緊張のない時がたらたら流れて
この数日ほど、北の冷たい空気が広く南の海上まで押し出して日本のはるか南に前線の ような雲の帯を形成している。ジェット気流より大分南に前線ができるのは少々おかしいが、成層圏の底の高度の高い南の大気の中上層の高度に冷たい空気が流れ込んだ変な形で、現に起こっているのだからこんなのもありということになる。ジェット気流と南の前線の間は安定が悪くところどころで発達した積雲も出ている。月曜には関東地方の南の積雲がまとまって押し出してきて雨をもたらすことになった。千葉に南から雨雲が伸びてくる変な天気だ。秋から冬にかけての天気は
時々説明するのが難しくなる。そんなことに地球はかまってくれない。
南からの変な雨雲の押し寄せる前の日の日曜は北関東はよく晴れていた、久しぶりの好天だ。いつも利用している健康の森という運動施設が10日間ばかり工事休館になって運動が足りないと体が伝えてくる、思いついてすぐ近くの山に登ることにした、古賀志山という600mにも満たない山だ。中腹にクルマを置いて登り始める。10年ぶりくらいの古賀志山は道は整備されているが登りはきつい。運動にはちょうどいい。落葉樹と針葉樹の境目あたりにシジュウカラなどが飛び交うほかは鳥はあまりいない、途中で休む口実がない、程なく稜線に出て右すると頂上になる、眺望がいい。南は新宿のビル街までよく見えるし北は女峰をはじめ日光連山が美しい。頂上稜線はとにかく人が多い。中高年のおじさんやおばさんが目に付く。感じのいい人もいればそうでない人もいる。散歩の延長のつもりで歩いていたがきっちり山登りスタイルで決めている人がどちらかというと多い様にも思う、前行った鳩待峠とは逆だ。どこかで聞いた声がすると振り返れば知り合いに出会う、二言三言話してまた歩く、いかにも地元の山だ。深い自然に浸ってる感じでもない、町の延長の山だ。
こんな風に緊張のない時がたらたら流れて行く、ずっと未来まで続いていく気がする、ぎしぎしと詰まった生き方を追いかけるのも終りかもしれない、晴れた日曜の後には雲に覆われた月曜が来て、それが繰り返される、無言の地球の合図をただただ受け止めていくだけでも十分ではないか、そんな気がしてきている。
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