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2009年11月30日 (月)

鮭の遡上

先週の金曜の夜 のんびりした週末となりそうな予感でゆるりと過ごしていると、水戸の偕楽園公園の小川に鮭が産卵に遡上している映像がテレビで流されている、そうか、小川にでも戻るのか、とちょっとした驚きを感じる、まだ鮭の遡上は見たことが無い、すぐさま見に行きたくなる。考えてみれば水戸まで行かずとも栃木の小川でも探せばあるはずだ、とネットで探っていると下館(今は筑西市)の勤行川でまだ遡上しているとある、これだとばかりに翌日早速出かけることにする。勤行川というのは鬼怒川の支流なのだろう、くらいに思っていたが、調べるとそうではなくて、利根川に流れ込む小貝川系の支流で上流では五行川と呼ばれて鬼怒川の東を平行して流れている。氏家あたりでは江戸時代より前はこちらが鬼怒川だったらしい。しかしこんな細まった支流を延々と遡るのだろうか、と思ってしまうがとにかく行ってみるしかない。
1時間ほどで下館に到着、ネットに公開されている鮭遡上ポイントのマップを頼りに探していくと、簡単に目指す新橋が見つかった。街なかの川にしてはきれいだ。川沿いの少し広Sake4_2 Sake4_3 い路肩に駐車して川を見る、がよく解らない、ゆっくり上流に歩き始めると鮭の死骸が見える、遡っているのは間違いないようだ、暫く川を見ているとそこここで大きな魚がばたつく、鮭だ。目を凝らすと流れの中に何匹もいる、 するすると泳ぎのぼるというより、流れに頭を向けて静止している、ここが産卵場所ということのようだ。皮はマダラでやや汚れている、はるかな旅の果てについに到達した、との感じが伝わる。もっときれいな姿かと予想していたがこの姿が本当らしい、何しろ長い旅だ、それに産卵を終われば命も尽きる。なかなか見飽きない。(鮭の遡上、勤行川、下館、YouTube),
橋の上で見ていると地元のおじさんが 以前はもっと沢山いた、産卵の卵で川が白くなるくらいだった、と教えてくれる、しかしこれでもSake3 十分感動的だ、とにかく見入ってしまう。生と死が隣り合って流れていく。

もういいか、というところで、この日の次の目的地 渡良瀬遊水池に向かって50号線をひたすら走らせる、こうやって一つ一つやれなかったことをつぶしていくのか、思い切ればまだまだつぶせる時間が沢山残っているか、と目前に広がる時の連なりを感じていた、時間が本当はゆるく流れているようだ。

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2009年11月29日 (日)

温暖化問題がいよいよ面白くなってきた

秋も相当深まってきたがまだ冬というわけでもない。20年位前は11月末頃にとんでもない寒さが来て冬の到来を知らされたのだが、近頃はそんな風はない、やはり温暖化なのだろうか。
温暖化といえば、このところ欧米で騒ぎが起こっているのが温暖化ロジックの根幹データ捏造の暴露事件だ。世界的にIPCCの議論のベースとなっている英気候研究ユニット(CRU)が主導していた温暖化基本データが捏造あるいは故意の消去でCRUによって曲げられていた、という事実がハッカーによるCRU内部メールのハッキングで暴露されたというGlobal_temperature_1ka 話だ。人間の活動が温暖化の原因であるということを如実にあらわす長期間にわたる気温上昇カーブが、元データの都合の悪いところは消されていて、いかにも人間活動の活発化に伴って上昇したと見えるようにされていた、ということのようだ。温暖化への国際的対応を決めるCOP15が開かれる直前の暴露だけに政治的背景が極めて疑われ、最初こそNYTimesやWall Street Journalなどで報じられたが後が続かず各国のメディアは及び腰のところが見えていた。日本の新聞では未だ全く報じられていない、しかし英TIMESなどがまた流し始めて、そろそろ日本のメディアも動き始めるのではないかという気もする。今後の展開がどうなるか、これは面白そうだ。ここまできた温暖化対応の流れを変えることはできないと無視され続けられるか、逆の“不都合な真実”をリードする人が現れて議論が更に白熱してくるか、どう転ぶにしても面白い。
温暖化問題は排出権ビジネスを生むキャップアンドトレードにしろ、どこか胡散臭いにおいが立ち込める、こんな話でなくとも誰かが仕掛けているようなところがどうしても感じられる、目標達成年とされる2050年まで今のロジックが持ちこたえるとはちょっと思えない、いずれどこかで崩れて真実の姿が現れてくるのだろう。
それにしてもなんだか世の中が不安定になってきた、信じるものがころころ変わっていくような気がする、逆に 少しばかり距離を置くと見ているだけで面白い世の中になっていくようでもあり、世界が劇場と化しているようでもある、どこまでいくだろうか。

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2009年11月24日 (火)

房総をめぐる

寒くなってきた、少しは暖かいところへ、となんとなく思って、南房総に出かけた。海が見たかったのかもしれない。

連休の首都高速や東関東道はいかにも混みそうな気がした、しかし他にあまりいい道もない、あきらめて渋滞を走る。房総は半島というより、島の雰囲気がある、たどり着くのが骨が折れる。とにかく10時過ぎに房総の入り口、船橋の三番瀬で一休みして干潟をみる。潟は潮が引かないと現れない、引き潮のピークは13時ころだからまだ十分に引いていないだろうと大して期待もなかった、が、浜に出ると随分近くに小型のシギが群れている、イソシギかと思ったが良く見ると大体がハマシギのようだ。(三番瀬のハマシギ、YouTube);。鳥見の人もパラパラいる、海に入って海側から写真を撮る人さえいる、確かにそのほうが光線がいい、しかし囲まれても鳥は慣れているのか逃げていかずに大サービスだ。浜にはタヒバリも見える、鳥と風景がやわらかくなじんでいて鳥も楽そうだ。

東京湾は忙しい、こんな浅瀬の向こうには大型の船が次々に行き過ぎる。(三番瀬沖の船、YouTube);。人の生活と野生が近い。そのうち汐が引いて干潟が広くなっていくとシギは浜辺から次第に離れていく、サービスも終りだ、こうして野生の世界に戻っていく。鳥を見にきているこちらは単純に、そうか、潮が引きすぎると遠くなるんだ、引く前がいいんだ、と合点する、干潟に滅多に来ないとこんなことが何か新鮮だ。ともかく三番瀬は楽でいい、人と鳥がつかず離れず、都会の海らしい。

次も干潟だ、小櫃川(おびつがわ)河口干潟Obitu1 に向かう、野鳥の会千葉支部のページで紹介されていて良さそうに思えた、ここはかなり大きな干潟らしい。地図でおおよその場所の当たりをつけてナビで来るが干潟の入り口がよく解らない、数台クルマが路駐している辺りかと丁度クルマに戻ってきた人に尋ねると、そうだという、金網扉の横から入ると小道が延びている。感じのいい葦原を暫く歩くと海辺に出る、干潟が遠くまで広がって、その先にアクアラインの海ほたるが見えている、なかなかいい所だ。干潟のへりに来ると近くに居たハマシギらしい小型のシギがサッと逃げて遠くの干潟へ移動してしまう、確かに干潮のピークでは鳥は遠い、まあ仕方が無い、スコープで見ると大型のシギが居る、鳴き声が時々聞こえる、アオアシシギかもしれない、コチドリらしい千鳥が少し寄ってくるがそれにしても遠い。しかしのんびりとした風景がいい。三番瀬より随分と野生の世界に踏み込んだ感じだ。路駐していた人たちは干潟を横切って左側の河口のほうへ行っているようだ、干潟は長靴持参でないと動けないし潮が満ちてくるとあっというまに海になりそうで知らない干潟の中に踏み出すのはためらわれる。広い干潟というと有明海の潮干狩りを思い出す、有明海はこんなものではない、沖へ船で出て昼寝をしているとあたり一面干潟となり船は干潟に座した形となる、そこら中で潮干狩りをするのだが嫌になるくらい採れる、また潮が満ちてくるのを待って船が浮かんだ頃合に港に戻るという一日だ。干潟は海そのものだとの印象があった。有明海ほどではないがここも広い干潟だ、満ちてくれば予想を超えるスピードで海に戻るのだろう。

夕日を館山で見ようと、また走り始めるが、思ったより随分と房総は長い、なかなか着かない。海辺の道を走りながら横目で落ち行く夕日を見る、映画のシーンのようで、これも悪くない。
日が落ちた頃宿の休暇村にたどり着く、来ている人は東京圏以外からは殆ど無い、都会の3世代の家族連れが目立つ、北関東とは違う東京っぽさを感じる。房総は走っても走っても東京から抜けれない、そんな感じが漂う、江戸の田舎のようで、広がる穏やかな野生が都会の息を支えている、何か東京の原点を見る思いだ。

短い旅でも旅は隠しようも無く放射しているものを受け取れるところがあって、楽しい。

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2009年11月18日 (水)

現在を手にする

もう8年くらい使っているsonyの8mmビデオカメラの動きが悪くなって、今や大きくて重いと嫌になってきたのもあって、買い換えねばと思っていた。今買うならハイビジョンだ、しかしハイビジョンは撮った後でブルーレイに焼くのかと思うとこれも買わねばならなくなるのでは物入りだ、どうしようかと考えあぐねていたところ、17000円台のフルハイビジョンカメラというのがネットYashica ででていて、後先を考えずつい衝動買いしてしまった。YASHICA AVDでなくてADV535HDというカメラで2ヶ月くらい前に発売になったものだ。(ヤシカプランドだが昔のヤシカと技術がつながっているわけではなく、ヤシカがつぶれて京セラに買われた時に一旦香港の会社に出ていた商標権を買い取ったに過ぎない、エグゼモードというのが販売元の会社名だがこの会社もこの10月フリービットという会社に買われてしまった。流転の宿命を背負った名前のようだ。)SDメディアに書き込むタイプでとにかく軽くて小さくて電池もまずまずの持ちのようで使えそうだとの予感だけでクリックしてしまった。早速翌日届いて直ぐに飯豊山麓の旅に持っていって試してみた。4Gのメディアで1時間だから短い旅には十分だ、電池もこのくらいは十分持つ計算になっている。写し始めてみると軽くてやたら手ブレする。大体が三脚に乗せて静止画のように写すのがよさそうだ。2-30秒のカットを合計30分ほど撮って戻ってテレビにつないで見てみる、画像はフルハイビジョンだけのことはあるが30コマ毎秒ではどうしても動きのある画像はパラパラ漫画の風情が残る、精緻なだけにどうしようもない。3脚に固定して静止画のようにして撮った動きの少ない画像はまあ見れるので使えなくも無い。(飯豊山麓の秋、YouTube)。パソコンで見るとやや処理が追いつかないようで時間が少し引き延ばされる、パソコンももっとビデオチップのましなものがついたのを買わねばなわないのだろう、フルハイビジョンはとかく要求が多い。パソコンに落として普通のDVDに焼くのもなかなかうまいやり方が見つからない、かろうじて音無しなら出来るようになった程度で今はつないで見るだけだ。ともかくこのカメラは構えずにYouTubeに投稿したりして遊ぶのに最適なような気がしている。
テレビがハイビジョンになって、ビデオカメラのメディアがSDのようなカードになって、やっかいなものをたくさん背負い込んでいくようだ。今まで撮り貯めたDVテープもビデオカメラが不調になればゴミと化す。そうはいっても簡単にあきらめるわけにはいかないが、ハイビジョンに見慣れると昔撮りためたDVDは画像が荒くて感じるものが今ひとつになるし ビデオテープに至っては一年に数回見るかという程度だ、持っていても持っているだけの物になっていく。まだ手元にもないブルーレイディスクはこの先どのくらい持ちこたえるのだろうか。こんなものに次々に金を注ぐのはどうしてもためらわれて、適当でいいか、と思ってしまう。不況になるわけだ。ビデオはこのまま衰退するのではないかとさえ思ってしまう。行き着く先が見えない。
デジタルな機器は時代を反映していると思っていたが このビデオカメラを見ているとデフレから脱却できずに混迷している今そのもののように思える、確かに今を手にしていることには違いないようだ。

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2009年11月12日 (木)

ノースウエスト188便

最近の航空機を巡るトラブルでちょっとした話題を呼んでいるのが10月21日にノースウMine エスト188便が起こしたミネアポリス空港通過事件だ。サンディエゴ発ミネアポリス行きのA320は離陸後巡航飛行に入ってまもなく管制や会社の再三の交信にも全く応答しなくなり、地上ではハイジャックかと戦闘機が待機した、着陸予定時刻の5分前になっても降下の気配が無いことから客室乗務員がインターコムで着陸予定時刻を催促してやっとパイロットはミネアポリス上空を通過していたのに気がついた、という事態だ。飛行自体は150マイル程行き過ぎていたのを引き返して無事着陸したのだが、2人ともが居眠りをしていたのではないかと騒ぎになった。飛行中のパイロットが居眠りをすることは知られた事実で一時期NASAが真面目にその影響を調査した、その結果眠いのに無理して起きて操縦するより巡航中短い間居眠りをしたほうがむしろパイロットは判断が迅速にできるようになり安全、というものでNASA NAPともいわれた。米国ではパイロットの居眠りは禁じられているが米国以外では容認している国もある。しかしこれはあくまでも1人は起きているのが前提で2人とも寝てしまうのは論外だ。
  ところが調べが進むとこの188便は居眠りではなく両操縦士がデルタとノースウエストの合併の結果生じている新しいフライトスケジュールについて私用ノートパソコンを見ながら白熱した議論を続けていて熱中のあまり管制の呼びかけにも全く応じなかった、ということが明らかになった。きついフライトでの過労のための居眠りであれば同情の余地もあるが、職務放棄では容赦ない、たちどころに両パイロットはクビとなり更に怒ったFAAはパイロット資格の剥奪までに及んだ。パイロットの質の低下が議会でも問題としてクローズアップされるに至っている。

背景には明らかに航空機操縦の自動化が高度になっているという事実がある。特にフライバイワイヤになって通常の飛行もやさしくなることでパイロットのスキル低下や緊張感の低下が当A320co初から懸念されていた、やはり避けようが無いということのようだ。巡航に入るとパイロットは暇になる、退屈になる。

ハイジャックなどは滅多に無いおおらかな時代には巡航に入ると希望すれば飛行中に操縦席を見せてくれていた。随分以前、カナダで移動中に就航したばかりのA320に乗ることがありフライバイワイヤ、サイドスティックのコクピットを見たくなって、スチワーデスに頼んだら簡単にOKが出た。案内されてコクピットに行くと先客の子供が見てはしゃいでいる、おおらかなものだ。パイロットと話しているととっても操縦がやさしいといってそのうち自動操縦を切ってみようと言い出した、ほら切ってもこんなに安定している、とやりだす。巡航中は退屈なんで興味ある人とおしゃべりするのが楽しいという風情だった。いまやコクピットのドアは厳重にロックされて飛行中は客室乗務員も立ち入れない、密室となってその弊害が出てきたように見える。ハイジャック対策は万全でも操縦する人間の気持ちの部分にまで配慮が及んでいないと思える。

航空機事故の主要な原因はパイロットミスと古くからいわれ 技術はそれを無くすべく人の手による職人技的操縦をできるだけ機械へ置き換える方向に推し進められた、進みすぎたのだろうか、いやいやまだまだという気がする、今や機械を使っている人そのものの気持ちに細やかに及ぶ人間的な技術がことさら重要になってきているように思える、そこにはマン・マシン・インターフェイスという固い言葉を越えた、機械と人間との関係の新しい次元が開けているような予感がする。まだまだ道は続く。

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2009年11月 4日 (水)

温身平

温身平(ぬくみだいら)という所がいいらしいというので週末飯豊山麓にでかけた。紅葉はそろそろ終りかもしれないと思いながら飯坂インターから米沢を通って小国街道を走る。立派な道だ、新潟と山形のつながりの深さを感じる。天地人ののぼりが至る所にはためいている、来年はちょっと寂しくなるかもしれない。
県境近くで右にループするように分かれて南下する。紅葉が次第に良くなNukumi1る、まだ終りではないようだ。天気は予定通り晴れてきた。
飯豊山荘から徒歩で温身平に入る。ブナの黄葉が美しい。間伐の手が入っ ているのだろうか、白神の森よりまばらだ、風通しがいい、エナガやシジュウカラが飛び交う。大木もあるが若木も結構目立つ、森の再生が回っているようだ。上流から運ばれた土砂が堆積して出来たとみられる温見平だが更に流れはちょっとしたNukumi2崖の下にある。河川敷というより台地のような地形だ。翳り始めた日差しに色づいた葉が良く映える。繊細なカットが続く、ブナの白い木肌が並ぶ様は、どこを切り取っても安らぐような素晴らしさがある。赤いばかりが紅葉ではない、ブナの黄葉とコハウチワカエデやアカイタヤ、ヒトツバカエデなどの黄色 いカエデが微妙な黄色のグラデーションをつくる。カイラギ沢にかかる辺りから大き目の石が転がる沢が近づきリズムのある景観を作る。対岸の林から尾根に斜めの夕日が当たる様が息を呑むようで見入ってしまう、スケッチにかかるがその細やかさはとても未熟な手では写しとれない、とにかく見るしかない。
けもの歩道と名づけられた小道を歩く、道は一面の落ち葉で覆われて歩くのが心地いい。終りのない時間が流れ行く。これはいい。300km近くを走ってくるだけの価値がここには十二分にある。

Nukumi3モミジの美しさはその場その時だけのものだ、光と緩い風と川の流れの響きと小鳥のかすかな声と木の香りそして舞う木の葉、それが合わさって えもいわれぬ感覚を与えてくれる、後から思い起こそうとしても もろくてはかない記憶の断片だけが残っているだけだ、写真にも絵にもビデオにも録音にもその有様の全体はおとしこめられていない。一度しか起こらないことが永遠に繰り返される、生きていくことそのものを見る思いだ。ただひたるだけだ。

山には雪がかぶりはじめた、新たなそしてこれっきりの冬がまた来ようとしている。

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2009年11月 2日 (月)

ウイットカムが去った

先週メールボックスを朝開けると、Richard Whitcomb(88)が亡くなったという記事がWhitcomblr入っていた、そういえばそんな歳かと思い返される。Whitcomb の名前は航空機設計にすこしでも関わった人なら知らない人はないだろう。NACA/NASAの高名な航空機空力研究者だ。Whitcomというとエリアルールという言葉が真っ先に浮かぶ、随分以前エリアルールの最初のNACAレポートを読んだことがあるが、論文を飾る遷音速の抵抗の式は本質ではなくて等価回転体の抵抗と航空機の遷音速造波抵抗が一致するということのみが主張の本質だと悟って随分根っこに迫る考え方の人だと感じいったことが思い起こされる。日本に来た時一度話を聞いたことがある、この時は飛行する高度の気圧の1/3の翼面荷重となるように航空機を設計すれば最良の効率が得られる、という話をするのだが何故そうなのかは一言も話さない、とても学者とは思えない、直感の人のイメージが濃い、あるいははったり好きといってもいい印象だった。エリアルールは航空機の設計には極めて強力で音の壁を破れなくて苦しんでいたYF102が直ぐにこの考え方をきいて胴体にバルジをつけて易々と超音速を実現した話は有名だ。スーパークリティカル翼と名づけて新しい衝撃波の発生を押さえ込む遷音速翼のコンセプトを特許として提示したことや、ウイングレットを言い出したこと、いずれもエポックメイキングで、その後に続くものはメーカーであれ研究者であれスーパークリティカル翼やウイングレットという名前を名乗るだけでWhitcombとは違うものであっても新しいコンセプトを主張できた。もうこんな人はNASAから出ないだろうと思ってしまう。はったりのようで実はそうではないところが何ともいえない。その後のNASAの航空分野ではったりの部分だけを真似してしまう雰囲気が時々出るのはちょっと危険なところがあるようにも感じる。

航空機の開発がひらめきに満ちていた時代が過ぎ去ろうとしていることを思わせる死だ。

時代はめぐる。

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