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2009年4月30日 (木)

春は忙しい

春は忙しい。夏鳥がさえずる季節になって山の森は鳥の雰囲気で満ちている。日光・稲荷川沿いの森で今年も鳥のさえずりの録音を始める。オオルリが飛び交う。キビタキが2羽で追いかけあって騒がしい、センダイムシクイはうるさいばかりだ、コガラやヒガラやメジロKibtk が元気よく飛び回る、ヤブサメが虫のように鳴き始める、森は波を打ちながらにぎわう。薄暗い針葉樹からはトラツグミの声さえ聞こえてくる。まだ鳴きはじめなのか音階が少ない。キビタキも一羽で朗々とうたいあげているのは上手だが、元気に追い掛け回しているのは何故か単調でまだまだの感じがする。春の森はきりがない。
いい加減疲れてきたので引き上げようとして石に躓いた。連休初日で朝早くから動いていて、注意散漫になっていた、たまたま手に持っていたペンタックス一眼レフが手から滑り落ちて石を直撃した、望遠レンズがしたたか石を打った、冷たいものが走る、これはダメだ。拾い上げる、望遠レンズの先端の側が大きく割れている、ファインダーを覗くが真っ暗で何も見えない、壊れてしまった。心が暗くなる、痛くなる。帰り道の下りでもキビタキが軽やかにさえずりミソサザイが歌い上げているがそれどころではない。モノが心を襲う。クルマの運転にことさら気をつけながら戻る。
モノの打撃はモノでしか癒せない。急ぎ代替品をネットで探して即発注する。しかし連休中の遠出には間に合わない。思い出して昔のペンタックスのレンズをネジマウント(M42マウント)にアダプターをつけてKマウントで使えるようにしていた、あれを使おう、とほこりを払って出してくる。扱いやすいようにアダプターのロックバネをはずしていたのでカチッとは止まらない、本気で使うには危なっかしい。レンズも改めてみると望遠レンズのピント合わせが滑っていて動きがおかしい、しかしだましだまし使えば一応望遠として使える、急場はSumire これでしのぐしかない、使えるだけましだ。やっとの思いでロックバネは元に戻し試し撮りする、マニュアルの感覚がよみがえる、これもなかなかだ。
やはり春は忙しくて、無駄な動きばかり強いられるようで、それがまた少しばかり新しい切り口を開いてくれて、春らしい。

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2009年4月28日 (火)

モノと心のやりとりが

グローバリゼーションの果てのとんでもない世界同時不況が吹き荒れている、実体経済ではクルマを始め物が売れない。それにしてもクルマが突然売れなくなるというのも考えてみればおかしな話だ。クルマ社会の米国では金融が機能しなくなってクルマのローンが組めなくなったことがその大きな理由といわれるが、日本ではそんな話は聞かない、十分に寿命の長くなったクルマを買い換えていたのが本当はそんなに頻繁に買い換える理由などなかったのかもしれない、先行きが不安になってそれに気づいて売れなくなったのだろう、若者のクルマ離れも進んでいた。リーマンショックがなくとも早晩クルマの売れ行きは壁に行き当たったのがたまたま一気に起こってしまったのだろう。電機業界がおかしいのは直接的には薄型テレビの価格暴落が主因とも言われる、何故この時期に重なったのか、考えてみればこれも少し変だ。多分心がからむ問題なのだろう。
日本の失われた十年の時には次々にロケットが打ち上げ失敗に陥っていた、本来まるで関係のないようなことが調子を合わせるように重なってきて暗い気分を一層暗くしていた。世の中のみなぎる自信が失われるとそれがモノに出てくる、これがかってない不況の特徴なのだろう。人知の及ばないところまで暗い雰囲気が行き渡る。
Taurus 今回も今年の2月にNASAが打ち上げたTaurusロケットが失敗して温室効果ガス観測衛星が海の藻屑と消えた、少々小ぶりだがNASAとしては久しぶりの失敗で失われた十年のデジャヴィのような気もしてくる。しかし今回は続くスペースシャトルの打ち上げには成功し、不安の連鎖は一応絶たれている。それに火星探査を巡って明るい話もある。不況の底は打ったのかもしれない。
火星探査を巡る話では何と言っても1999年に単位系をまちがえて行方不明になったNASAの観測機Mars Climate Orbiterの話がとんでもない事件として記憶に残るが、最近の探査機ではもっと前向きの話題が伝わってくる。5年前に火星に降りて探査を始めたローバーのspiritとopportunityが当初予定の90日の寿命を大幅に超えて今もなお動いているというのだ。そもそもの90日の寿命というのは太陽電池パドルに砂が降り積もることになるので90日も経つと発電できなくなるというアバウトな計算だったが実際は強風が吹きすさんでいて積もった砂はすべて吹き飛ばされてしまって発電には支障がない次第となった。機器が機械的寿命で壊れるまで使っているわけだが現在は右車輪の一つがスタックしてしまって引きずるようになってしまっているという、ところがその引きずって出来た溝から昔の温泉で析出したシリカが発見されて、貴重な発見となった。壊れても尚壊れた部分が別の意味で探査に役立っているというから本当にしぶとい。
このしぶとさは勿論今回の世界同時不況のはるか前に送り込まれたものだ、いまかみしめて自信を取り戻すべきなのだろう。米国では不況の嵐も行く手にほのかな光が見え始めた。

モノと心のやりとりが事象の本質をついている、そんな気がしている。

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2009年4月22日 (水)

春らしい雨が

久しぶりのしっかりとした雨が降る、北から降りてきた上層寒気が切離低気圧を醸成しつつその前面の対流圏に南風をかきいれて低気圧を発達させている。春らしい空気の脈動だ、春らしい雨だ。久しぶりの雨で東北と四国では地震だ、春の鳴動そのものだ。

源氏物語(与謝野源氏Uji3)の宇治十帖をネットで時間の合間に少しずつ読んでいる、宿り木を過ぎ浮舟を過ぎて手習まできてそろそろ夢の浮橋だ。それにしてもこのような長文が多くの人に読まれる読み物として引き継がれてきた事実に改めて驚く、自筆で書いたものからの書き写しだけでねずみ算のように増えていけたのだろう、印刷以前の出版の世界がまぶしい。物語が書かれたのは漢字からひらがなが分離してかな混じり文が書かれはじめた菅原道真の時代から100年くらい経った頃だ、遣唐使も廃止されて100年、和風のかな混じり文の物語にのめりこむ読者がすでに数多く居たということでもあるのだろ う。
薫、中の宮、匂の宮、浮舟 の心の動き、人となりが細やかに書き分けられていて引き込まれていく。宇治川の音が響く。話の引き回しも手が込んでいる。現代的といってもいい、与謝野晶子の訳文そのものが古く感じたりもする、戦前の訳でなく現代語訳が似つかわしい。

春の雨もそろそろ上がってキジの声がする、こんな日は物語を読むのにちょうどいいように思えてくる。

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2009年4月19日 (日)

風邪をひいて

風邪をひいた、だんだん直りにくくなる、こうやって人はしだいに終末へ近づいていくのだろうか。このところ庭に来ていたツグミがいつのまにか姿を見せなくなる。春も盛りを過ぎようとしている。
ともかく厄介な風邪だ。風邪を引くと近頃では内側から手引きされるようにすぐ肺の近くまで炎症が及んでいく、何かを吸い込んでしまってそれが肺のどこかへ巣くっているようなイメージが頭の隅にある。そう思って引っかかっていたところへ、肺にもみの種を吸い込んだら肺の中でもみの木が5cm程育ってしまった話がロシアから伝えられて唖然とした。摘出された写真までnetに出ていたが、ロシア発のこの手の話は眉唾ものが多くて俄かには信じられない。昔、ナチスの宇宙飛行士が30年ぶりに地球に帰還したという報道すら流れたことがある。しかし肺に生き物が巣くう話は現実にあるようで1989年に千葉大でスエヒロタケの菌糸のコロニーがアレルギ性気管支肺真菌症の患者の気管支粘液から発見されている。取り出して暫く培養していたらキノコが生えてきたという。肺には酸素も水も養分もあって温度も安定して生き物がいかにも寄生しそうな気がする。
思えば人の体はいろんな生き物が共生している、それが地球に暮らす生き物の連鎖の本来の姿かもしれない。連鎖する命が地球の生き物を結びつけ引き継がれていく不滅の命を与えているようにも思える。38億年前まで遡る生命の流れを経てここにあるのは今の自分にまで引き継がれたたいまつのようなものにさえ思えてくる。自分の中にすべてが存在する、世界は自分を見つめることで理解できるという昔感じていた考えに回帰していくようだ。やはりそうなのだろう。
時々自分の死んだ後も何事もなかったかのように淡々と果てしない未来まで回り続ける世界のことを考えることがある、殆どの確率で必然の事実であると思うとめまいすら感じる。しかし、結局はばらばらになって地球の生き物と一体となって存在し続けるのだろうし、そこまでもなく、DNAは子供の体内に引き継がれ少しばかり違う生まれ変わりを作りながら連綿と時間の流れを泳いでいYambk09 くだろう。果てのない終りが続くのだろう。
庭の桜は見事に散って花びらは土に還り今はヤマブキの黄色がまぶしい。目くるめく思いとは関わりなく軽やかに季節は動いていく、気の遠くなる様な未来へ思いをめぐらすより今はいい季節を楽しむべきといわれているようだ。

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2009年4月13日 (月)

京都の桜は

桜満開の京都へ旅した。鴨川沿いの桜は満開だが脇でヤマブキも花開いている、いくらなんでも桜Benisdr4はもう終りがけだ。そうはいっても京都の桜はまだ見ごたえのあるところもある。平安神宮・神苑のベニシダレザクラは圧倒的でこれでもかとばかりに空気をピ ンク色に染めている。こんな桜は見たことがない。伊達政宗が京都御所より持ち帰ったベニシダレザクラ が明治時代に平安神宮が創設されたときに仙台市から贈られて故郷へ帰った桜となったといわれる。桜は人の手が加わって美しくもなる、時代の転変を人とともに過ごしてきているところがはかなくも美しく、ひきつけさせる一面でもある。
醍醐寺へ訪れてみる、まだ満開を保っている桜も所々にはあるがかなりが花吹雪状態だ、シダレザクラは全く終わっていて、去年の角館をどこか思わせる、しかしあれよりDoigo3 は随分ましだ、まだまだ桜は残っている。桜を追うのは難しい、京都の宿は何処もこの時期満杯で人であふれている。桜は終りがけでも秀吉の作った醍醐寺の庭はなかなかで、石がいい、石組みは今ひとつだが石そのものがいい。霊宝館には醍醐の花見で読んだうたも展示されていて、秀吉やら秀頼やらねねやら淀やら歴史もので親しみのある名前のうたがならぶ、秀吉のうたは自筆と注が示されて展示されているが悪筆ではない、やはりそれなりにたけている。寺そのものは平安時代に建立され、幾多の戦火をくぐりぬけて、五重塔、金堂を始め国宝だ重文だ特別史跡だ世界遺産だと折り重なるように残されている。桜がなければ重すぎる。桜の盛りにまた来るべきなのだろう、もう無理かもしれないが。
夕暮れに京都御苑をみてみる、今年の京都御所の一般公開は4月下旬で御所の中は見れない。枝垂桜は終わっているが八重桜や御所の入り口の東側の桜が満開になっている、広いところにパランパランと咲いているところが仰々しくなくてゆったりした時代を思わせてくれる。しかし歩くと疲れる。
京都の桜は庭に調和して歴史を漂わせているところがいい、人と共にある自然というよりもさらに人に近づけられた自然という感じがする、時々しつこく感じるときもあるが散り際がいいところが桜らしくそれを和らげている、その微妙なやり取りがひきつけるものを失わないのだろう。

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2009年4月 4日 (土)

流れていく時間が貴重で

ここ暫く寒い日が続いている、昨日の朝 庭の桜が5-6輪開いていた、やっとここでの桜開花だ。宇都宮気象台の桜より8日遅れということになる、遅い。

カヤックというのにどこか惹かれるところがあって数年前那珂川のカヤックツアーに参加してちょっといい感じを持っていた、今度はハワイ・ラニカイでのシーカヤックツアーをトライしてみる。日本人のガイドでポポイア島という無人島まで漕いでいって上陸するというツアーだ。ポポイア島はWedge-tailed Shearwater(オナガミズナギドリ)の繁殖地になっているがまだ渡Kyakku ってきていないらしい、ウミガメもあたりを泳いでいるともいうからとにかく面白そうな気がしていた。天気はハワイ周辺の気象予測データというのがあまりなくて、Accuweatherのページで暫く前からこの日の予報を追っていたのだけれども近くなるにつれ、天気は良いがやや風あり、に固まってきていて、風が心配だった。当日は予想以上で10m近い東風が吹いている、行きは厳しい向かい風だ。那珂川ツアーのときに海と川とでは何が違うかと聞いたら海はとにかく漕がなくてはならないという答えが返ってきたのをうっすら思い出した、目の前の別のツアーは風に向かって進まずに後戻りすらしている、これは川とは大違いだ。ともかく2人乗りのカヤックを漕ぎ出す。この日のツアーは4艘の客にガイドが一人Nukegr だ。何とか湾の半ばまで漕ぎ進むがちょっと疲れてカヤックの方向が乱れたところへ横波を受けてまさかの転覆となる。ガイドが早速駆けつけて船をおこして乗りなおすが少々まいってしまう。起き上がってからはガイドのボートに引っ張られながらやっとのことで島にたどり着く。ポポイア島はほんとに平らな小島でゆっくり歩いて一周できる。オナガミズナギドリが一羽だけ渡ってきていてゆっくりと飛び立ってくれる、体は小さいが羽根を広げるとさすがにミズナギドリだ、アスペクト比が大きくてかっこいい。島の地面はアナだらけで巣ずくりにちょうどいいようだ。所々に海鳥繁殖地注意の看板がある。カニが脱皮した抜け殻もあちこちに散らばっている、あまりに見事にカニの形が残されていて脱皮するところを見てみたくなる。なかなかいい島だ。

帰りは追い風であっという間に元の浜へ漕ぎ戻る、川の漕ぎ下りと似たようなものだ。シーカヤックは確かに川より疲れる、しかし自然に生身で直面するところがやはりいい、風のない日にリベンジしたくなる。午後は、これもはじめてのボディーボードで遊んでみる、想像していたサーフィンのようにはいかないがそれなりに少しは楽しい、多分もっと波の高いところで波をすべり下ると面白いのだろう。

毎年の桜も年によって花が違う、咲き方も違う、天気も違う。一回限りの流れていく時間が貴重で無駄にはできない、そうはいっても、少し踏み出すと返ってくる感触が忘れられず、何でもやってみたくなる。花が散るようにその場限りのもであっても、咲いているその瞬間がよくて生きているような気もしている。こんな風にもっともらしく遊ぶ理由付けするのはおかしいのだけれども、やっぱりそう思っている。

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2009年4月 1日 (水)

宇都宮の桜開花予測結果検証2009

宇都宮の桜開花は結局3月26日で、自分で温度換算日数法で3月19日に行った予想2009ke1 (開花を26日と推定)と一致したが、実際の平均気温を入れて計算式を検証してみると、開花を示す換算日数が20となる日は24日となり実際とは違う、ただ26日でも20.7だから悪くもない。換算日数が20-20.99のどこかで開花と見ればよいのだろう。平年より10度近く高い日がでたりしてSakura 気温が暴れている割にはよく推算で来ているというべきか。
来年はどうなるだろうか。

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