ティファニーで朝食を
文庫本の新刊に ティファニーで朝食を を見つける。カポーティの小説だった、それも知らなかった。オードリヘップバーンとムーンリバーのイメージだけで、映画も甘そうなイメージで、ためらいがあって、見ていない。村上春樹訳で読み始めるとまったく違っていた。ホリー・ゴライトリー きっとモデルがいたはずだ、こんな人物像は空想ではできない、カポーティはとんでもない世界に住んでいたかもしれない。こんな役をよくヘップバーンがやれた、と正直に思う、小説どおりの映画なら明らかにミスキャスティングだ。多分映画では甘く書き換えられているのだろう、違うホリーなのだろう、この、現実世界とかけ離れた意外さがなくなっているのだろう、ギターを爪弾く曲がムーンリバーでは甘すぎる。壊れそうで壊れない強さ、ドライと一言でいえない屈折、いつも危険の中を泳ぎまわる、それをむしろ好んでいる。若い女性がとっても複雑な世界に住んでいて その世界を感じることできる人をだれであれ魅きつけてしまう。ホリーがブラジルへ消えて小説は突然終わる。あっけない。ここで終わるのはもったいない気が残る、不思議なリアリティーがある。
なんとなくいい文章のような気がする、原文でもう一度読むべきか、そんな気もする。
風にあたらねば、ふとそんなことを考えていた、外は初冬の嵐だ。
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