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2009年7月30日 (木)

またイランで航空事故

またイランで航空事故だ、今度は7月24 日アリア航空のIl-62MがイMashhad ラン北東部の都市Mashhadで着陸失敗、オーバーランして壁に激突した。ついこの間7月15日にカスピアン航空のTu-154Mがテヘラン北方で巡航中に墜落したばかりだ。この立て続けてのイランの事故はどうしてもイランへの禁輸政策の影響を考えざるを得ない。イランは米国からテロ支援国家として指定され旅客機を西欧から買うことが出来ない、部品も買えない、古いソ連製の機体を使い続けるしかない、安全のレベルは毎年下がっていきいつかは破綻する。Tu-154Mは22年使った機体だしIl-62Mは恐らくもっと古い機体だろう。カザフスタンからのリース機で乗員もカザフスタン人が多かったらしい、航空需要はあるが機体がないというイランの状況を如実に表している。イランは石油産出国で資金を持っているから最新のボーイングやエアバスの機体を買えない訳がない、ここまで締め付けてよいのだろうかと思ってしまう、敵意を醸成しているだけではないのか。国連の言うことを聞かないイスラエルには制裁はなく占領地に移住を続けている、国境線の武力による変更は認められていないにも関わらずだ。明らかなイスラエル偏重の米国の政策が世界を歪めている。
トーマスフリードマンの「グリーン革命」を読んでいるが、同じ作者の「フラット化する世界」ほど迫力がない。イスラムに原油を牛耳られており巨額の富がイスラム国家に流れていることがテロが勢いづいている源だ、だから脱石油が必要なんだと滔々と説うている、これはおかしい。アメリカのやっていることに反省はないのか、と思ってしまう、加害者としての自覚がない、被害者意識が漂っている。中東は西欧の力でどうにでもなるという意識がアラビアのロレンス時代のイギリスによる詐欺的な外交や パレスチナ人を追い払っての強引なイスラエル建国に見えてしまう。辺境の北方4島が占領されて60年たってもロシアと日本がいがみ合っていることを思えば強引なイスラエルの建国はどれほど不快な傷を中東諸国に与えたのだろうか、パレスチナはナチスによるユダヤ迫害とは何のかかわりもないというのに。フリードマンがユダヤ系であることが見方を歪めているのかもしれない、ジャーナリストならもっと事態の根源に迫らなくてはならないように思えてしまう。イスラエル偏重の米国の姿勢の歪みがテロに正当性を与え不幸を連鎖的に引き起こしているように見えてしまう。なんとか不幸のチェーンを絶つべきなのだが少々のことでは先は見えてこない、気の遠くなるくらいの時間が必要なのだろう。
今年は航空機事故が続く、それぞれの事故が地政学的背景を抱いていて深いものがあるようだ。航空事故からは学ぶところが多い。

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2009年7月29日 (水)

鳥を見るのもほどほどにして

一月ほど前ネットのニュースをぱらぱら見ていたら、北米で携帯電話の通信塔にTumengツメナガホオジロの大群が衝突して一万羽死んだ話 が出ていた、ちょっとビックリした。ツメナガホオジロといえば日本では珍しい鳥だ、それが一万羽も死ぬというのは誤訳ではないかと元の記事を探してやっと見つけた原文を読んでみると確かにdeaths of 10,000 Lapland Longspurs.(ツメナガホオジロ)と書いてある、本当らしい。渡りをする鳥で日本で珍しいというのはローカルな話で、いるところには唖然とするくらいいるようだ。日本で珍しい鳥といって追いかける様がむなしくなる。
珍しい鳥を追いかけているわけでもないが近頃はバードウオッチングで散策にでかけることが多くなって少し山登りから遠ざかっている。時々軽く登ってないと体が動かなくなるような恐れを抱いていて、慎重に気象を読んで日曜の午前に赤薙山に登ることにした、とにかく午前の終りまでにキスゲ平リフト終点まで戻らないと雷がかなり怪しい。赤薙山は女峰へ至る稜線の一ピークのように見えて内心馬鹿にしていたが一応2000mを越える山で体を慣らすにはちょうどいいと気がついて登ることにしてみた。朝始発のリフトで上がって登り始めるが予想通り雲の発達が早い、左手の鳴沢の谷から次々に湧き上がってくる、稜線の西風が強いうちは霧降の東側に雲が発達することになるのでやや安心だが時折風が弱まりむっとする時があると真上に雲が発達しているように見えこれはやばくなったか、と先を急ぐ。山は高山植物の咲き競う時期で、ガスがかかっても見るものにはことかかない。コメツツジの小さな花、ヒメシャジン、コバギボウシ、ニッコウキスゲ、アカバナシモツケソウ、ホソバコゴメグサ、その他種類が多い。 頂上への道を左にとって急なのぼりを詰めると見晴らしの良くない頂上に着く、ともかく一休みして直ぐに下る。休憩しながらおにぎりを少しずつ食べて、胃腸も負担を軽くするよう気を使いながら降りる、身体ストレスが胃腸にきやすい体質を最近特に感じている。予定通り12時少し前にリフト終点までたどり着き、1本リフトで下って後は歩くが、リフトを降りた頃から急に大粒の雨が降り出す、これも予定通りだ、雷がゴロゴロといいだす頃にはかなり下までおりていて何とか難は逃れたが雨具を付けても辛くなるくらいの豪雨だ。
近場の山だが、雷を気にして雲を読みながら登る、いいトレーニングだ、少し体がなれてきた。山に登りたくなるのは他に丁度良く体を動かすやり方がないからではないか、そんな風に単純に思っている、鳥を見るのもほどほどにしてまた登るか。

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2009年7月25日 (土)

そのままを感じればいい現代アートが楽で

雨模様の日が続くが関東はとにかく梅雨は明けている。梅雨が明けて暫く暑い 暑いときは涼しいところに行かなくては、と宇都宮美術館に出かけた、先週末のことだ。行ってみると見ようと思っていた企画展は来週からで、この日は所蔵作品の展示をこじんまりとやっているだけだった、せっかくだからと観ることにするが受付の女性が申し訳無さそうに切符を売ってくれる。こんな調子だからお客などははじめからおわりまで他に誰も居ない、Nakanisi 極めてゆったりと観れる、贅沢だ。現代の作品が面白い、中西夏之の絵が何枚かあって藤棚のような模様が印象的だ、どこかで見た光景をひきだされそうになるが引っかかって出てこない、自然の光と影そのものかもしれない。針金細工の羊歯の葉も目を引く、今村源という人の作品だ、歪みなくキッチリ出来ているが、その軽やかさがすばらしい、羊歯の葉のどこか鬱々としたかげりが消えている。どろどろとしていない現代アートは見るのが楽だ、そのままを感じればいい、余計な解釈がいらないところがいい。
何事でも鑑賞するのに基本的な知識や決まりごとへの理解が要るものはつらい。更には 評論家が跋扈する“芸術”は手垢にまみれているようでうんざりする時がある。個人にとっての意味は作品に向き合った時の個人の感じ方だけだと思う、恐ろしく個人差があるし、人にあれこれ言われるのもおかしな気がする。
簡素な所蔵品の展示もなかなか伝えてくるものがあって面白い。暑いときは美術館に限る。

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2009年7月23日 (木)

皆既日食はfanatic

皆既日食はやはり月のせいでfanaticだ。トカラあたりに行こうと思いだしたのはもう4年位前のことだった、思えばここから皆既日食自体に触れ始めた様な気がする。日食が近づくにつれ旅行会社がいろいろな動きを始め、トカラは近ツリが独占してとんでもない価格のツアーになっていった。とても手を出せず、奄美に普通に行くことを狙ったが航空便がついに取れず、結局行けずじまいになってしまった。思いっきり方が足りなかったのだろう、それだけ思い入れがなかったのだろう。
7月22日はテレビの皆既食生中継を見ながら、時折庭に出ては雲間から明るく欠ける部分Bubunns 食を眺めていた、しかしそれだけでも何かが伝わってくる、狂おしい空気のようなものだ。曇りでは全くかいがないと思っていた、現地ではそうではないようだ、無念の気持ちの伝播とたちどころにあたりが暗くなり人の表情が変わっていく有様は皆既日食のfanaticそのものだ、雨が降ろうと嵐が来ようと超越した何かを感じる、その全体が皆既日食そのもののようだ。コロナが見えなければ意味がないなどということでは全くない。
こんなことだとは思っていなかった、やはり現場に行かねばならない、終わってみてそう思っている。

日食も過ぎて今年の夏のイベントは終わったような気がしている。このところ東の海では高層の気圧の峰(リッジ)がベーリング海に切り込み高気圧が居座って南の海から湿った風を関東に送り込み続けている、梅雨とは違うが梅雨が続いているような天気だ。不順な天気というべきなのだろうが日食の狂乱を感じた後では何気ない日常の一こまにしか見えてこない。
地球の薄い大気層の下でぬくぬくとした日々を送っている生き物に恐ろしいばかりに冷徹な宇宙の姿を見せてくれている、日食はただものではない。

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2009年7月16日 (木)

日食の天気が気になって

梅雨が明けた、しかし雷も鳴らないしせみも鳴かない。かわりに夜になるとツユムシのような8,000-10,000Hzの高い音をビーと続けるムシがうるさく鳴き始めた、耳鳴りがしているようで心地の良いものではない。今年の梅雨明けはいつもと少しばかり勝手が違う、しかし違うのも変化があってまたいい。
7月22日の日食が気になって奄美への航空便にキャンセル待ちを入れていたら奄美への行きは最近OKになって取れたが帰り便がとれない、これではどうしようもない、と殆どあきらめかけている。天気はどうかと192時間予測のGPVデータをこのところチェックしているが、22日あたりは日本は低圧帯に入って厚い雲に覆われ奄美は22日午前は曇り、屋久島・種子島は雨、トカラは曇り時々雨、で南の方がやや良いがいずれにせよまともに見れそうにない。上海も雲が多いようでどうも今回の日食は騒ぎすぎの結果に終わりそうな気配だ。本当に雲が切れるか切れないかまでは間近にならないと予測は難しいのでまだ解らないが今のところは悲観的だ。これで航空機のキャンセルが出始めるかどうかも面白いところだ、どうせ夏休みの遊びと思って最後まで頑張るのだろうか。
次の日本での皆既日食は2035年9月2日の北関東だ、天体現象は気象よりはるかにドライで人のことなどまるで構わず淡々とキッチリ予測どおりに繰り返される。日が昇り、日が沈み、月が欠け、月が満ち、繰り返されて生きているものいないものすべてが遠い未来まで決められた冷徹な物理学に日常的に支配されている、日食は日常のすぐ隣にあるような気がして過度にのめりこむ気にもならないのだが、そこでしか経験できないものにひかれるところがどうしてもある。一度くらいは皆既日食を見てみたい、というだけかもしれない、それがどうしたと、揺れる心持が面白くもある。

帰りのキャンセル待ちの便にOKが出たら本当に行くか、今はそれが問題だ。

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2009年7月14日 (火)

天売島にて

天売島の宿では毎日生うにが2つ出てくる。おいしさというより珍しさが先にたつ、幾つかはまだ動いている、それをつついて食べるのだから不気味なところもある、大方食べてもまだ動いている、とげの根元の筋肉は中枢が絶たれても勝手に動くのだろう。うに漁は7月1日解禁でその上総量が規制されている、宿泊したのは解禁前だったのだけれど宿で出すうには規制外で解禁前でも認められているという話Amatbm を聞いた。里山のように自然に感謝しながらその恵みとうまく共存していこうという姿勢が感じられる。そんな話の大方は島の西北側の観音岬でぼーとアマツバメを追いかけていたときにたまたま現れた訥弁の土地の人から教わった。栃木から来たとあって少しは話してあげようという気になったのかもしれない、ウミガラスも最近までたくさんいて珍しくもなかったが観光客が来るようになってフラッシュを浴びせたりしているうちにどこかへ行ってしまったとも話してくれた。単なる観光の対象にしてしまうとそうなるか、ウトウも今はうんざりするほど居るが観光バスで繁殖地にのりつけるのではそのうち数少なくなってしまうかもしれない、自らも加担しているようにも思えてきてちょっと複雑気持ちになる。

それにしても現在の天売島の圧巻は夕方のウトウの帰巣だ、餌を奪おうと待ち構えるウミネコにせっかくの餌をとられまいとして巣に突進してくる。あまり減速せずにイタドリの茂みに突っ込むか直ぐ上から一気に落下するかで、どちらにせよかなりハードなランディングだ。近くで見ていると高速アプローチしてくるウトウにいつかぶつかりそうで危うくなる、現に目の前で何人にも当たった。それが総数数十万羽のウトウの規模で毎晩行われるからすごい。最初の日は霧が深くウトウはやや高く海から陸の奥に向Utou1 かいUターンして山側から突っ込んできた。次の日は晴れて海風が吹き見通しがよくウミネコの待ち伏せが効を奏する、ウトウには厳しい日だった、3日目は陸側から海へしっかりとした風が吹きウトウは陸に向かって離水してそのまま突っ込んでくる、待ち構えるウミネコはウトウに向かっては背風で離陸できず、地面で待ち受けるしかない、ウミネコにかなり不利だ。ウトウの帰巣は1回見れば後は同じと思っていたが毎回違う、野生は一回限りの世界を永遠に続けている、それが生きるということか、と思いを致させてくれる、日常の中に非日常が織り交ざって毎回繰り返される、人と同じだ。
どこへでかけても結局同じものを形を変えてみているに過ぎないと思うことがある、どうしたら抜け出れるのだろうか。そんなことは考えずに今目の前のすべてをそのまま感じていくだけで満足すべきかもしれない、でも時には直角に抜け出したい。

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2009年7月 8日 (水)

焼尻にて

梅雨真っ盛りの6月の終りに鳥を見に天売を訪れた。小さい島だ、2日ほどいて天売島も大分あちこち見たので隣の焼尻島へ日帰りで行くことにした。焼尻の港について土産物屋の女店主と話をしていると、天売のみやげは大方焼尻から出していYagisir る、だの 天売に泊まって焼尻に遊びに来るとはめずらしい、だの一々引っかかることを言う、随分と競争心があるようだ。確かに似たくらいの大きさの隣島だ、何かと比較してしまう。お店や町の形は天売の方がいくらか整っているように見えるが野鳥については天売も焼尻も地元の人は関心が薄い。これはここに限らずどこへ行っても変わらない、とりわけ焼尻は薄いようで、やたらノゴマが啼いているというのに話しても通じない。やっぱりバードウォッチングは都会の住民の遊びだ、土地の人は鳥を見てどうするんだ、という風だ。客寄せに 焼尻にはいると思えないオロロンチョウ(ウミガラス)の大きな像が港に造ってあるのがいかにも上滑りしているようで滑稽でもある。
港の裏手から直ぐに原生林に入れて歩くのに丁度いい、散策路はしっかりしている。ノゴマやカラ類やコムクドリなどが出てくるしアリスイの声もする、しかし鳥の声の録音には向かない、港の船の400hzくらいまで及ぶエンジン音や汽笛やアナウンスのようなものが聞こえてくる、そのうち上空にはヘリが飛んでくる、自衛隊の訓練のようだ、飛行コースがこの辺りにあるのだろう。とにかく録音したが帰ってからが大変だ、色々いじってみたが結局ノイズ除去は無理とあきらめた。ちょっと騒々しい島だ。
Tutud 原生林を暫く歩くと草原に出る。広い牧場になっていて景観の変化は天売より面白い。こんなところにツツドリが2-3羽姿を現したりする、ツツドリは深山で声を聞くだけと思っていたから新鮮だ、北海道の鳥の動きはよくわからない。海風をまともに受けるアメダスポイントを見たり次々に出てくるノゴマを眺めながら海岸沿いを歩いて港に戻る。
北海道の島旅は違った風景を見せてくれる、ただの自然というよりあちこちで人の手を感じる、必死さを感じる。冬の間吹雪に吹きこめられた島でのサバイバルな生き方に思いが至ると人の手が入るのは当然なんだろうと納得する、その辛さを感じてしまうというわけでもないが、やはり道東の湿原や海岸を歩く方がなんだか気楽だ。沖縄の島と違って北海道の島はどこか重いところがある。

しかしともかく梅雨場は北海道に限る。

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2009年7月 2日 (木)

また航空事故

また旅客機が墜落した。今年は飛行機の死亡事故が多い。今度もエアバスだがA310というから古Comoros_2 い機体だ、勿論フライバイワイヤでもなくメカニカルな操縦系統の機体で80年代の技術だ。新しくても旧式でもエアバスでもボーイングでも落ちるときはおちる。

6月29日22時51分GMTにアフリカの東海岸沖、マダガスカルとの間にあるコモロ諸島のモロニ空港にイエメン航空のA310が着陸しようとして失敗、海中に墜落した。少女1名は奇跡的に生還したが残り152名は死亡・行方不明となっている。イエメン航空の整備・運航が疑われている様で、フライトレコーダは回収されそうだからエアフランスのブラジル沖墜落事故よりは原因が分かりやすいだろう。モロニ空港に着陸しようとしてうまくいかずゴーアラウンドしてやり直し進入を行っているときに墜落している。天気は雨ではなく風は南から滑走路にほぼ正対09062922comorosa で21kt、ガスト35ktと荒れ模様だった、天候もつらいものがあったようだ、ウインドシェアもあったと思われる。視程は10kmで問題ない、ガストが強くて着陸復行となったのだろうが、整備に問題があったらしいのでどこか操縦系に不調なところがあって強いガストを受けたぎりぎりの状況ではパイロットの操縦を損なったのかもしれない。多分いくつかの要素が重なったのだろう。
事故には学ぶところが多い、今度はどんな教訓が得られるだろうか。

それにしても深夜の海面を漂流して助かった女の子は泳げなかったというから女性の生命力を感じる、御巣鷹山を思い出してしまうがあれほどの事故でも生存者がいたのだから、全員死亡と思わず必死に探すのがとにかく大事と改めて思う、御巣鷹山では3名が一晩生き延びた、救援が早ければもっと助かったのではと今も思う、今度も何人かはおぼれて亡くなったかも知れない。本当に助けがほしいときには助けはこない、一人で頑張るしかない、何でもそうなんだろう。

航空事故は感じるところが色々ある。

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