人と野生
連休も本当の終りの9日、奥日光に出かけた、相変わらず青森だ静岡だと 遠いナンバーをつけたクルマが走り回っている。中禅寺湖畔はオオヤマザクラが満開だ。ややピンクの濃い派手な花で、ちょっといい。北へ向かって北海道まで到達したのと違うもう一つの桜前線がここまで来た。確かに奥日光は北海道と似ている。冬にはオオワシやオジロワシが飛来するし初夏にはオオジシギが羽音を立てて飛び回る。
光徳の駐車場でクルマを降りると前の林にキビタキが飛び交っている。写真を撮っていたら、近くでクルマを停めて大きな望遠付カメラを持って見ていた人が得意げに、エサをまけば近くに寄って来ますよ、といって道路に餌をまき始める、あわてて止めてもらうが手馴れた風でいつも餌で鳥をよんでいるよ うだ。こうやって次第に野生は失われていくのだろう、どうしようもないことのように思えてくる。三宅島の森でもまかれた餌を見た。いい写真を撮りたくなると結局こうなってしまうようだ、デジ1眼が行き渡ったせいか。多分目の前の景色や生き物が自分と何の関わりも無くテレビを見るように存在すると感じているところがこんなことに繋がっているのだろう。しかし所詮人の行為と自然とは切れない。日光のシカは増えすぎて、植生を傷めている分は人の手で何とかバランスさせねばならないこともある。自然保護の名の下に人に心地よい自然を保とうとしていることそのものが尊大なのかもしれない、しかし人も自然の一部である以上ほっておくのもかえって自然ではない、自然を構成する一員としてどこまでかは自然に干渉することを主張できるようにも思う。
この間図書館に出かけたら、フクロウの飼い方を細かくガイドした本(「ザ・フクロウ」)が図書館の棚に置いてあって少しビックリした、勿論野生のフクロウを国内で捕獲して飼育することは禁じられているが、輸入なら許されるということらしい。野鳥にとって国境は何の意味も持たないのだが人にとっては重要というわけだ。少々勝手だ。一方国内では依然ヤマドリが狩猟鳥で撃ち殺してよい鳥となっている、まだじっくりと見ることもできていないヤマドリだ。寒くなる。どうやって人と野生は関わるのか、ともに地球上に生きている、つながっている、という一点でしかないのだろう、まだ答えは出ていないように思うし、答えは無いのかもしれない。
今年はまだクロツグミの声の録音ができていない、もう直ぐハルゼミがなき始める季節となる、今年は日光ではもう無理か、と思えてくる。人も野生も超越して ともかく時は動いて雨の季節を迎えようとしている。
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