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2009年7月23日 (木)

皆既日食はfanatic

皆既日食はやはり月のせいでfanaticだ。トカラあたりに行こうと思いだしたのはもう4年位前のことだった、思えばここから皆既日食自体に触れ始めた様な気がする。日食が近づくにつれ旅行会社がいろいろな動きを始め、トカラは近ツリが独占してとんでもない価格のツアーになっていった。とても手を出せず、奄美に普通に行くことを狙ったが航空便がついに取れず、結局行けずじまいになってしまった。思いっきり方が足りなかったのだろう、それだけ思い入れがなかったのだろう。
7月22日はテレビの皆既食生中継を見ながら、時折庭に出ては雲間から明るく欠ける部分Bubunns 食を眺めていた、しかしそれだけでも何かが伝わってくる、狂おしい空気のようなものだ。曇りでは全くかいがないと思っていた、現地ではそうではないようだ、無念の気持ちの伝播とたちどころにあたりが暗くなり人の表情が変わっていく有様は皆既日食のfanaticそのものだ、雨が降ろうと嵐が来ようと超越した何かを感じる、その全体が皆既日食そのもののようだ。コロナが見えなければ意味がないなどということでは全くない。
こんなことだとは思っていなかった、やはり現場に行かねばならない、終わってみてそう思っている。

日食も過ぎて今年の夏のイベントは終わったような気がしている。このところ東の海では高層の気圧の峰(リッジ)がベーリング海に切り込み高気圧が居座って南の海から湿った風を関東に送り込み続けている、梅雨とは違うが梅雨が続いているような天気だ。不順な天気というべきなのだろうが日食の狂乱を感じた後では何気ない日常の一こまにしか見えてこない。
地球の薄い大気層の下でぬくぬくとした日々を送っている生き物に恐ろしいばかりに冷徹な宇宙の姿を見せてくれている、日食はただものではない。

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