« 流れていく時間が貴重で | トップページ | 風邪をひいて »

2009年4月13日 (月)

京都の桜は

桜満開の京都へ旅した。鴨川沿いの桜は満開だが脇でヤマブキも花開いている、いくらなんでも桜Benisdr4はもう終りがけだ。そうはいっても京都の桜はまだ見ごたえのあるところもある。平安神宮・神苑のベニシダレザクラは圧倒的でこれでもかとばかりに空気をピ ンク色に染めている。こんな桜は見たことがない。伊達政宗が京都御所より持ち帰ったベニシダレザクラ が明治時代に平安神宮が創設されたときに仙台市から贈られて故郷へ帰った桜となったといわれる。桜は人の手が加わって美しくもなる、時代の転変を人とともに過ごしてきているところがはかなくも美しく、ひきつけさせる一面でもある。
醍醐寺へ訪れてみる、まだ満開を保っている桜も所々にはあるがかなりが花吹雪状態だ、シダレザクラは全く終わっていて、去年の角館をどこか思わせる、しかしあれよりDoigo3 は随分ましだ、まだまだ桜は残っている。桜を追うのは難しい、京都の宿は何処もこの時期満杯で人であふれている。桜は終りがけでも秀吉の作った醍醐寺の庭はなかなかで、石がいい、石組みは今ひとつだが石そのものがいい。霊宝館には醍醐の花見で読んだうたも展示されていて、秀吉やら秀頼やらねねやら淀やら歴史もので親しみのある名前のうたがならぶ、秀吉のうたは自筆と注が示されて展示されているが悪筆ではない、やはりそれなりにたけている。寺そのものは平安時代に建立され、幾多の戦火をくぐりぬけて、五重塔、金堂を始め国宝だ重文だ特別史跡だ世界遺産だと折り重なるように残されている。桜がなければ重すぎる。桜の盛りにまた来るべきなのだろう、もう無理かもしれないが。
夕暮れに京都御苑をみてみる、今年の京都御所の一般公開は4月下旬で御所の中は見れない。枝垂桜は終わっているが八重桜や御所の入り口の東側の桜が満開になっている、広いところにパランパランと咲いているところが仰々しくなくてゆったりした時代を思わせてくれる。しかし歩くと疲れる。
京都の桜は庭に調和して歴史を漂わせているところがいい、人と共にある自然というよりもさらに人に近づけられた自然という感じがする、時々しつこく感じるときもあるが散り際がいいところが桜らしくそれを和らげている、その微妙なやり取りがひきつけるものを失わないのだろう。

|

« 流れていく時間が貴重で | トップページ | 風邪をひいて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 京都の桜は:

« 流れていく時間が貴重で | トップページ | 風邪をひいて »