天売島にて
天売島の宿では毎日生うにが2つ出てくる。おいしさというより珍しさが先にたつ、幾つかはまだ動いている、それをつついて食べるのだから不気味なところもある、大方食べてもまだ動いている、とげの根元の筋肉は中枢が絶たれても勝手に動くのだろう。うに漁は7月1日解禁でその上総量が規制されている、宿泊したのは解禁前だったのだけれど宿で出すうには規制外で解禁前でも認められているという話 を聞いた。里山のように自然に感謝しながらその恵みとうまく共存していこうという姿勢が感じられる。そんな話の大方は島の西北側の観音岬でぼーとアマツバメを追いかけていたときにたまたま現れた訥弁の土地の人から教わった。栃木から来たとあって少しは話してあげようという気になったのかもしれない、ウミガラスも最近までたくさんいて珍しくもなかったが観光客が来るようになってフラッシュを浴びせたりしているうちにどこかへ行ってしまったとも話してくれた。単なる観光の対象にしてしまうとそうなるか、ウトウも今はうんざりするほど居るが観光バスで繁殖地にのりつけるのではそのうち数少なくなってしまうかもしれない、自らも加担しているようにも思えてきてちょっと複雑気持ちになる。
それにしても現在の天売島の圧巻は夕方のウトウの帰巣だ、餌を奪おうと待ち構えるウミネコにせっかくの餌をとられまいとして巣に突進してくる。あまり減速せずにイタドリの茂みに突っ込むか直ぐ上から一気に落下するかで、どちらにせよかなりハードなランディングだ。近くで見ていると高速アプローチしてくるウトウにいつかぶつかりそうで危うくなる、現に目の前で何人にも当たった。それが総数数十万羽のウトウの規模で毎晩行われるからすごい。最初の日は霧が深くウトウはやや高く海から陸の奥に向 かいUターンして山側から突っ込んできた。次の日は晴れて海風が吹き見通しがよくウミネコの待ち伏せが効を奏する、ウトウには厳しい日だった、3日目は陸側から海へしっかりとした風が吹きウトウは陸に向かって離水してそのまま突っ込んでくる、待ち構えるウミネコはウトウに向かっては背風で離陸できず、地面で待ち受けるしかない、ウミネコにかなり不利だ。ウトウの帰巣は1回見れば後は同じと思っていたが毎回違う、野生は一回限りの世界を永遠に続けている、それが生きるということか、と思いを致させてくれる、日常の中に非日常が織り交ざって毎回繰り返される、人と同じだ。
どこへでかけても結局同じものを形を変えてみているに過ぎないと思うことがある、どうしたら抜け出れるのだろうか。そんなことは考えずに今目の前のすべてをそのまま感じていくだけで満足すべきかもしれない、でも時には直角に抜け出したい。
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