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2009年8月17日 (月)

21世紀も捨てたものではない

お盆休みの終りに軽井沢の会社の保養所がとれたので出かけた、会社直営を止めて委託にしたと聞いていたが変わりように驚いた。最も際立っているのは食事だ、以前の和洋食一度出し片付けはセルフという、いわば給食の雰囲気の食事からフレンチのフルコースに変わっていた、洒落たレストラン風だ もてなされていると感じる。今のところ料金は少しは上がったもののまだ圧倒的に安く得した気分にもなるが、何か時代の変わり行く様を見た思いもした。客に提供されるサービスの質を向上させ求めるものにマッチしないと結局退場する羽目になる、そんな空気が保養所まで及んできたようだ。

10日程前に白神から東北を旅したがそのときも宿の質の変化を思った。初日に泊まった十二湖の宿は、アオーネ白神十二湖というログハウスの宿だった、予定していた日は満室で前の日に1つだけ空いていてこれが取れたことで旅程を組みなおした、これはよさそうだという予感があったのLogh だが、アタリだった、宿泊グループそれぞれがログハウス一戸を借りる形で、2人で泊まるには有り余る広さがある、設備も新しい、クルマも自分のロッジに横付けできる、隣のロッジは十メートル以上離れており独立性が高くて自然の中でゆったりした時間が過ごせる、レストランでの食事がついていてこれも悪くない、料金も特に高いわけでもない、ナチュラルで良質のものを割安でとの時代に合っている。次の日に泊まった白神ラインの東側の西目屋の宿は、トクーという安値の宿泊紹介システムで取ったのだが、前泊との落差は料金の比では到底無い、ハコモノ思想で団体向けを想定して作られた宿が料金を下げ必死に客集めしながら成り立たせている風情だ、隣接する広大な白神ビジターセンターともどこか過ぎた時代としてずれ方がつながっている。その翌日に泊まったかみのやま温泉の宿はこれよりは大分ましだがやはり大きな施設の宿を埋めてビジネスを成り立たせるのに必死な様子がそこここで伝わる。いずれにしろ一時代前の大量宿泊を相手に作られた宿には苦しさがにじむ、作り直さなければもはや続けられなくなっているのかもしれない、時代はナチュラルで割安な良質な宿を求めている。少し考えていくとこれは宿に限った話ではないと感じる。
21世紀という言葉は進んだ未来が待っている、との響きを持っていた、実際に21世紀になってみると、9.11で始まる重苦しい時代にこんなことだったのかと思っていたが、近頃やっとその響きが少しずつ感じられて来た様に思う、よりナチュラルな、自然との調和があり、グリーン、個人の気持ちの伝播速度への理解、押し付けの拒絶、これを実現する技術、しくみ、そんな言葉で表されるもののような気がしている。押し付けのように行政が自然をコンクリートで固めハコモノを作って地元に仕事を作ることからの離脱、こんな生き方はもう止めよう、別のいき方があるはずだ、との模索があちこちで立ち上がっているようにも感じられる。そう思うと、最先端だが冷戦時代の遺物といわれるF22戦闘機の生産打ち切りを米議会が僅差で議決したのにも同じような感覚が流れているのを感じる、F22生産継続推進派は打ち切れば多くの職が失われると主張した、確かに多くの人が仕事を失う、しかし仕事を得続けるためにおかしなことを続けるわけには行かない、そうなんだ、気がつき始めているんだ。
このまま行けば21世紀も捨てたものではない、気が楽になる、エネルギーだってクリーンな常温核融合が実現して解決してくれるかもしれない、世界は一人一人の心の中から変わっていく、こんな時の動きは眺めているだけで楽しい、次の十年が待ち遠しくもある。

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