはきつい。運動にはちょうどいい。落葉樹と針葉樹の境目あたりにシジュウカラなどが飛び交うほかは鳥はあまりいない、途中で休む口実がない、程なく稜線に出て右すると頂上になる、眺望がいい。南は新宿のビル街までよく見えるし北は女峰をはじめ日光連山が美しい。頂上稜線はとにかく人が多い。中高年のおじさんやおばさんが目に付く。感じのいい人もいればそうでない人もいる。散歩の延長のつもりで歩いていたがきっちり山登りスタイルで決めている人がどちらかというと多い様にも思う、前行った鳩待峠とは逆だ。どこかで聞いた声がすると振り返れば知り合いに出会う、二言三言話してまた歩く、いかにも地元の山だ。深い自然に浸ってる感じでもない、町の延長の山だ。
こんな風に緊張のない時がたらたら流れて行く、ずっと未来まで続いていく気がする、ぎしぎしと詰まった生き方を追いかけるのも終りかもしれない、晴れた日曜の後には雲に覆われた月曜が来て、それが繰り返される、無言の地球の合図をただただ受け止めていくだけでも十分ではないか、そんな気がしてきている。

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