新型インフルエンザという言い方に変わって
英語では依然swine flu(豚インフルエンザ)だが日本では豚インフルエンザという言い方が新型インフルエンザという言い方に変わって、豚(と豚関係 者)へのいたわりを示したりしているうちに、国内ではやり始めた。関西の観光地を抱える京都・奈良は随分と控えめな発表をしているように見える、要するにインフルエンザの流行だから水際で止まらなかったものは相当にはやっていると考えるのが普通だ、のべ数万人居てもおかしくない。きのう新幹線で東京から山口まで移動してみると、さすがに大阪・神戸では乗ってくる人の8割がたがマスクだ、かけてない人もいて、きっとそんな無頓着な人がかかりそうに見えてくる。こちらも関西圏に入るととにかくマスクだ。神戸を過ぎると突然車内清掃のお姉さんが手すりなんかを拭きながらゴミを集めに回って来る、気を使っているが神戸は汚染地区とのイメージがにじむ。広島まで来るともはやそんな空気はなくなる、平穏だ、本当は多くの人が行き来しているので、きっと侵入しているはずだが発表が無い限りのんびりしている。しかしなんとなく関西で水際で止まらなかったというのは解る気がする、律儀で馬鹿正直な検査協力は関西に流れる歴史とはそぐわない、「たいした病気でもないで、まじめに申告するんはアホちゃうか」という声が聞こえてきそうだ。本質的にはそれは間違ってもいないようにも思える。いつになったら騒ぎは収まるのだろうか、ワクチンが出来て接種がはじまるまでだろうか、そもそも従来のインフルエンザだってワクチンを接種する人は一部だった、防ぎたい人は防げると解ってしまえば収まるのだろう。
時々コンプライアンスや賞味期限や産地偽装などというものへの反応が行き過ぎているように思えることがある、紙や文字による証明が重過ぎる、過敏すぎる。本当はディスクリートにきめられないことを無理に線引きして外れたものは切り落としている、殆どの事象はつきつめれば本質的に不確定原理のようにあいまいでかっちりとは認識しにくいものなのだがそれをデジタルに判定している、衛生的な潔癖さを得て何かを失い続けている、この過敏さは時代の不安を投影しているかのようだ。どこかでゆり戻しがくるだろう、それにしてもどこに向かっているのだろうかどこにたどりつけるのだろうか。
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