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2008年12月 7日 (日)

いい文章が書きたくて

Koke 文章の書き方のいいお手本はないかとふと図書館で三島由紀夫の「午後の曳航」を借りてきて読み始めた。かどがあって綺麗な文だ。しかしすべての表現にわたって人の息吹で満たされている、自然だけを見つめた描写は皆無だ。三島とはそんな人だったのだ、改めて思う。不気味さがある。読み進むとちりちりと恐ろしいおぞましい終局へ向かう。これは手本にはできない。
しかしこの午後の曳航という小説は11年前の神戸の事件に始まる一連の子供の起こした不可解な恐ろしい事件を思い起こす、そればかりか、つい最近の、子供の頃犬を殺されたことへの復讐で官僚トップを襲う事件すら思い起こす。閉ざされた自らの空間と笑いさざめく世の中のどうしようもない乖離とその決着、三島自体が持っていた世界のようにも思えてくる。市ヶ谷でのあのような終わり方しかなかったのか。
日本語の文章ではないが英語の文ではっとするものに最近行き当たった、航空雑誌に載せられたある貨物便パイロットがアリューシャン上空で遭遇した話だった。事故を目撃した民間機が上空を飛ぶ機体に無線の中継を依頼する、これを通りかかった貨物機が受信してアラスカの沿岸警備隊にそのまま伝える。暫くして解ってきたのは、事故機は実は近くの島で落ち合うはずの通報者の息子の操縦する機体で、アリューシャンの小島に墜落した現場を上空から父親が自らの機体を操縦しながら冷静に正確に伝えてきたものだった、これが非常に透明なタッチで語られていた。
文章の強さはしゃれた言葉や言い回しではなく、やはり中身にあるのだろう。

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