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2009年1月28日 (水)

グローバルなルール変更

最近エッと思った話題に、いまの新自由主義的改革、すなわち、規制緩和、小さい政府、市場に任せればうまくいく、の考え方を1995年から2000年頃政府の中枢で先頭で進めて Nakaya_2きた経済学者中谷巌が、間違ってました、という懺悔の書を出版したという話がある。東洋経済のネット版に中谷のインタビュー記事が出ていたが、そのとおりの発言で、この期に及んでそれはない、といいたくなる。正直に告白したのは格差社会が進行して多くの人が不幸になった、日本社会のよさが確実に失われた、その原因を主導して作った重みに耐えられなくなったためだろうか。
江戸末期から明治の初めに海外から日本に訪れた外国人の目には日本は競争のない奇跡のような優しい国だった、誰もが働けるように喧嘩せず話し合って仕事を分け合っていた。談合という言葉の響きが良くないが、弱者を蹴落とす競争を話し合いで止める社会だった、そこに日本の平等志向の原型があったように思う。競争で奪い合う社会から思いやって分け合う社会へねじを戻さなくてはならなくなったようだ。ワークシェアリングというカタカナで有難がる仕組みではない、日本が元から持っていた原風景だ。
資本主義を野放しにしてはだめだ、というのが前の恐慌の教訓だったのではなかろうか、それがいつしか緩んできて、またおかしくなった。
資本主義の欠点は個人の欲求に基づく市場の暴走にある、個人レベルの倫理観では解決できない、同じ状況下では世代の違う個人は同じ判断をして同じことが繰り返される、変えたければ公的機関による規制とコントロールのしくみが必要になる。当然のことだが肝に銘じておかねばならない。個人レベルでは世代を越えては決して学習しない、小さい政府では暴走は止められない。
中谷巌が懺悔するのも個人的心情として分かるような気もするが、当時は失われた10年の閉塞感を打ち破りたいとの意識から、新資本主義的な小さな政府の考え方にはそれなりの魅力や説得力があったように思う。むしろ何故多くの人はそのような状況で後から考えると少しばかりおかしいと思うことを嬉々として受け入れたのか、と見た方が真実に近づける。今回は明らかにグローバリズムが前面にある。共通のルールで戦わなければ敗退する、との考えが根底にあるように思う。

競争から分かち合いへのグローバルなルール変更が見出されるまで同じことが繰り返されるだろう。新しいルールとはなんだろうか。世界政府が主導する適度な規制だろうか、なんだか息が詰まりそうだ、難しい。

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2009年1月24日 (土)

日食が気になっている

Nisk 日食が気になっている。7月22日だ。所詮太陽が月に隠れるだけのことで、随分昔金環食を九州で見たときは何の感動もなかったのだが、皆既日食は別かもしれないと思っている。口実かな、南の島に行く。それにしてもとんだフィーバーだ。トカラは近ツリが買い占めてとんでもない価格のとんでもないプランで抽選販売している、奄美もこの時期宿も取れない、普通の人が普通に楽しめる現象ではなくなっている。以前部分食が宇都宮であった時、庭にそそぐ木漏れ日の丸い光がひとつひとつ欠けていって、風に揺らぐようで、何かつながっていくものを感じて、いまだに心に残っている、そんな普通の感慨をこの日食フィーバーは受け付けてくれない。見なければ、と思っていても、感慨もない人たちのビジネスの道具に堕している企画に乗りたくもなくなる。2035年9月2日10時7分に宇都宮を覆うはずの皆既日食まで待った方がまとものように思えてくる。手近では2012年5月21日の関東の金環食もある、また何の感動もないかもしれない、生きるための光と影、生き延びねば。

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2009年1月23日 (金)

温かい雨が

09012301jst 久しぶりのように温かい雨が降っている。雨雲の帯をたどるとベトナム沖に至る。ベトナムの風が吹いてくるような幻想に陥る。
雨はいい、ドラマがある、悪い天気とはとてもいえない。雲ひとつない天気はつまらない、空に見るものがない。
冷たい風がそこまで迫っているのにしても、ひと時の温かい雨が蕎麦のようにやさしい。

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2009年1月16日 (金)

航空機が墜落して

朝のラジオニュースでニューヨークで旅客機が墜落したといっている。インターネットのニュースにはなかなか出てこない、速報はラジオ・テレビに限る。イスラエルとハマスの戦闘がやまない。イスラエル建国を戦後間もない連合軍からかわったばかりの国連が決議したことにその元がある、ナチスのつけをパレスチナが払っている、無理があるのはどうしようもない。航空機の墜落はテロかと思って中東情勢が浮かんだが、やっと入ったネットのニュースではラガーディア空港離陸直後の鳥Ikaros衝突らしいという、胴体が浮かんでいる写真を見るとかなり助かったようだ。鳥と航空機の関わりは伝説の世界からえもいわれぬ関係にある。人の飛行は鳥をみてそれにならおうとしたことから始まった、ミノス王に囚われた技術者ダイダロスの息子イカロスが体に羽根をつけて飛行を試みたが失敗して死亡した伝説から始まりダビンチも深く鳥の飛行の研究をしたが、飛行は果たせず、結局19世紀はじめにイギリスのケーレー卿が鳥のまねをしては人は飛べない、と鳥からの決別に基づいた研究を行ったことで突破口が開かれ航空機研究が発展、ライト兄弟にいたった。まだライトの初飛行から105年と1ヶ月だ。今や航空機にとって鳥は天敵のような趣があり、海辺の空港ではどこもどうやったら鳥を追い払えるかに頭を悩ませている。ロールスロイスが1970年ころ倒産したのも新開発のRB211エンジンの鳥衝突試験に失敗して開発に手間取ったことに直接の原因があり、これでこのエンジンを売り物に計画されたロッキードトライスター旅客機は開発が混乱 出遅れて無理な売込みを強いられてあげくは田中角栄汚職事件にまで至る。鳥の人に及ぼす影響は思いがけなくも大きいものがある。鳥衝突で旅客機が落とされたと聞くと鳥と航空機の因縁を感じざるを得ない。鳥は見て聞くに限る。

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2009年1月12日 (月)

あちこちでブラックボックス化がはびこっている

寒さが厳しくなっている、北極振動指数を見ると今はプラス側で世界的には寒波が北極から降り来る形でもないのだが、ローカルには極東側の極渦が弱くなってきて寒気が北極から流れ出ている。去年も1月中旬は極東と米東海岸に寒波がきておりこのころの波動はこうなのだろう。景気が悪くてこう寒い日が続くと地球温暖化してくれないかと思いたくなる、経済活動が停滞すればCO2の出方も抑えられてしまう。もっともCO2の増大は地球Co2kion の気温上昇にわずかに遅れているという観測結果(添付図、Keeling,1989 による)を見るとCO2が本当に今起こっている気温上昇の原因なのだろうか、と疑ってしまう。ともかく温暖化問題は全体にすこぶる政治的になっていて、温暖化の本当の理由をブラックボックス化して単純化して政治問題としているように見える。こういうブラックボックスは怖い。
マニュアル主義の行き詰まりということを最近よく感じるようになった。どこかの先進的スーパーでマニュアルを止めて仕事がうまくいくようになったというのを読んだこともある。
効率よく手順を理解し また人に伝えるにはマニュアルというのは便利な道具だ、しかしどこか安直になっている、考えることを止めているように思う。作業マニュアルは考えることの停止を暗に求め機械的な動作とすることで品質を保とうとしている,そういうことが必要な場面も確かに多々ある、変に考え込むと先へ進まなくなる、しかし思考がいる場面での思考停止は危ない。
更に進むとマニュアルがあるがために複雑な手順を容認していく、マニュアルが厚くなる、どこかでそれが破綻してシステムの停止が起こる。ISOの認証も結局は手順をマニュアルに類する煩雑な手順文書に落とし文書化することで品質が保たれたことにしている、しかし依然として不具合は起こる。
身近では家電のマニュアルがPL訴訟対策でほとんど誰からも見られない注意書きでいたずらにページ数を増している、責任逃れの有害な風景にみえる。
マニュアルの殆どないやり方を追求すべきなのだろう。
テレビ番組がつまらなくなっているのもきっとどこかにマニュアルに類するものがあって思考停止の番組つくりが行われているのではないかと思う。
マニュアルは言葉を重ねることで考えるべき何かをブラックボックス化している。
あちこちでブラックボックス化がはびこっている、サブプライムローンの証券化は最近の最も甚大な被害を及ぼしたブラックボックス化の事件だ、まだまだ続くだろう。この恐慌にも似た突然の世界同時不況で世の中が少しまともな方向へ動くものなら、ブラックボックス化をゆり戻すような向きに向かないか、と期待してしまう、なにしろ世の中が変わるのはこんな時しかないのだから。

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2009年1月 4日 (日)

旅とパソコン

帰省ラッシュの飛行機に乗る。年末では本当に満席便の連続で航空会社は利益の稼ぎどころだ。とにかく早めに空港に行かねばならない。時間をつぶす工夫も必要になる。今回は手元で機能始めたイーモバイル接続のブロードバンド・モバイルパソコンであちこちのつながり具合も見てみることにする。まずは宇都宮から羽田に向かうエアポートリムジンバスだ、電源はとれないものの東北道では勿論接続は快適だ、そうはいっても首都高ではトンネルで切れる、これはしょうがない。パソコンを置くテーブルが無いのも難点だが、まあまずまずというところ。
次は羽田だ。羽田空港第一ターミナル2Fの出発ロビーでは中央奥の和食屋へ入ると壁際の席のそばにはコンセントがあってお店の人の了解をもらってパソコンの電源を取ることができる。建物の中だが接続は問題なくしばらく時間をつぶした後、ロビーフロアにあるはずのパソコンデスクを探してみる。案内に2回聞いてやっと見つかる、ちょっと解りにくいが3-4席あって電源が取れてそれらしい。最初は誰も座っていなかったが暫くして隣に人が来る、そろそろセキュリティチェックに入ろうと立ち上がると待っていたように次の人がやってくる。誰かが始めると、そうかここでできるのか、と解るようだ。アメリカに出かけた時に感じたほどではまだないがパソコン抱えた旅行者は確実に増えている。

離陸後富士山の直ぐ北側のルートを飛ぶ。初めて経験するルートだ。米軍の横田エリアが少しばかり解放されたおかげだろう。しかし首都直近の空域が広くまだ米軍に占領されている日本の空は異常としか言いようがない。独立国とはいえない。こんなことが許されないような国際的システムを作り上げなければならないのだろう、それが64年前の敗戦国に課せられた使命なのだろう。

Canal09福岡では、博多の街中を散策してみる、キャナルシティの4Fの普通のカフェに入ると窓際の席にはコンセ ントが用意してある、これはどうみてもパソコン用だ、お店も色々工夫している。
帰りに、福岡空港でパソコンを使おうと、出発ロビーでコンセントを探すが、インターネットコーナーは設置されている有料端末のみで持ち込みのパソコンの電源はとれない、混んでいることもありセキュリティーチェックに入る。中で歩き回っていると5番搭乗口付近の空席待ちカウンター壁側の待合席のそばにコンセントを見つけて、カウンターの人に聞いてみると使ってもいいんじゃないですか、との声あり、快適に使わしてもらうことにする。接続は問題ない。テーブルが低いのがやや難点だが贅沢はいえない。見ると隣の席では携帯を充電している。いずこも同じだ、バッテリー能力が飛躍的に伸びるまではコンセント探しが気になる。
東京駅からは新幹線で戻る、時間が短くて慌しく、電源も取れないが、トンネルさえ抜ければとにかく高速走行でも接続に問題ない。聞くところでは、新しいのぞみは窓側の席すべてにパソコン用コンセントが用意されているらしい。時間さえつぶせれば飛行機より遅い電車もかえって楽しくなるのかもしれない。
本当は飛行機の中でリアルタイムの気象のデータを見ながら窓の外の雲の状態を観察するのが楽しそうなのだが、暫くはできそうにない、できるようになってもこれは費用がかかりそうだ。

ブロードバンドのモバイルパソコンが実用的な時代にやっとなった、随分ここまでくるのに時間がかかったがこうでなければ、と思う。しかし、何かを失っているようにも思う、旅のふっきれた感触かもしれない、戻れるだろうか。

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2009年1月 2日 (金)

福岡に年末来てみると

福岡に年末来てみると何故かメジロばかりが目に付く。佐世保の方に足を伸ばしてもメジロだ。北関東よりは明らかに密度が高い。行くところがあって福岡から南下して熊本あたりまで来たので、少しばかり有明海の干潟でも見てみるかと適当なところから西へ真っ直ぐ走ってみる、しばらくすると防波堤にぶつかる。クルマを置いて海のみえるところに出てみると満ち潮だ、干潟が見えない、海苔の養殖が沖に広がっているだけだ。しかし静かな海だった。かもめが2羽いるほかは鳥も殆どいないのでクルマに戻ると目の前の田んぼにタゲTageri1 リが地面をつついている、冬の田んぼは餌を提供してくれる優しい場所だ。100羽くらいのすずめの群れがいたり、ジョウビタキやカワラヒワやツグミがいたりにぎやかだ。九州に来ると少しばかり鳥の風情も変わるが、それほど違うわけでもない。気が楽だ。
例年より温かい玄界灘にシベリアの寒気が吹き降りてきて、雪になるか降らずじまいか、と気をもんだ空も、元旦の明け方から雪になり近くの子供がはしゃぐ声で目が覚める。どちらかというと、玄界灘の海水温が高く低層の気温が下がりきらず海岸沿いでは多分雪は降らないと予測していたが降ってしまう。しょうがない。崩壊する積雲の放つ冷気が急降下して地面付近の気温を下げたところへ降るものが降ってきたという仕掛けのようだ、単純な洋上の北西風ではない、しかし考えれば当然のことだ。

北関東とは違う雪空を気にしながら、そうはいっても、のんびりと初詣に出かけてうそのおみくじを引いたり梅が枝餅を食べたりしていると、今年は何故かクリヤーな風が吹いてくるような心地になる。年の後半にはまた元気が戻る世の中が見えるような気がしてくる。ともかく正月らしい。これがいい。

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